《無能力者と神聖欠陥》3 テト/キリへ

事務所Bのビルを出ると、いつもの見慣れた黒塗りの空豆型の自車が出り口前に止まっていた。

その車の周りには何人ものが群がっていて、丁度ビルから出てきたテトに気づき、一斉に黃い聲を上げる。

猿みたいだ、とテトは思った。

高かったであろう最新式のカメラを構えた彼たちは、聲をあげたりテトの名前を呼んだりして、別に許可もしていないのに寫真としてカメラにテトの姿を何枚も何枚も収めていく。この短いあいだに、一何枚の寫真を撮れるのだろうか。

テトが車のドアに手をかけた瞬間、ドアのロックが解除される。無數の白いフラッシュの瞬きを背に、テトはすぐに車に乗り込んだ。

顔の下半分を覆っていたマスクをしたに降ろし、車の天井をあおいでため息をついた。

「きょうはこのあとどこに?」

運転席に座っているモリが、前を見たままテトに聲をかけた。

「とりあえず車だして。適當に走らせて」

  テトがそういうと、モリはパネルにれ、「random」を選択した。

車はすぐに走り出したものの、いまだに自分を呼ぶ喚き聲が聞こえた。

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「出待ちひどいですね。そろそろ注意厳しくしないと」

モリの憤る聲が運転席のほうからきこえてくる。テトには、それについては返事をする気力はもうなかった。

気を使ったモリが、車に音楽を流す。モリ自が所有するこの車に登録されている音楽のプレイリストはテトのためのもので、テトのお気にりの曲しかない。モリは、テトのことを理解している男だ。こうしてあからさまに疲れているときは、すぐに音楽を流してくれる。

たまに「クラシックなんていう舊世の音楽デッド・ミュージック聴く若い子なんて、今時テトだけですよ」とからかうものの、なんだかんだモリも好んでそれを聴いている。

実際、クラシックを聴く若者なんてテトの周りにはいない。インタビューなんかで音楽はなにをきくか聞かれたときにクラシックを答えると、意外ですね、と相手は目を丸くしてテトを見る。調べてみると、まだ舊世のときにはクラシックのコンサートもあったりしたそうだ。たまに、テトは舊世の世界へ思いを馳せることもある。

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無伴奏で奏でられているチェロの音は、テトをしは落ち著かせた。

道路のうえをらかにはしる車の窓に頭を預けて、窓の外を見る。空は暗く、もう夜の十時頃だというのに、まだ人はそこらへんを歩いている。特に、腕と腕をくっつけて歩く男が多く、彼らは特にテトの目についた。

「キリに會いに行こうかな」

テトがぽつりとそう言うと、その言葉をきいたモリが反的に振り返った。が、作することがないとはいえ運転中のためすぐに正面をむく。

振り返った時のモリのいつもの細い目がとたんに大きく見開いたのを思い出してテトは笑いながら、「変?」

「いや……久しぶりなんじゃないかな、と思って」

「そうだな。ここのところずっと忙しくて、會いにいけてなかったからな。外泊が多くて」

「じゃあ、目的地、キリちゃんのところへ変えますよ」

うん。おねがい。そう言ってテトはまた、ぼんやりと窓の外を見た。

しばらくお互い無言でいると、モリが遠慮がちにテトに聲をかける。

「キリちゃんって、どんな子なんですか?」

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モリは、日本人だ。テトの「父」が、日本へ出張の際に見つけた日本人の青年だ。テトよりも年上なのにもかかわらず、敬語で話してくる。しかも、モリはいつもテトのプライベートに対して遠慮がちなので、テトの個人的なことは一切きいてもこないし、テトがやってはいけないことをやっていたとしても、一切注意もしてこない。もう數年の仲の上に、テトからモリに歩み寄っているのに、だ。

だからこそ、モリが「キリ」という人がどんな人なのかをきいてくることは意外だった。やっとか、とさえテトは思う。今まで彼についての説明は一切せずに、彼のところに行きたいときは、彼の名前と居場所だけを告げていた。

「彼……なんですか?」

テトが黙っていたからか、モリは正面をみたままテトにきいた。

「わからない。彼ではないのかも」

「まあ、彼いるのに他の連れ込んだり、遊び激しいのはできないですもんね……」

珍しくモリが自分の意見をハッキリと言ってくる。テトは腕を組んで、「うるさいな」と運転席を睨みつけた。モリがいつものようにへらへらとした笑い聲を上げる。

「ぼく、仕事でこうやってテトを車に乗せるのはいいですけど、テトの連れてきたの子をテトといっしょに乗せるのは気まずくって気まずくって……」

「今日はやたら言ってくるじゃん。誰かになんか言われた?」

「ええ? 別に」

後部座席からも見えるようにモリは大げさに肩をすくめてそう言ったが、テトにはそれが噓であるということはなんとなくわかっていた。

この車はモリのものとはいえど、部にカメラがついていて、事務所の人間がログを確認することもできれば、リアルタイムで車の様子を監視することもできる。事務所の人間ができるのであれば、それはもちろん父にだってできることだ。この間、久々に父に呼び出されたのでなにを言われるかと思えば、関係のことだった。他の事務所から苦かきているからいろんなところからを連れ込んだり遊んだりするのはやめろ、限度があるとかなんとか。おそらく父は、苦ってきたうえで、車のログを確認したのだ。そしておそらく、本人へ注意したのにもかかわらずなんの変化も見られなかったため、モリに注意をしとけとでも言ったのだ。

たしかに、普段自分に向かってなんの文句も言ってこないあげく自分に対して誠実なモリがこうやって苦言を呈してくるのは、心に響くものがある。

「まあ、テトもまだ、二十代だし…しょうがないとは思うんですけど……」

「もういいよ、そのことは」

で、キリについてききたいんでしょ?

テトがそう言うと、話を元に戻したがったのを察してくれたのかすぐにモリは「はい」と返事をした。「友達とか?」

「なんだろう」

會ったばかりのときは、友達だったのだろうか。

キリがはじめから自分のことを好いているというのは、知っている。キリが自分にすっかり依存してしまっているというのも知っている。ただ、自分を何として依存し、好きでいるのかは正直よくわからなかった。

男として好きでいるのか、友達として好きでいるのか、それとも家族として好きでいるのか。

「キリには好きっていわれるけど、どう好きなのかはわからないし、僕からキリのこと好きだっていったことはないや」

「好きなのは本當なんですか?」

「好きなのは本當だよ。でも言ったこともないし、まだ手をだしたこともない。手を繋いだことしかないんだ」

驚いたのか、モリはしばらく何も言わなかったが、「運転手がいるのに後部座席でとじゃれ合うひとが言うこととは思えない」

「連れてくる子たちはどうでもいいんだよ。別に、その子自には興味ないし、あした死んでしまっても何も思わないし、僕のせいで汚れてしまっても、それが本人が許したことなら別にいいんだ。じゃあなんでそうやっていろんなこといっしょにいるかって、それはただ単に僕が寂しくて、キリにはそれはできないから」

キリは違うんだ。テトは続けた。

キリには興味があるし、あした死なれてしまったら僕だってあとを追って死ぬし、たとえキリがそれを許しても、キリを汚すことはできない。

テトは、ゆっくりとまぶたを降ろした。

目を開けると、そこには一面のひまわり畑があった。

キリがずっと行きたがっていた場所だ。テレビでその場所を見てから、キリはそこへ行きたい行きたいと駄々をこね続けた。とはいえ、キリは外出を許されていなかったので、數日後、テトは「父」へ土下座をしてまでキリの外出許可を父に求めた。

何かあったら僕が責任をとりますから、と大聲を張り上げて、冷たい石の床に強く額を押し付けていると、テトの頭よりずっと上のところから「わかった」と、父の低い聲が聞こえた。

もちろん、テトとキリを二人きりにできるわけがなく、常に三臺の円形ドローンが見張っていることになったが、それでも最終的にはキリと二人で例のひまわり畑へと外出することができ、キリはずっと、ひまわりの前で笑っていた。

「すごいね! いっぱい!」

はじめて現実の花を見て目を輝かせて興するキリは、ひまわりのをかき分けて畑の中へとっていく。ドローンを通して何人かが見張っているとはいえキリを自分の視界から失ってはいけないので、テトはキリを追った。

やがて、キリの足が止まる。

「ひまわりにかこまれてるから、見えないかな?」

キリがテトにそうきいた。ドローンのことだろう。

「ううん。見えてるよ」

テトの答えに、キリの眉がさがる。

「そっか」

「今日、楽しかったね」

言ったあと、テトはまるでもう今日が終わるかのような口ぶりになってしまったことを反省したものの、キリは何とも思っていないようで、「うん」と返事をして、

「ずっときょうだったらいいのに」

「そうだね」

ここに來るまえは、繁華街の屋臺を回ったり、若者が多く集う街で服を見たり、ゲームセンターへ行ったりした。普段、あの部屋に閉じ込められているだけでは當然キリにとっては経験できないことだ。それをひとりではなく、テトと経験した。それはお互いにとってとても意味があり大切なことだった。繁華街に売っている食べは、別に部屋からでてわざわざそこに行かなくても部屋のパネルから注文すればひょっとしたら食べられるものだったかもしれないが、二人でそこへ行って食べるからこそ、意味があることだった。

あの部屋には、不自由がない。

やわらかくておおきなベッド、清潔なバスルームにはふたりがっても余裕のあるバスタブ、清潔で全自のトイレ、足をばせるようになっているソファ、両手をひろげてもそれよりもはるかにひろいテレビモニター、數々の電子書籍をよびだせるパネルに、挙句、自分が希したもの何でもを部屋まで屆けてくれるパネル。

そんな部屋にいたって、外に出られなければ、しょうがない。

學園にだって、キリがいてほしかった。席替えのたびに、隣の席がキリであるように願ってみたかったし、クラスが違うのであれば、わざわざキリのクラスまで遊びにいったりしてみたかった。バスケ部で、ゴールを決めるのをキリに見ていてほしかった。放課後、制服のままどこかへ二人で遊びにいきたかった。

なにが悪くて、なにのせいで、それができないのか。

「どうして?」

どちらかが、言った。

テトがキリの頰にれる。キリの瞳は、空とひまわりをうつしているせいでかすかに青みがかかっていて、そこに黃が混じっている。その中央にキリを見つめる自分の姿が寫り込んでいて、こんなに気持ちに正直になっているその自分の表にテトは辟易する。

自分の頰を包むテトの手に、キリは手を重ねた。

「テト、」

再びまぶたを上げたころには、あの日キリとひまわり畑へ行った高校生のときの自分ではなく、仕事終わりの疲れた二十代の自分へ戻っていた。あたりを見渡すも、やはりそこは車で、車は道路を走り続けている。テトは、おおきなあくびを一つした。窓の外を一瞥してみると、見慣れた景だった。丁度、目的地へ到著しようとしていた頃だった。

もぞもぞとく音がきこえてテトの目覚めに気づいたモリがそっと聲をかける。

「急に寢るから、寢たんじゃなくて、死んじゃったんじゃないかと」

「死んだみたいだったよ。見た夢、夢っていうより走馬燈だったし」

そろそろ長期で休暇とったほうがいんじゃないですか、無理やりにでも。モリがそう言ったが、それができるんならとっくにそうして、誰にも會わずに、數日間キリとあの部屋にこもっている。

目的地につき、車に乗った時と同じく、素早く車からおりた。窓ごしに「ありがと」とモリに聲をかけて片手をひらつかせ、テトはキリの元へとむかった。

はじめてあの部屋でキリを見てから、部屋は特に引越しなどもしておらず、場所はずっとあそこのままだ。「有能」の子供だけを通わせる學園兼寮の中のずっと奧、一般の生徒や役員、教員が踏みれられないような場所にその部屋はある。もっとも、行こうと思えば行けるし、実際テトは小學生にしてそこにたどり著けたわけであるが、そこへ行くのは本來誰もが許されていないのだ。わざわざ奧へ進んでまでそこへ行こうと考える好きはないし、厳重注意をけるのがわかっているし、それにそこで暮らすがどんな人なのか、皆知っていたからこそだ。

とは言え、り口には武裝した警備員がいる。今日テトと遭遇した警備員はいたってまじめて、重そうな黒い銃を持っているのにも関わらず、背筋ピンとばして直立していた。

「きょうはもういいよ、お疲れさま」

テトが彼に聲をかけると、その警備員の彼はテトに向かって深く頭を下げたあと、テトに背を向けて一本の廊下を進み、どこかへ帰っていった。

ポケットから明のカードを取り出す。昔はだらしのない警備員から奪い取ったものだったが、今のこれは公式にあたえられたものだ。テトは、そのカードをドアのキーパネルにかざした。

ドアは音を一切たてずにスライドして開く。

足を踏みれたそこに広がっているのは、昔となんら変わらない部屋だ。ちょっとっしたインテリアなどは変わっているものの、他はほとんど変わりがない。

もう夜遅い。

やはり、キリは眠っていた。

ベッドに腰掛けて寢ている彼を見下ろし、指先で前髪にれると、「う」と小さな口から聲がれる。

キリの眉間にシワが寄った。そこからキリが起きてしまうまでは早いもので、ふわあ、とあくびをして、彼は目を一気にあけた。

「テト?」

「ごめん、起こしちゃった」

「わーい!」

キリがテトに思い切り抱きつく。「まってたんだよ、さみしかったんだよ」

テトが部屋を出ていけば、そのあとはまたテトが部屋を訪れるまで、「待つ」ことになる。

「ごめんね」

言って、テトは機嫌をとるようにキリの頭をでた。

「それと、他にも謝らなきゃいけないことがあって……」

「なに?」

その「謝らなきゃいけないこと」を言うのに躊躇をする。言えば、どんなことになるか予想できるからだった。

「……明後日、キリの誕生日でしょ?」

「うん!」

この流れだとどんなことを言われるのか普通だったらこの時點でわかるのに、キリにはそれは無理だった。誕生日、という単語をきいただけで、嬉しそうな顔をしてテトを見つめる。

「その日、やっぱり仕事があって……休めないんだ。休んで、一緒にいたいと思ったけど……だから、別の日にお祝いするっていうのはダメかな」

キリから笑顔が一気に消え去る。眉が下がり、「でも、やくそくしたし、おとうさんがやすみでいいっていってたよ」

「父さんはキリにはそう言ったかもしれないけど、休めないんだ。許されないし、明後日の仕事は休めない仕事なんだ」

キリは、テトから顔を背ける。それから、またベッドに寢そべって布団にくるまった。

「もういい」

「キリ」

キリのもぐる布団にれると、布団がわずかに震えていた。泣いているのだということがわかり、思わず手が止まる。今まで、キリは気にらないことや嫌なことがあると子供のように喚いて泣いていたのに、今は違った。キリが靜かに泣くのを見るのははじめてだった。

よくよく考えなくても、キリの誕生日を祝うのは自分しかいない。高校生のころまでは、日付が変わる瞬間にキリの誕生日を祝っていたが、高校を卒業してからは多忙で、それができなくなっていた。誕生日を祝うどころか、なんでもない日にキリとふたりでいるというのもすっかり減った。

キリは、テトといる時間以外は、常に孤獨だ。

「おとうさんも、テトも、どうしてキリにうそつくの?」

それはテトに対しての言葉というよりは、獨り言のようだった。

ごめん、としか言えない自分がけなくなり、同時に、今この瞬間キリに対して大したことをしてあげられない自分のことが腹ただしい。

テトはただただ、布団にくるまって泣き続けるキリのそばにいることしかできなかった。

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