《グンマー2100~群像の(マギウス)》第0.25話 グンマー県獨立語★

2089年4月。 群馬県が、半知ビーストから奪還される。 群馬奪還の立案及び実行は、群馬生まれ第1世代の適合者フィッターが擔當。

2090年5月。 取り返したグンマーを日本政府は、全土を接収すると発表。 管理・運営は東京都が行い組み込まれると追加で発表。 群馬生まれの適合者フィッター達は猛烈に反対。

同年6月 グンマーは、日本政府及び東京と闘爭に突。 國連安保理はグンマーとミャンマーを間違え、日本政府を非難。 國連が無能で糞な組織なのは、150年経っても変わらなかった。

同時、月基地と世界中の核・水ミサイルが宇宙空間にて発。 軌道上の全ての衛星及び、宇宙ステーションが消失。 月面基地では、核力爐から放能汚染が発生し基地が全滅。

衛星を失った事で、従來のGPSを使った戦闘が不能になる。 各國は対応に苦労し、現代兵が使用出來なくなった。 軍の報収集レベルが、第2次世界大戦時の狀態に戻る。

同年7月 茨城方面の自衛隊と筑波學園都市の適合者フィッターが、戦闘を開始。 場所は、群馬県下仁田。 226年前の1864年に、下二田戦爭が行われた因縁の地。 戦闘は僅か1日で終了。

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群馬は、4人の適合者フィッターで勝利。 茨城の適合者フィッターは全滅、自衛隊も包囲殲滅された。 此れを第2次下二田戦爭と呼ぶ。

同年8月。 國連安保理は、グンマーが日本の舊群馬県と理解する。 グンマーと日本、雙方に話し合いでの解決を提案。 雙方拒否。

同年9月。 グンマーが、房総半島の兵工場が夜間空襲が行われる。 英米仏國系兵製造企業が大損害をける。

同年10月。 千葉の適合者フィッターと自衛隊が挑む。 4人の群馬の適合者フィッター相手に、千葉勢は1日で全滅。 此れを第3次下二田戦爭と呼ぶ。

同年12月。 クリスマス數日前、東京灣近海トンキンにて米海軍駆逐艦マドックスが轟沈。 米國はこれをけて、本格的にグンマーとの戦いに參戦を開始。 のちに【第二トンキン灣】と言われる。

2091年1月。 群馬が、東京へ正月攻勢を掛ける。 対グンマーの最強無敵ジークフリート線こと埼京線は瞬く間に突破される。 攻撃準備中だった米軍及び有志連合は壊滅的な大損害をける。

第二次世界大戦後から145年目、東京23區上空で戦闘が開始。 首都圏所屬の白虎びゃっこ乙姫おとひめ、山手やまのて譽ほまれが活躍。 適合者フィッター同士の戦況は、一進一退の様を示す。

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同年5月。 5ヶ月間の戦いで、23區の多くが灰塵に帰す。 米國もグンマーの猛攻をけて制空・制海権を奪えずジリ貧の狀態へ。 都民の多くが、対ビースト用の地下シェルターで生活を余儀なくされる。

この時に至っても都知事の烏越からすこしは、群馬編の意思を変えず。 記者會見で、『群馬を住んでよし、働いてよし、環境によし』にすると宣言。 暫くして、地下室で『オッパイプルンプルン』と言った事をフライデーされる。

同年6月。 釈明の記者會見で、醜態を曬らす。 『第3者の厳しい公正な目で検証した。総統も言っているので、違法で無い』 『ちくしょうめー!かんよー!パヨチーン!スターリンめ!』 意味不明の言葉を口走しりながら、鉛筆を投げた。

同年7月。 數週間後、都を夜間徘徊している所を警察に保護される。 診斷の結果、重度の認知癥を併発していた事が発覚。 都民は鳥とりからネジが1本抜けて、名前通り烏からすだったと冷淡な反応を示す。

同年8月。 後任に、大池おおいけという都知事が就任。 同時に、ビーストが長野と太平洋から多數襲來。 戦をしている場合では、無くなかった。

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聡明な都知事は、群馬の代表と渉を開始。

同年8月15日 戦災を逃れた秋葉原の居酒屋【ミズーリ】にて、停戦に署名を行う。 群馬を県として承認。 この戦は後に、【群馬獨立戦爭グンマーウォーズ】とも呼ばれる。

最後まで、群馬県獨立に反対した日本國首相は、腹痛でトイレに籠城。 首相不在の中、國會は監督と監察を置くことで、群馬県を承認。

~【群馬獨立戦爭グンマーウォーズ】戦闘纏め~

グンマー側。 戦闘參加者400名(全て適合者フィッター) 、重軽傷者10名、死者0。 民間人死者0名。

日本政府・米國・有志連合・東京首都圏・栃木・茨城・千葉・関西連合側。 戦闘參加者100萬名、重軽傷者5千名、死者99萬5千名。 民間人死傷者1000萬名。

日本國としては、第二次世界大戦以降最大の死者數。 適合者フィッターに至っては、第1世代で75%を損失。 各國も陸・海・空軍の優秀な人材を多數失った。 グンマーを東京都に編する戦結果は、痛すぎる損害であった。

~~纏め終了~~

同年8月29日。 國連平和維持部隊(PKO)が、埼玉北部に派遣される。 また、東京に分散されてた在日米軍基地等が埼玉北部に、纏められる。 埼玉北部が、東京とグンマーの緩衝地域として、在日米軍基地にされる。

名稱は、Camp Neo-Saitama(キャンプ-ネオサイタマ)と命名される。

2091年9月。 群馬校は、ビーストに荒らされた街の復興の拠點に榛名山を選ぶ。

赤城山が拠點で無いのは、赤城山が神聖な山の為。 っというのは、建前。

本音は、3つ有る。 1.近くの舊前橋と舊高崎の地下には、インフラが殘っていた。 2.栃木等の南関東連合の襲撃から、優位に迎撃げいげきが可能。 天然の要害、日連山が開けた唯一の平地という軍事的優位が有る。 3.また、東京へ再侵攻の際、司令部に適した場所。

一番は水資源が富な榛名湖傍に、溫泉源が有る事が決定打だった。

同年10月。 グンマーは、適合者フィッターの學園を作り始める。 同時期、戦で多數の適合者フィッターを失った神奈川・靜岡県はメンタルギア校を合併。 首都圏校と命名する。

校章は神奈川・靜岡の県章を改造したである。

2095年10月 學園設立から5年、全國に避難してた群馬人が戻り、復興が加速する。 グンマー學園都市と命名される。

校章は群馬県の県章を改造したである。

2100年4月。 設立から10年、10萬人程の學生と市民で、運営される學園都市が完。 10周年で、グンマー學園都市は、正式名稱を北メンタルギア校と命名変更。

10年間、群馬は戦の立役者の4人が、生徒會として運営している。 4人は學選挙で、選ばれた。

首席は、至誠賢治しせいけんじ。 副首席は、赤城朱音あかぎあかね。 庶務は、榛名彩華はるなさやか。 書記は、妙義凜みょうぎりん。

生徒會は、群馬で最高の権力と知能、武力を持つ。 群馬最高司令部(Gunma・Head・Quarters)と命名される。 通稱、GHQと呼ばれている。

首都圏から派遣されたのは、2人。 監察は、梶取素彥かとりもとひこ。 監督は、吉田松子よしだしょうこ。

群馬の監督・監査室。 群馬局(Gunma・Section)、通稱GSと呼ばれる。

いずれも、グンマーに取って、深い関係の名前の人達。 グンマー県は、二癖も三癖も有る人達が、今日も運営している。

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