――夢を、見ていた。

トバリは、大きな木の下にいた。

空からは太のがさんさんと降り注いでおり、地面には大量の芝が生い茂っている。

しかし、その木の周りは見渡す限り荒廃した大地が続いていた。

土は干からび、草は枯れ、木々は腐敗している。

もちろん、生きの気配などあるはずもない。

それをぼんやりと見つめてから、トバリは目の前の巨木を見上げる。

たくさんの赤い実をつけた、大きな木だ。

緑の葉を茂らせ、太のをその一に浴びている。

「あれ？」

そこでトバリは、その源が太にしてはあまりにも近く、そして小さすぎることに気がついた。

トバリの頭上でり輝いているのは太ではなく、大きなの玉だ。

「……どこだ、ここ」

そこまで考えて、ようやくトバリはその當然の疑問を抱くに至った。

トバリはどうやって、この場所に來たのだろうか。

そしてトバリは、不意に気づく。

これは、夢なのだと。

「もしくは、死後の世界、ってことも考えられるな」

トバリは冗談めかしてそう呟いたが、自分で言っておきながらあまり笑えない。

自分でも『死』が迫ってくるのがわかるほどの致命傷を負い、目の前には無傷の『知恵コクマー』がいた。

あのあと、意識を失ったトバリの命を『知恵コクマー』が奪っていたとしても、何も不思議ではない。

「……あのあと、どうなったんだ？」

『知恵コクマー』にを貫かれ、その場に崩れ落ちたところまではおぼろげながら覚えている。

だが、そこから先の記憶がない。

「ん？」

広がっている枝の下に、木の実が落ちていた。

近づいてそれを見てみる。

赤い木の実だ。

大きさやはリンゴに似ているが、微妙に形が違う。

どうやら、この目の前の木に実っているのと同じもののようだ。

そして、それを誰かが拾い上げた。

「……剎那？」

トバリの目の前に現れたのは、剎那だった。

なぜか『知恵コクマー』がに付けているものと同じような法をに纏まとい、トバリのほうを見つめている。

剎那は黙って、その木の実をトバリに差し出してきた。

「食べろって？」

剎那は頷く。

そういえば、剎那が自分の意思で何か行を起こす姿を、久しぶりに見たような気がする。

……いや、そうでもないか。

剎那はトバリが命令しなくても、いつもちょこちょこいている。

「それじゃあ、ありがたく」

トバリはそれをけ取る。

得の知れない木の実だったが、不思議とそれを口にすることは躊躇ためらわれなかった。

「……味いな」

それを口にすると、濃厚な味わいが口の中に広がった。

食や味は、果実というよりもに近い。

中にが通い、生命力が漲みなぎってくる。

その実を咀嚼そしゃくしていると、不意に剎那が口を開いた。

彼は、祈るような、慈しむような表を浮かべて、

「――いきて」

そこで、夢は終わった。

◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇

意識が覚醒する。

泥の底にあったそれがゆっくりと浮上し、のへと戻っていく。

「――っ！」

周囲の喧騒が耳にってくる。

無意味な雑音として処理されていたそれが、意識がはっきりしていくにつれて意味のあるものになっていく。

聞こえてくるのは、斷続的な戦闘音と、人間の怒聲と悲鳴。

スーパーの中が安全でなくなったことは明白だった。

「ぼふ、は……？」

聲を発しようとして、初めて何かが口にっていることに気付く。

口の中にあるものを改めて認識するために、舌をかした。

おそらく、何かのだ。

濃厚な味わいが口の中に広がり、の奧底から求めていたものが満たされていくような錯覚があった。

そのをよく味わって飲み込んでから、トバリは目を開く。

「……ん？」

周囲に、大量のゾンビたちが集まってきていた。

彼らは全員、間違いなくトバリのほうを見ている。

トバリを襲うそぶりがあるわけではなかったが、今までここまで多くのゾンビたちに接近されたことがなかったために、し気押される。

「というか、ここはどこだ？」

周りを見てみると、スーパーの裏手の道で寢ていたようだった。

『知恵コクマー』の姿はない。

「ユリが僕を逃がしてくれたのか？　――っ！　そうだ、ユリは！？」

そこまで考えて、トバリは自分が誰かの腕の中にいることに気がついた。

「……ユリ？」

トバリを抱きしめるようにして、ユリが地面に橫たわっている。

その瞳は閉じられており、微だにしない。

「ユリ！　しっかりし――っ！？」

そこで、トバリは気づいてしまった。

さっきまでトバリの頭を抱えるような格好をしていたユリの腕が、不自然な形に抉えぐれている。

ちょうどゾンビに噛み付かれて、そのままを抉り取られたかのような痛々しい傷痕だ。

しかし、ユリはゾンビに襲われない。

『知恵コクマー』につけられた傷だという線もあったが、トバリの頭の中には、ある恐ろしい想像が浮かんでいた。

さっき、トバリが食べていたもの。

あれは、ユリの腕のだったのではないか。

……いや、今はそんなことは後回しだ。

トバリはユリのを抱き起こす。

は冷たいが、一応呼吸はしていた。

何かに齧かじられたことによる腕からの流以外にも、両足が腫れているように見える。

逆に言えば、目立った外傷はそれだけだ。

とりあえず死んではいないようだが、このままの狀態が続けばどうなってしまうかわからない。

早急に手を打つ必要がある。

とはいえ、トバリにできることはそう多くない。

ここには治療できるようなものは何一つないのだ。

「……いや。あるにはあるか」

トバリは、周りにいるゾンビたちを眺めた。

ふらふらと歩き続けている彼らのは、ユリにとっては治療薬の役割も果たすという。

とにかく、早急にユリに目覚めてもらう必要がある。

そのために人が必要なのだと言うのであれば、なりふり構っていられない。

今までは倫理観や忌避が邪魔をして人は食べさせなかったが、有力な手段の一つとして考えるべきだ。

「……っ痛え！」

そんな思考は、突如襲ってきた部からの痛みによって遮斷される。

自分の部を見ると、赤黒い塊がの傷口を覆っていた。

「とりあえず塞ぎました、ってじだな……。違和があるとかいうレベルじゃないぞ」

そのあまりにもいびつな自然治癒に、トバリも気分が悪くなる。

いや、まともな人間のであれば即死レベルの重傷だったのだ。

文句を垂れるのは筋違いというものだろう。

「くっ……やっぱりまともにくのはキツイか。『知恵コクマー』の野郎、絶対にぶっ殺してやる……！」

負傷の原因である『知恵コクマー』への怒りを靜かに燃やしながら、トバリはなんとか立ち上がる。

「……僕も、食べる必要がありそうだな」

ここまで重傷なのであれば、トバリ自も人を摂取したほうがいい。

患部の雑な自然治癒から見てわかる通り、明らかにが足りていない。

『知恵コクマー』を倒すことを目標にするのならば、萬全の狀態で臨むべきだ。

そう考えたトバリは、近くにいた一匹のゾンビに狙いを定める。

若いのゾンビだ。

腕にしだけ齧られた跡があるが、それ以外は綺麗なものだった。

「じゃあ、ちょっといただきますね」

し躊躇しながらも、トバリはのゾンビの腕に噛み付いた。

「っ！！」

最初は噛み付くだけに止めておこうと思っていたのだが、気がつくと歯を立てて腕のを抉り取っていた。

そのまま、のを咀嚼する。

生ののを舌でたっぷりと味わい、細かく噛み砕いた片を嚥下えんげした。

「……これは、すごいな」

の奧底から、力が溢れてくる。

ずっと足りていなかった栄養素を摂取できたことを、が喜んでいるのがわかる。

それはいいのだが、

「なんか、寒いような……」

建のになっているとはいえ、今は九月の晝間だ。

照りつける太のおかげで、暑くなることはあっても、寒気をじることなどないはずなのだが……。

「……そういえば」

トバリは、自のを見る。

その部分は相変わらず痛々しい傷跡を曬しているが、トバリが気になったのは正確にはそこではない。

「なんか、変なじがするんだよな」

それは他でもない、そこにあったはずのものが消えているような、喪失。

しかし、それが何なのかわからない。

「いや……待てよ」

『知恵コクマー』の言葉を思い出す。

彼の言葉によれば、『資格』を持つ証であるセフィラという球が、その人間ののあたりに埋め込まれているらしい。

そして、『知恵コクマー』はトバリのを狙ってきた。

頭でも腹部でも足でもなく、を。

……わざわざ、手でトバリのを狙ってきた理由。

そんなもの、一つしか考えられない。

『資格』持ちの人間からセフィラを奪うためだ。

そこでようやく、

「まさか……『知恵コクマー』にセフィラを取られたのか？」

トバリは、その結論に思い至ったのだった。