《終わった世界の復讐者 ―僕はゾンビをってクラスメイト達に復讐する―》第59話 『(ティファレト)』

亜樹の曇りのない眼が、トバリの目を見ている。

黒曜石のように輝く漆黒の瞳は、まるでトバリの心の深い部分まで見通しているかのような錯覚すら覚える。

「せ、つな……?」

「そう、剎那。トバリなら、知ってるんじゃないかと思って」

しっかりと発したはずの聲は震えていた。

視線を逸らせない。

目を逸らしたら死ぬ。

そんなことが起こるはずがないのに、そう思わせる何かがあった。

――言ってはいけない。

圧倒的な恐怖の中にあってもなお、トバリはそう確信していた。

剎那の居場所を言えば、亜樹は間違いなくトバリから剎那を取り上げようとするだろう。

それだけは、絶対にダメだ。

剎那はトバリにとって、決して譲れないものなのだ。

「し、知らない……」

やっとのことで絞り出したのは、それだけの言葉だった。

「――そう」

トバリにとっては意外なことに、亜樹はすんなりとトバリから離れた。

まるで、もう用事は済んだと言わんばかりの態度だ。

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「まあ、今のトバリにはユリちゃんもいるものね。そっちを押さえたほうが口を割るのも早いかしら」

亜樹の中で、いったいどんな思考が繰り広げられているのか。

いつもならば全くと言っていいほど読めないが、今に限っては、察するのは容易なことだった。

「ユリに……手を出すな」

「トバリが剎那の居場所を教えてくれるなら、いいわよ?」

微笑を浮かべながら、亜樹が再びトバリのほうを見る。

だが、その條件はトバリにとっては苦しすぎるものだ。

剎那もユリも、亜樹に差し出すことはできない。

絶対に、そんなことはできない。

「だんまり、ね。あまり関心できる態度じゃないけど、まあいいわ」

亜樹はし失したような目で、トバリから視線を外す。

次いで、事態を靜観していた三田のほうを見て、

「『知恵コクマー』。大學病院に行って、ユリちゃんを回収してきて。できれば生け捕りのほうがましいけど、最悪『王國マルクト』だけになっても構わないわ」

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「……わかった」

しだけ逡巡しゅんじゅんしたあと、三田は頷いた。

迷いがないわけではないようだが、その瞳にはたしかな意思がじられる。

亜樹は、制服のポケットから何かを取り出した。

ビー玉ほどの大きさの半明の球は、亜樹の手の上で淡いオレンジを放っている。

「無事にユリちゃんを回収してきてくれたら、この『栄ホド』のセフィラをあげる。これをあなたの奧さんに埋め込めば、まだ人の形が殘っているならちゃんと生き返ってくれるわ」

「――ああ」

その球を見た瞬間、三田の目が鋭くなった。

ご褒を目の前でひけらかされて、彼のやる気は俄然がぜん高まったようだ。

そして、三田がセフィラをする理由もわかった。

彼が妻帯者であったというのは初耳で驚きもあるが、それよりも納得の気持ちの方が強い。

三田はする人にもう一度會うために、悪魔に魂を売ったのだ。

する人に會うために、仲間を裏切る。

それは皮なことに、トバリにとって理解できなくもない行だった。

だが、ある程度理解できるからといって、今のこの狀況がどうにかなるわけでもない。

……どうする。

このままでは、ユリは三田に捕らえられてしまう。

ユリも弱いわけではないが、三田が『知恵コクマー』の力を使いこなせるというのなら、多勢に無勢だ。

ユリが三田に不意打ちをける可能を考慮すれば、ユリが敗北する確率はさらに高くなる。

トバリが必死に頭を回転させていると、亜樹が再び視線を移させた。

その先には、暇つぶしだと言わんばかりに城谷と辻の腹部を蹴り続けている春日井の姿がある。

「春日井くん。その三人を任せるわね」

その聲を耳にした春日井は、足のきを一旦止めた。

「いいんですか? 俺は正直今すぐにでもこいつらの首をへし折りたいんで、殺しちゃうかもしれませんけど?」

「別に構わないわ。死んだら死んだで面白いし」

「……わかりましたぁ」

亜樹の許可をけて、春日井がやる気に満ち溢れた顔をしている。

奴なら間違いなく、嬉々としてトバリたちを苦しめた末に、最後は蟲けらのように殺すだろう。

足元にいる辻の腹部に強烈な蹴りを叩き込みながら、春日井はおどけた様子でトバリたちに話しかける。

「んで、どうする? 何をされたい? 俺としてはこのままお前の腹を蹴り続けたらどうなるのか実験してみたいところなんだが」

「お……げぇ……ぇえ……」

「うわ、きったねぇ!! 吐くなよお前ぇ!!」

辻が吐き出した吐瀉としゃぶつが、春日井の靴を汚していた。

がついた靴の裏で辻の顔面を蹴り飛ばし、春日井は辻から距離を取る。

「ふご……っ……ぇ……」

辻は小さく痙攣けいれんしながら、吐瀉まみれの床にそのを委ねている。

臭がトバリの鼻をついたが、不快な表をする余裕もない。

春日井には容赦がなかった。

それは、かつてトバリへのいじめに加擔していた城谷や辻に対しても例外ではない。

今の春日井にとって、トバリにも城谷にも辻にも、大した差はないのだろう。

きのとれない人間を預けるには、明らかに不適切な人間だ。

実に亜樹らしい、最悪な人選だった。

「……待ってくれ」

「うん?」

そんなトバリたちの様子をジッと見るだけだった三田が、春日井に聲をかけた。

春日井にとってもそれは想定外だったようで、三田を見つめる視線も戸いのが濃い。

「その三人、命だけは助けてやってくれないか?」

「あぁ? アンタ、誰に向かって口利いてんだおぃ?」

だが三田の言葉を聞いた瞬間、春日井は骨に顔をしかめた。

春日井からは、亜樹以外の言葉を一切け付けていないような印象をける。

現に、春日井と三田は一即発の空気を醸し出していた。

ところが、トバリにとって意外なところから靜止の聲がかけられる。

「春日井くん。『知恵コクマー』がそう言うなら、殺すのは勘弁してあげて」

「しかし亜樹さん……」

そんな亜樹の言葉をけても春日井は納得できないようで、なおも彼に食い下がろうとする。

それはまるで母親におもちゃを取り上げられた子どものような不貞腐ふてくされ方だったが、現実はそんなにかわいいものではない。

春日井の態度に思うところがあったのか、亜樹は軽くため息を吐いて、

「しょうがないわね。――『春日井くんは、わたしがいいと言うまではトバリたちを殺さない』」

亜樹がそう言った途端、春日井は目を見開いた。

しかし、すぐにその表を元の悪辣なものに戻し、

「……わかりました。でも、殺す以外なら何をしてもいいんですよね?」

「ええ、構わないわ」

亜樹は春日井に向けて、ひらひらと手を振った。

それは紛れもなく、この場で春日井に話すことはもう何もなくなったという意思表示だ。

「あと、『知恵コクマー』にも。――『今日から三日の間、『知恵コクマー』はこのショッピングモールで春日井くんと一緒にトバリたちを管理する』」

「……わかった」

三田は不本意そうな表をしていたが、渋々と了承の意を示した。

本音のところは、今すぐにでも大學病院に向かって、ユリを捕縛したいのだろう。

そんな三田の様子を見て、春日井が邪悪な笑みを浮かべていた。

「それじゃあ、わたしは戻るわ。あとは好きにしていいから」

「ああ」

「わかりました」

三田と城谷の返事に満足した様子の亜樹は、深く頷く。

「……ああ、そうだ」

そのままこの場から立ち去るのかと思いきや、彼は駐車場のほうへと繋がる道の途中で立ち止まる。

亜樹は、素晴らしい妙案が浮かんだという顔でトバリのほうを見た。

「わたしからトバリへ、プレゼントをあげるわ」

「プレゼント……?」

正直、嫌な予しかしない。

だが、巨大なゾンビの腕にを拘束され、近くではいまだに春日井がトバリのきを目ざとく見張っている。

抵抗など、できるはずがなかった。

亜樹はゆっくりと歩いてきて、トバリの目の前にしゃがみ込むと、トバリの額に右手を添えて、

「『トバリは、剎那のことも、ユリちゃんのことも何とも思ってない。剎那はただのの対象でしかないし、ユリちゃんは利用価値の高い道にすぎない』」

亜樹がそう言った瞬間、トバリの中で何かが消えた。

何か大切だったはずのものが、霧散していくような覚があった。

だが、それが何なのか思い出せない。

それがもどかしかった。

「ところでトバリは、剎那がどこにいるのか知らない?」

「せつ、な……?」

沢城剎那は、トバリのなじみだ。

パンデミックの初期にトバリに噛みつき、トバリのゾンビをることのできる質を発見する一因となったでもある。

その後、を持て余したトバリによって、気が向いたときに処理をするための道として使われている。

……せつ、な?

「せつな、は……」

「うーん。もしかして抵抗してるのかな。なるほど。剎那が『知識ダアト』なのはこれでほとんど確定かしら。それにしても、結果がわからないというのは、本當に面白いわね」

亜樹は、どこかワクワクした様子でトバリから視線を外した。

その姿は、どうしてもトバリの知る亜樹の姿とは重ならない。

まともな人の心がないのではと錯覚させるほどの陵辱者だったはずのが、今は知らないことを知ることに喜びをじている。

トバリにとって、それは異常と呼ぶ他にない現実だった。

「それじゃあ、トバリ。生きていたらまた今度會いましょう」

今度こそトバリに興味を失った亜樹が、彼から離れていく。

そして、その途中で何かを思いだしたように、再び足を止めた。

「そういえば、名乗るのを忘れてたわね」

そう言った亜樹は、居住まいを正して、

「――わたしは『セフィロトの樹』、の『ティファレト』。『セフィロトの樹』の、最高指導者よ」

自分こそが『セフィロトの樹』を統べる者だと宣言して、亜樹はこの場を後にする。

この場に殘ったのは、圧倒的優位に立つ陵辱者と、彼の仲間。

そしてその陵辱者に嬲られる未來しか待っていない、哀れな三人の年だけだ。

「……さぁて。じゃあ行こうか、カス共ぉ?」

悪夢が終わり、しかしなお悪夢のような現実はまだ続いていた。

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