５ ９月１６日　Mの悲劇

屋上へとやって來た靜間はきょとんとした目を太たちに向けて告げた。

「キミたち、いったい何を言っているのですか。神谷君に呼ばれたから來てみれば、私が影浪子先生で、さらに審判を企てた犯人？馬鹿なことをいうのは止してください」

太と霧島は依然として靜間を睨みつけている。

太の言葉に代わるようにして霧島が口を開いた。

「まず……一つ目。貴方、靜間先生が影浪子ということは１００パーセントの確定事項です。既に戸籍すら手しています。まあ、法外な方法ではあるかもしれませんが」

「なぜ……ただの高校生である貴方たちにそんなことができるわけが――」

「そして、二つ目。……審判を企てたというのが貴方であること。これを靜間先生は否定しますか？」

「當たり前です」

靜間は一切の表も崩さずに答えた。

「じゃあ……黙って聞いていてくれ」

太が靜間を睨みつけいった。

「それで、そのままのスタンスを貫けるというのであれば、靜間先生は犯人ではないということになる」

「……だから、私は――」

「もう俺たちに『審判』は通用しない」

唖然とした桜の目に靜間の頬の筋が一瞬だけ強張ったように映った。

靜間が困しきったような笑みを浮かべて答えた。

「どういう意味なんです？　審判とは影充君の呪いーー」

「スタンフォード監獄実験」

霧島の一言に靜間は大きく目を見開いた。

明らかな揺が走っていた。その表を見逃さなかった太は追い打ちをかけるように告げた。

「言ったろ。仕組みを理解したって」

「靜間先生、當然ご存知ですよね？」

「……」

靜間は否定も肯定もせずに視線を地面へと落とした。

その様子を眺め、霧島が続けた。

「１９７１年にスタンフォード大學の心理學部で行われた実験。場所は刑務所をイメージされて、生徒たちは看守役と囚人役にグループ分けされ、それぞれにあった設備を與え演じさせた……最初はそれだけのはずだった。だが最終的にその実験は過激さを増していった。囚人はより囚人らしく、看守はより看守らしく行をとることになり、囚人役は非人道的な待遇にすら遭うようになった」

霧島は間を空け、ひとつ息を整えるとさらに続けた。

「その監獄実験の被験者に現れた癥狀は実際の監獄に収容された囚人のものと酷似。そのリアルさに危険と判斷され、実験は中止された。最終的には克服されたとはいえ、神的外傷（トラウマ）がった被験者もいただろうね」

靜間は抑揚のない聲でいった。

「それが、３年１組で起きている『審判』と何の関係があると？」

「似ているとは、思いませんか？　『罪人』と『審判者』の関係。そして、僕たちのクラスで起きている慘劇に」

「……」

太の質問に靜間は何とも答えなかった。

その様子を見て霧島が続けた。

「『Mの悲劇』……あれは靜間先生が影充についてまとめたファイルだと言いましたよね？」

「そうです」

「違いますね」

靜間は一瞬、霧島を睨みつけたように見えた。

「言いましたよね。靜間先生……いや影浪子については調べがついているって」

「……」

「あれは、影浪子が大學時代の心理學部に所屬していたときに書かれた論文です」

「……」

太はポケットから折りたたまれた紙を取り出しその紙に書かれた文字を追うようにしていった。

「タイトルは『Mの悲劇』、心理學部３年、氏名『影浪子』。どうして、これをアンタが持ってんだよ。靜間先生」

「……」

靜間は無表のまま何も答えない。

霧島が太に続けていった。

「僕の父がね、言ったんですよ。この３年１組で起きている現象は、スタンフォード監獄実験に似ているかもしれないってね。この実験は心理學者ミルグラムとアイヒマンという人の提唱した理論の応用と言われています」

太はポケットから取り出した影浪子の論文のコピーを指さしいった。

「ちゃんと読ませてもらったが、『Mの悲劇』のMってのはミルグラム（Milgram）のことっぽいな」

「それと靜間先生の部屋の本棚にあった『Eテストの検証』という本も影浪子の著作ですね。『Eテスト』のEはアイヒマン（Eichmann）のEのことです」

太と霧島は靜間を睨みつけた。

「この心理実験のテーマは、『どんな善良な市民でも、恐怖のもとでは殘な行為も犯してしまうのか？』だ」

「この『審判』とは決して非現実的非科學的な呪いなんかじゃない。理論立てて作られた現実的な実験。３年１組の生徒たちに対し、心理的に罪悪を植え付け、そして今までのカーストの憎悪から、死を以て裁くことができる権利を與える。それは審判の宣告と無意識下での自殺へと追い込む。そして大量殺人事件へと発展させた。違いますか？」

「別にアンタが犯人じゃないって否定してもらっても構わない。だが、こんな理論に俺たちは負けない。もう誰も殺させない」

「靜間奈子、先生……」

太と霧島が靜間を睨みつけるなか、桜のか細い聲が響いた。

靜間はゆっくりと深呼吸をしながら、太たちのほうへと向かって歩き始めた。

そのまま通り過ぎ太たちを眺めるように立ち、眼鏡を外し捨てた。

そして、その眼鏡を思い切り踏みつけ、大きな舌打ちをして告げた。

「本當にガキは何を考えているのかわからない」

「……」

その聲に太たちは背筋が凍りつくのをじた。

予想はしていた。

だが、恐怖をじてしまった。

改めて実してしまった。

靜間奈子が犯人なのだ、と。

「はあーあ。黙って『影充の呪い』だとでも思っていれば良かったのに。折角整えた舞臺が臺無しだ」

「機は何だよ？」

太は絞り出すような聲で靜間を睨みつけながらいった。

「何が？」

「俺たちのクラスに『審判』を起こした機は何だ！　１０年前に自殺した影充の復讐か！」

靜間は唖然として黙った。

そして、堪えていたような笑いが込み上げてきた。

「……ぷっ。くくく、ははははは！　はあ～？　復讐？　何故？　私があんな奴のために復讐なんてするわけないでしょう！」

太たちの顔からの気が引いた。

「え……」

その衝撃から聲がれた。

靜間は続けていった。

「だって、充がめられていたとき見て見ぬフリをしていたクラスの擔任は私だったんだから！」

「なっ……」

太たちは絶句した。

「充の最期も見た！　アイツ、最期は泣きながらこの屋上から飛び降りたんだ！　馬鹿で雑魚な奴だよ！　母親なら悲しむべきなのか？　あんな姿を見て？　あははははっ！　私は何もじなかった！　充は無様で醜いガキだと思ったよ！　あははははっ！」

心の奧底に隠していた嘲笑が込み上げてくるのを我慢するようにして靜間は告げた。

「いじめとか、Ａ軍だとか、Ｃ軍だとか、お前たちの事なんて、本當に鬱陶しくて面倒くさい。クラスの安っぽい下品な友とか、薄汚いステータス気取りの猿真似とかも、ほんとにガキの勘違いの馴れ合いだ！　お前たちは本當に無様な劣等生だ！」

「母の欠落した母親め」

霧島はかつてないほど冷徹な聲で告げた。

怒りを固めて絞り出したような聲だった。

「母……ね。そんなものは私には必要ない。人間が持つくだらないのひとつだ」

靜間は太たちを眺めて、不気味にを釣り上げた。

「このまま続行して審判実験が１００パーセント功するとは言い難い。仕組みを完全に理解した人間が紛れて可能かどうかというのも非常に興味深いが」

ぶつぶつと呟き、靜間は再び太たちを睨みつけた。

「私が行ったのは審判だけじゃないお前たちのクラスに鮮明なスクールカーストを作り出すことから始めた。そのほうが『審判』を始めたときにお前たちの中にお互いを憎しみ合う報復心を作りやすいからね」

靜間は楽しそうな穏やかな笑みを浮かべていった。

「本當に無様で稽で。お前たちは自分の立場が守れるのならば、誰が傷ついても構わない。それはA軍だろうが、C軍だろうが同じこと。本當に……見ていて愉快だった」

太は握りしめた拳を震わせた。

なんなのだ、この人間は。

【影……浪子……変わっ、しまっ……】

靜間は高らかな笑いとともにいった。

「これは人類史に殘る偉大な心理學的実験だ！　絶対に失敗するわけにはいかない！」

その聲に被せるように太は力を込めていった。

「人の命をなんだと思っていやがる！」

すぐさま靜間は聲を荒げていった。

「弱者である人間の尊厳を平気で踏みにじるガキどもが勝手なことほざくな！」

太は言葉が出てこなかった。

「それが貴方のこの『審判』を行った機ですか？」

霧島が冷たい聲でいった。靜間は笑みを浮かべつつ答えた。

「恐怖による支配から生まれた秩序のもとで、お前たちにお互いを思いやる心を取り戻させてあげようとしただけですよ。どうです？　実際うまくまわっていたでしょう？」

太は苛立ちの聲でいった。

「お前は最低の人間だ」

「せめてでも、そういうことを言っておいたほうが先生らしいでしょう？」

睨みつける太を橫目で見つつ、靜間が薄ら笑いをしながら続けた。

「大変だったわ。私はこの実験の土臺であるスクールカーストから丁寧に作り上げるため、しっかりと貴方たち一人ひとりを研究した。日々の素行から格・行予想まで。お前たちガキのの上なんて見たくもなかったから反吐が出たけどね。『審判』のためなら我慢できた」

「あー」と思い出すようにして、靜間は一度鼻で笑い続けた。

「例えば『山田秋彥』。彼は、最初はC軍の生徒だった。だけどＡ軍のパシリから始まってＡ軍まで登りつめた。それはどこまでも臆病な人間だったから。誰よりも傷つけられるのを怖れていた弱蟲だったから」

第２の審判で裁かれた山田秋彥のことすら、靜間はしっかりと知しているような言い草であった。

興味のない素振りをしながらも、審判のために靜間は刻々と準備を進めていたということのようである。

「山田を悪くいうんじゃねえ」

太の言葉に靜間は呆れ顔で告げた。

「悪いわね。そういったつもりはないけど。現実のステータスを伝えただけ」

ゆっくりと太たちから遠ざかるように靜間は歩きながら続けていった。

「山田秋彥はそんな貧弱な神ステータスだったから。だから彼を最初の罪人に選んだ。そうしたらやっぱり震え上がっちゃって。誰よりもを売って無様に死んでいった。けないけど、彼のおで審判によりリアリティが乗ったから謝している」

そのとき、太たちの頭のなかに冷たい風がすり抜けたようにじた。

そして、そのまま何もかもを吹き飛ばしていったかのような。

今の靜間の発言が、まるで意味がわからなかったからである。

もう一度、頭の中で反芻してみた。

しかし、やはり意味がわからなかった。

「ちょっと待て……何を言っている？」

太は小さな聲ながらも疑問を口にした。

「最初の罪人は、第１の審判で裁かれた『五十嵐アキラ』だぞ？」

その疑問が靜間に屆いた瞬間に、靜間は再び堪えきれないように笑った。

「なんだ……。お前たち、しはできるのかと思えば。やっぱりただのガキ。馬鹿ね」

ゆっくりと靜間が振り向き、にやっと不敵な笑みを浮かべた。

「『審判』のため土臺を整える必要があるっていったでしょう？　『審判にはルールが存在する』。それをお前たちの潛在的脳裏にも刻み付ける必要がある」

何かを理解した霧島の顔が蒼白になっていった。そして、

「噓……まさか……」

と呟いた。

唖然とする太たちの背後で何かが揺れたような気がした。

それは科學者がに著けるような白の裾が風でなびいたものだった。

そんなフード付きの白をに著けた二人が太たちの背後にやってきていた。

そして、その二人はゆっくりとフードを外した。

れた脳のまま太たちはゆっくりと振り返った。

それに合わせ靜間が続けていった。

「そんな『審判のルール』を教えるためにはお手本が必要……つまり」

太たちの背後には#いるはずのない二人が立っていた。

そんな太たちを嘲笑うかのように靜間は言い放った。

「第１の罪人と審判者である、五十嵐アキラと東佐紀は、私の部下だ」