《ブアメードの》3
佐藤一志は項垂れていた。
目覚めた時、目の前にはまた黒い布があった。
「佐藤さん、起きてください。
あなたはもう、目覚めているはずです」
醫者が佐藤の後ろから冷徹な言葉を吐いた。
「な、なんなんだ、なぜこんなことをするんだ」
逃げ出せたと思ったのも束の間。
どうなったのか、あっさり捕まった佐藤は、また拘束されていることにうんざりした。
目が慣れてくると、部屋はまだ明るく、黒い布越しから囚われている部屋の様子が伺える。
先ほどと同じ部屋なのか、一メートルほど前に見える壁は真っ黒だ。
その壁には大き目の晶ディスプレイが固定してある。
先ほど、部屋から出た時に見た明るい白い壁の廊下とは、まるで違う場所のようにじる。
<壁一枚でここまで違うものなのか…>
「あなたがこの部屋から逃げ出してから、二時間経ちました。
あと、三時間です。
…さて、あなたは神を信じますか?」
醫者は脈略なくそう逆に質問した。
<神、か。
拉致されたとわかった時から、頼むから、一生に一度のお願いだ、助けてくれ、と願ってはいるが…>
佐藤は見かされた気持ちと自分の信仰心に恥ずかしさを覚えた。
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「うっうっうっ、別にあなたの宗教心を試してる訳ではないんですがあ、ちょっと聞いてみたくなりましてねぇ。
別に信じていようがいまいが、どちらでも構いません。
日本人の宗教心の実際は、世界の中ではとても低い。
七五三やお正月は神教、クリスマスや結婚式はキリスト教、死んだ時だけ仏教なんてよくある話からもわかるでしょう。
しかし、世界に目を向ければ、本気で神を信じている人類の方が多くてですねぇ。
日本人の倫理では宗教の戒律より法律を優先しますが、宗教の戒律の方が法律より上と考える人たちもいるんですよ。
宗教戦爭など見ればわかるでしょう」
醫者はし落ち著いて、ゆっくりと続ける。
「…私はね、神はいると思っているんですよ。
ただし、祈れば願いを葉えてくれるなんて、そんな安っぽい神じゃあない。
我々人間を含めた生命を創ったという創造神って奴ですよ。
要は創造論を本気で信じていましてねぇ。
その逆の進化論というのも、もちろんご存知でしょう。
進化論は全くの間違いでもないが、ちょっと表現が正しくない。
進化というよりは、神が作った後の適応変化、言わば派生やバージョンアップというだけですよ。
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生命が自然に生まれたというのは、かなり無理がある、というより無理です、確率はゼロパーセント。
進化論の連中は、例え可能が極めて僅かでも何億年という歳月ではあり得るというのですがね、私に言わせれば、ゼロにいくらかけようがゼロなのです。
もっとも単純なウィルスの伝子さえ、偶然にできる可能は無に等しい。
百歩譲って生まれたとしても、その種が當時の厳しい原始の地球環境で永続して世代代し、さらに進化する可能なんてありもしないことですよ、ええ。
考えてもみてくださいぃ。
伝子の複雑な構と仕組み、これはあなたもよくご存知でしょう。
AGTCの塩基からなる四進法で記録された設計図が、しい二重の螺旋を描いていますよねぇ。
そして、その伝子がす神を知っていますか。
生の雌雄の分岐と生方法を考えてみてください。
なぜオスとメスに分かれ、互いに惹かれ合い、また同種族を片方が生めるのか。
この不可能は學校やメディアなどれたことがあるでしょう。
先ほども言った通り、我々は伝子に異を求めるよう意思をコントールされ、それを當たり前のようにけ止めています。
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むしろ、それに抗うようなマイノリティを嫌い、排除しようとする。
もしかしたら、その行も伝子によって作されているのかもしません。
他にも、クラゲの増方法、蝶のメタモルフォーゼ、蟻や蜂の集団行、蚊の二酸化炭素の知と吸する口の形狀と方法、不死のクマムシ、食蟲植の捕食法、コウモリやイルカの超音波、蛇の赤外線…
不可能の例を挙げれば切りがありません。
どれも、計算されつくした綿な構造と連攜を現しています。
これが進化というなら、どれだけの奇跡の積み重ねでしょうか。
奇跡と言うのは神などが示す思いがけない働きという意味があります。
神というのも、まさに神の、つまり、神の意思がそこに働いたと考えた方がしっくりきます」
佐藤は醫者の言うことを黙って聞いていた。
<メタモルフォーゼの発音、いやにいいな>
醫者の例えは、いくつかは聞いたことがあったが、特に蝶の変態は知っていたので、この醫者のいうことになからず興味を覚えた。
蝶は蛹となった後、考えられないようなことが起こる。
蛹の殻の中で蟲は、いくつかの以外は一旦ドロドロの狀態となり、組織のスープのようなものを組み直して、覚、足、羽などを再構するというのだ。
まるで、出來上がる姿が先にあって、細胞を材料にその形を出力しようとする3Dプリンタだ。
<究極に不思議な現象だが、だからと言って、科學的に説明できないわけでもないだろうが…>
「それから、生きの構を考えてみましょう。
臓は五臓六腑と言われるが、実際はこれ以上です。
最近になって、腸間も臓だということがわかったほどです。
人間の覚も、よく五といわれていますが、とんでもないぃ。実際は二十以上もあるのですよ。
五の一つが覚と言われますが、単純化され過ぎですねぇ、実に勿ないまとめ方です。
本當の意味での覚というのは、マイスナー小という機械容と呼ばれる皮下組織の細胞が伝える報に過ぎません。
機械容は他にもたくさんあります。
平衡覚や圧迫や重力がそれで、それぞれ別に脳に伝えているのですよ。
簡単に伝えると言っていますが、にれた刺激によって細胞の中と外とでイオン濃度の不均衡が生じ、その電位差を知して神経に伝えているのです。
その電位の頻度によって、刺激の強弱までわかります。
さらに、熱い、冷たいなどの覚は、皮下組織の上の表皮のそれぞれ異なるニューロンと呼ばれる神経細胞が働いて起こります。
これらのニューロンは、ったものの覚が脳に屆く前に、その報を形狀まで計算しているのです。
指先から伝わった報を処理して、脳が判斷している訳ではないんですよ。
脳は無數のニューロンが判斷した報をけ取っているだけなのです。
これら全ての覚、が、進化だけでは説明できないということは、調べれば調べるほど、そう確信できてくるのです。
たった一つのニューロンと言えども、超な造作、英知の結晶そのものなのですから。
ダーウィンは、これらのことを果たして知っていたのでしょうかねぇ。
こんな現在のどんな機械でもできないようなことが、この指先の極小の世界で起こっていることを知っていたら、進化論など、論じなかったと思いますよぉ。
ダーウィンの進化とは、突然変異と淘汰による、とても緩慢で偶然の産。
そんな偶然で、心臓や脳、耳、鼻、口ができて、手足が生えて、それらをり、羽が生えて空を飛んだりするものですか。
神!神というより他はないでしょう!実にすばらしいぃ、んん」
「実際、できてるから俺たちがこうしているんじゃないか。
あんたもトーギンズを知らないはずは…」
トーギンズとは、イギリスの先鋭的な進化生學者で、有名な無神論者でもあった。
「違う違う違う違うぅ、最も愚かな男の名を出すとは。
あなたは臓の中心、心臓について考えたことがないのですか?
心臓だけではかないのは當たり前ですよねぇ?
様々な分が含まれた、そして全を巡る管、なくともこれら循環系全てが同時にあって初めてり立つですぅ。
の分を作る場所は骨髄、腺、肝臓と別れていて、それに酸素を與え、二酸化炭素を奪う肺。
こういった循環は恐ろしいほどの緻なバランスの上にり立っていると言えるでしょう。
これら別々の一つ一つが奇跡なのに、さらに同時にバランスよく進化してり立つなんて有りえませんよ。
そう考えれば、眼球や脳のことなどもう言うに及びませんよねえ、これらはまさに最高傑作ですぅ。
眼の水晶を作るクリスタリンというタンパク質の一種一つとっても、それができる確率は限りなくゼロに近い確率。
その眼球がを知して、それを脳に知らせる神経に伝え、脳はけ取った容を外からの報として認知して再構する。
幾多の伝子が、そんな都合のいい変異を同時進行で起こすものですか。
そんな有りえないことが、偶然、連続して進化の過程で起こるなんて考える方がどうかしていますぅ。
それより、これらを設計した者がいる、と、こう考える方が実に自然なことです。
それが、我々が神と呼んでいるものだということですぅ」
醫者は佐藤の側に用意した椅子に座り、抑揚を激しくして、さらに続ける。
「さて、説明が長くなりましたが、それではこの生命を創造した主、神とはなんだということになりますぅ。
先にし言った通り、私の言う神とは宗教の言う神ではありません、う、んん。
宗教の神は、よく言われる心の拠り所、これに異論はないですが、ああ。
困った時、助けがしい時、絶対的な何かにお願いしたい、昔の人間はそれを神と呼んだのでしょう。
そんな時に助けてくれる神なんて、居やしませんがねぇ。
実際、あなたもしは心のどこかで、助けてくれと神に願ったのではないですか?
そんなことで神が現れてくれるんだったら私も苦労はしません。
祈る暇があるんだったら、ここから出できる方法を考えた方がまだまし…」
「本當に神が居たら、こんなことをしたら、神罰があるだろう?
本當に神を信じてるなら、こんなことせずに、あんたが俺を助けてくれよ」
佐藤は図星だったことで居た堪れなくなり、割ってった。
「うっうっうっ、これまで私がどれだけの罪を犯したか知らないでしょう。
神罰で神が現れてくれれば、言うことはないんですがねえ。
ああ、私のいう神は、そうですねえ、あなたにわかりやすいように創造論と言いましたが、ID論というのはご存知でしょうか。
私の考えはこれに近い。
この世界と生命の創造には、なんらかの意志が働いている。
単純に言うと、これがID論です。
この意思をわかりやすく、『神』と私は定義しています。
これ以外、他に呼びようがないですからね。
だから、私のいう神は、善人を助けたり、悪人を罰したりはしません。
ああ、これだけは言っておきたいのですが、別に私はなんでも神の仕業と言って、思考を停止した訳ではないのですよ。
むしろ、その逆です。
神がいるとしたら。
そう仮説を立てて、それを証明しようとしている」
<ああ言えばこう言う、って奴だな>
口を挾むのを諦めた佐藤を知ってか知らずか、醫者は饒舌に続ける。
「では、その仮説は、どうやって証明すればいいのでしょう、うう。
どこにいて、どんな存在なのか。
私は初め、伝子についての解明を試みましたぁ。
しかし、作られた料理をいくら調べても、シェフがどんな顔かまでわからないのと同じです。
神が、どんな存在なのか全くわかりません。
シェフなら、廚房の奧に行けば顔が拝めるかもしれませんが、神はどこにいるかわからないし、呼び出そうとしていくら祈っても、現れてくれませんからねぇ。
今あなたの言ったような神罰を期待しても無駄。
となると…」
醫者はそう言いながら、ワゴンに載せたノートパソコンを開いた。
「そこで、私はし考え方を変えてみました。
これまで、神が人間の前に現れたことはあったのだろうかとぉ。
神が人の前に現れる、そんなこと、普通、有り得ませんよねぇ。
でも、考えてみれば、すぐにわかりましたぁ。
それは、確かにあったのです。
一どんな時か。
これは単純なことなのに、中々気付かないことではと思うのですが。
佐藤さん、あなたにわかりますかぁ?
どうしたら、神が現れるか。
それは…」
醫者はゆっくり大きく息を吸い込んだ。
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