《ブアメードの》19
池田敬は、驚いていた。
たった今、靜から聞いた告白に。
池田と靜は、校のベンチに腰かけていた。
先ほどから、冬の到來を告げる木枯らしが二人に吹き付けている。
靜の話を簡単にまとめると、こうだ。
一志は、母、累が勝以外の男との間に設けた子であり、靜は、父、勝の姪、ということ。
一志の本當の父親は、母親である累の以前の人。
累はその人と別れた後に勝と付き合い初め、すぐに妊娠が発覚。
表向きは、あくまで勝と累の間の子として、所謂"できちゃった婚"という形で籍。
<だから、さっき靜ちゃんは、母は幾帳面できれい好き、と父の方は出さずに言ったのか。
それにそうだ、二人の指紋の種類が兄妹なのに違うのも…>
池田のふたつの疑問は解けたが、次に聞いた話も衝撃的だった。
靜の本當の両親は勝の弟夫婦で、靜が三歳になる前にその両親が事故死し、養子として勝夫婦に引き取られたというのだ。
つまり、一志と靜は、の繋がらぬ従兄妹ということになる。
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この話は一志から聞かされ、勝と累は「靜は知らないと思っている」らしい。
ただ、「薄々、づいている」ようでもあると。
一志は、累の日記を盜み見して自分の出生のを知り、固く口止めされていた靜のことを教える気になったそうだ。
「心が付く前のことでも、父も母も覚えていますし、事故があったのも朧気に覚えています。
でも、本當の父と母のことを、今の母にずっと叔父と叔母だったんだと言われ続け、記憶が混濁してしまってました。
去年続けて亡くなった大叔父大叔母というのが、私のことをとてもかわいがってくれていたんですけど、それが実は母方のおじいちゃんおあばちゃんだったと、後からわかったり…
今の父も母も、本當の両親のように私に良くしてくれて謝してますけど、このことを知ってからはどうしても、そうしたわだかまりがあって…
特に、母には言いくるめられたようで、上手くいっていないんです」
<それで、靜ちゃんは母親と特に不仲だったのか。
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一方の一志も、本當の父ではないとわかって、勝とぎくしゃくしているのかもしれない。
皆、表向き、何もないように見えて、いろいろ抱えて生きてるんだな…自分も…>
「その點、兄は私を不憫に思ったのか、とても優しくしてくれるようになりました。
元々、優しかったし、仲も良かったんですが、たぶん、似たような境遇で、お互い…」
「ああ、要らぬことに話を振ってしまったようで、すみませんでした」
一志は頭を下げた。
「いえいえ、別に大丈夫です。こちらこそ、こんな空気にしてしまいまして、すみません。
それに…私、…なんと言うか…その…」
「ん、なんでしょう?」
「いえ、なんでもありません…」
「はあ…」
しばしの間が、二人に広がる。
「…ああ、そうだ、あの突然ですが、佐藤さん、あなたのことを、これからその…靜さん、と呼ぼうと思うのですが、よろしいですか」
池田はしんみりした場を取り繕うように、切り出した。
「え?」
「お兄さんもご家族も、當然ながらみんな佐藤さんなので、その方がわかりやすいかと思いまして。
さっきも部長の坂辻君が、あなたをどう呼ぶか迷ってましたよね」
「別にいいですけど…唐突ですね」
靜に笑顔が戻った。
「ええ、まあ、唐突ですかね」
池田は照れくさそうに言うと、すぐに改まる。
「あの、すみません、それで話を戻しますが、先ほどのお兄さんのパソコンの続きを…よろしいですか?」
「ああ、そうでしたね、なんでしょう」
靜もその辺を悟って、池田に向き直る。
「先ほど伺った通り、お兄さんは普段、小説をメモ帳で書かれていた。
小説のファイルの拡張子はtxt、つまり、テキストファイル、で、クリックすると、メモ帳で開いたので、まずそうだろうということが推測できた訳です」
「はあ。でも、小説がメモ帳で開くってことが、何か関係あるんですか」
「お兄さんが最後に殘されたメッセージを思い出してみてください。
なんのソフトで書かれて…というか、打たれていましたか?」
「えっと、あ、そうですね、確かワードだったですよね。メモ帳じゃない…」
「殘されてた履歴を見ても、お兄さんはワードをほとんど使ってなかったんですよ。
なのになぜ、最後のメッセージだけ、わざわざワードを使ったのか。
ワードを使うのであれば、何か文字に裝飾をしたいことも考えられますが、ただ、すまない、と打っただけで、裝飾は一切ありませんでした。
メモ帳は軽いソフトですぐに開きますが、ワードは中々起ち上がりません。
夜逃げという、慌ただしい時になぜ、普段使わない、それに起ち上げに時間も掛かるワードを選んだのか。
そもそも、なぜ前もってメッセージを用意しておかなかったのか。
そして、なぜ仲の良かったあなたになんのメッセージもなかったのか」
「あの、それはどういう…」
「あー、これは推測の域を出ないんですがね、あなた…えー、靜、さん、が最初に言われた通り、お兄さんが何者かに拐された、とも、考えられなくはない、と」
「やっぱり!」
初めて靜の名を呼ぶのにぎこちない池田に構わず、靜は目を見開いて大きな聲を出し、口を両手で押さえた。
「あくまで、可能がないとも言えない、ということですが。
もし、本當に仮ですが、犯人がいるとしたら、夜逃げしたように偽裝してもなんらおかしくない。
パソコンにメッセージを打ったのは、その場にあった督促狀を見た犯人が、開いてあったパソコンで、とっさに思いついてとった行かもと…
すまない、と打つキーは、指紋がかすれていた、という事実もあることですし」
「え、そうなんですか」
「はい。それで実は、靜さんからいただいた寫真の中に違和を覚えたがありまして…
それがこれでです」
池田はそう言いながら、スマートフォンを取り出し、作して寫真を見せる。
「兄の部屋を最後に撮った寫真ですね。
これが何か?」
「この前お會いした後、やっとその違和がはっきりしたのですが、この寫真のここ、パソコンの畫面が付きっ放しです」
「え、それはそうですよね。
お伝えした通りで、今も池田さんがおっしゃったじゃ…」
「そうなんですが、普通はパソコンの畫面って、スリープ機能という奴が働いて、時間が経つと消えてしまうんですよ」
「あぁ!そう言われればそうですね」
「まあ、口頭でお伺いした時に気付けば良かったのですが、その時はなんとも思いませんでした。
ただ、寫真でこうして見ると、やはりなんかおかしいなと。
なので、先ほど付けっ放しだったかどうかお聞きしたのです」
「なるほど」
「ただ、今言ったようにスリープ狀態になってしまうことを犯人が考慮すれば、やらないような気もします。
犯人は咄嗟にやったから、そんなことまで考え付かず、結果的に功を奏したとも考えられますが…
靜さんのお話から推察すると、お兄さん自がスリープ機能を切っていて畫面が消えないことを見越してやった可能も當然ある訳です。
そう仮定すると、指紋がかすれていたのは荷造りをするのに手袋をして打ったから、とも考えられる訳ですが…」
「犯人はそれさえも知っていて、あえてやったのかも…」
「え?あえて…」
靜の言葉に池田は、また引っかかりを覚えた。
「あの、何か?」
靜が訝しそうに訊いた。
「あ、あと、そうそう、これこれ…」
池田は考えるのを一旦止め、鞄に手を突っ込み、坂辻から預かった封筒を取り出す。
「この指示書とか…ほら、この裏面のここ、先輩より、っていう文字を見てください。
これは明朝というフォントですよね」
池田は文字を指さして、靜に封筒を差し出す。
「あ、はい。そうですが、これが何か?」
「お兄さんはメモ帳では、メイリョウ、というフォントを使っていました。
よほどそのフォントが気にっていたのか、パソコンの一般的なメニューもメイリョウ、さっき言ったワードで殘された文字もメイリョウだったんですよ。
普段は使っていなかったはずのワードでも、わざわざ設定していたことになります。
言わんとすることはおわかりですよね」
「なるほど!兄がこの封筒を送ったのではない、ということですよね」
「そうです。まあ、お兄さんがパソコンを変えて、もうフォント設定をしなくなったとも考えられないことはありませんがね。
それから、そもそもお兄さんのパソコンには、今回の畫に関するデータが一切ありませんでした。
その前の映畫、えー、恐怖の館の方のデータは畫以外にも腳本とか、いろいろあったんです。
他の映研のOBが作って送ったとしても、自分が出た映畫のデータが全くないのは解せません。
つまり、お兄さんは映研に送られた畫は、映畫として撮られたとしたのならば、行方不明になる前はまず関知していない」
「なるほど」
「にも関わらず、さらに仮定の話ですが、映研に送られてきた映像には登場している、となると、行方不明後に映畫として撮ったのか、でも、それも考えにくいことです。
であるなら、やはり拐ということも…
ただですね…」
「ただ、が多いですね」
靜はしからかうように言った。
「すみません、あくまで可能の話をしているので、ただ、が多くなっちゃいますが、拐と考えると、また違う疑問が出てきます…」
「なんですか」
「ちょっと、言いにくいことですが…要は犯人の機です。
犯人はお兄さんを拐して、なんのメリットがあったのか。
借金をした男を拐しても、代金の要求でもしない限り、なくともお金の得はありません。
まあ、靜さんの家は、裕福そうにみえますが、実際、代金の要求はないんでしょ?」
「ええ」
「お兄さんは特に闇金からお金を借りていた訳ではないようですが、仮に闇金業者がくとしても、犯罪になるようなことはせず、まず、親に因縁か何かつけてくるものです。
漫畫じゃないんですから、そういう連中がいきなりそんな無謀な行に出たとも考えにくい」
「それは、何度も言いますけど、あの映畫の通りです。
犯人は兄を拷問するためにやったんですよ!」
靜がまた興し始めた。
「いやいや、學園祭向けの映畫を撮るために、わざわざ人を本當に拐する奴はいませんよ。
自分たちで、演技すればいいだけですから。
人を拐するというのは、実際やろうとすると、かなり難しいことだとはわかりますよね。
しかも、相手は大の男なんで、よほど強い思いがないと、普通は思ってもできません」
「強い思いって、…恨み、とか?そう恨み!恨みを晴らすために犯人は兄を…」
「ちょ、ちょっと待ってください。
お兄さんは、そんなに人に恨まれるようなことをする人間なんですか?
そんな話があったら先に話しておいてほしいことですが、心當たりでも?」
「あ、そうですよね…兄は聖人君主って訳でもないですけど、拷問されるほど、人に恨みを買う人間でもないと思います…」
「ですよね。まあ、お兄さんが誰かに恨まれるようなことを仮にしていたとしても、今はわからないことなんで、これ以上、”ただ”ばかり言う仮定の話はやめておきましょう。
私は、事務所に帰って、この映畫を見てみます。
あ、そう言えば…」
池田は何かを思い出したように呟いた。
「なんですか?」
「靜さんはこの映畫を見て、お兄さんが拐されたと思った訳ですが、何かその拠があったとおっしゃっていたかと」
「え~、それは何度も言ったじゃないですか。聲が兄そっくりですもん」
「ああ、そうですが、聲以外にも何かおかしな點があるとか…言いかけてませんでしたっけ?」
「あ、そうですね。うーん、なんだったっけ?
まず、兄と同じ、借金をしてたという容が偶然とは思えない、それから…
えーと、そうそう、さっきの、すまない、って言い方ですけど、兄はすまない、なんて私たちに言いません。
謝るなら絶対、ごめん、って言います」
「はあ、なるほど。口調が違うのは確かにひっかかりますが…
ただ、あ、また、”ただ”って言っちゃいましたが、確か映畫を見て、おかしな點ってことだったような…
私が話の途中に割り込んでしまったんで」
「え、そうでしたっけ?そう言われれば何か…
えと、んー、ちょっと、ごめんなさい、ど忘れしちゃったみたいです。
思い出したら、また、連絡します」
「そうですか、今日は々ありましたし、頭の整理ができたらで結構なんで、お願いします」
「あ、そうだ!」
「え、思い出しましたか?」
「いえ、あの私、時間あるんで、良かったら一緒に見られませんか?
そしたら、きっと思い出せると思うんです」
「おお、いいんですか。それでは、事務所にご一緒…
ただ、俺、バイクだし、どうしましょうか。
あ、また、ただって…いや、そうだ、大學のパソコンとか、どこかで借りられますかね?」
「あるにはありますけど…それより、あの、バイク、って、この前の夜のバイクですよね、二人乗りできないんですか」
「まあ、できますが、よろしいんですか」
「はい、一度バイクの後ろに乗ってみたかったので…あの、”ただ”怖いですかね?」
靜がまたからかうように言った。
「いや、大丈夫、何回も、かの…、いや、人を乗せたことありますし、気を付けて運転します!」
池田はまだデートが続くようで、思わず、上ずった聲を出していた。
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