《ブアメードの》21
池田敬はうんざりしていた。
大學を出た後、しっかりと靜の溫もりを背中にじ、大型スクーターで事務所に向った。
別れた彼のヘルメットをまだ持っていて大正解だった。
池田は浮かれ、しみじみ思いながら、事務所に戻ったまでは良かった。
今は、預かったブルーレイディスクを自分のパソコンにれ、靜"たち"と一緒に畫を見始めたところだ。
"たち"というのは、もう一人、探偵の中津だった。
黒いパンツスーツに、丸首の白いインナー、後ろで結った髪。
事務所では、池田の一年先輩にあたる。
ただ、その後、池田が所長になったのが気に喰わないのか、何かとつっかかってくる存在だ。
さきほども帰ってくるなり案の定、靜が持ってったジェットヘルメットを見て
「それは、彼さんのでは?」
と訊いてきた。
「しっ、それ言うなよ。いいじゃないか、別に」
別れたとはいえ、彼のことを靜に聞かれたくない池田は小聲ながらも、表をきつくした。
「他のの匂いって、わかりますよ。
彼さんに怒られるのではないでしょうか」
「こ、聲がでかいんだよ。
…彼とは…別れた」
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靜に前の彼のことがばれた池田は、こうなったら逆に今はいないことのアピールも兼ねて自白した。
「別れた?別れたのものをまだ持っていたんですか」
「のものって、これは俺が買ったんだ。人の勝手だろう。
それに、君たちには、別れた、というのが、言い辛くてね。
ヘルメットを持ってなければないで、目ざとい君たちにすぐ、ばれる。
それに今回のように、役に立ったし」
「意外と見栄っ張りなんですね」
「…」
そんな會話の後に、頼んでもいないのに、中津は池田と靜の後ろに腕組みをして立ち、監視するように覗きこんでいる。
池田の目線の先にいる事務員の木塚は、その様子に好奇の眼差しを向けていた。
「これは…?!ですか?」
池田が戸ったのは、拷問すると言った人がだったからだ。
手帽とマスクの隙間から覗く目元、の膨らみは、のそれだった。
「…のようですね。
それが何か?」
中津はそれほど驚かずに言った。
「あれ、言ってませんでしたっけ?」
靜はきょとんとしている。
「なるほど、所長は相変わらず、ステレオタイプですね。
醫者と聞いて、男と思ったと。
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私みたいにの探偵も居れば、のパイロット、刑事に消防士も居るのが世の中です」
中津がつれなく言った。
「い、いや、確認だよ、確認」
<ああ、図星だよ。確かに俺の偏見かもしれないが、その言い方、なんとかならんかね>
浮かれた気分を消し飛ばされた池田は、そんな思いが顔に出たものの、口には出さなかった。
畫をさらに見続ける。
<聲と見た目のギャップが激しいな。
歳は三十前後に見えるが、にしては聲がかなり低く、かすれ合は六十以上と言ってもおかしくない。
調べてみないと斷定はできないが、アテレコでもないようだし、ボイスチェンジのエフェクトもかかっていないか…>
「わざとこんな聲を出して、素を明かさないようにしているんですかね?」
頭を掻いて考える池田に靜が訊いた。
「ああ、なるほど、そういう考え方もできますね。
しかし、こいつが本當にお兄さんを拐したとして、なぜ、一年半近く経って、こんな映像を映研に送り付けたのか…
自分の正がばれるリスクがあると言うのに」
池田は肩肘を付き、鼻の下に人差し指の付辺りをやってさらに考える。
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「きゃあーー!!…ぁぁっ!…」
という悲鳴と共に、畫面に恐ろしいの顔が突然現れた。
「うわあああ!」
池田は驚嘆して、椅子から転げ落ちそうになった。
「あはは!っはは…あ、すみません。
ここだけは演出のようです…」
池田の様子を見て笑った靜が、慌てて説明した。
中津の方は右手の人差し指の付けを鼻に當て、笑いを堪えているようだ。
「そういうことは早めに言っておいていただかないと…」
池田は恥ずかしさで顔を赤らめながら、そそくさと椅子に座り直した。
<何だよ、この畫、驚かしやがって。
ただ、今の部分以外は、確かに妙なリアリティがあるな。
靜ちゃんが演技じゃないというのも頷ける。
もし、この畫が本當に一志君を拐したものとすれば、この醫者とか科學者とか名乗っているは何者なんだ?
ウィルスや薬のことにやけに詳しそうだが…
そうだ、靜ちゃんのお父さんは伝子工學者…同じ分野かどうかしらんが、訊いてみたら…
ああ、そうか、靜ちゃんはご両親と今、上手くいっていないのか…>
そう池田が考えていると、
「あ!思い出しました!ここです」
と靜が大きな聲を上げた。
池田は一時停止ボタンをクリックして、畫を止める。
その場面は、一志が醫者の正を尋ねたシーンだった。
「兄が今言った、なんとか先生って、聞こえなかったですよね。
おかしいと思いません?」
「確かに、セリフが消されていた…」
中津が呟いた。
「だから、セリフじゃありません!これは演技じゃないんで」
靜の言葉に中津は、ふん、と顎を上げる。
「あ、そうだね、これが仮にセリフなら、適當な名前を言えば良かったのに、なんで消したんだろう」
池田は畫をし戻して、もう一度、問題のセリフを再生する。
「リアルさを出すためとか?」
中津がまた口を挾んだ。
「映像だけで十分リアルさは伝わってきますし、これは本當の意味でリアルですし…そうだ!
この部分はきっと、犯人にとっては知られちゃ困ることなんですよ」
靜が思いついたように推理する。
「知られちゃ困る?何かの手がかりになりそうですかね?」
池田が靜の橫顔に訊いた。
「そう言われれば…手がかりになるかも!
兄は、流れからいうと、この言葉で犯人の正を探ってますよね。
だから、自分が実際に行ったことがある病院の先生の名前を出したはずで…
しかも、犯人はその病院の先生を知っている素振りです。
ということは…逆にその先生を當たれば、犯人の正に辿り著けるかもしれません」
靜は畫面を見つめたまま、うれしそうに眼を輝かせる。
「中々の名推理ですね」
「誰でも、それくらいは思い付くのでは」
池田の褒め言葉に中津がまた、じ悪く言葉をかぶせてきた。
「それに本當にお兄さんが拐された映像という前提で見るおつもりですか?」
「まあな。しでも可能があることは潰しておかないと。
それに今できることはこの映像を解析することだけだ」
池田はそう言って椅子に座り直し、さらに顔を畫面に近付ける。
「私は間違いなくこれが兄だと確信しています。
それより、この聲に似たお醫者さんを探していただけませんか?」
靜は真剣な面持ちで頼んだ。
「そうですね…お兄さんは聲だけを頼りに犯人を推測した…
ということは、靜さんの言うように犯人が聲を変えていたとしても、なくとも、そんな聲の醫者がいるということですよね」
「そういうことになるでしょうか」
靜が池田に視線を移す。
「それなら、この消されている醫者の名前に心當たりはありますか?」
「え、そうですね…うーん、実家にいる時はかかりつけってほどではないですけど、よく診てもらってた病院がありますが、そこの先生はこんな聲ではないですし…
ああ、そう言えば、兄のアパートの近くに、勝元科とかいう病院があったと思います。
そこの先生が醫さんかどうかまでは知りませんけど、何度か風邪とかで診てもらったんじゃないかと…
たぶんですけど、それくらいしか記憶はありません」
 池田はすぐに、目の前のパソコン畫面をブラウザに切り替え、検索欄に文字を打ち込む。
「…勝元科、勝元科…と、これかな。ただ、勝元…智親、か。男だから違うかな…
ま、近くの病院から、醫で絞って探してみましょう」
池田は更にキーボードをたたく。
「この、小池っていう皮科、お兄さんのアパートからはし離れていますが、醫院長がです」
「皮科ですか。
兄はしアトピーがありましたので、行っていてもおかしくありませんが」
「それだ。じゃあ、行きましょう」
「え、今からですか。
まだ、畫は終わっていないですし…」
「畫は帰ってからでも見れます。
今五時半過ぎてますから、もうしで閉店です。
急がないと」
「閉院ですね」
中津が無想に訂正した。
「じゃあ、行ってみますか」
「善は急げ、です」
「所長の場合、急がば回れ、で、お願いします。
私も同行しますので、車で行きましょう。
依頼人をバイクに乗せるのは、危険ですし」
「言っただろう。この件は俺一人でやるって。
君はもう、あがればいい。
そろそろ時間だ」
「殘業代はいただかなくて、結構です。
私は、この件に興味が出てきただけなんで。
それにアポが必要なのでは?」
「はいはい。
じゃあ、この、小池皮科クリニックってとこ、すぐアポとってよ」
「それは、所長がお願いします。
私はあくまでサービス殘業ですので、余計な仕事はいたしません」
「ったく、勝手な」
池田は、畫面から電話番號を見つけ、事務所のコードレスフォンをとって電話をかけた。
電話相手に、最初は勢いよく説明していた池田だが、電話の相手が変わったとたん、急に大人しくなる。
「…はい、はい、すみません。
どうやら、こちらの早とちりだったようで…はい、失禮しますー、どうもー」
話をゆっくりと置く。
「どうやら、ここは違うらしい。
小池先生本人に出てもらったが、聲が丸っきり違う」
その後は、仕方なくと中津も加わり、一志のアパートを中心に何件か病院を當たったが、かすれた聲の持ち主はいなかった。
「はあ、兄はどこの病院に行ってたんでしょう。
それとも、私の推理が間違ってるのかな」
靜は自分のスマートフォンで、まだ病院を探しながら、ため息を付く。
「うーん、今電話したどれかの先生が、風邪か何かでかすれた聲の時に、お兄さんが病院に行ったんですかね」
池田は、落膽を隠せず、聲も小さくなっている。
「所長お得意のテクニックとやらで、消された音聲をどうにか復元できないんですか」
中津がまた嫌味っぽく訊いた。
「無理無理。なんでも、ちょちょいのちょいとは、いかないよ。
元々、ないデータだからな。
ん、待てよ、これはマスターじゃなくて、編集して複製されたものだ。
ちょっと、坂辻部長に元の映像はどうだったか訊いてみよう」
當然の疑問に、二人も賛同し、池田は坂辻に電話をした。
坂辻が言うには、元の映像の時點でその部分には音聲がっておらず、実際にある病院名とわかったので、削ったのではと推測していた、とのこと。
「…使えない所長もこう言っておりますし、もう六時を過ぎて、ほとんどの病院が閉院する時間です。
こうなったら、一旦、お引き取りいただいて、家で過去の診療記録を探してみてください。
お兄さんがっている保険協會から診療費のお知らせとして毎年來ているはずですから。
それを見れば、お兄さんが行かれた病院が絞れます」
中津が靜に提案した。
「そうだな、どの道、この時間じゃあ、明日以降でないとアポがとれないかもしれない。
殘念ですが、そうしていただけますか」
「殘念なのは、佐藤さんをバイクの後ろに乗せられないことではないんでしょうか?」
中津が冷たく言った。
「なんてことを言うんだ、靜さんの前で!
そんなことは一言も言ってないだろう、そもそも君は車で行こうと…」
池田が核心を突かれ、顔を真っ赤にして抗議する。
「図星だと、顔に書いてあります」
「やれやれ、全く。
また始まりましたか」
閉口する木塚と、あっけにとられる靜を橫目に、池田と中津の掛け合いはしばらく続いた。
「…そうですね、は盲目とは言い過ぎました。ただの下心だと…」
中津がそう言ったとたん、池田の顔が変わり、眉間に皺を寄せて何か考え始める。
悪態をついていた中津は、池田の様子に言いかけた口を閉じた。
「…盲目…あの、そもそも、お兄さんが醫者を間違えたのは、私が間違えたように、この醫者を男だと思ったからでは?」
「え?」
靜が急に質問を向けられ、きょとんとして、次の池田の言葉を待つ。
「だから、私たちはこの醫者が見えるから、とわかりますよ。
でも、お兄さんは黒い袋を被って前が見えなかった。
だとしたら、聲で相手を判斷するしかない。
で、その聲は…たまにいますよね、この程度の甲高い聲の男の人、かすれているから余計に男かかわかりづらい。
そして、醫者、科學者、拷問という犯罪を起こす人間…私が間違ったのと同じ、相手を男と錯覚しても無理はないかと」
「何度も自分が間違ったことを弁解するのは余計ですが…それはあるかもしれませんね」
中津が心する思いを隠して言った。
「そう…そうですよ!
この犯人も、兄の言葉が意外とも取れるじで答えてますし!」
「だとすると、最初の…勝元とかいう科だっけ、きっと、そこだ!」
「結局、これも所長の勘違いですよね。
一志さんが間違った醫者も醫だと思ったのが、遠回りの原因…」
池田はまだ嫌味を言う中津を無視して、すぐにマウスを作し、先ほど調べた畫面を出した。
ここの閉院は六時半まで、まだ時間がある。
電話をした池田の顔は一気に明るくなった。
その表を見て、ここで間違いないと、靜と中津も確信する。
ビンゴ!とでも言いたげに、池田は親指を立てた。
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