《ブアメードの》35
矢佐間雅也は飛ばしていた。
捜査車両はけたたましいサイレンを響かせて走っている。
ほとんどスピードを落とさず、赤信號の差點に突っ込む。
キキーーー!!
青信號側から差點にろうとしていた車が急ブレーキをかけ、ぶつかる寸前で止まる。
「矢佐間さん、やばいです。いくら、サイレンを鳴らしているとはいえ、もうし控えめに…」
「黙ってろ」
格と裏腹な運転だ。
八塚は恐怖に震えながら、一課に連絡し、これまでの経過と有馬と坂辻の関係を説明。
自分たちも向かっているが、先に近くの番の者にでも坂辻の安否確認を要請するよう依頼した。
それから、先に頼んでおいた零とマリアの照會と家宅捜索の途中経過について聞き、電話を切った。
「矢佐間さん、先に照會かけといた件ですが、まず、零の方から。
概ね、池田から聞いた通りです。
アメリカのエルバート大學醫學部を卒業後、帝都薬科大學に編。
そこでは伝子工學の研究をしていました。
最後の経歴は、行方不明の佐藤と同じ帝都薬科大學、在籍中に助教授、つまり今でいう準教授までいったそうで、大學を辭めてからの職業等は不明とのこと。
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犯罪歴はありません。
住所は判明していて、大田區△△町、徳田さんの率いるA班が今、向かっているそうです」
「△△町か、多川臺公園から割と近いね。
それにしては、約束した時間には間を開けているが…」
「はあ、いろいろ支度があったんですかね。ほら、だとやっぱり…うわ!」
「まあ、徳田なら、一度連絡をつけているから、適任だろう。続けて」
荒い運転を続けながら、矢佐間は冷靜に言った。
「あ、はい…えっと、それから、マリアの方ですが…
さっき調べた通り、有馬利真の娘だった以上の報はないそうです。
まあ、學生ですからね。こちらのアパートには増屋さんのB班が向かってます」
「さっき、やっぱり部屋を調べておけば良かったね」
「まあ、結果的には…仕方ないですよ。
えーと、それで、マリアの所有する自車なんですが、まだNシステムにはひっかかってませんね。
車種は黒のレクス、SUVタイプです。
車両ナンバーは品川30…うおっ!」
八塚は矢佐間に運転を任せたことを後悔した。
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三十分後、坂辻のアパートの手前、矢佐間は赤燈とサイレンを止めた。
そこで、やっとスピードを落とし、さらに近付く。
アパートは鉄筋コンクリートの四階建て、一階毎に五部屋程あった。
側の路上には、既にパトカーが一臺停まっている。
矢佐間はそのし手前で車を停めた。
八塚が無線を取って、
「四〇二から本部へ。"無事"現著しました。
これより現認します。以上」
と聲を潛めて言った。
二人は車を降りてパトカーに近づいてみたが、誰もいない。
そのまま歩を進め、建の真下まで來る。
オートロックの扉もエントランスホールもないタイプのアパートだ。
誰でも直接、部屋まで行ける。
「三〇四號室ですが…ああ、あそこに警が見えます。彼らも今、著いたばかりでしょうか。
あ、もう一人、が見えますが、管理人ですかね」
二人は階段を駆け上った。
「八塚君、さっき言ってた有馬の車って、黒のレクスだったよな」
矢佐間が廊下で足を止め、眼鏡を直しながら確認するように言った。
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「そうですが、何か?」
「ほら、あそこ…」
矢佐間が指さした方向にそれはあった。
三階の廊下から建と建の隙間に辛うじて見える、一筋向う側の道路。
外燈の薄明りの下、一臺の車が停まっていた。
「俺はあの車に向かう。八塚君は坂辻の部屋を確認して」
矢佐間は駆け足で引き返した。
「え!お、矢佐間さん!」
戸う八塚をよそに、矢佐間は走って今見えた路地に向かった。
車がやっと離合できるほどの細い道。
そこに車がこちら向きに停まっていた。
<品川さんまるに…む…と…八塚の言っていた番號と一緒だな…
運転席に誰かいる…>
矢佐間が息を整え、生唾を飲んだ時、ポケットで攜帯電話のバイブが響いた。
取り出して見ると、八塚からだ。
「どうした?」
矢佐間は小聲を出す。
「矢佐間さん、大変です!
坂辻は部屋の中で心肺停止の狀態で発見されました。
首に絞められた跡があるんで、扼殺された模様です。
ただ、まだ溫かいんで、そう時間は経っていないかと。
先に著いていた警が蘇生を試みています」
八塚は矢佐間と対照的に興して大聲で言った。
「わかった。八塚君、後はその警らに任せて、すぐに來てくれ。
自分は今、車のナンバーがなんとか見えるところまで來た。
やはり、マリアの車で間違いないようだね。
逃げられては敵わないから、応援も要請して」
矢佐間は電話を切ると、さらに車へ近づく。
運転席の人はスマートフォンか何かいじっているのだろうか。
俯いたその顔が下からの薄明りで、遠くからでもぼんやり浮かんで見えた。
<これ以上、近づくのは危険か…
いや、いつ車を出すかわからんし、とりあえず確認だけなら大丈夫だろう…>
八塚は意を決し、通行人を裝って、大膽に車に近付いた。
運転席の人は一瞬こちらに目を向けたが、意に介さないように、また下を向く。
矢佐間は構わず、運転席側に歩いていき、窓から中をちらりと伺う。
そこには、まだ子供のように見えるがタブレット端末を片手に、畫面の上で忙しそうに指をかす様子が見えた。
矢佐間はそのまま、何食わぬ風で車のそばを通り過ぎた。
<さてと、どうしたものかな…
職質風に尋ねても、逃げられるだけだろうし…
ドアを開けて一気に取り押さえたいけど、ドアキーがかけてあるかどうか、外からはわからない…
レクスには走行し始めると、自的にドアロックするかな…
ただ、最近はパーキングで逆に自的に開錠するタイプもあるが…
まあ、どっちにしろ、普通はロックしていないと思うが…
でも、萬一されていたら、アウト…
昔の車なら、窓下のロックボタンの突起の高さでわかったのにな…
いっそ、思い切って…
いや安牌を取って、八塚の応援を待つか…>
矢佐間は良く言えば用心深く、悪く言えば優不斷なタイプだった。
自分の決斷で運命が変わる。
これまでのそういう験から、事に當たるには慎重になる。
迷いながら、小さな差點まで辿り著き、住宅の塀の角を右に曲がったところで止まった。
塀に背を當てて、眼鏡を直して一呼吸れる。
そして、今來た道に低い姿勢で顔だけ覗かせ、様子を窺おうとした時だった。
「こんばんは~」
矢佐間は、目の前を遮った誰かに聲をかけられ、面食らった。
場の雰囲気に馴染まぬ明るいの聲。
後ずさりして、薄明りの中、聲の主を見た。
寒い夜に、部屋著のようなラフな格好で鞄を背負い、笑顔を向ける。
ついさっき、車の中に見たはずのマリアだ。
<なぜ、なんで!?
逆につけられていた!?
ドアが開く音したか!?
自分としたことが…>
矢佐間は青ざめ、さらに後退した。
「あの~すみません~。
もしかしてですけど~、あなた刑事さんですか?」
「あ、い、いや…」
<これはチャンス、このまま逮捕しようか?
それともこのまま話をばして…>
いきなりの事態に、矢佐間は慌てた。
「まあ、この際だから、もうどっちでもいいかな、うふ」
マリアは一歩詰め寄ると、両手をすっと出し、矢佐間の右手を摑んだ。
まるで、好きな男の手を握ろうとするのように。
「え?」
矢佐間は一瞬、どうしていいか躊躇った。
それが命取りだった。
マリアのきは恐ろしいものへと急変した。
矢佐間は凄まじい力でアスファルトの上に投げ付けられた。
その拍子に眼鏡が吹っ飛ぶ。
さらに、そのままの勢いで倒れ込んできたマリアに、みぞおちへ肘を打ち込まれる。
「がっ!はっ…」
矢佐間は息が出來なくなった。
その尋常ではない痛みと苦しみに、のた打ち回る。
「あなた、今日來てた八塚さんのお仲間ですよね。
私、聞き込みの後、八塚さんを追いかけてて、見てたんですよ~。
車の中で何か話してましたよね~。
だから、あなたの顔も覚えてたんですー」
マリアは矢佐間を見下ろしながら言った。
「あっそうだ。もしかしたらこの辺に」
マリアは座って矢佐間の服のポケットを弄り始めた。
「あ、あった!普段、刑事さんって銃持たないっていうけど、なんだあ、ちゃんと持っちゃってるじゃないですかあ。
ラッキー、もらっとこーっと」
マリアは矢佐間ののホルダーから銃を抜き取った。
「他には…あ、鍵。
きっとこれ、今日、大學に來てた車のですよね。
覆面パトカーって奴ですかあ?一回、乗ってみたかったんですよ~。
これで逃げちゃおうかな、えへ」
マリアが矢佐間のズボンの右ポケットからじゃらりと取り出したのは、捜査車両の鍵などが付いたキーホルダーだ。
矢佐間は苦しみながらも、マリアの右手を強く摑んだ。
「いや!も~、やめてください。離して~」
マリアは張のない聲を出した。
「くっ、誰が離すか…」
矢佐間は手錠をかけようと、もう片方の手をポケットにれようとする。
「しょうがないな~」
マリアは左手で捕まれた矢佐間の小指を握ると、躊躇なく反対にへし折った。
「があああ!」
矢佐間はび聲をあげ、手を離した。
「も~、大きな聲出さないで~」
マリアは立ち上がると、矢佐間を何度も蹴り付ける。
「何をしている!そこをくな!」
突然、遠くから八塚の聲が聞こえた。
「あれ、八塚さん?
やっぱりこれ、もう、いーらないっと」
マリアは蹴るのを止め、矢佐間の上に鍵をポトリと落とすと、その場を去った。
「待て…ぐ…」
<こりゃ、やばいな…>
矢佐間は苦しみながらも、起き上がろうとする。
「大丈夫ですか!」
八塚が矢佐間の元に駆け寄った。
「俺のことより、あいつを…追いかけろ…くっ、逃がすな…」
「え?しかし…」
「いいから…」
「いえ、もう駄目です。見失ってます。
あのも相當足が速いようで…」
「そうか。なら、すぐにキンパイを…チャカを取られてしまった…ぐっ」
「しっかりしてください。まずは、救急車を…」
八塚は攜帯電話を取り出して、電話をかけ始めた。
<もう駄目かもな…>
矢佐間は、いつもれているコートのポケットから煙草の箱を出した。
一本取り出し、震える手で口に咥えようとする。
「…ごふ!」
矢佐間はを吐いた。
「や、矢佐間さん、しっかりしてください!」
救急車に続いて、急配備の手配の電話を終えた八塚がんだ。
マリアの容赦ないひと蹴りひと蹴りが、矢佐間の臓へ確実に損傷を與えていた。
それは致命的なものだった。
<沙耶、すまん。誕生日、祝ってやれそうにない…>
矢佐間は思った。
最後の紫煙を燻らせられないまま。
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