《ブアメードの54

池田敬は考えていた。

一行は多川沿いの道路まで辿り著いたところだ。

片側一車線の車道は當然のように渋滯でかない車で埋まり、その間を避難する人々が歩き、混雑している。

<こんなところでは、いつさっきのように襲われるかわかったもんじゃないな…それなら…>

「向う側に渡ってみましょう。

こんな混んでいる道路より、河川敷の方がきやすいと思います」

池田が先頭を切って、かない車同士の間をすり抜けた。

「見てください。やはり、こっちの道の方が人がない。

下りましょう」

四人はさらに草の茂る土手を下る。

「ちょっと待って」

池田が前方の草むらに何か見つけ、握った拳を挙げて立ち止まった。

「――早速、試せそうな場面に出くわしたな、これは」

そこには、倒れた死を向う向きでうずくまり食べている、発癥者二人の姿があった。

「何が…」

「しっ、見ない方がいいですよ…」

前方を確認しようとする靜を池田が制すと、中津がと腕で後ろの靜の目線を塞ぐ。

その聲が聞こえたのか、食べているの一人が一瞬だけきを止めたが、こちらには気付かなかったようだ。

「むごい…」

靜とは違い、背の高さで前方の様子が見えた勝が呟いた。

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「ちょっと、行ってきます。これ持ってて」

「え?ちょっと!」

杖を強引に渡された中津が呼び止めるのも聞かず、池田はその現場に向かった。

発癥者の二人は一心不に死を貪っている。

池田は覚悟を決め、両手を前に突き出すと、

「あー」

き聲を上げながら、恐る恐るそこに近付く。

その聲に二人が振り向き、池田を見た。

どちらも中年くらいに見えるで、ジャージを著ている。

河川敷をジョギング中に発癥したのだろう。

池田は心慄いて目を合せないようにしながらも、演技を続ける。

眉間に皺、大きく開けた口、そして、時折唸り聲。

たちは一瞬警戒したように奇聲を発したが、そうやって臆することなく近付いて來る池田を見ると、また、死に向き直った。

は、貪る者と同じようにジャージ姿の男だったが、見るに堪えない姿と化している。

池田はその橫をし速足で通り過ぎると、大きな円を描くようにターンして靜たちの元へと戻った。

「所長、恥ずかしくないんですか?」

「うるさい、見てのとおり、ばれなかったろ」

「池田さんからはあの匂いがしないのに、確かに反応しませんでしたね」

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「と言うことは、どうやら、最初の仮説どおり、襲うかどうかは相手の様子次第ということですか。

まだ、一例なので絶対とは言えませんが」

「また、挑戦してみますか…さあ、急ぎましょう」

土手上の道路に比べ河川敷に人は疎らで、時折すれ違う者以外は皆、川上に向かって歩いている。

<しかし、ゾンビの躱し方はある程度わかったとはいえ、この調子では本當にまずいな。

もっと速く辿り著く方法は…

案の定、車はこの渋滯で使えないし…

うん?警察はこの渋滯でどうやって岡嵜の元まで行くつもりだ?

最悪、永遠に車はかんぞ?

だとすると…>

「歩きスマホはやめろ、特にこんな時は危ないだろ」

池田が振り向くと、靜がスマートフォンをいじっていた。

「ごめん。おばあちゃんとか友だちに、いざって言う時はゾンビの真似をしたらいいって、教えておこうと思って」

「ああ、それならしょうがないが、それ終わったらやめろよ」

「わかってますって」

靜はそう答えながらも、忙しく指をかし続けている。

「さすが、靜さん。優しいですね」

「あの、それなら私も同じこと考えて、今やっていましたけど」

池田が見ると、中津もいつの間にかスマートフォンを作していた。

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「ああ、お前も優しいな、うん優しっ痛!」

中津が杖で池田の太を叩いたのだ。

「何すんだよ!」

「あら、すみません。

杖をお返ししようとしたら、手がって。邪魔だったもので」

「ったく」

池田は痛む太をさすりながら、杖をけ取った。

「それより、さっき木塚と田から返事が來なかったが、あれからどうだ?」

「今したリネも二人が既読にならないんで、恐らくその二人かと思います。

大丈夫ならいいんですが」

「そうだな。いずれにせよ、この方法は広めておいた方がいいかもしれない」

「そうはおっしゃっても、私はいざという時、そんな演技ができる自信はありませんが」

そう言ったのは勝で、先ほどの池田の真似をするように、両腕を前に上げて見せた。

「からかわないでくださいよ。

私も必死だったんですから」

池田は勝がそんな冗談めいたことをするとは思わず、苦笑いを浮かべた時、空からヘリコプターのローター音が聞こえてきた。

四人は上を見上げるが、も見えず、音だけが過ぎ去っていった。

<マスコミか何かかな…うん?そうだ、ヘリ、ヘリなら…>

「佐藤教授、お知り合いにマスコミ関係者はいらっしゃいませんか」

「え?取材はけたことは何度かありますが…」

唐突に訊かれた勝が怪訝そうに答えた。

「急な話ですが、どこでも…いや、できれば、テレビ局のお知り合いに電話してみてもらえますか?」

「え?何を急に…」

「それで、もし繋がれば、自分を売り込んでください。

佐藤教授は伝子工學の権威ですし、コメンテーターとして何でもしゃべれるとか言えば、採用してくれるかも…」

「ちょ、ちょっと待ってください」

池田の言葉を勝は遮った。

「何をバカなことを…あなたは先ほど、一志を探してくれる、とおっしゃったじゃないですか」

「ああ、すみません。もちろん、考えがあってのことです。

あの、えーと、これは獨り言ですが…」

池田はそう言って、し間を開けた。

「テレビ局はヘリコプターを持っているから、それを乗っ取れば、一志さんのとこに行ける、かもしれないな、と…」

三人はまた唖然とした。

「池田さん、それって…」

靜がやっと口を開くも、池田がそれを手を上げて制する。

「あ、これあくまで獨り言ですから、もし捕まっても知らぬ存ぜぬで通してください」

「乗っ取るって、何もそこまで…しかも、本當にヘリで迎えに來てもらえるとは限りませんし…」

勝も何を言わんかと、暗に反対した。

「この際ですから、ダメ元ですよ。

できることはなんでもやりましょう。

そうだ、犯人の岡嵜零を知っている、とでも言えば、マスコミですから喰いついてくるでしょう」

「いや、しかし、どうやってヘリを乗っ取るのですか…」

「それはまだ考え中ですが、なんとかしますよ。

金を握らせるなりなんなり…

それより、一志さんの命がかかっています。

うかうかしていられません」

「…そこまで言っていただけるのであれば…すみません」

勝は覚悟したように深呼吸すると、スマートフォンを取り出した。

し草むらの方に寄って座りこむと、電話帳を呼び出して、記憶のあるテレビ局の関係者を探す。

池田たちもそばに座って、周りを警戒する。

遠くから、悲鳴がまた一つ、響いて消えた。

そうしているに、池田のスマートフォンが震えた。

またも、八塚からのリネだ。

<やば、もう名前騙ったのがばれたか>

池田は慌てて通知を開く。

『科捜研の瀬が佐藤教授を探している。お前まだ一緒だろう。』

瀬って、あの…まあ、どうやら、ばれた訳ではなさそうだな>

『さすがご名答、一緒だよ』

池田がそう打つや否や、すぐにまたリネが來た。

『お前の仕事用の電話番號を瀬に伝えた。彼からの電話をけてくれ。』

<おいおい、勝手に…てか、そうか、ネットは繋がるのか、なら…>

『リネ電話を使ってもらってくれ

電話は混線して繋がらない』

と素早く打ち込んだ。

勝の方を見ると、相変わらず繋がらない電話とまだ格闘中のようだ。

<これ以上、繋がらないようなら、教授にもリネ電話を勧めてみるか…

ただ、相手がスマートフォンで、リネアプリをインストールしていて、友だち追加を拒否ってなくて…

しかも、自分で言っておいてなんだが、逃げずにこんな時間まで會社に殘って仕事しているのか?

しかも、ゾンビにもなってなくて…

って、言い出したら切りがないか、自分でダメ元って言ったんだから、ここはやはり…>

そんなことを考えていると、八塚からまたリネがあった。

『かまをかけたが、やはり一緒だったんだな。

今、瀬に連絡した。すぐにリネで電話があると思う。』

<ちっ、やられた。まあ別にいいけど…>

池田はそう思いながらも、リネを続ける。

『で、そっちは、大丈夫か?』

「何をこそこそしているんです?」

池田の様子に気付いた中津が言った。

「いや、ちょっと、あ…」

そう言いかけて次に來たリネの容に池田は絶句した。

『大丈夫じゃない。矢佐間さんが亡くなった。』

ただ事ではない池田の様子に、靜と中津が不安そうに寄って來てスマホの畫面を覗く。

『どうして?』

震える手で、池田はそう打った。

『マリアに』

「マリアに、って…殺されたってことか…」

池田は、四文字で止めたその表現に、八塚の悔しさをじた。

靜と中津は、信じられないという風にお互い顔を見合わせている。

『ゾンビにゾンビの真似をすると襲われない』

八塚からまたリネが來た。

「ああ、それはさっきわかったよ」

池田がさらに返信をしようとした時、『リナがあなたをリネIDで友だちに追加しました』という通知が屆き、すぐにその「リナ」からの著信がった。

「誰です?」

中津に構わず、池田は電話に出る。

「もしもし、池田探偵事務所の池田です」

「科捜研の瀬です。ご無沙汰してます」

「ああ、どうも」

「失禮を承知でいきなりですが、佐藤教授とご一緒だそうで。

すぐに、佐藤教授を連れて警視庁に來てください。

佐藤邸から行方を眩ましたのは不問にします」

「不問?隨分な言い方ですね。

確かに保護を求めておいて勝手をしたのはこちらで…」

「失禮を承知で、と最初に申しております。ご理解ください。

火急の事態なのはおわかりで…」

「こちらも、その”火急の事態”で逃げ出したのでね。

周りはどんどんゾンビになって、それどころじゃなかった」

「とにかく、八塚巡査にお聴きになったかもしれませんが、今回のそのゾンビのようになるウィルスが佐藤教授の発見されたものと非常に似ているんです。

かんせんけ…、うっうん、いえ、國立染癥研究所も教授のご意見を伺いたいとの要請です」

「そう言われても、こんな狀況でどうやってそこまで行けと?

簡単にタクシー拾って、はい著きました、とはいかない…」

「いいですか?日本の、いえ、全世界の命運が教授にかかっているかもしれないんです。

どうやってでも、來ていただかないと…」

「だから、こっちは自分たちの命がかかってるんだ」

「はあっもう…

あなたじゃ埒が明かないですね、ちょっと佐藤教授と替わっていただけますか?」

「え?しお待ちください」

<何だこいつ?やっぱり、じ悪いな>

池田はそう思いつつ、保留ボタンを押して、勝の方を見た。

池田の様子を気にしていた勝はそれに気付いて目を合わせ、

「駄目です、どこも繋がりません…」

と、観念したように耳に當てていたスマートフォンを下ろした。

「しょうがないですよ」

中津はそう言って腕を組むと、池田に向き直り、

「いつでも所長の思い通りにはいきません。調子に乗らないように」

と、ここぞとばかりに釘を刺す。

「いや、思い通りに行くさ。

ちょっと、予定が変更になっただけ…」

「え?」

訝しげに睨む中津を橫目に、池田は保留を解除し、スピーカーフォンにした。

「ああ、お待たせしました、佐藤です」

を使って、そう電話に出た池田に、中津は吹き出した。

佐藤親子はきょとんとして、顔を見合わせる。

「改めまして、警視庁科學捜査研究所の瀬捜査と申します。

この度は、その、大変な時に恐れります」

瀬の方は気付いておらず、池田への態度とは打って変わって、丁寧に挨拶した。

瀬って…」

中津が呟いた。

「だいたいは池田さんがスピーカーにしてくださっていたので、わかります。

要はそちらに向えとおっしゃるのですな?」

「ですな、って…うふ」

池田の聲としゃべり方に、靜は思わず笑みをこぼした。

「ええ、ぜひとも、お願いします!

教授のご見識をお伺いしたく…」

「わかりました、參りましょう」

「え、よろしいのですか?ありがとうございます!」

「ただ先ほど、池田探偵がおっしゃったように、この狀況ではそちらに行けそうにありません」

「いや、それは…」

「そこで…」

池田はゆっくり、大きな聲で言った。

「――これは提案、いえ、條件と言いましょうか、そちらのヘリコプターで迎えに來ていただけたら、の話です」

「え、ヘリコプター…ですか?」

「それ以外、方法はないでしょう。

考えるまでもありませんな」

「わ、わかりました…おっしゃるとおりです。

上にそれが通るかどうかはわかりませんが、すぐに手配をかけてみます…」

「そうしていただけると助かります」

池田は親指を立てた。

靜たちもお互い顔を見合わせて喜ぶ。

「――あ、あの、すみません、ちょっとお待ちください。

ヘリとなると、どちらへお迎えに行けば…ヘリポートは限られていますし…」

「ああ、ご心配には及びません。

私たちは今、多川東側を川上に向かって逃げています。

その先に野球場…ええと、確か、二子玉川運場だったか、そこにいくつか野球場がありますので、そこの川下の一番手前にでも潛んでいます。

川通りの橋、すぐそばです。

ヘリの音が聞こえたら、懐中電燈を振って合図しますので、それを目印に來ていただけませんかな?」

「わ、わかりました。

法的に問題がありそうですが、何とかクリアします。

ええと、二子、玉川、運場、の、野球場、一番、手前、多川通り、橋のそばですね」

瀬はメモをしているのであろう、ゆっくり區切って復唱した。

「はい、そうです。

ああ、それから、大事なことをもう一つ。

娘と探偵のお二人がいらっしゃいますから、全員乗れるヘリをご用意ください」

「わ、わかりました…が…えっと、奧様の席は…」

瀬は累の発癥の件を聞かされていなかった。

「おくさ、いや、妻は、あのちょっと…」

池田は想定外のことを訊かれ、どう答えたものかと、しどろもどろになった。

しかし、それが返ってリアルな演技となり、瀬はそれを察した。

「あ、す、すみません。

全員で四人ということですね。

どうか、ご無事で」

話を終えた池田はまた親指を立てた。

「全くあなたって人は」

「さすが、池田さん!探偵さんって何でもできるんですね」

「うちの所長だけです、こんなことをする探偵は…いい意味でも悪い意味でも。

それより、瀬って…」

勝と靜が池田を褒めるそばで、中津がぼそりと呟いた。

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