《蒼空の守護》第7章(野)

 王都の民間議會である『庶民院』は、まさに『會議は踴る、されど進まず』と言った様相を呈していた。架空支出問題に揺れる首相のキサンが野黨に問題を追求されては苦しい言い訳をする。その繰り返しで一向に最南島近海で起こっている問題が議題に上らない。マスコミはキサンの問題には目もくれず、総じて116年ぶりに起ころうとしている戦爭の幕開けを盛んに報じ続けている。王國民は全く対策について話し合わないキサン閣や野黨に対して不満を抱き始めていた。

 この狀況を虎視眈々と見つめている一人の男がいた。『蒼侯』。王族の最高権力者の候補であるこの男は口にくわえていた煙管を指に挾むと、ふうっと白い煙を吐き出した。再び煙管を口にくわえ、パンパン、と手を鳴らす。部屋にってきたのは今にも墓場にりそうなしわくちゃな老人であった。

 「お呼びですか?」

 「明日の晝にテレビ演説を行う。用意しろ。」

 「ふぇ…ふぇっふぇっふぇ」

 老人が奇妙な笑い聲をあげる。

 「既にマスコミは抑えました。統宮様…遂に時節到來ですな…。」

 「うむ。」

 統宮はもう一度、盛大に白煙を口から昇らせた。

 「グラーファ、お前が生きているに、私の天下を見せてやろう。の頃からの忠節には謝しているが、まだまだ働いてもらわねばならん。棺にろうなどと思うなよ。」

 「はっ…。このがたとえ骨と皮だけになったとしても、統宮様について生きますぞ。」

 二人の不気味な笑い聲が部屋にこだまする。統宮の野はいよいよき出そうとしていた。

 國葬と即位式が一段落し、一同に集結した王族達が各々の赴任地に戻ると、王宮はひと時の安らぎを得た。王族の中で1・2の人気を誇るテアは新帝王・白帝の名代として様々な人を歓迎し、殆ど眠ることが出來なかった。即位式が終わり、ようやく簡易ベッドでなく自分のベッドで眠ることが出來るようになり、疲れ果てたテアはぐっすりと晝まで眠っていた。

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 テアが目覚めたのは攜帯のバイブレーションだった。

 (おかしいな、アラームは切ったはずなのに…。)

 右目だけうっすら開けて畫面を見ると、『メル』の二文字と彼の寫真が寫っていた。慌ててガバッとを起こす。メルの聲を聞くのはあのお祭りの時以來だ。

 「も、もしもし~?」

 努めて明るい聲を出したのだが、長年の親友には一瞬でバレた。

 「優さん、寢起きね。」

 「むぅ…。」

 久しぶりの電話で嬉しいはずなのに、寢坊がバレた恥ずかしさでついついツンツンした言葉を返してしまう。

 「こんな朝にかけて來なくたっていいじゃない。寂しがり屋さんね。」

 「早朝はこっちだよ。今は朝の5時前。そっちはちょうどお晝でしょう。テアが寢坊だなんて、珍しいね。」

 「…。」

 「それでさ、用件はね…。」

 メルの聲が、急に真面目になった。

 「テレビつけて。」

 「テレビ…?」

 枕元に置いてあるリモコンを手にとってテレビをつける。どのチャンネルもこれから始まる演説の特番を放送していた。最近は報道特番だらけだ。時期が時期だけに仕方がないが、自分が出演している連続テレビ小説が打ち切りにならないかがここ最近のテアの悩みだった。

 「その演説の主役は…」

 メルがその名を言い切らないにその人が畫面の中に現れた。テアは3年前の出來事を思い出し、自然と表が険しくなった。

 演説の會場である『大統殿』は、宮家の『大殿』よりもひとまわり大きい。宮家と比べ裕福な家ではないが、統宮の威信にかけてこのマスコミ向けの広間を拡張したのである。その『大統殿』が満員になっている。先日の護宮(ラディ)・守宮(メル)共同會見よりも注目度は高い。統宮はそう信じて疑わなかった。席に座るなり機の上に置いてあった水を一口飲み、小さく深呼吸をした。

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 これは自分の人生で一番大切な演説になる。

 「蒼総諸島が3代前の偉大なる帝王、英帝によって統一されて以降、我々は100年以上に渡って平和を甘してきた。人権は保証され、男平等を実現し、今や殆どの人々がかな生活を送っている。今我々がこの様な日々を送れるのは、英帝を始め先人達がを流して平和を勝ち取ったからだ。

 南海事件は、蒼の國に対する一大警鐘である。最南島の戦略的重要は、皆が思っているよりも比較にならないほど大きい。守宮が降伏すれば、蒼都は敵の空る。これは平和が力に屈するのと同義なのだ!

 既に我々の隣國であった翠の國は灰燼に帰した。蒼の國各地で連綿とけ継がれてきた文明は、今まさに危機に瀕している。

 今ここで重要なのは、與野黨の勢力爭いではない。最南島救援は國家の急務だ。にも関わらず庶民院は権力闘爭に明け暮れ、全くこの問題に目を向けようとはしない。議會が機能しない以上、王族が直ちにこの事態を打開しなければならないのだ。

 我々上級文は平和という太を浴びすぎて、腐ったみかんの様になった庶民院の議員とは違う。本気で國を憂い、この國を救うためならあらゆる事を行う覚悟でいる。しかし、リーダーがいなければ我々はけないのだ。早急に新しい蒼侯を決めなければならない。

 キサン閣に要請する。本日中に『3日後に蒼侯選挙を行う』事を定めた特別法案を庶民院で立させよ。本日中に立しないようならば、直ちに王族命令書を発布し、議會を形骸化した上で選挙を行う。

 別に私にれる必要はない。ただ、1人でも多く選挙で投票し、この選挙を立させ、新しいリーダーを作ってしいのだ。我々の憂國の信念に揺るぎがないのなら、今こそ決意を新たにすべきだ!この選挙をその一歩にしよう。立て、國民よ。平和を永久のものとするため、立ち上がるのだ!」

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 「統宮様は、議會ではなく王國民を味方につける所存と見えますね。」

 「!」

 メルが珍しく驚いた表で振り向く。

 「ノノウか。演説に見ってしまって全く気づかなかった。」

 (あの時のお返しです…。)

 ノノウはこっそりと心の中で呟く。

 「王族はな、その気になれば王族命令書を発して、議會を無視して政治を行える。王族の無茶な要求を卻下出來る権限を持つのは帝王、皇后、蒼侯、司法だけだ。今、蒼侯は空位で帝王である白帝陛下は、皇后の父は統宮様だ。王族は誰も彼を止められない。頼みの綱は司法だが、この國の司法は、時として巨大な民意に流される。この演説で皆が統宮様に陶酔しないといいのだが…。」

 「あの、守宮様。」

 ノノウがメルのスマホを指差す。

 「まだ電話が繋がっていますよ。」

 「え…?」

 そういえばまだテアと電話中だった。慌ててスマホを手にとる。電話している事を忘れるくらい、あの演説には人を惹きこむ何かがあった。

 「テアごめん!すっかりテレビに見ってた。」

 「…ねぇ、メル。」

 テアの聲は震えていた。

 「とっても嫌な予がするの。言葉に出來ないけれど、すごく怖い何かが…。」

 既に與黨『紡ぐの黨』では次期選挙を睨んで新しいトップの下で態勢を立て直そうとする派閥が形され、與黨でも激しい抗爭が展開されている。立する法案は激減し、政治は停滯していた。それでもキサンは、あくまで総理の職に居座ろうとした。

 演説を聞いたキサンは、直ぐに房長であるワンリーを呼び出した。

 「急の閣議を開くから、すぐに全閣僚を集めろ。急いで特別法案を庶民院に提出せねばならん。」

 「法案は通るでしょうか?」

 「通る。これを否決したら、庶民院は次期蒼侯になるかもしれない男を敵に回すことになる。それに、歴代蒼侯が王族命令書をチラつかせて法案立を迫った際に否決された法案は一つも無いはずだ。」

 キサンの睨んだ通りだった。この特別法案は夜遅くまで議論されたものの、結局反対票が殆どらずに立したのである。

 「3日後だと!?絶対に間に合わん!」

 一騎打ちとなった今回の蒼侯選挙の対抗馬である雲宮は焦っていた。1ヶ月先だったはずの選挙が、なんと明明後日(しあさって)になってしまったのである。戦略は完全に無に帰した。

 「法案を直ちに廃案にするよう、王族命令書を書いてやる!」

 用紙を睨みつけながら猛烈に命令を書いていく。しかし、突然雷に撃たれたように雲宮のきが止まった。

 (しまった、今、王族命令書を出しても皇后であるヤツのガキに握り潰されるだけではないか!)

 「殿。」

 側近のジェファリが口を開いた。

 「煌宮様や守宮様に応援演説を頼んでは如何でしょう?王國民絶大な人気を誇る彼達なら、きっと狀況を好転させてくれるに違いありません。」

 「バカを言うな!ガキ共に何が出來る!」

 雲宮は的になっていた。

 「今日は負けだ。しかしまだ3日ある。とりあえず明日は蒼都をくまなく回るぞ。あのような卑怯な手に屈してたまるものか!」

 そう言って雲宮は寢室に向かった。バタン!と暴なドアの音が響き渡る。部屋にいた側近達は黙って俯くしかなかった。

 最南鎮守府の司令宮室では、メルとノノウが人工島の映像と収集されたデータを眺めていた。海戦はラディが率いる第六艦隊の首脳陣が映像を元に作戦を考えているが、その後に想定されている人工島上陸戦は、陸軍部隊をもつ最南鎮守府の管轄になっていた。

 「地形は完全に平坦か。障害がないから攻めやすい分、こちらも狙われやすいな。ただ」

 メルは畫面を指差した。

 「映像で確認出來る限りでは、戦車がいない。」

 「まだ搬出來ていないのか、そもそも戦車がないのか、どちらでしょうね。」

 「マトキスの戦車部隊はどの程度の規模だったかな。」

 マトキス上佐(上級陸佐)は最南島に駐在している陸軍部隊の司令である。アブエロの甥っ子であり、彼のツテで連れてきた部隊であった。この総勢5000人の部隊はにとってかなり心強い戦力である。

 「最新式の戦車『ルートス』が15臺揃っていますね。」

 父・宮が鎮守宮就任の『祝儀』に買ってくれたものである。

 「15臺か。無茶は出來ないな。大概の不整地は走れるから、兄上に出來る限りの艦砲撃をお願いせねば…。」

 突然バタン!と司令宮室のドアが開いた。

 「じいか、ノックもせずにどうしたのだ。」

 「大変なことになっています!これを見て下さい!」

 アブエロがバサリと雑誌を機に置いた。メルとノノウが覗き込む。

 「『雲宮殿下と首相夫人のアブナイ夜』…?」

 容はこうだった。雲宮と首相夫人は夜な夜な同衾する間柄で、キサンはそれを知っていながら大金を摑まされて黙認していた。首相は私腹をやし、二人は背徳を快楽に変えたー。最後はこう結ばれていた。

 『護宮・守宮両殿下が最南沖空戦の共同會見に臨んでいたまさにその頃、二人は本番プレイに臨んでいたのだ!巷ではロリコン好きと噂されていた雲宮殿下、意外ともイケたのであるー』

 メルはため息をついた。

 「こんなことを書いたら、すぐに雲宮様から王族命令書が出て出版社は取り潰し、責任者は死刑だぞ。命知らずな奴だな。」

 「ところが、そうはならないのです。」

 アブエロは眉間にシワを寄せた。

 「雲宮様の王族命令書は、全て皇后陛下の名の下に握りつぶされています。」

 「なんだと…」

 は全てを察した。

 「じい、それはどこで手にれた?」

 「近くのコンビニです。最南島でこれが出回っているということは…。」

 「既に國中に流通している。」

 ハッとがリモコンに手をばしてテレビをつけると、アナウンサーが國會前でんでいた。

 「國會前は凄い騒ぎになっています!雲宮殿下とキサン首相夫妻を批判する聲があちこちで飛びっています!」

 畫面がヘリの映像に切り替わる。平日の朝にも関わらず、いつものデモとは比較にならないくらいの人々が國會前に詰めかけているのが分かる。プラカードには『キサン辭めろ』『雲宮は出馬を取り消せ』『恥知らずな豚どもを王宮と國會から追放せよ』といった過激な文言が並んでいた。

 「…この選挙、勝負ありましたな。」

 アブエロがポツリと呟く。ノノウも顎に手をあてて頷いた。

 「首相を巻き込んだのは見事な知略です。架空支出問題で言い訳を続ける彼の言葉が信用される訳がない。この記事が噓でも本當でも、彼が否定すれば否定するほど真実味が強まるでしょう。」

 メルは父・宮の言葉を思い出していた。

 (統宮は人がある。雲宮にはそれがない。)

 父上…これが父上のおっしゃる『人』ですか?これは『力』です。力が民衆をかしているのだ…!

 雲宮邸にも大勢の民衆が押し寄せて屋敷を取り囲み、雲宮護衛隊と睨み合っていた。ある者は石を投げつけ、またある者は卵を投げつけた。護衛隊の兵士達はぎゅっと拳を握りしめて耐えていた。兵士たちの脳裏にジェファリの言葉が蘇る。

 (絶対に民衆に手を出してはならん!統宮の思うツボじゃ!)

 民衆を蹴散らすことなど一瞬で出來る。しかし、統宮がこれを利用すれば更に雲宮の悪評は高まる。見えざる民意の力に雲宮派は完全にねじ伏せられようとしていた。

 このような狀況で雲宮が遊説を行えるわけはなく、彼は自室に閉じこもる他なかった。

 「殿、せめて畫を撮ってネットに流し、一人でも多くの支持者を得ましょう。このまま座して待つわけにはいきません。」

 「そんなことをして何になる、ますます叩かれるだけではないか!」

 「しかし」

 「ああもう聞きたくない!」

 雲宮は錯していた。

 「どうしても私をかしたければあのマセガキ皇后を殺せ!皇后令さえなければ、あの煩わしい民衆もデタラメな記事もふざけた出版社も消し去れる!」

 枕元にあったグラスを叩きつける。乾いた音とともに、ガラスの破片がジェファリの頬を傷つけた。

 「…分かりました。」

 ジェファリはトボトボと部屋を出て行った。

 ここ數日、テレビは臨時ニュースばかり流していた。どのニュースも普通ならその年を代表する話題になっただろう。ここ100年、これだけ大きな出來事が立て続けに起きたことはない。

 この日のニュースはキサン閣の総辭職と、翌日に迫った蒼候選挙の特集がメインだった。遂に與黨からも見限られたキサンの不信任案が可決されたのである。同時に、政界再編を見據えて庶民院は議會の自主解散を選んだ。帝王がで議會が解散した今、翌日の蒼候選挙が重大な意味を持つことになったのである。

 「煌宮様、そろそろお時間です。」

 この日、テアは皇后とのお茶會に呼ばれていた。統宮との間には々あったが、テアと皇后の関係は良好だった。こうして度々お茶會や夕食會に呼ばれては、歓談し合う仲である。

 二人には読書という共通の趣味がある。お菓子でお腹が満たされた後は、窓から差し込むらかなの下でそれぞれ好きな本を読むのが決まりだった。部屋には二人の専用の本棚があり、侍たちが定期的に二人の好みの本を棚にれている。

 「テアちゃん!」

 皇后・輝宮(ルフレ)はテアの顔を見るなり満面の笑みを見せた。

 「皇后陛下におかれましては、ご機嫌麗しくー」

 「ちょっと!」

 皇后が口を尖らせる。

 「今まで通り、ルーちゃんでいいわ。」

 「ルフレ様」

 「ちゃん」

 「さま」

 「ちゃん!」

 テアは思わず笑ってしまった。

 「ルーちゃんは強ね。そんなんじゃ、皇后は務まらないわ。」

 「皇后になったら、みんな更にかしこまっちゃってさぁ、堅苦しいのは好きじゃないのよ。」

 若冠11歳で皇后になったルフレには打ち解けて話せる友達がいなかった。小さい頃から次期皇后に目されていた彼に気安く話しかける人はほとんどいなかったのだ。似たような境遇で育ったテアは、ルフレの良き理解者になった。

 「イーレちゃんがね、また珍しい花を持ってきてくれたのよ。」

 テアがブーケを渡す。何と、その花の7つの花びらは全て違うをしていた。

 「虹の花(イーリス・アントス)、と言うそうよ。元々は真っ白な花なんだけど、特殊な水やりによってこうなるんですって。」

 「きれい…」

 ルフレはテーブルの真ん中に虹の花を置いた。ルフレお手製のケーキやクッキー、チョコレートで鮮やかに彩られたテーブルが更に華やかになる。

 「ホント、あのの子らしさのかけらもない人に、こんなに可い妹がいるとはねぇ。」

 「メルちゃんも十分可いじゃない。」

 「顔の話をしてるんじゃないのよ。」

 テアは苦笑いしながらクッキーを口に運ぶ。

 「このクッキー、サクサク!」

 「やった!」

 ルフレは満面の笑みを浮かべた。

 「おばあさまが新種の薄力を送ってくれたの!より軽い食を出せるようになったのよ。」

ルフレのお手製のお菓子は『プリンセスクッキー』という名のブランドになっていて、人気も高い。

 「これ、プレゼント!」

 かわいい箱の中に新種の薄力が袋詰めされている。

 「ありがとう。」

 正直、料理はあまり得意ではない。今度イーレちゃんと一緒に作ろうかしら。そう思いながらグラスを手に取った瞬間だった。

 グラスが映し出した自分の背景が不気味にく。ハッとして振り向くと豪華な庭の木々の間から男がライフル銃をこちらに向けているではないか。

 「ルーちゃん、危ない!」

 テアがルフレにとびつく。二人はゴロゴロと床に転がった。次の瞬間銃聲が響き、窓ガラスが砕け散る。

 「な、何!?何が起こってるの?」

 「いいから隠れて!」

 二人は本棚の裏にを隠した。男はライフル銃を捨てるとポケットから拳銃を取り出した。

 「どこに隠れた!悪運の強いやつめ…」

 ヒビのった窓を蹴破って部屋にってくる。震える聲でルフレが囁いた。

 (テアちゃん、護用の銃持ってないの?)

 (皇后陛下と會うのに持ってるわけないでしょ。持ってるのは…)

 テアが左手に持っていたのは、ルフレがくれた袋詰めの薄力である。その瞬間、テアは閃いた。

 「そこだな…」

 男が二人の隠れている本棚に近づいてくる。テアは薄力の袋を開いた。

 (ルーちゃん、実は私、料理が得意じゃないのよ。)

 (え?)

 ルフレは半泣きになっている。

 (私が得意なのは…)

 テアは本棚からとび出した。

 「人を料理することよ!」

 男は虛を突かれて、一瞬銃の引き金を引くのが遅れた。テアが銃弾を躱すのにはそれで十分だった。テアはしゃがみながら薄力の袋を男に向かって投げつけた。袋が男の顔面に向かっていく。男はすぐに袋を払いのけた。次の瞬間、大量の薄力が空気中を舞い、白煙が男の視界を奪った。

 「小癪な…!」

 テアは素早く男の懐にり込むと、強烈な蹴りをお見舞いした。

 「ぐはぁっ!」

 テアのハイヒールが男の脇腹に突き刺さる。男は悶えしながら倒れ込んだ。煙が晴れるまでに、テアは男の拳銃を奪い取っていた。

 「大丈夫ですか!」

 銃聲を聞きつけた護衛達がようやく中にってくる。

 「遅い。すぐにこの者を捕らえなさい。他にも潛んでいないか、急いで調べて!」

 「ハッ!」

 護衛達はすぐに男を縛り上げた。無事に刺客を撃退したというのに、テアの心の中にはどこか違和が殘っていた。

 (もしかして、あの男、本當は…)

 「テアちゃん!」

 ルフレに抱きつかれて、テアは我に返った。

 「ダメ、服が汚れるわよ。」

 テアは薄力を被って真っ白になっていた。

 「構わないわ。これから一緒にお風呂にりましょ。二人きりで、々聞きたいこともあるしね。」

 二人きり。この一言でテアの違和は確信に変わった。この事件は、最初から仕組まれていたのだ。

 皇后暗殺未遂事件は、すぐに國中を駆け巡った。新聞社は競って號外を出し、そのどれもが雲宮の謀だと斷じた。

 『言論の自由を圧殺するため、雲宮殿下は王族命令書で気に食わない出版社を潰そうとした。彼は言論の自由を守るため命令書を無効にした皇后陛下を恨み、暗殺を企てたのである−』

 雲宮は號外をビリビリに引き裂いた。

 「ジェファリ、なんてことをしてくれた…。」

 「恐れながら、私ではありません!」

 「ええい、黙れ黙れぃ!」

 雲宮が紙くずを投げつける。ひらひらと落ちていく灰の紙くずは、まるで雲宮家の未來を暗示しているかのようだった。

 「暗殺にしくじり、國民全てを敵に回した挙句、私に平然と噓までつくか!絶対に許さん!」

 雲宮はパンパンと手を叩いた。護衛がジェファリを縛り上げ、ずるずると引きずっていく。

 「殿、お願いです!信じてください!殿ぉぉぉ…。」

 バタン、と扉が閉まる。訪れた沈黙に耐えきれず、雲宮は自分の好きな音楽の世界にを沈めた。

 最南島は第六艦隊の港を翌日に控え、れ準備が大詰めを迎えていた。第六艦隊の人員は総勢約30000人である。南海事件以降次々と店が閉まる中、30000人分の食事や部屋を用意するのは至難の技かと思われた。

 ノノウが思いついたのは、最南島最大のリゾートホテルを借りることだった。リゾートホテルは最大で50000人が宿泊できる。問題は、ホテルが空いているかどうかだった。最悪王族命令書を使う覚悟でいたが、なんと二つ返事で快諾された。南海事件以來ホテルではキャンセルが相次ぎ、経営的に苦しくなっていたのである。30000人の宿泊はまさに渡りに船の申し出だった。

 歓迎パレードの段取りや、両首脳部の日程など細部に渡って調整していく。援軍が兄上で本當に良かったとは思った。ラディは一切口を挾まず、全てを任せてくれたのである。他の指令宮が來ていたら、この程度の労力ではすまなかっただろう。

 夜までになんとかれ態勢が整った。最終確認でこの日は々な場所を駆け回ったため、さすがのメルもヘトヘトになった。

 「じい、今日は早く寢るぞ。こんな顔を兄上に見せる訳にはいかない。」

 「メル様がお顔を気にされるとは、珍しいですな。」

 「ただでさえイスカさんの事があるのに、これ以上心配させてはならん。」

 イスカの父、雲宮があんなことになってはとても平靜ではいられないはずだ。彼中を思うと、メルはいたたまれなくなるのだった。

 突然攜帯が振する。『テア』の二文字と彼の寫真が寫っていた。不覚にも、このタイミングであくびが出る。なんとか嚙み殺して電話に出た。

 「もしもし…。」

 「英雄さん、おネムね。」

 テアは寢坊した時のことを忘れてはいなかった。

 「悪かったわね。私も人間よ。」

 「一応私たち、神の子孫ってことになってるんだけど…。」

 「勝手に信じてなさい。」

 メルは大げさにため息をついた。

 「大、今はあなたの方が英雄でしょう?皇后陛下をお護りしたフラワー・プリンセス(小麥の姫)ってネットで話題になってたわよ。それにしても、3年前にお世話になった雲宮様の刺客を倒さなければならないとは、運命はつくづく因果なものね。」

 「メルもやっぱりそう思う?」

 「そう思うって?」

 「犯人は雲宮様だって」

 「不思議はないわ。あれだけの事をされたんだもの。憎んで當然よ。」

 テアが急におし黙る。

 「…違うの?」

 「確証はないんだけどね…。」

 「聞くわ。」

 「犯人は…統宮様よ。」

 數秒間、沈黙が走った。

 「いくら統宮様でも実の娘を殺すはずはないわ。」

 「本當に標的はルーちゃんだったと思う?」

 「まさか…。」

 メルはテアの言わんとする事が分かった。皇后を暗殺する様に見せかけてテアを殺し、その罪を雲宮になすりつける。後は『大逆罪』で雲宮派を一掃すれば、王宮に彼の敵はいなくなるのである。

 「辻褄は合う。でも、どうしてそう思ったの?」

 「ライフルの発地點と壁に殘った弾痕、これを繋ぐと丁度私が座っていた椅子の頭を通るわ。」

 「なるほど…」

 「それからもう一つ。いつもお茶會の際にそばにいる、ルーちゃんの侍が一人もいなかったの。おそらくこれは…」

 「狙撃の邪魔になるから、ね。」

 「うん…」

 どれも狀況証拠に過ぎず、立証することは出來ないだろう。刺客が口を割らない限り統宮に罪が及ぶことはないのだ。

 選挙は、統宮の圧勝に終わった。投票率92%、得票率95%はいずれも史上最高記録で、歴史的圧勝だった。

 「ふぇっふぇっふぇ…統宮様、やりましたな。」

 グラーファが奇妙な笑い聲をあげる。

 「先手必勝だな。雲宮、恐るるに足らず。」

 「所詮筋だけで上級文になった人。この程度でしょう。」

 「蒼侯として、最初の仕事は雲宮の逮捕だな。フフフ…。」

 「ふぇふぇふぇ…。」

 二人の不気味な笑い聲が部屋にこだました。

 「さて…この事件で唯一株を上げた、直宮の人間は如何しましょう…。」

 「悪運の強い奴だ。雲宮に見切りをつけた直宮派は、恐らく奴の元に集まるだろう。」

 「どんなしい花も、いつかは必ず枯れますぞ…。」

 「待てん。必ず我が手で腐らせてやる。今のうちに咲き誇っておくがいい、フラワー・プリンセス…。」

 「見えたぞ。」

 飛雲の指令宮室からも、いよいよ最南島が見えるようになった。ラディが最南島を訪れるのは2年ぶりのことである。

 「懐かしいわ。この島でラディに告白されてから、もう4年も経つのね。」

 クスクスと笑うイスカを、ラディは突然抱き寄せた。

 「…俺の前では強がらなくていいよ。」

 ラディの溫がイスカに流れ込んでくる。思わずに顔をうずめた。

 「雲宮様がどうなっても、お前だけは絶対に守るから。」

 雲宮逮捕のニュースが流れたのは、統宮が蒼侯選挙に勝ってから僅か一時間後のことだった。週刊誌の事件以降イスカは毎日メールを送っているのだが、父からの返信は未だにない。

 「うん…」

 ラディがイスカのらかな髪をゆっくりとでる。しばらくされるがままになっていたが、スルリとラディの腕から抜け出した。

 「ありがと。もう大丈夫だから。これから戦いに行くというのに、司令とエースパイロットがに溺れてちゃダメよ。」

 スタスタと部屋から出て行こうとするイスカに、ラディはサラッと聲をかけた。

 「メルに頼んでホテル同室にしてもらったから。」

 (あのバカ、余計なことを…)

 最南鎮守府に著いたら説教してやるんだから。顔が赤くなっているのを見られたくなくて、イスカは黙って部屋を出た。

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