《バミューダ・トリガー》一幕 原因不明の怪異事件
朝の気配に目を開くと、案の定窓からは西日が差しこみ、微風に揺られるカーテンとあいまって心地よく室を照らしていた。
ふと上を見上げると、今はまだ新鮮味が殘る天井が視界にる。
誰もが夏休みを意識し始める梅雨の終わり。
一見、いつもと何も変わらない様に見える朝が、懲しょうこりもなくまたやって來た。
まるで、俺は朝が苦手みたいな言い回しになったが、別に寢覚めが悪い訳ではない。
學校に行きたくないということでもない。
學校は楽しいし、友達もいる。
強いて言うならば―
俺は今、窮屈な狀況下にいる。
俺は、今年の六月上旬の頃から霊峰れいほう町に住み始めた高校二年生、 神河かみかわ人りんと。
この名字と名前と中的な顔立ちのおかげで、前の學校では
「神河くんこっち向いて~」
「やーん神可い~♡」
「人は今日も凜としてるなぁ」
などとからかわれることもあったが、今思えば良い思い出だった...と、思う。きっとそうであったはずだ。
「前の學校」と言ったが、俺は今、ちょっと特殊な學校に通っているのだ。
「起きてるかー?我が弟よ」
ベットの上で上半だけを起こして謎のフリーズをしていると、一階から聞きなれた聲がかけられた。義理の姉である、倉橋くらはし紗奈さなだ。
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名字が違うのはスルーしてほしい。
ある事件がきっかけで、俺は紗奈の家にお邪魔することになった。
だが、強いて理由をつけるならば、俺は自分の名字を変えたくなかったのだ。
「ああ、起きてるよ」
そう言って、まだふらつく足をかして階段を下りると、丁度朝ごはんの準備が整ったところのようだった。
おたまを片手に味噌をよそい、流れるように機に並べているのが、件の姉、紗奈だ。
「起きてるならちゃちゃっと召し上がれー」
毎度の事ながら本當に朝からご苦労様です。聲に出さない謝をして満足する俺。
うん、我ながら最低だ。
今朝の食卓に並んだのは、白ご飯に梅干しの王道セット、すり大が乗った焼き鮭と醤油の王道セット。
そこにほうれん草のおひたしと味噌が追従するという、ザ・日本食セットだ。
俺は、律儀に箸置きに鎮座した箸を手に取り、いざ今宵の朝食の味を楽しまんと鮭のをほぐす。
「いただきます・・・」
「さーて、お味の方はどうかなー?」
紗奈は、ニヤリと笑って、間延びした聲で想を催促する。
(っ、これは・・・)
「マジ、おいしいよ」
いつもの事ながら破格においしいのだった。
流石は自稱・『若きにして全ての料理の作法を修得した天才』倉橋紗奈だ。
鮭など、誰が焼こうとそう変わらないだろう、などという考えをもつ全ての人に是非食べてもらいたい、と。
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そう思えるほどに味しい。
素材を生かしきっている。
そのまま俺の手は、全ての料理をことごとく食べ盡くすまで止まることはなかった。
朝食を終えると、満足げな顔をしている義弟を見て満足げに微笑んだ紗奈は、気の抜けた調子で言った。
「人も毎日大変だねー。今日も気を付けて學校行きなよ?」
後半は、いつもの気の抜けた口調ではなかった。俺のを案じてくれているようだった。
自室に戻って、制服を著る。
家を出る前に、顔を洗って歯を磨く。
ちなみに、この二つの作業に朝食を加えた三つの事柄の順序は人によって違いがある上、異常にこだわりをもつ人もしばしばいる。
つまるところ、俺の手順をどう言われようと変える気はないので悪しからず願いたい。
「じゃ、行ってきます」
「あーい、いってらっさーい」
家を出る頃には、紗奈の口調はもとの気だるげなものに戻っていた。
話は戻るが、俺が通っている學校は特殊である。そしてそれが、俺が今窮屈だとじている理由でもある。
川沿いを歩いて五分とし。
俺が通う學校―
―警察署が見えてきた。
怪異事件関係者保護學校、通稱「怪校」。
通稱とは言ったものの、世間一般的にはその存在を知られていない。怪校を管轄・管理している警察の、さらに一握りにのみ、この學校の存在が知られている。
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一般道から死角になる、街の警察署の裏手の通用門の。
警察署本署と接合された、四角い小部屋のような部分だ。
雑草が生い茂り、一見すると長きに渡って使用されていないように見えるその場所に、古びた場所には似合わない、地下へと繋がる真新しい扉が取り付けてある。
そう。怪校は、警察署の地下にあるのだ。
扉を開けると、小さなスペースに署者の監視役を任された警察―
―無論、怪校の全貌を知らされている限られた署員のうちの一人が座っている。
俺が怪校に來てからもう一ヶ月になるので、今では子窓越しの顔パスで校に通される。
初めはかなり張していたが、ここ數日でしは慣れてきていた。
そこからは一本道である。
コツコツと靴の音を響かせて、幅が人二、三人ぶんほどの階段を下る。
下りきると、そこはよくある普通の學校の廊下だ。
まあ、壁に窓がないためか、閉鎖的なじではあるが。
俺はゆっくりと、二年生教室と書かれた札が掛けてある扉を橫にスライドして、教室にはいった。
ちなみに、生徒の健康を害さないために教室の空調設備はしっかりしている。閉鎖空間ゆえにあった微かな息苦しさが、噓のように消える。
今日はすでに數人の生徒が來ていて、それぞれ談笑やら、二度寢の続き、もとい三度寢をしていた。
「おはよう」
「人か!うっす!」
「神河さん、おはよう」
「人くん、今日はいつもより早め?」
丁寧で律儀な挨拶や、元気がよく闊達自在を形にしたような挨拶。まだ転校したばかりの俺だったが、クラスメイトに恵まれたことをひしひしとじる。うん、嬉しい。
當然のことなのかも知れないが、以前のような名前いじりは無かった。
今日も、俺のスクールライフが始まる。
怪校の全校生徒は二十二人。全國各地で起こった、ほんの數件の特定の事件に関係していたとされる年だけが集められ、他の一般的な高校生と同じ授業をけている。
中學生の三年部が五名、高校生の一年部が三名、同じく高校生の三年部が四名。
俺と同級生である、十七歳を中心とした高校生の二年部が最も多く、十名だ。
――――――――――――――――――――――――
「だぁ~っ!やっぱ古典わかんねぇ~人、お前よくこんなの出來るなぁ」
「古典はそんなに難しくないだろ。まあ、どうもお前は不用だからな」
「それ、関係なくねぇか~?」
「そうかもね。それにしても、人くんが古典得意ってのは同だよ」
生徒數がないということもあり、すぐに同級生のほとんどと良い関係を築けた。俺の友人については、追って紹介する。
――――――――――――――――――――――――
そもそもこの怪校が設立されることに繋がった、特定の事件について話しておこう。
先に言っておくが、これはあくまで俺が聞かされている範囲での話と、そこからの類推である。
現在までの調査で分かっていることは、まず第一に、原因が不明であること。
次に、強大な破壊力が局所的に産み出されていたこと。
被害は大小様々であること。
生存者は皆、十代の學生であること。
そして、事件発生直前・直後の僅かな時間の出來事を、二十二人の誰も、覚えていないということ。
最近では徐々に記憶を取り戻している生徒がいると耳にした気もするのだが、まあ、多くは覚えていないらしい。
この異質な事件に、警察は
「厄魔事件《バミューダ》」という俗稱をつけ、捜査している。
また、事件に関係すると思われる二十二人全員が、當時に付けていたもので、事件後に無くなったものがあると証言している。
その種類や大きさに共通する箇所は特に無いものの、全て、各人が大切にしていたものだったらしい。
事件との関係を考慮して警察は、この「無くなったもの」のことを「引き金《トリガー》」と呼稱している。
一、どれ程重度の中二病に蝕まれた警察署職員がいれば《バミューダ》やら《トリガー》などといった名前に決まるのか気になるところである。
きっと、職員の中には特撮アニメが大好きな中學生がいるのだろう。そういうことにしておく。
《トリガー》は人によってそれぞれ異なり、どんなものであっても、なりうるようであった。そして―
俺の《トリガー》は、《バミューダ》発生時に左手首に結んでいた「ミサンガ」だった。
そのミサンガは、俺が紗奈のもとに來る前、本當の家族と暮らしていたときに、実の姉である 恭香きょうかに編んでもらったものだった。
名字を変えたくなかった理由は、前の家族の痕跡を、近くにじたかったからだ。
俺の家族は、俺の周りで起きた《バミューダ》に巻き込まれ、気づいた時には俺の家や近所の家々と共に、跡形もなく消失していた。もしも紗奈に救ってもらえなかったら、全てに失して、絶して、自らの命を絶っていた可能もないとは言えない。
怪校という特殊な學校にこそ転校したものの、一般的な高校生と同等の教養をけられている。
このまま、両親や、恭香、そして紗奈のためにも、前を向いて生きていこう。
そう思っていた。
しかし―
劇的な変化は、必ずしも前奏から始まってはくれない。
俺の変化は、唐突だった。
ある日の夕食後。
紗奈が腕を振るった、これまた別段においしい夕飯を食べ終え、浴、歯磨き等を済ませ、自分の部屋でベットに寢転ぶ。
微睡みまどろみながら、ミサンガを無くしてからはどうも落ち著かない日々が続いているので、近々自分でミサンガを作ってみようか。いやいや、それとも、ここは手先の用な紗奈に頼んでみるべきか。
などと、そんなことを考えていた。
だが、迫り來る眠気に打ち勝つことは葉わず、呑み込まれていく。
そして迎えた朝。
目をった左手首に―
よく見慣れたミサンガが、在った。
(どういう、事だ・・・)
今までの事件の全てを、夢かと思った。
夢であってほしいと。
そう願った。
このまま意識を覚醒させれば、恭香が、両親が、朝の食卓を囲んでいるのではないかと。
そののなかに自分も加わって、団欒だんらんのひとときを過ごせるのではないかと。
「今日は早いなぁ、弟よ。」
だが聞こえてきたのは、紗奈の聲だった。
紗奈のもとに來てから、まだ一ヶ月半程だったが、今だかつて、これ程までに紗奈に対して嫌悪を抱いたことはなかった。
恩人に向けるではない。
いつもの気の抜けた口調が、いやに気にらなかった。
「どーよ?今日の料理は?」
「・・・・」
紗奈はミサンガに話を振っては來なかった。だがが苦しかった。
「ありっ?なんかふてくされてんねー」
「・・・・」
自分の抱いた儚い希が失われたことを―。
「まだ眠たいのかなー?」
「・・・・」
認めたくなかった。
ガチャッと、雑に食を機に置き、すぐさま制服を羽織る。
鞄を持つや、「行ってきます」の一言も言わず、心配そうな表を垣間見せた紗奈をおいて學校へと向かった。
小鳥がさえずっていたが、そんな長閑のどかさを楽しむ余裕は微塵も無かった。
時折訪れる公園を通り、いつもより遠回りでゆっくり登校した。
その甲斐あって、學校に著く頃には気持ちも多落ち著けることができていた。
警察に一度顔を見せると、校へ通される。
慣れたとはいっても怪校に來てからは毎日の事で、若干面倒ではあったが、まあ、仕方のないことだと割りきるしかないだろう。
いつも通りの過程に大分落ち著きを取り戻していたはずだったのだが、再び気を転させる事態は起きた。
教室にると、いつもと違った雰囲気が漂っており、しばかりを張させる。
(この雰囲気は、何だ?)
「おう、人か、早いな」
怪校のなかでも仲の良い 黒絹くろきぬ翔斗しょうと。いつも元気で闊達な翔斗だが、様子が変だ。
そもそも、今日は気持ちを落ち著けながら來たため、「早い」と言われるほど早く登校はしていない。
すでに登校していた他の8人のクラスの面々も、似たり寄ったりだった。
「...なぁ翔斗、何かあったのか?」
率直に聞いてみることにした。
「あ、あぁ、わかるか?やっぱり親友はちげぇな、はは」
(普段のお前を知るやつなら誰でも気づくぞ)
親友と呼んでくれるかけがえのない友に対して、心のなかで軽く突っ込みをれてから続きを促す。
「暴力沙汰・・・ってわけでもないだろ?一どうしたってんだ?」
「・・・実はな、俺が今朝起きたらよ・・・首に、ネックレスがかかってたんだ」
「...!?」
それだけ聞くと、しばかりの不安や驚きを抱いた後に、不法侵か家族のイタズラか悩む事で済むような問題だ(まあ、不法侵なら多はアレだが)。
しかし、そうはいかなかった。
なぜなら、翔斗の言うネックレスとは、他でもなく翔斗の《トリガー》だったからだ。
「他の皆も同じだ。クラスの皆のほとんど全員に、《バミューダ》で失ったが返ってきたんだよ」
その一言は、靜かに、それでいて深く染み渡るように広がり、悪を抱かざるを得ないものだった。
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