第二日：０２【堂小夜子】

そうこうしているうちに時間は経ち、他の生徒らと通學路が重なるあたりまで二人は進んでいた。

恵梨香の腕に絡めていた腕をほどき、著させていたを離す小夜子。そして歩くペースを緩めて、恵梨香の後方に位置を変えていく。

それに対し恵梨香はいつも、「別にいいのに」という顔で首を傾げている。が、小夜子にとってはそうもいかないのだ。

小夜子は十メートルほどの距離を確保し、たまたま方角が一緒というを繕いつつ恵梨香と相対速度を合わせていた。

そんな二人のところへ、しばらくすると生徒の集団が現れる。

「長野、おはよ」

「おはよう、恵梨香さん」

「エリチン、オッス」

同學年の子たちだ。恵梨香と同じクラスの生徒もいれば、違うクラスの者もいた。

彼らは、小夜子を一瞥もしない。

「おはよう」

微笑んで挨拶を返す恵梨香。

その姿は小夜子に、病気だらけの萎れた雑草の中で一咲く、穢れなき白百合の花を連想させていた。

しい。あなたはただ、本當にしい。

他の有象無象とは違う。格が違う。別の生き。

そしてそのしさは外側だけじゃない、側も清く正しく優しく麗しいことも、自分は良く知っている。誰よりも知っている。

あなたは、今日も至高。

ねっとりと恵梨香を見つめそう考えつつ、彼は一団から距離を置き歩いていく。

數分を経て、さらに生徒が加わった。そのまた數分後には、集団は倍に膨れ上がっていく。群れの中央は勿論、あの神だ。

恵梨香は人気がある。

一言で片付けてしまえばそれで終わりだが、とにかく人気があるのだ。

同學年からも、上級生からも、下級生からも。子からも、男子からも、教師からも、だ。

績は學年トップクラス。

りだされる順位表では、いつも五番以には彼の名前があった。「うまくできなかった」と話していた時ですら、彼がテストで九十點以下を取ったところを小夜子は見たことがない。

どの教科も「良くて」平均點の小夜子とは、大違いである。

運もできる。

彼自は部活には所屬していないが、中學の時などは部員不足のバレー部から助っ人を頼まれ、何度も試合に出ていた。小夜子も全て観に行った。本職の部員に劣らぬ恵梨香の働きを、眼鏡のは鮮明に覚えている。

中學三年のマラソン大會でも陸上部エースに次いで二位をとり、育教師から「何で部活をしなかったんだ」と嘆かれていたほどだ。

ちなみに小夜子は、ビリから三番目である。

恵梨香は生徒會にも所屬している。

二年生なので長はつかないが、書記として書記長や會計長、生徒會長らの手助けをしている……と聞く。生徒會だけでなく一般生徒や教員からの評価も極めて高く、次期生徒會選挙に出れば會長として當選確実との下馬評だ。

一方小夜子はクジ引きで決まった、名ばかりの図書委員をやった事しかない。

さらに恵梨香は、モデルまでしたことがある。

母親の友達に強く頼まれて斷りきれず、一時期ティーンズファッション誌向けのモデルをしていたのだ。恵梨香は小夜子以外にそのことを言わず、勿論小夜子も誰にも言わなかったが……その號が出るやいなやクラスで話題になり、すぐ他の學年にまで名前と顔が大きく知られてしまった。

恵梨香は恥ずかしがってやがて辭めてしまったものの、小夜子は彼が載っている號を各六冊ずつ収集していた。実用と観賞用と保存用と保険用と蔵用と家寶用。表紙を飾った回は、丁寧に切り取り額縁へれてある。

いくつかの蕓能事務所からスカウトもあったが、慎ましい恵梨香は全てを斷っていた。

面もしい。

小夜子は、恵梨香が誰かの悪口を言っているのを聞いたことが無い。

電車では自然な所作で年寄りや妊婦に席を譲るし、迷子がいれば放っておけない格だ。後輩からは頼られ、先輩からは可がられる。勿論同輩からも一目置かれる人。

かつ腰はらかく、穏やか。それでいて良くないことは良くないとはっきり言う強さも持ち合わせている。

清く、正しく、しく。

それは彼のために時代を先取りして生まれたフレーズ、というのが小夜子の持論だ。

將來に夢も持っている。

歴史研究の道に進んで、詳しく知らない人でも興味を持てるような本を書きたいのだという。

どの時代をテーマにしたいのかと、以前小夜子が尋ねたことがあるが、

「十九世紀から二十世紀初頭のヨーロッパをテーマにしたいけど、他の時代も面白いものはたくさんあるので迷っちゃう」

と、恵梨香は答えていた。

正直なところ小夜子にはあまりというかまるで分からないのだが……目を輝かせて夢を語る恵梨香の橫顔がひたすらにしかったのは、記憶に焼き付いている。

ただ本格的な歴史研究の道に進むためには、かなり有名な國公立大學や大學院に進む必要があるので、まずはその學校にれるように勉強しなければ、とも語っていた。

それならばどんな大學に行きたいのか、と尋ねられて恵梨香が例を挙げたのは、超がつくような難関校。

だが彼の頭と努力なら問題無いだろう、と小夜子は心配していない。

……そして、彼氏もいる。

生徒會の會計長で吹田という先輩だ。この事実は小夜子をいつも暗澹とした気分にさせるが、「私の」恵梨香ほどの人なら彼氏くらいいても當然だ……とも思っているので、その度に自分自を言い聞かせている。

それに小夜子はどう足掻いても、恵梨香の彼氏にはなれないのだから。

恵梨香は小夜子にとって親友であり、姉妹であり、憧れであり、慕の対象であり、神であった。彼は様々なを備えていて、それにふさわしい人格もあり、希もある。まさに、未來のある人だ。

一方で小夜子には何も無かった。なくとも彼は、自分には何も無いと考えている。

勉強もダメ。運も苦手。努力もできない。やりたいことも無い。將來何かせるとも、思えない。

そして小夜子の手は、小夜子の想いは。

恵梨香へは絶対に屆かない。屆けてもいけない。絶対に。絶対に、だ。

彼は小夜子を、拒絶したりはしないだろう。

しかし拒みはしないが、けれもできない。

その事実は恵梨香を、あの優しい恵梨香を必ず悩ませるから。

彼を、苦しめるから。

（本當は、私なんかが橫にいていい子じゃない）

そう小夜子は思っている。思い込んでいる。が、離れられない。心ついた時からの馴染という立場を最大限に利用して、恵梨香の脇に留まっている。

しかしそれも、長くは続かないだろう。

小夜子の學業績では、一緒の大學へ通うのは絶対に不可能だ。

ならば恵梨香の進學先近くで就職するのか？　ツテも宛てもない遠方で？

それこそ、妄想以外の何でもない。

ということは、一緒にいられる時間は後一年半だけ。

それが小夜子に殘された猶予時間、終末までの殘り時間であった。

（その先のことなど、どうでもいい。考えたくもない）

どうせ自分は何者にもなれないし、何もできはしないだろう。

あの子とは違う。あの子は優しいから、今は自分と一緒にいてくれるだけなのだ。

それは溫であり厚意ではあるが、好意とは呼べない。

……小夜子はずっと、そう思い続けている。