第四夜：０４【スカー】

小夜子の顔からの気が引く。

必死に距離をとったのも、懸命に姿を隠したのも無駄になった。これだけの大音量である。間違いなく、【モバイルアーマー】の耳にも屆いているはずだ。そして防犯ベルは一時だけではなく今も鳴り続けている。音源を辿れば、自然とここへ導されるだろう。

（すぐに場所を変えないと！）

戻るか？　さらに隣へ行くか？　それとも裏の家へ向かうか？　小夜子の脳で選択肢が用意され、裏へ向かう決斷が下される。

（そこから道路を渡って別の並びに行けば……）

そう考えるに、

ちゅいいいいいいいん！

という耳障りな音が聞こえてきた。

（あの中腰ダッシュだ！）

急ぎ駆け出し、庭の端へ辿り著く。裏との境界になっている塀によじ登ったところで後方を一瞥すると、家の前の道路に火花を散らしながら【モバイルアーマー】がまさに到著したところであった。

向こうも小夜子の姿を発見したのだろう。顔、というべき頭部裝甲の正面がこちらを向いている。その赤い目が、まるで敵意を伝えるかのように一段と強く輝く。

小夜子のが塀の上を乗り越える。

【モバイルアーマー】が向きを変えた。

セーラー服のスカートを翻しつつ、砂利の上に飛び降りる。

巨は猛然と突進。蹴られた路面は割れ、踏みしめられた庭の土が抉られた。

靴で足下の小石を鳴らしながら、が走る。

裝甲が塀に接した。壁面がいとも簡単に砕け、余波をけた周囲の部分も倒壊する。角ばった太い足が、砂利の上へと踏み込んだ。

細い腳を懸命にかして駆ける。

その背中のリュック目掛けてびる黒い腕。摑もうとするが、失敗した。目標を外した指が、彼の肩に軽くれる。

小夜子は指一本の力だけで姿勢を崩し、前のめりになって転倒した。

ざざざざ、どん！

砂利に叩きつけられるよう倒れた小夜子の上に、【モバイルアーマー】が四つん這いになって覆いかぶさる。

「やっと捕まえたぞ、ブスめ」

◆

右肩が押さえつけられる。強い力で砂利と裝甲に挾まれと骨が軋み、は苦悶の聲を上げた。

【モバイルアーマー】の頭部裝甲が、彼の眼前にずいっ、と迫る。赤い目のような部分が、小夜子の目と視線をえた。

コー、ホー。

のをくすぐる吐息。黒い顔の下部についた、二つの丸い部品からである。

ビルの外壁などによく取り付けられている半球型の換気口に似たその部分から、呼吸音がれている。その度に、生暖かい空気が小夜子の顔へ吹きかかっているのだ。

「手間取らせやがって」

パイプ越しに喋るかのようなくぐもった聲を彼がしていたのは、外部スピーカーではなくこの呼吸孔越しに話していたからなのだろう。

「時間が無いから、手早く済ませる」

上を起こし、【モバイルアーマー】が左半をよじって腕を振りかぶる。目標は明らかに小夜子の顔面。勿論、その頭部を潰すためである。

出しようともがくが、の腕力程度で【モバイルアーマー】の拘束は外れない。力の差がありすぎる。

だが鉄拳が振り下ろされんとするまさにその瞬間。【モバイルアーマー】の裝甲が「ぶるん」という音をたててその姿を変えたのだ。

直線的なフォルムは崩れ、まるでゼリーのようなぶよぶよとした黒いと化し、【モバイルアーマー】本からボトボトと地面へと剝がれ落ちていく。それは砂利の上にも小夜子へも降り注いだが、すぐに霧散して消えてしまった。

小夜子と【モバイルアーマー】の間に沈黙が流れる。

は唖然とした顔で。年は揺した顔で。

五秒ほどの時間、固まっていたのだ。

「ええい畜生！」

思い出したように【モバイルアーマー】が、振り上げた拳で小夜子の橫っ面を毆りつける。

拳が頬へめり込んでメガネは飛び、の目に痛みで涙が浮かぶ。

だがそれだけだ。普通の拳骨。ただの素人パンチ。痛みはするが、それでお終いだ。

（能力が解けた！？）

小夜子の目に蘇る。を捻ると、今度は簡単に拘束が外れた。さらに回転を加え、セーラー服のは橫へ出する。その弾みで無様に勢を崩す、【モバイルアーマー】。

そこで小夜子は立ち上がり、手近にあった空の植木鉢を摑むと……彼の頭目掛け、叩きつけたのである。

ごつっ。

という音と共に植木鉢が【モバイルアーマー】の額に命中し、

がしゃん！

という音を立てて陶が割れる。

「おぐあぁ！？」

【モバイルアーマー】が悲鳴を上げた。痛みへの反だろう、自の額を掌で覆っている。小夜子は続いて次の植木鉢を持ち上げ、再度彼の頭部目掛けて毆りつけた。

「ええいっ！」

先と似た音をたて鉢が命中したが、反と勢いですっぽ抜け転がっていく。今度も手応えが淺い。小夜子の攻撃は狙いを逸れ、彼の頭ではなく額を防した手首へ當たっていたのだ。

「ああああっ！」

再び年がぶ。左手で頭部を庇いつつ、右手で打たれた左腕を握るという奇妙な姿勢をとりながら、ぐりん、とを捩った。

（もっと重い一撃を！）

瞬時に判斷した小夜子は、今度は中の詰まった植木鉢を両手で持ち上げる。そして悶えたままのモバイルアーマー目掛け、全力で振り下ろす！

……だが外れた。

を捩りつつ立ち上がった【モバイルアーマー】への攻撃は外れ、砂利の地面へ叩きつけられる植木鉢。がしゃん、という音を立て容は割れ土が散し、植えられていたマーガレットがごろごろと転がっていった。

攻撃を躱して立ち上がることに功した【モバイルアーマー】は、額を抱えたまま道路へ向けて走り出していく。

「待てこのデブ！」

形勢は先程までと、完全に逆転していた。そのことを察した小夜子は植木鉢の脇に置いてあったレンガを拾い、後を追いかける。

（このチャンスは逃せない！）

跳ねるように道路に出た【モバイルアーマー】は、回れ左をして駆け出していく。小夜子もすぐに道路に出て、彼の背中を追うのだった。

「は、速い」

【モバイルアーマー】は小太りのを揺らし、ブレザー上著の裾を翻しながら、みるみる小夜子より距離を離していく。

（ちょっと何よあのデブ！　滅茶苦茶足が速いじゃないの！）

小夜子はもともと、運神経が良い人種ではない。だから彼から比べれば大抵の高校生は、足が速いと判定されるだろう。

だがそれを考慮しても、【モバイルアーマー】のきは機敏であった。やや脂肪過多ので全力疾走する彼は並んだ家々の端まで辿り著き、角を曲がって姿を消す。

十秒近く遅れて小夜子が角に到著した時には、年の姿はもう視界のどこにもなかった。

「はぁ……はぁ……クソがよ」

息を切らして、彼の消えた方向を睨む。もう、この先のどこの角で再び曲がったのかも分からない。完全に小夜子は敵を見失ったのだ。そして、絶好の好機を逃したのである。

彼を、殺すための。

「素早いデブだなんて、聞いてないわよ」

苦々しげに呟く小夜子の顎から、汗がぽたりとアスファルトに落ちていた。