《あなたの未來を許さない》第七夜:05【スカー】
第七夜:05【スカー】
畜生。
畜生が。
畜生めッ!
鮮を撒き散らしながら、小夜子は駆け続けていた。
右手は親指に人差し指と、中指の本、そして手のひら三分の一ほどを失い、骨が出している。ピンクの部分はなのか腱なのか、彼には分からない。中指は皮一枚だけ殘して手に繋がっており、足を踏みしめる度に、ぷらぷらと揺れていた。
耐え難い痛みが小夜子を襲い続け、止めどなく涙を溢れさせていく。
(迂闊だった、油斷した!)
再び脳裏によぎる、キョウカの言葉。
『注意すべきは、不正に選した強力な能力だけじゃない。連中は、視聴者にバレない範囲で能力以外にも改竄を加えている可能がある』
まさにその通りであった。
小夜子は【ハートブレイク】が相手の方角を探知するチートを使っているところまでは推察できており、そしてその予想は能を含め的中していた。
だがミリッツァがヴァイオレットのために仕込んだもう一つの不正、最強の能力者を作りあげるための改竄……そこまでは、小夜子には見通せなかったのである。
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(あのは、あいつの能力は、自で、勝手に! 迎撃できるんだ!)
「【能力容確認】」
荒く呟く彼の前へ文字列が浮かび、並走していく。
能力名【ハートブレイク】
・固形を分解する障壁を、任意で発生させる。
・分解した対象の運エネルギーを奪う。
今までと同じ表記だ。どこにも「自で反応する」という文言は、追加されていない。
(罠なんだ、これは)
そう、罠である。そしてこの不正に追加された機能こそが、【ハートブレイク】を最強の能力者たらしめる所以であった。
先程の戦……【ハートブレイク】本人は、小夜子がバールを落とすまで攻撃されたことすら気付いていなかった。その後は、事態を飲み込めず狼狽していたほどである。だがそれなのに、彼の能力は完璧に攻撃を防いでいた。
おそらくは使用者の意思、意図に関係なく【ハートブレイク】は作し、攻撃を防ぐ仕組みになっているのだろう。
小さなスパナを投げつけた時もそうだ。バールの攻撃と同様、【ハートブレイク】にれることなくスパナは塵となった。だがその下、円周狀に蠢いた、彼の足下のコンクリート。
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(あれが【ハートブレイク】の自防だったのよ!)
者から半徑一メートルにも満たぬ範囲だろうか。その程度の空間に、本人を包むようにすっぽりと障壁を発生させていたのだ。それは任意の箇所に障壁を発生させた時とは違い、瞬間的に全周を防する隠し機能。
あの時彼の足下が蠢いたように見えたのは、障壁がコンクリやアスファルトの表面を薄く分解し、狀にしていたからなのだろう。その過程が、「ぞわり」と蠢き目に映ったに違いない。
苦痛に悶えながら、そう分析する小夜子。
(……無敵要塞)
不意に浮かぶ、そんなフレーズ。しかしそれは、【ハートブレイク】の戦力を一言で象徴していた。
「はあ、はあ」
息が切れる。先程から走り続けては小休止、また走り、の繰り返しを強いられているのだ。加えての、重傷。非力なには、あまりに厳し過ぎる展開だろう。
糸が切れるように、道端の電柱へ背を預ける小夜子。最早【ハートブレイク】相手に、どこかに隠れるという行為自が無意味であった。
(もし)
涙と鼻水と涎を垂れ流しつつ、かつて右手であった部位を見る。
彼は左手でマフラーを外すと、口と手を使って右手を縛り、でき得る限り引き絞って簡易の止帯とした。タイツをいで縛ったほうがいいかとも迷ったが、そんな暇はないので妥協する。
そもそも小夜子に醫の心得などない。処置とも言えぬこの行為では気休め程度にしかならないが、今必要なのは、まさに気休めなのだ。
(駄目よ小夜子。もし私がここで負けて、【ハートブレイク】とえりちゃんの【ガンスターヒロインズ】がぶつかることになったら、どうするの)
先程までは恵梨香が勝つだろうと思っていた。いや、錯覚していた。だが、今は違う。
(えりちゃんでは。【ガンスターヒロインズ】では。絶対に、絶対に勝てない)
あの無敵要塞の自防。あれを実弾の撃では、決して抜くことはできないのだ。
そして追加條項に記される、「分解した対象の運エネルギーを奪う」という一文。それはおそらく【ガンスターヒロインズ】のような遠距離攻撃系の能力に対し、決定的な意味を持つに違いない。
いくら銃弾を浴びせようとも、どんなに高速の弾丸を撃ち込もうとも、分解が始まった時點で運エネルギーは奪われ、落下してしまう。人に高速で金屬が浴びせられた場合、どうなるのかまで小夜子には分からないが……それすらも期待できないのだ。
(倒せない。足止めにもならない)
相の悪さどころの話ではない。【モバイルアーマー】の時と考えてすら、比べにならない脅威である。
「だめ」
絶対に、だめ。
アイツを生かしておいては、だめ。
えりちゃんと、會わせては、だめ!
あれは殺さなくちゃ、だめ!!
……痛みで朦朧としかけていた小夜子の目に、力が蘇ったその直後だ。
「かふっ」
小夜子はだらりと皮一枚で垂れ下がる右手中指に喰らいつくと、顎を振り噛み千切ったのである。そして口中で自分の骨ととの味を堪能し、噛み締め。
「不味い」
ぺっ、と吐き捨てた。唾をもう一度飛ばした時には、彼の顔は完全に戦意を取り戻している。
小夜子は。
堂小夜子は。
狂気に敢えて半歩踏み込むことで、己の神を繋ぎ止めたのである。
「やるわ、やってやるわ」
そうよ。殺してやるわ。
あのを、始末してやる。
ここで倒せなくて、私に何の意味があるの。
えりちゃんを助けられなくて、私の生に何の価値があるというの。
大丈夫。やれるわ。いや、やるわ。
……小夜子の心を赤く、黒く、粘りを持った何かが塗り潰していく。それは多量の脳麻薬を分泌させて痛覚を軽減し、疲労を糊塗していった。
「覚悟は全てを凌駕するのよ」
堂小夜子はこの短時間で、たったこれだけの時間で……再び戦闘可能な狀態へと、復帰したのだった。
(どうやってあの防を抜くか)
一番現実的なのは、燃料と火だ。だが用意をしている余裕は無かった。
居場所は既に捕捉されており、障害にも意味は無い。火攻めの道を家探しする時間など、與えられないだろう。何より、時間が掛かればはもたない。
ならば、どうやってあの要塞を崩すのか。
(考えろ、考えろ)
道路脇に駐められた、どこかの社用バンが目にる。あの車からガソリンを取れないか? とも一瞬考える小夜子であるが。
(いやダメね。最近の車は盜難防止のため、給油口からガソリンを抜き取りにくい構造になっていると何処かで聞いたわ。道もないし、それは難しいわね)
火炎瓶の作り方を調べていた時に知った報を思い出し、頭を橫に振る。
「車かぁ……せめてぶつけられないかしら……いやだめね……車……車……ん?」
弾けるような覚。記憶の斷片が繋げる、剎那の閃き。
「そうよ」
あった。あったのだ。
あの無敵要塞の防を抜けるのは、火の熱だけではない。
(アイツになら)
あの無敵要塞相手にしか使えない、むしろあの無敵要塞だからこそ発しうる、強力な一撃があったのだ。しかも今の小夜子の狀態で、満創痍で、この戦場ですぐにでも使える一手が。
ぞくりぞくりと、全の産が逆立つ。先程含んだ指のせいで、口の端からの混じった涎を垂らしつつ……を釣り上げ、目を細める。
「大丈夫よえりちゃん。アイツは、私がちゃんと殺しておくからね」
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