ミスリルについての神話や伝説は多い。

そこでは神々によってもたらされ、不思議な力を持つ武として鍛えられ、それを扱うに足る英雄に與えられるのが常だ。

ミスリルによって出來た武は強力な力を持ち、印象的な力を発揮する。

何者も寄せ付けなかった鎧を著た巨人を打ち砕いた斧。

あらゆるを焼き盡くすと言われた竜の炎を退ける盾。

地平線の彼方までひしめく魔の軍団を打ち払った剣。

悪神によって汚された大地を一瞬で浄化してみせた杖。

神話の時代から、ミスリルという金屬は、即ち強力な武の代名詞なのである。

「あれが……ミスリル……ほんとに？」

魔導の中心で浮かぶ白い金屬は、伝説に謳われるほどの力はじない。

周囲の魔導は確かに凄いものだが、これがミスリルです、と言われて納得する何かがステルには伝わってこなかった。

ステルの様子を見て、眼鏡の職員が口を開いた。

「殘念ながら本ではありません。神代の跡にあった魔法陣やドワーフ族の伝承などから、できる限り近いを再現できるようになったんです」

「言うなれば、人工ミスリルといったところですな。現存するミスリル製品は何らかの魔法がかけられていることもあって、純粋に能を比較できないのですが、かなり良いところまできていると自負しています」

所長が自信ありげにそう説明に繋げた。

「実際、既存の金屬とは比べものにならないほど軽く、強靱で、しなやかなんですよ。こちらにどうぞ……」

そう言って、ステル達は別室に案された。

ミスリル製造の隣にあったのは広い部屋だった。

のない空間だ。

部屋の端には剣、槍、斧、その他工作用の魔導が保管されている。

何より特徴的なのは、中央に柱のような魔導が置かれていることだった。

そこには白い金屬、人工ミスリルのインゴットが固定されていた。

「まあ、あれも人工ミスリルですの？」

「はい。強度実験用です。あの、護衛の方にお願いがあるのですが」

そう言って、眼鏡の職員がステルとアマンダを見た。

「あのミスリルを斬ってください」

「はい？」

唐突な言葉に、ステルが疑問を浮かべる。

「いいのですか？　大変貴重なものなのでは？」

アマンダがそう聞くと職員が頷く。

「大丈夫です。そういう実験のためのものですから。武はご自分のものでも、そこの魔導でもお好きに」

そう言って、武の置かれた棚を指さされた。所長は何も言わない。どうやら、本當に言葉通りの場所らしい。

「せっかくです、ステルさんにやってもらいましょう」

ヘレナ王の一言で、ミスリルへの挑戦者が決まった。

「ぼ、僕でいいんですか？　アマンダさんは？」

「申し訳ありません。できればステルさんにお願いしたく」

「じゃ、ステル君、頑張ってね」

何やら斷れない雰囲気だ。自分なんかがやっていいのだろうか。

「あの、強度実験用ですから。むしろ、壊せるなら壊してしいくらいです」

逡巡しているステルを見た眼鏡の職員が言う。気弱な口調とは裏腹に自信のありそうな言い方だ。

ならば、やってみよう。

「じゃあ、僕が挑戦しますね……」

木剣を腰から引き抜き、前に出る。

そこにウィルマン所長が口を挾んだ。

「流石にその木剣では無茶ではないですかな？　武はそこにありますよ」

もっともな言い分だ。普通に考えて木で金屬は斬れない。

「えっと……」

ステルが何か話す前に、あたりを見回したリリカが、武の調整にでも使ったらしい金屬の棒を見つけて手に取った。

「ステル君。これ斬って」

そう言って、金屬片をステル目掛けて放り投げる。

反的に、ステルの手がいた。

「よっと！」

堅い金屬音が數回響いた。

直後、木剣によって鉄材が四つに切斷されて、床に落ちた。

「………………」

「この通り、ただの木剣じゃないんですよ」

何故か自慢気に、リリカがを張ってウィルマン所長に言う。

「……な、なるほど。流石は王の護衛を任せる冒険者ですな。服にがあるのでしょうか？」

「そ、そんなところです」

驚きと、研究者としての好奇心を覗かせたウィルマン所長の言葉を適當に流すステル。

とにかく、木剣でミスリルに挑戦するのは納得して貰えたようだった。

「では、いきます……」

ミスリルの前に立ち、木剣を構える。

ミスリルのインゴットは、魔導によって固定されている。何らかの魔法も発しているのだろう。近くで見るとうっすらっていた。

し気合いをれてみよう。

人工とはいえ、相手はミスリルだ。

いつもよりも魔力を多めに流し、木剣を振り上げる。

「はああっ！」

魔力を纏った斬撃が、ミスリルにれた瞬間、白い火花が散った。

「おおっ！」

まばゆいと同時、後ろから歓聲が上がった。

「…………凄い」

木剣はミスリルにれたところで止まっていた。

手応えはあった。しかし、不思議なだった。

金屬なのにらかいを切りつけているような、何ともいえない覚だ。

木剣に伝わってくる反も殆どなく、不気味なくらい簡単にステルの一撃をミスリルはけ止めてしまった。

「傷一つ無い……」

見れば、木剣のれた場所は無傷だった。鉄ならば易々と両斷するステルの剣でだ。

「実は、その魔導はミスリルを固定するだけなく、防として強化する機能もあるのです。ミスリルは魔法と親和が高く、利用法の研究しがいがある素材なのですよ」

「々なことに応用できるということですか」

「それは素晴らしいことですね」

ステルの結果を見て、王達がそんな會話をしているのが聞こえてきた。

「あの、もうし挑戦してもいいですか？」

「勿論です」

それからステルは何度かミスリルに挑戦したが、

「だ、駄目だ。傷一つつかない……」

木剣では何ら果が上がらなかった。なんだか敗北をじる出來事である。

「ステル君。これ使ってみる？　良い魔導だと思うわ」

そう言って、リリカから魔導の剣を渡された。

手に持ち、起させると刃がうっすら輝いた。そこにステルの魔力を流すと、木剣とは比較にならない破壊力が宿ったことがじられる。

「これなら……」

軽く息を吸い。魔力を多めに全に取り込む。武だけ無く筋力まで強化した一撃をいれるために。

「はあああっ！」

気合いと共に上段からの一撃。

「きゃっ」

室に目も眩む閃が生まれ、數名が悲鳴を上げた。

ステルの手にはこれまでに無い手応えが生まれていた。

剣は止まってしまったが、金屬にれた堅いがあった。

これはいけたかもしれない。

期待と共に、ミスリルにれた剣をどける。

「………………」

「ステル君。どうだった？」

黙り込むステルを見て、リリカが近寄ってきた。

「えっと、これ、傷っていっていいんでしょうか？」

「どれどれ…………微妙ね」

そこには、うっすらと、一本の短く細い線が刻まれていた。ペンで書いたような申し訳程度のものだ。

ステル達の様子を見ていた職員達が慌てて寄ってくる。

「凄い、傷ついてます。人間の振るう武だと不可能と言われていたのに」

「おお、本當だ……。魔導は正常か？　データは取っているな？」

所長も含めてちょっと興している。どうやら傷と認められたらしい。

職員に指示を出し終えたウィルマン所長がギラギラした目でステルを見て言った。

「君、今度うちでし働いてみないかね？」

橫で眼鏡の職員が高速で頷いている。本気だ。

「そ、それはまたの相談でお願いします……」

ちょっとむきになったのはまずかったかな？

そう思いつつ、ステルはミスリルに目をやった。

ついた傷は申し訳程度。勝ちか負けかでいうと、負けだろう。

「リリカさん、もっと強い魔導、なかったですか？」

「無かったわよ。……というか、意外と負けず嫌いなのね」

橫のリリカにそう問いかけると、呆れ顔で返された。

この人工ミスリルの見學をもって、神研究所の見學は終了となった。

○○○

「今日は本當にありがとうございました」

「いえ、ヘレナ王をお迎えできて、栄でした。リリカ君を始め、將來有な若者もご一緒でしたし」

施設の出り口で別れの挨拶をしながら、ウィルマン所長がステルを見ながらそう言った。

明らかにステルに興味を持った様子に、ヘレナ王がくすりと笑う。

「所長様が研究熱心な方で良かったです。今後とも、ご活躍をお祈り致します」

「ヘレナ王こそ、ご壯健で……」

和やかな別れの挨拶と共に、第三王一行は馬車で撤収した。

「これで日程を無事に終えることが出來ましたね」

馬車の中で、リリカがそう言うとヘレナが靜かに頷いた。

「はい。二日間、ありがとうございました。しっかりした二人のおかげで、楽しい公務になりましたわ」

「々と、世話になりました」

そう言って、ヘレナと王は頭を下げた。

思わぬ行に、ステル達は慌てるばかりだ。

「い、いえ、僕なんか貴重な経験をさせて頂いて……」

「わたしも、このような仕事を任せられて、栄です」

それぞれの言葉と共に頭を下げて返す。

「実を言うと、公務が終わった後、私はアコーラ市で休暇にるのです。どこで、とはお伝えできないのが殘念ですけれども」

「どこで休むのかもなんですね」

「念のためという名目で、昔からの慣習が維持されているのです。しかし、ゆっくり休めるのも事実ですので」

「お仕事、大変ですからね」

そんなリリカの言葉に、ステルは頷く。

たった二日だが、王族の公務の大変さがしわかった気がする。

常に人目に曬される。気の休まることの無い仕事だ。

「機會があれば、お二人にお會いすることもあるでしょう。あ、それとステルさん」

「なんでしょう？」

「面白い冒険をしましたら、是非とも私にご一報を。いえ、報がってきたら、こちらから連絡を取っても構いませんか？」

「か、構いませんけれど。恐れ多い……」

「お気になさらず。ああ、嬉しいわ。きっと素敵なお話を聞くことが出來ます。うへへ……」

怪しげな様子になった王を見て、橫でアマンダがため息をついた。

「リリカ様、今後のご活躍を楽しみにしております。できれば機會を見て、手紙を出しても良いでしょうか？」

「え、いいですけれど」

「ありがとうございます！　騎士の譽れであります！」

凜々しく答えるアマンダ。まさに護衛騎士だ。口元が緩んでいたが。

その後、何事も無く馬車はホテルに到著し、王達との別れの時間が來た。

「それでは、お二人とも、世話になりました。世が世ならば、宮廷魔法使いと親衛騎士団に推挙したいくらいの仕事ぶりでしたわ」

「姫様の仰る通りです。ありがとうございました」

改めて、二人に禮を言われ、再び恐するステル達。

「そういって貰えると、僕も嬉しいです。に余る栄……でいいんでしょうか？」

慣れない言葉を使おうとしたステルを見て、ヘレナとアマンダは満面の笑みを浮かべて頷いた。

「それでは、ヘレナ王、アマンダ様。王家の無事と末永い発展を……」

リリカはそんな言葉と共に、品良く一禮。

「古い言い回しをご存じですのね。確か、民草には平和と安寧を……だったかしら」

「流石はリリカ様」

何か歴史のある言い回しだったらしい。アマンダが特に喜んでいた。

これが、王の護衛任務は終わりを告げる挨拶となった。

仕事を終えた開放と共に、二人は談笑しながら乗合馬車まで歩いて行く。

「ステル君、良かったわね」

「？」

「王族の護衛だって、張してたでしょ。無事に終わったじゃない」

そういえばそうだった。最初はラウリに苦の一つも言いたくなったが。終わってみれば、杞憂だった。

「そうだね。いい経験だったよ」

「わたしも、面白かった。それにしてもあれよね、ミスリル。あれ、ステル君の武の素材にしいんだけれど、くれないかしら？」

「そ、それは無理なんじゃなないかな」

とても貴重なものだ。分けてくれないだろう。

というか、まさかそんなことを考えているとは思いもよらなかった。

「それじゃあ、帰りましょうか。ちゃんと送ってくださるのよね、護衛の冒険者さん？」

リリカが悪戯っぽく微笑みながら言った。

「勿論ですよ。お嬢さん」

ステルも冗談めかしてそう答えるのだった。