《僕と狼姉様の十五夜幻想語 ー溫泉旅館から始まるし破廉恥な非日常ー》第6節—居候初夜、同衾の果て—

またの、と。彼は、踵を返して、その場から離れる。傷に浸る……、とでも言うのだろうか。神であり狼であった彼にとって、今まで早々じることのなかった、珍しいであることには違いない。

ただの呑み仲間の忘れ形見。されど、まぁ、その人間との時間は、無下にしていいほどどうでもいいものではなかったのだと、最後に、皮めいた嘆息を殘し。

「おかえり、銀

「くふふ、ただいま。ああ、いかんな。不意にその名で呼ばれると、心の臓が跳ねるの。慣れるまでこんな気分を味わうのもよいものじゃが、ぬしのそのニヤけっ面は癪にるのう?」

「あはは、ごめんごめん!」

うちに帰ってきた銀は、気恥ずかしさで頰をすこし赤くさせている。むっとしながら、僕の頰をぐいっとつねってきた。

だって、僕が名前を呼ぶと、お耳と尾の挙がおかしくなるんだもの! 揺してるのがすぐわかって、面白いんだ。きっと、こういった名前で呼ばれるのに慣れてないから、気恥ずかしいんだろうな。

そりゃあ神様だもん。こんな軽々しく、名前を呼ばれることなんてまずなかっただろうし……って、あれ、じゃあ僕、結構えらいこっちゃなことしてるんだろうか。

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「ああ、そうそう、銀のお部屋なんだけどね」

「儂の? なんじゃ、ぬしと同じ部屋ではないのか?」

「え、うん。一応部屋は空いてるからね。もう、旅館で使ってる敷き布団やら、最低限の家やらは揃えてれてあるよ」

そう、この家結構大きいから部屋は空いてるんだ。ちょうど僕の部屋の隣にはしてもらってるんだけどね。これで伊代姉と、銀の部屋に挾まれちゃうことになるけど。

「……」

「え、何か不満だったり、する?」

「それはこっちの臺詞じゃ」

は、そこで不機嫌そうに目を細める。そして、そのまま、ずいっと僕に詰め寄ってくる。艶かしさのない、不屆き者を問い詰めようとするそれだ。

「これから共にあろうとする者と、寢所すら共にできんとはどういうわけじゃ?」

「いや、寢所だからダメなんじゃ……」

「ぬしの倫理観などどうでもよい。よいか、寢食を共にするということはそういうことじゃ。それとも何か? 儂が共に寢るといかん理由でもあるのかのう……?」

なぜ言葉の最後で急に口調が艶めかしくなるんだと。絶対わかってる、わかってて言ってるよこの神様!

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「じゃあ銀、寢る時その著で寢るの?」

「馬鹿を言うでないわ。ぐに決まっとるじゃろ」

いだ後何か著るの?」

いで何故なにゆえまた著る必要があるのじゃ? くふふ、面白い事を言うのう」

「面白い……だと……」

やっぱり、銀ってば寢る時、全じゃないとだめなタイプだ! 狼だってことを考えてみると、まぁ理解できないでもないけどさ。

じゃと何か問題があるかのー? 溫泉で散々見たじゃろうに」

「後ろ……」

「ん?」

小首を傾げて、ぴこぴこと頭の狼耳を細かくかしながら、銀は、どよんと顔に影を作る僕の言うことに従って振り向いた、ら。

「銀さん? 柊家のルールについて、すこしお話ししましょうかぁ……」

青筋立てた母さんが、おいでおいでと銀を呼んでいた。うおお、周りの溫度が一気に下がったみたいだ。

「くぅ、説教なら聞かぬぞ。そもそも男ならば、を知らねば一端いっぱしとは言えんじゃろ。それに寢所を共にするくらいで、いちいち口を挾まれては」

「銀さん?」

「うむ?」

「優しく言っているうちにおいでなさい?」

「う、うむ」

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神様だけど、居候する以上は家主に逆らえないみたい。って、いうか別に神様だからって、ヒエラルキーが絶対的に上だってわけじゃないんだって。

が母さんについて行って、くどくどと、なにやらお叱りをけてる。柊家に住む以上は最低限、これだけは守ってもらいますなんていう、僕も知らないようなルールを、教え込まれているうちに。

「ふぅ、ようやく片付け終わったわ」

「あ、伊代姉お疲れ様」

夕食後の片付けを終えた伊代姉は、リビングに座っていた僕の隣に、ストンと腰を下ろして落ち著いた。

「それにしても、まだ突然眠る癖、治ってなかったのね?」

「ううん、東京にいるときは出なかったんだよ? なんだろ、地元に帰ってきた安心からかな」

「ふーん、まあ、私が近くにいればお世話してあげるけど。私も部活やってるし、いつでもっていうのは難しいかしらね」

うん、突然眠ってしまう癖。質。小さな頃から、この質のせいで眠ってしまって、伊代姉に迷かけてきたんだ。

いくらか我慢することはできるんだよ? でも、どうしても気持ちよさに負けて、眠ってしまうんだよね。

學校だったりとか、外出してる時だったりとか、しかもほんの一時間前後。

自分でもなんなんだろうって思ってたんだ。昔から。東京に行っていたときは、そんなことはもう起こらなかったんだけどな。それもあって正直、油斷してたときに今回の溫泉。

でもまあ、眠ったおかげで銀と會えたんだよね……連れ去られそうになったけど、連れ去られそうになったけど!!

「ちょっとは長したみたいだけど、これじゃまだお姉ちゃん離れは先ね」

「へへ、早くお姉ちゃん離れできるようーー」「させないわよ? あんたはずっとぴったり私にくっついとけばいいの。私もそれが嬉しいんだから」

「させてくれないの!!?」

こんな調子でわかる通り、伊代姉はその……自他共に認める、ブラザーコンプレックスを抱えてるわけなんだよ。

昔はイタズラされたり、よくおもちゃにされてたんだけど。もう、この歳になったらそういうことも落ち著いてるみたい。

っていうか彼氏の一人や二人、三人くらい居てもいいんじゃないかって様子なんだけど。

「必要ないもの」

の、一點張り。まあいいんだけどね。伊代姉がそれでいいなら。部活も忙しいだろうし。

伊代姉は、昔から自分にとって必要なのかそうでないか、白黒をきっぱり、はっきりさせる。そんな人だから、そういう男関係にも、もっと広くいうなら人間関係にも、きっぱりと白黒つけるんだろう。

でも人のって、そんな簡単に切り捨てられるものなんだろうか。

他人にどこか冷たいというか、線引きがはっきりとしているというのが、僕のお姉ちゃん。

「ほんと、よくお喋りできるようになったわね」

「そりゃまあ……うん」

「ねぇね、って言ってくれてた頃が懐かしいわ」

「う……」

ねぇね云々はさておき、僕、小學生の頃はほとんど話したりしてこなかったんだ。の子にしか聞こえないって言われてから、そうやってかわれる僕の聲が嫌いで。

必要最低限のことしか話さずに、あとは、振り手振りだかで済ましていたような気さえする。

「今も変わらずいい子でよかった。本當のところ、あんたが東京に行って、変わっちゃってるんじゃないかって怖かったのよ」

「変わる?」

「私の友達に、高校ってから弟と一切話さなくなったとか、自然に仲が悪くなったとかいう話を聞いたりしてたから。私とあんたもそうなるのかなって」

一緒に住んでても、そうやって姉弟の仲って変わっていくもの。離れて、しかも三年も會ってないと、そういうことを心配するのもわかる気がするな。

「もうこんな時間ね。早くお風呂って寢ないと。私、明日部活なのよ」

「春休み中もあるんだ、弓道部」

「當たり前でしょ。休みだったら、あんたとお出かけしたかったけれど。疲れてるでしょうし、早く寢ないとダメよ?」

伊代姉にふわりと抱き寄せられて、頭をでられる。とても大きくなった、らかく弾力のあるに頬を埋められて、いい匂いがする。

母さんと似た、心穏やかになる香り。

「神様なんていなくても、私が守ってあげるのに……」

沈んだ聲で、呟くようにそう言った伊代姉。僕は、何も言うことができなかった。

確かに、小さな頃から僕は、伊代姉に守ってもらってばかりだった。

でも、だからっていつまでもそうやって、守ってもらうばかりじゃいけないんだ。そんなことを考えて、東京で頑張って伊代姉に、僕はもう、大丈夫だよなんて、言おうと思ってた。銀が付いてくれることになって、そうも言うことができなくなったから。

僕はこれからも、守ってもらうばかりなのだろうか。

そして、しばらくそうしてハグされた後。伊代姉は名殘惜しそうにしながら、家のお風呂場へ。実はこの家のお風呂、旅館の源泉からお湯を引っ張ってきてるんだ。だから、一般家庭にあるような浴槽でも溫泉がれちゃうんだよね。って、まあそんな細かいことは置いておいて。

「千鶴はおっかないのう。儂を怯ませる人なぞ、そうそう居るものではないが」

「あ、ああおかえり銀。えと、母さんはあんまり怒らせないほうがいいよ……」

ぱっと見、おしとやかでおっとりした風の母さん。でもあの人、ああ見えて昔この辺では有名な、レディースの頭張ってたくらいの人だからなぁ。

怒らせると地が出るのだ。母さんの細い目が見開かれたら、僕、その場でけなくなるね。

「みたいじゃの。儂も流石に家主に逆らうことはせんつもりじゃ」

逆らうことって……銀は一、どれだけの事に逆らったりしてきたんだろうか。

大人しく言うこと聞いて、従う柄でもないような気はするな。昔はどんなじだったんだろう。

と、銀が何かに気づいたようで、僕の顔を覗き込んできた……ような気がする。 というのも、なんだかぼんやりしてきて周りの狀況が上手く把握できなくなってきてるんだ……。

「む、千草、おねむかの?」

予想外の眠りだったとはいえ、溫泉でし寢たのにもう眠いや。今日は引越しに伴う長旅とか、銀のこととかで疲れたからなぁ……。

ご飯も食べたし、時間も時間だしもう寢なきゃ。自分の部屋に……行かないと。

「くふふ、仕方ない子じゃの。ほれ」

うとうととしていると、腰になにからかいものが軽く巻きついた。それに引っ張られるようにして、僕は橫倒しになっちゃった。

頭はふにふにと、らかく暖かい、いい香りのするところに置かれてしまった。

尾で引っ張られた僕は、銀のお膝の上に、頭を乗せてもらえたみたい。

いわゆる膝枕というやつだ。僕は、その心地いい場所から離れようとはしなかった。眠たさからか、遠慮がなくなって、もぞもぞと頭の置き場所、そう、ベストポジションを探る。銀しくすぐったそうにしているのにも構わず、丁度良い場所で収まって、目を閉じてしまった。

「おお、寢てしまいおった。早いのう。赤子のようじゃな、これでは」

……膝の上で寢息を立て始めた彼。そのふわりとらかな髪を、流れに沿ってゆっくりとでながら、口にする言葉。

「このままこやつの部屋に移してやってもよいが、まあ、せっかくこうして儂の膝で寢てくれたのじゃから、もうしこのままでもよいかの」

などと言いながら、後方でいる千草の母、千鶴に同意を求めるような形で視線を流す。

千鶴は肩をすくめて苦笑いし、それを見た銀はニンマリと笑みを浮かべ。

「かか、ではもうし、このらしい寢顔を堪能させてもらうとするかの」

心地よさげに眠る千草の寢顔を眺めつつ、彼は思う。これから見守ってゆく彼と、どう接していこうかと。

姉弟のように、それとも親子のように、それともあえて神と人間として一線を引きつつか。

いかんせん、人間を一方的に隷屬させることはしてきたが、こうして共生することは初めてである。

神である彼々と思うところがあるのか、しばかりアンニュイな心持ちをじないわけでもない。

それは、そんな様子を後ろで見ていた千鶴も察していた。

まぁ、まさか、いくららしくて好みの人間とはいえ、だ。それほどれ込むこともないだろう、なんてことすら考える。

いくら己の中の重要度が高いとはいえ、所詮口約束だ。嫌になれば封印の解けたこの、自分がいるべきところで、今度は自由にしていればいい。

尾をゆっくりと床に這わせ振りながら、そんなことを思っていた。

しかし……。

「ううん……しっぽ……」

膝の上でもそりとき、確かに寢ているはずである、千草の口からそんな言葉が聞こえ、思わず笑ってしまう。寢言に出てしまうほど、この尾をりたいのかと。

「くふふ、仕方ないのう」

らせることはまだためらいがある。が、床に這わせていた尾を、千草の寢顔にふわりと乗せる。

らかなそのしっぽに頬を刺激され、くすぐったそうにする千草の反応を見て、また彼は笑うのだった。

それから、彼は膝の上に頭を置く千草を抱き上げた。揺らさないよう、ゆっくりと部屋に運び、ベッドに寢かせてやる。

さあ、あとは自分に用意された部屋に行き、一眠りするだけだが……。

じっとある一點を見つめる。千草を寢かせたベッド、人一人寢かせたところで埋まってしまうほど狹い場所ではない。

千草の橫に空いたスペースになら、自分がっても問題なく眠れるのではないか。

いやいや、待て待てと思いとどまる。會ったばかりの男が同衾など言語道斷。 と、千鶴に怒られたところだ。流石にまずいのでは、ここはまあ、止めておくかと踵を返す。

「んん?」

が、いつの間にか著の裾を握られていたみたいで、去ろうとするところを止められてしまった。

「どこ行くの、銀……」

「なんじゃ、起こしてしもうたかの? 儂は用意された部屋があるのでな、そちらへ行く。ゆっくりと眠るとよいぞ」

「うん、おやすみ……」

「その前に裾を離さんか」

千草は寢ぼけているようだ。そう言われても、著の裾を離そうとはせず、挙げ句の果てには。

「あれ、一緒に……寢ないの?」

「……」

ああ、いかんいかんと彼は頭を振る。可らしい小さな掠かすれ聲。ふいにを締め付けられ、思わずくらりときてしまった。

神ともあろうものが、こんな子供一人に何を狼狽うろたえているのか。

しかし、心は決まった。

の髪を束ねていた簪をするりと引き抜く。それを右手につまむと、銀の炎が瞬き、その簪を手品のように消してしまう。簪を抜かれた長い髪は、甘い香りを漂わせながら、床へ向かって下りた。解けた髪を揺らしながら、著の襟へ手をかけ引き下げようとするが……。

「む、で寢るのはいかんと言っておったな……」

にとって鬱陶しいことこの上ないが、著は著たまま、千草が橫たわるベッドへすっとる。

ギシギシと軋む。その上に橫たわる千草は、再び微睡まどろんでしまっているため、言葉をかけることはしなかったが。

うまく布団に収まり、千草の溫を全じる。銀は、人の溫もりの尊さを不本意にも思い知らされた。

でありながらこのらかく甘い香り、ちいさな寢息と華奢な軀。

自分が思いっきり抱きしめてやると、簡単に壊れてしまいそうで、頼りないその人間を、これから見守っていかなければならない。

(京矢のやつめ……隨分世話の焼けそうな男おの子こを殘していきおって……)

文句を心の中で垂れてみても、このらしい寢顔を見つめていると、そんなことはどうでもよくなってくる。

あとは、この明かりを消せばいいだけ。一通り千鶴に、部屋の使い方とやらは教えてもらった。壁のスイッチに向かって、指を揃え手のひらを下に向けた右手の先を向け、すっと、上から下へ下ろす作をした。

……と、壁のスイッチがれてもいないのにかちゃりと押され、燈りが消えてしまった。

更けてゆく満月の夜の下出會った二人は、共にらかな布団の中でまどろみ夢の中へ落ちてゆく。

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