《比翼の鳥》第二話
JR橫須賀線 東戸塚駅
2015年現在、尚もその人口が増え続け、それに比例するように朝の通勤ラッシュの規模が拡大し続ける、悪魔の駅。
しかも、駅の容量が、需要に完全に見合ってないため、ホームから改札へ降りる、もしくは上るのに、並ぶ事が當たり前になっている、意味の解らない狀況に陥っている素敵な駅である。
ラッシュ時になると、ホームは黒い波と異臭の取り巻く、文字通り、混沌とした場となる。
不思議なのは、不幸な事ではあるのだが、この異常な度にして、何とか電車に……文字通りすし詰めではあるが……乗り切ってしまうのだ。その為、都心へのアクセスの良さがあって、この町は今尚、東京方面へと人を吐き出し続けている。
そんな混沌の渦に、私は巻き込まれていた。
いつもは、こんな時間に出ることはあり得ない事だ。
こうなりたくないからこそ、私は1時間早く通勤し、悠々と出社している。いつもなら。
それとこれと言うのも……全て、あのバカ兄貴のせいだ。
あの病室で、今井ほのか……と言う、良く分からないに會わなければ、悩みすぎた挙句に寢過すなんて事も無かったのだ。
今井ほのか。
不思議なだった。
一目見て何かをじた。いや、何かじるものを発していたように思う。
それが、見た目では測れない、大きなだったのは間違いない。
そして、彼が発した言葉が、私の心を今も苛み続けている。
「良かった……會うことができました。」
今井ほのかと名乗ったは、そう呟いた。
その言葉に、私は眉をひそめる。
良かった? 私に會うために、このはここにいたのだろうか?
それに、ここは兄貴の病室……原則、家族と関係者以外は立ちり止のはずだ。
そう考えると、々と腑に落ちない點が出てくる。
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そもそも、この時期、學生は験だろう。このは、こんな所で何をしているのだ?
學校は? 今日は平日だぞ?
更に、先にに目が行ってしまったため見過ごしていたが、病室の隅に、一人、完全に気配を消して佇んでいる怪しいが一人いる。
黒のスーツに細見のを包み、まるで幽鬼の様にその場に存在する。
そのと目が合った。
瞬間、私のが無意識に構えようとするのを、意志の力で抑え込んだ。
この……ただ者じゃない。
一瞬、視線が錯した瞬間にじたのは、冷徹で真っ直ぐな意志。
私の師匠が、一度だけ本気で相手をしてくれた時にじたに瓜二つであった。
意志の力で、ただ事をす。その結果がどんなに無殘なものであっても、を完全に支配下に置く。
そういったことが出來る者のする目だ。
師匠は言っていた。こういう手合いにあったら、決して自分から仕掛けるなと。
それは、実として、私にもじられた。勝つにしろ負けるにしろ、命の取り合いになる。
命を救うはずの病院でそのような事……冗談にしても笑えない。
私は意図的に、そのスーツのから視線を外す。
そうする事で、私に敵意がない事をアピールした。
戻った視線の先には、今井ほのかと名乗ったが、不思議そうにその目を私に向けている。
「いや、失禮。なんでもない。」
そんな彼の視線を振り払うように、私は頭を振りながら、そう応えるに留めた。
しかし、それに納得行かなかったのだろう。し首を傾げ、考え込んだ今井ほのかと名乗るは、ふと思い出したようにスーツのを見て、理解したとでも言うように、手を合わせる。
その様子が何とも彼に似合っていて、私は思わず微笑んでしまう。
「ああ、この方は私の事を守ってくれている人なんです。えっと、お名前は何でも規則で言えないとの事で……私も聞かされていませんので、勝手にユリさんって呼んでます。」
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何がそんなに楽しいのだろう? と思ってしまうほど、彼はクルクルと表を変えながら、振り手振りをえ、聞いてもいない事を説明し始める。
そのまま聞き流そうとして、一般人には到底馴染みの無い言葉がまぎれている事に気が付き、思考が停止した。
守ってもらう?
あのスーツのは、この今井ほのかと名乗るを守っている?
なんだ? このは実は、どこぞのお嬢様だとでも言うのだろうか?
だとすれば、うちの兄貴と何の関係が……?
疑問が泡のように浮かび、答えのないまま消えていく。
そんな混の中にいる私が口を開く前に、スーツのの聲が部屋に染み渡るように響いた。
「今井さん、もう時間よ。」
その言葉に、「え、もうですか?」と、今井ほのかと名乗るは、し焦ったように答える。
まだ、疑問の連鎖の中で、その疑問を生んだ張本人の言葉は、更に私を混させるのに十分なだった。
「えっと、時間が無いので、用件だけ伝えます。佐藤先生……えっと、春香さんのお兄さんは、異世界に閉じ込められています。」
「は?」
思わず私は聞き返してしまった。
異世界? 何を言っているのだ? このは。
実は、あれだろうか? 神病棟から抜け出してきた、ただの神疾患者だと言う事か?
いや、その割には、兄貴の事も、私の名前も……いや、そうだ。
「今井さん……と言ったか。何故、私の名前を知っているんだ? それに……。」
気持ちが悪い。
何故、私の知らない奴が、私の事を知っている?
しかし、その問いに答える前に、今井ほのかと名乗るは、矢継ぎ早に言葉だけを殘していく。
「信じられないのは分かります。けど、今は時間が無いので聞いて下さい。」
「今井さん、早く。」
見ると、先程のスーツのは、病室のり口にいた。
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一いつの間に……。
「はい! えっと、春香さん。私、先生を助け出したいんです。お願いします……協力して下さい。あなたの力を貸してほしいんです。これ、連絡先です。詳しい話は、後日お話しますから。」
そう言いながら、は強引に私の手に紙切れを握らせる。
「ちょっと待て、助け出すって何の……。」
「……の炎。」
な!? 何で!?
「何で……お前が……それを知っている!!」
「先生から聞きました。春香さんに信じてもらう為の……魔法の言葉だそうです。失禮します。」
矢継ぎ早にそういうや否や、今井ほのかと名乗ったは、逃げるように病室を出て行った。
後には靜寂と、規則正しい機械音と、何が何だか分からない私の気持ちが殘されたのだった。
の炎。
兄貴は私のに殘った痣を、そう言って褒めてくれた。
まだ小さかった頃、私は不注意での本當にに近い部分を打ちつけて痣をこさえてしまった。
子供とは言え、その場所はあまり人に見せる事が無いので、恥ずかしい場所であると言う認識はあった。
だから、そんな所に痣が出來た事が、恥ずかしい事のように私には思えたのだ。結果、私は誰にも言わず、治るのを待った。
まったく……流石、子供の考える事だ。今にして思えば、適切な処置をすれば、痕として殘る事も無かったろうに。
しかし、子供の私はそれを怠り……その痣は消えない刻印として殘ってしまったのだ。
私はそんな痣がどうしても汚らしく思えて、風呂にった時にはいつもタオルでこすっていた。
だが、痣なので消えるわけが無い。幾らっても消えない痣を、當時の私は憎らしく思っていたのだ。
勿論子供だから、その當時は、兄貴と一緒に風呂にる事もあった。
兄貴は水泳をしていたから、時間が合わず、あまり頻度は多くなかったが……。
そんなある日、一緒にっていた兄貴に、その痣が見つかってしまった。
確か、お風呂で水泳の真似事をしてひっくり返った時だったと思う。
それから私は開き直って、兄貴の前では、石鹸をつけてその痣をり落とす勢いで洗うようになった。
今思うと、恥ずかしい事この上ないな……。後で兄貴を毆っておこう。
そんな私が……一生懸命その痣を消そうとしているのを見て、兄貴は不思議に思ったらしい。
「なんで? 良いじゃん。だってさ、その痣、炎みたいで綺麗だし、なんかカッコイイだろ?」
今にして思えば、子供らしい……たわいも無い一言だった。
だが、私にとって、それは救いとなったのだ。今まであんなに醜く見えていた私の天敵は、その一言で勇者の紋章へと変わった。
それから、兄貴は事あるごとに、私の痣を褒めてくれた。
ましてや俺にもしいと、冗談抜きに自分の腕を鉄棒に叩き付け、骨にひびをれたこともある。
子供とは言え、兄貴はどうにも抜けた一面があったが、この時も大概だったな。だが、どこまでも本心だったのは、子供心に判った。
流石に、大きくなってそんな場所にある痣を見せる事もなくなったが、それでも、私にとって、この痣は兄貴との大切な絆なのだ。
勿論、親にすらこの痣の事は、話した事がない。
ちなみに、私は水著もハイレグカットのは著ない。スカートもあまり履かないのは、そう言ったいきさつもある。
私の大切な誇りであるあからこそ……これは誰にも見せるわけにはいかないのだ。だから、服裝には気を使い、必ず痣は隠れるものを買っていた。
だから、私の痣は……兄貴以外に知るはいないのだ。
そんな兄貴との思い出を……あの、今井ほのかと名乗るは知っていた。
あれから、一人病室に殘された私は、混したまま、兄貴の看病をし、気が付いたらいつの間にか家に戻っていた。
それ程、私にとって、彼の殘していった言葉は大きなものだったのだ。
それから、私は、今井ほのかと言う人について調べてみた。
殘念ながら公式報としては、果が無かったものの、依然、子に教えてもらった、とあるアングラサイトで、その名前を目にする。
そして、その名前が登場したのが……突発クライン・レビン癥候群から回復した2名の名前……。
一人は、迫水さこみず薫。
そしてもう一人が……今井ほのか。
何だと……。
何で……ここで、その名前が出てくる?
ふいに彼の言葉が思い起こされる。
『春香さんのお兄さんは、異世界に閉じ込められています。』
目を覚まさない兄貴。
異世界に閉じ込められる。
突発クライン・レビン癥候群。
目を覚ました二人。
その狀況の一致。
何の……悪い冗談だ?
私はその日、一睡も出來なかった。
それでも朝はやってくる。
私は、そうして彩られた棺桶に揺られ、一路、自分の墓に相當する勤務先へと向かっていたのだ。
そこで眠れるのであれば、どんなに嬉しい事か……。
だが、安眠出來ないなら、墓など何の意味も無い。土地が勿無いだけだ。
そんな無な事を考えながら、雑多な匂いの渦巻く満員電車の苦行を、私はジッと耐えるのだった。
目の前には巨大な墓石があった。
一面ガラス張りのビル。
これを私は、どう見ても、人たる事を放棄させ、生きる尊厳を奪い、人を言わぬ機械と化す、悪魔の墓標にしか思えなかった。
その墓標に、當たり前のように黒い集団が吸い込まれていく。
ある者は、の無い顔で。
ある者は、仲間と笑いながら。
ある者は、手元の世界に浸りながら。
一様に皆、當たり前のように、そのを墓標に奉げていた。
そして、私もまた、その一員となる。
すれ違う同僚と機械的に挨拶しながら、私は、決められた私の墓石へと到達した。
その上には、冗談かと思うほど、書類がうず高く積まれているのを見て、私は心、またか……と溜息を吐く。
そんな私の姿を認めたのだろう。遠くから、課長と言う役職を持った、地獄の番人が、薄い笑顔浮かべたままこちらに聲を掛けてきた。
「いやぁ、佐藤さん、ごめんね。急に、クライアントが……。」
今日は、きつそうだな。
課長が必死に無益な言い訳を並びたてるのを、無な心で聞き流しつつ、私は人である事を放棄し、仕事をこなす機械と化したのだった。
「せんぱぁい~。お晝行きましょ~! お晝……って、何ですかその書類の山。」
酷く現実離れしたアニメ聲を伴って、彼がやってきた。
ああ、もう、そんな時間か。
時計を見ると、12時45分。晝休みにってし経過している。
周りを見ると、同じ部フロアのは殆どいなかった。外か食堂に晝飯を取りに行ったのだろう。
數はないが、殘っている者は皆、思い思いに自分の席で寛いでいた。
私は、霞む視界を戻すため、目頭を軽くもむと、背びをする。中から悲鳴のような音が響くが、そのが何とも心地よい。
「これ、またですか? 先輩。幾ら先輩が仕事出來るからって、この量はちょっと……。」
「ああ、流石にきついな。」
つい本音をらすも、事実であるから仕方無い。
だが、一応、見通しは立ったので、今日中には何とかなるだろう。
文字通り、24時間表記での話だが。
げんなりしそうになる気持ちを無理やりい立たせるように、私は勢い良く立ち上がる。
「子。ご飯に行こうか。」
そう言いながら、私は、「あ、待ってくださいよぉ~。」と、間延びした聲を置き去りに、歩き出した。
「それでですね、佳代ったら酷いんですよ? あ、佳代って言うのは、私の高校……あれ? 中學だったかなぁ? まぁ、どちらでも良いですね。とにかく、同級生だった子なんですけど、この前、偶然……もう、本當に偶然なんですよ! 凄くないですか? 渋谷でばったり出會っちゃいまして。二人で大騒ぎしながら、お茶でもしようって事になって、近くの喫茶店にったんですけど……佳代ったら、昔は細かったのに、貫祿ついちゃってですね。話を聞くと、もう、結婚して子供が3人もいるんですって。で、佳代が…………。」
この目の前で機関銃のようにしゃべるこの子は、高橋 子と言う。
特徴は、何処からどう聞いても、アニメから聞こえてくるとしか思えないほどの、強烈なアニメ聲。
そして、本人もそれを自覚しているのだろう。容姿もそれに合わせるかのように、ふわふわのツインテールに、さり気ないが目もとを大きく見せる化粧。しかも、派手すぎず、むしろさを強調するかのように、自分の武を最大限に生かしているから、余計に質が悪い。
服はスーツが基本の社會人のはずなのだが……この子は何故か、フリフリのドレスのような黒を基調としたオーダーメイドのスーツを著ている。
そんなスーツあるわけないだろう!? と、口には出さないが皆思っている……が、この子にあつらえた様に、何とも様になっている為、誰も文句を言わないのだ。
流石にそんな格好では悪目立ちする為、社時は先輩の社員に目をつけられ、あれこれ難癖をつけられていたが……1ヶ月もすると、社員からは、一切介がなくなった。代わりに、何故かこの子の言うことを低頭に聞く先輩方の姿が度々目撃されるようになったのだが……私は深く知りたいと思わないので、放っておいている。
そして、この容姿と聲に騙される男は後を立たず、過去何人もの男から告白されるも、全て斷っているとの事だ。
そう言う男関係には、トラブルが付きだが、何故かそう言った話は、私がこの子と知り合ってから、一度としてない。
そして昔、何故付き合わないのかと理由を問うた事があるのだが、酷く簡潔な答えが返ってきた。
「え? そりゃ、私、男の人、大嫌いですもん! 私、の子と2次元にしか興味ありませんから!」
つまり、そう言うことらしい。皆までは言わないし、こういうのは個人の趣向の問題だ。
私は特にそういった事に対し、偏見を持っていないとは思う。だから、最大限、個人の意思は尊重したいと思っている。
……自分にその害が及ばなければ……だが。
ふと気が付くと、子は話をやめ、私の顔を恍惚の表を浮かべ見っていた。
「そ、そんな熱いまなざしで見つめられたら……あぁん……子……もう……。」
一瞬にして嫌悪が最大値に到達した私は、反的に足が出る。
それは機の下で、誰に見咎められる事もなく、一瞬にして子の腹へと吸い込まれた。
鈍い音が數瞬だけ響き、機が振するも、誰もその事には気が付かない。それ程の早業だった。
「お、おふぅ……ちょ、先輩……食事中に……み、みぞおちは……い、々危険。」
だが、その言葉とは裏腹に、何故か幸せそうに苦悶の表を浮かべると言う用な事をする子に、私は苦蟲を噛み潰したような表を向けると、そのまま仕事に戻るため、席を立つ。
「あ、先輩ぃ~。待ってくだ……うぷ……。ま、まだけ……あぁん。けど、そう言うプレイも……。」
私は後ろから聞こえてくる、呪詛にも等しい言葉を私は振り切り、その場を後にしたのだった。
大學からの腐れ縁……と言うか、一方的に懐かれたというか……兎も角、子との関係は、こんな形で続き、挙句の果てには、私の就職した會社に、私を追っかけてってきた。
流石に、私の命のかけた進言によって、部署だけは一緒になる事を避けられたので、まだ私の貞は守られている。
悪い奴ではないのだ。実際、良く気が効くし、頭の回転も速い。
癖は々あれだが、友人として付き合うなら、問題ないのである。
あれさえなければ……と思いつつ、私はキーボードを叩く速度を更に上げた。
結局、終電ギリギリに仕事は終わり、私は墓標を後に、一路帰宅の途に就く。
幸いにして、今日の終電はあまり混んで無く、座る事が出來た。
昔はそうでもなかったのだが、最近は、徹夜が堪えるようになった。認めたくないが、やはり月日の経過と言うのは、無慈悲なのようだ。
そんな私は、電車特有の振もあり……いつの間にか、暗い闇へと落ちていったのだった。
夢を見ていた。
夢で私は、いで……泣いている事しか出來ない、弱い存在だった。
そんな私を、兄貴はいつも引っ張って、々な所へ連れて行ってくれた。
この話をすると、皆、今では想像もつかないと口を揃えて言うのだが……子供の頃の私は、極度の怖がりだった。知らない人に聲をかけられただけで泣いてしまう様な、そんな子だったのだ。
今もその本質は変わっていないように自分では思うし、兄貴もそう言っていた。
だからこそ、私は、強くなりたかった。いや、強くならねばならなかったのだ。
の炎と同じように、兄貴とわした、とある約束があったから……。
「先輩。東戸塚ですよぉ~。降りないと、襲っちゃ……ご。」
何か聞こえた気がしたが、私は車から見えた、「東戸塚駅」と言う駅名を見て、慌てて飛び起きると、電車からホームへと駆け出すように降りる。
その丁度數秒後に、発車のメロディが鳴り、
「ちょ、ちょっと、待ってえぇー! おりま……おりまぁー!」
機械音と共に、その言葉が遮られ……びながら電車のドアを必死に叩く子を、私はただ呆然と見送ったのだった。
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