夜のエルファスは晝のそれとはまったく違う狀態だった。

正確に言えば、全的に酒臭い。結局その理由は火を見るよりも明らかなのだが、それを気にすることなく町を歩いていた。

一言ルーシーに何か言っておくべきだったか――出発前に僕はそんなことを思ったけれど、何か面倒なことになりそうなので言わないでおいた。ひとまずは、あのミシェラが言っていた発言が妙に引っ掛かる。それをどうにか解明するために――僕は歩いていた。

メリーテイストという宿に到著したのはそれから十分後のことだった。

そしてメリーテイストの前には、一人のが僕を待ち構えていた。

ミシェラ――彼だった。

「待ちくたびれたわ、アナタ。まさかこんな時間にならないとやってこないなんて」

「……一緒に居るメンバーが眠りにつくか、あるいはそれに近いタイミングじゃないとやってこられないものでね。それくらい何となく解るだろう？」

言い訳に近い言葉を話して、僕は何とか許しを請おうと願う。

「ふうん……。まあ、いいけれど。取り敢えず、ってよ。あ、言っておくけれど、お金はかからないよ」

「そうなら、安心できる」

「ま、別に大した話じゃないけれどさ、聞いてほしい話もあるってわけ。オーナーには、アナタは私の友人として通すから。アナタ、名前は？」

「フル……ヤタクミ」

「フル・ヤタクミ……ね。うん、ちょっと変わった名前だけれど、気にった。さあ、中にって」

そう言ってミシェラは中にっていく。

ほんとうに僕がこの中にっていいのかと思うが――しかし報を得られるのであればどうだってかまわない。そう思って、僕は宿の中へとっていった。

宿とは名前の通り娼館と宿を兼ねている空間のことを言う。のちに知ったのだが、エルファスの町を支える産業の一つが宿と言われているくらい、この町には宿、そして娼館が多い。

宿『メリーテイスト』の扉を開けると、甘ったるい香りが鼻腔を擽った。

「よう、ミシェラ。どうしたんだ？」

ミシェラは現れた眼鏡をかけた男に訊ねられて、目を細める。

「別に。ちょっと古い友人と出會ったから外で話していただけ。寒いから、部屋で話すの。いいでしょう？　別に客も來ていないし。もちろん客が來たら対応するから」

「それくらい當たり前だ。……解った、それじゃ、部屋に案しろ。言っておくが、」

「なに？」

強い目線で、男を見つめる。

男は何か言いたかったようだが――言葉に詰まって、何も言い出せない。

し間をおいて、男は頷くと、

「解った。お前さんには稼いでもらっているからな。し時間をやるよ。ただし、その時間を過ぎて、客がやってきたら、その時は対応してもらうからな」

「ありがとうございます」

そう言って、二階へと続く階段を昇っていくミシェラ。

それを僕は追いかけていくしかなかった。

たとえこの先に何が待ちけていようとも、ひとまずは――従うしかない。

彼の部屋にると、白を基調とした部屋が出迎えてくれた。

大きな屋付きのベッドに腰かけて、彼は深い溜息を吐いた。

「……座りなよ」

隣をポンポンと叩くミシェラ。正気か？　と僕は思ったけれど、普通に考えてみると彼はそういう職業だから隣に男を座らせることには何の抵抗もないのだろう――そう思って、僕は彼の隣に座った。

ミシェラは呟く。

「今日は來てくれてありがとうね。まさかほんとうに來てくれるとは思わなかったからさ」

「……いや、ちょっと気になったからね。それにしても、いったいどういうこと？」

「どういうこと、って？」

「君の言葉がし気になっただけだよ。どうして、ただの旅人としか言っていなかった僕たちに、話したいことがあったのか？　もしかして何か隠しているのではないか、って」

「……そうよ」

予想以上に早く、彼は口を開いた。

そしてミシェラは俯きながら、言った。

「私、旅がしたいの」

「……旅？」

何を言い出すのかと思っていたが、その発言を聞いて思わず目が點になった。

しかし、ミシェラの話は続く。

「この世界は広い。けれど、私たち姉妹に立ち塞がったものは、重く、深く、それでいて殘酷だった。私の姉、カーラのことは知っているでしょう？　何せ、今日の晝に出會ったのだから」

「……ああ、もちろん知っているよ。ただ、あそこで諍いがあった程度にしか理解していないけれどね」

「それで充分。それで問題ないよ。先観さえなければいいのだから」

そう言い出して、ミシェラは彼の思い出を話し始めた。

それは深い思い出であり、殘酷な思い出だった。

正直言って、彼がその年齢でそれをけ止めるには、あまりにも殘酷すぎる。

ただし、それは部外者、あるいは経験したことの無い人間が語ることの出來るものになるのだろうけれど。

◇◇◇

十年前、私たちはスノーフォグのとある村に暮らしていた。

スノーフォグというのは、この國のように治安が良いわけではない。正確に言えば、治安が一定なわけではない。治安はその場所によってバラバラで良いところもあれば悪いところもあった。ハイダルクはそれが無くてすべて均等になっているけれど、スノーフォグにとってはそれが常識だった。

スノーフォグの村、そこで私たち姉妹と家族は暮らしていた。父親はスノーフォグの兵士で、母親は村で私たち姉妹を育ててくれた。父は城を守る兵士だったから、そう簡単に家に帰ってくることは無かった。けれど、城の安全を守っているということは常日頃聞いていたから、私はお父さんのことを尊敬していた。

私たちの日常が一変したのは、八年前にあった科學実験が原因よ。

科學実験――そういえば聞こえがいいかもしれないけれど、実際に言えば悪魔の実験だった。錬金、魔、化學……一応いろいろな學問があると思うけれど、あんな學問は未だに見たことがない。

阿鼻喚、悲鳴が合唱のように響き渡り。

私たちの住む村は――壊滅した。

そしてなぜか私たちだけ、生き殘った。

父が帰ってきていた、偶然で最悪のタイミングでのことだった。