《天下界の無信仰者(イレギュラー)》三つの神理(しんり)

ここは白い空間だった。広い世界にはなにもない。まるで漂白された海中のようにあやふやだ。地面も空も、どっちが上下なのかも、それすら分からない。

 いや、そもそもこの場所にはそうした概念すらないのだろう。空間も、時間すらも。そうした概念を超越した次元の居場所。

ここにはなにもない。

ただし、一つの例外を除いて。

白い空間。そこに一人の、もとい一つの魂がやってきた。自分が何者かも分からぬ不確定な意識だ。なぜなら彼、もしくは彼はまだ生まれていないのだから。

そこへ、突然魂を歓迎する聲が現れた。

「ようこそいらっしゃいました。はじめまして。わたくしは人々が住まう世界、天下界てんげかいの案を務めさせていただいております、名もなき案人にございます」

いきなりの聲に魂は驚いた。意識がびくりと震える。そんな意識を落ち著かせるように、聲は穏やかな口調で話しかけた。

「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね。ですが張しなくても大丈夫です」

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苦笑じりに案人は気さくに話しかけてくる。不安はあったが、どうやら悪い人ではなさそうだと魂は徐々に安心していった。

この聲は何者か。そんなことは分からない。分かるはずもない。ただ、次元をいくつも超越した場所にいるのだ、ただ者ではないのだろう。

「突然のことに驚かれるでしょうが、実は、あなたはまだ生まれていないのです。魂の狀態です。この世界には神が住まう天てん上界じょうかいと、人々が住まう別の世界、天てん下界げかいがあります。そして、ここはその中間、廻界りんねかいになります」

大丈夫ですか? と案人は優しく聲を掛けてくれるが、魂は當然困してしまう。

「あなたはまだ魂の狀態なのです。人として生まれるためには天下界てんげかいに行かねばなりませんので、これから天下界てんげかいへと移してもらいます。

 ですが、あなたが人として生まれ祝福されるその前に、選んでしいものがあるのです。

 いえ、怖がるようなものではございません。選んでいただきたいものとは、あなたが天下界てんげかいで生きていく際の『神理しんり』、要は信仰になります」

人として生まれる前に選ぶもの。

神理しんり。神の理ことわりと書くもの。それは果たしてどのようなものなのだろうか?

「輝かしい誕生を前にして言いにくいのですが、人生とは幸福ばかりではございません。ですが、人生の苦難に立たされた時、あなたの信仰が道を示してくれるでしょう。

 これは親や環境に左右されることなく、自分の意思でどの神理しんりを信仰するか選択できる配慮なのです。あなたが選び、あなたが生き方を決めるのです」

何を信仰するか。それは生き方にとても影響してくる大事なことだ。習慣も、食事も、それは結婚まで関わってくるだろう。

 信仰に人生を左右されると言っても過言ではない。しかし、その大事なことを、親や環境によって決められてしまうこともある。その信仰を、生まれる前に決められるようだ。

「よろしいですか? では、どのような神理しんりがあるのかご案をさせていただきます。天上界てんじょうかいには三柱みはしらの神がおり、選べる神理しんりも三つとなっております」

人から今後の人生を決めるかもしれない、神理しんりについての説明が始まった。

人生が始まる前の、最初の選択だ。

「第一の神理しんりは、苦しんでいる者を皆が助ける思想。皆は一人のために。一人は皆のために。誰もが相手を助け思いやることで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」

それが第一の神理しんり――慈連立じあいれんりつ。

「第二の神理しんりは、己を鍛え強靭きょうじんな神をに付けることにより、じる苦痛を無くす思想。誰もが強き者となることで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」

それが第二の神理しんり――琢磨追求たくまついきゅう。

「そして第三の神理しんりが、己のから苦痛を無くす思想。を捨て事を達観することで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」

それが第三の神理しんり――無我無心むがむしん。

説明された三つの神理しんりに魂は考える。

「これらが選べる三つの神理しんりとなります。あなたに合った神理しんりはどれでしょうか。どれも方向は違えど、きっと役に立ってくれるはずです」

重要な選択なだけに答えに迷うが、魂は決斷したようだ。

「お決まりになりましたか? 分かりました。それではこちらへどうぞ。これから天下界てんげかいへと降りていただき、あなたの誕生となります。あなたの語が始まるのです」

魂は導かれ引き寄せられていく。そして、まるで自が落下していく覚に襲われた。どこまで落ちていくのか分からないがそれはすぐに終わった。魂はを得た実と共に、誕生の産聲を上げる。

「オギャア! オギャー!」

こうして天下界てんげかいにまた一つ、新たな命が生まれたのだった。

「それでは、いってらっしゃいませ。あなたの人生に幸多きことを」

人生の、始まりだ。

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