《天下界の無信仰者(イレギュラー)》提示される思想

「それでですね、宮司みやじさん。さきほど神理しんりの違いによる私の失敗談をお話したわけなんですが、信仰者にはそれぞれ付き合い方みたいなのがありましてね。こうすれば仲良くなれる、とは一概いちがいに言えないのです。それは信仰者でも、無信仰者でも同じことです」

それは話を聞いていたから分かる。強いて言えば同じ神理しんりを信仰している者同士なら仲良くなれるんだろうが。

 だが、それだけに無信仰者の俺じゃ誰かと仲良くなるのは難しいって意味でもある。

だが、ここでヨハネは意外な言葉を口にした。

「ですが、そんな三つの信仰者の誰とでも付き合え、かつ、あなたにも出來る、一つの思想があります」

「思想?」

ヨハネの言葉は意外だった。誰とでも付き合えるだけでなく、無信仰者の俺でも出來ることがあるって?

「はい。琢磨追求たくまついきゅうでも慈連立じあいれんりつでもなく、無我無心むがむしんでもない。無信仰でも行えるものです」

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ヨハネの笑顔は噓を言っているようには見えない。

「それは……?」

気づけば、俺の口は勝手に聞いていた。

「はい、それが」

問いにヨハネが答える。それは――

「黃金おうごん律りつと呼ばれるものです。知っていますか?」

「いや、初耳だ」

黃金おうごん律りつ。聞いたことがない。一どういうものか、考えてみるが見當も付かない。

「黃金律おうごんりつとはまだ神がいなかった時代、哲學てつがくや教訓きょうくんなどを考えていた時に唱となえられた一つの教えです。容自はとても簡単なものですよ。守るべきことは二點だけです」

ヨハネは人差し指と中指を立て、二つであることを強調きょうちょうする。

「いいですか? 黃金律おうごんりつの教えは、自分がされて嬉しいことは人にもしてあげる。自分がされて嫌なことは人にもしない。これだけです」

ね、簡単でしょう? と最後に付け加えて、ヨハネは笑った。

「え、それだけ?」

だが、どんなことだろうと構えていた俺としては拍子抜ひょうしぬけだった。

「ええ。これが黃金律おうごんりつと呼ばれる教えです。あ、さては信用していませんね?」

冗談のように笑うヨハネを依然怪しそうに見つめるが、ヨハネは自信があるのかたじろぐことはしなかった。

「神のいなかった時代には、かつて多くの哲學や思想がありましたが、それらの共通點であったのがこの黃金律おうごんりつなのです。

 どのような教義きょうぎにも當て嵌はまる、普遍的ふへんてきであり本質的な思想と言えるでしょう。なくとも、これが守れている限り人から悪い印象は持たれないはずです。どうでしょうか宮司みやじさん、參考になりましたか?」

笑顔で聞いてくる言葉は俺を案ずる一心だけのように思える。笑みは純真な輝きを放ち、穏やかな聲には安心がある。

仲間のいない無信仰者だからこそ、普遍的な価値観である黃金律おうごんりつ。理りに適った話ではあるし、仲間外れでも共有出來る唯一のかもしれない。

俺は黙り込んで考えるが、ややあってから答えた。

「まあ、覚えておくよ」

「はい、覚えていただければそれで結構です」

ヨハネは笑顔でけ止めるとそれ以上勧めてこなかった。自主の尊重そんちょうか、選択はあくまでも俺に委ゆだね無理強いはしてこない。

「それと申し訳ないのですが、最後に教師として一つ確認だけさせてください」

ヨハネはそう言うと視線を俺ではなく、隣に座っていたミルフィアに向けていた。

「失禮ですが、あなたがミルフィアさんですか? 事は知っています。ここの生徒ではないですが、出りの許可は出ていると」

「はい、そうです」

そこで今まで會話には參加していなかったミルフィアが初めて喋った。背筋をばし膝に両手を置く姿は優等生を絵に描いたようだ。

悍せいかんで、棘はないものの機械的な話し方には親しくする意思は見られない。だが、ヨハネは気にしていないようだった。

「そうですか、分かりました。それだけは確認しておきたかったものですから」

ミルフィアに向けニコっと笑った後、ヨハネは気配を引き締め俺に向き直った。

「宮司みやじさん、教室での出來事は申し訳ありませんでした。私の落ち度です。私なりにもっと努力しなければ」

「な、なんだよ改まって」

いきなり真剣になるんじゃねえよ、変なカンジになるだろうが。

「いやなに、それだけですよ。ただの反省と宣誓せんせいです。私は諦めませんから、宮司みやじさんからもなにかあればなんでも話してくださいね、いつでも相談に乗りますから」

そう言うとヨハネは俺にも微笑んだ。けれど、俺は咄嗟とっさに顔を背そむけてしまう。諦めない。その言葉が重い。

だって、出來るはずがないんだ。どう頑張ったって無信仰者を怖がる奴はいる。変わるはずがない。

ただ、そう思う表を見せたくなかった。

それで話は終わったらしく、ヨハネは救急箱を片付けると立ち上がった。

「私からは以上です。長いこと引き留めてしまい申し訳ありません。では、教室に戻るとしましょうか」

「…………」

ヨハネから教室へ戻るよう促(うなが)される。だが、さきほどの喧嘩とクラスの反応は今でも覚えている。正直、まだ教室に戻るには足が重かった。

「……分かりました。宮司みやじさんたちは後ほど。ですが、ちゃんと教室に顔は出してくださいね?」

「分かった」

短く返事だけ行い、ヨハネは保健室から出て行った。扉が閉められミルフィアと二人きりとなる。

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