《天下界の無信仰者(イレギュラー)》加豪切柄

それから時間は経ち今は晝休憩、気乗りのしない授業に參加した俺は良くやったと思う。……そのほとんどを機に伏していても。

嫌われ者として過ごす憂鬱ゆううつな時間を耐えた俺はトイレの帰り道、さきほど恵瑠えるに言われた言葉を思い出していた。

「ありがとう、ねえ?」

そんなことを言われた記憶を振り返ってみたが、俺の過去にそんなことは一度もなかった。そして今思えば、人を助けたことなどなかったかもしれない。

 思い出すのは周りに対する憎しみと見下す気持ちだけで、そもそも誰かを助けようなんてこと、発想すらなかったんだ。

黃金律おうごんりつ。これで、禮を言われた? そして、この思想があれば俺でもミルフィアと友達になれるのか? そう思うと希なんて持ったこともない俺のしだけ高鳴った。

だけど、えなければ意味がない。はぁ。浮いた期待が落ちる。

そんな気持ちで教室の扉に手をばす、その途中。

扉が勝手に開いた。

「あ」

「あ」

扉を開けた相手と目が合う。視線の先にいたのは、學校初日に喧嘩をした子、加豪切柄かごうきりえだった。

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ゲッ!

突然の再會に固まった。加豪かごうも驚いて固まっている。おいおい、どうすればいいんだよ、めちゃくちゃ気まずいんだけど!

「……なによ?」

「ああッ?」

嫌な空気が流れる。加豪かごうの問いについ攻撃的な聲が出てしまい、それで加豪かごうの表も険しくなった。俺たちは黙ったまま睨み合う。

だが、今にも喧嘩が起こりそうな中、今さっきのことを思い出した。

自分がされて嬉しいことは人にもしてあげる。自分がされて嫌なことは人にもしない。前者ぜんしゃはさきほど恵瑠えるにした。

なら、今度は後者こうしゃじゃないのか?

俺は拳を強く握り、苛立つをぐっと我慢した。

「その」

俺は怖いにらめっこを止め、スッと顔を逸そらす。

聲は依然と荒い。苛立たしい気持ちは消えていない。それでも、俺は口をかした。

「……昨日は、悪かった」

「え?」

俺の言葉が意外だったんだろう、加豪かごうが驚いた。

「いや、だから、悪かったって言ってんだよ。俺だけのせいとは思わねえけど、まあ、俺の機嫌が嫌な思いをさせたのは認める。……すまなかった。あと、お前は十分人だよ」

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ちらりと加豪かごうの顔を見る。彼の顔はなんだか固まり黙ったままだった。そのまま様子を待っていると加豪かごうの顔が元に戻った。

「フン。當然よ」

こいつ!

「昨日は強く言い過ぎた、ごめん」

「え?」

と、加豪かごうはそれだけを口にして橫切って行った。早足で廊下を歩いていく背中が遠ざかっていく。その後ろ姿を、俺は信じられない気持ちで見つめていた。

「…………」

謝った? あいつも? いや、てか謝った? 本當? 俺に謝った奴なんて過去何人いる? すぐに思い出すのはミルフィアと教師のヨハネくらいで、あとはいないんじゃないか? そんな俺にあいつが謝った?

奇妙な験に戸う俺は言葉が見つからず、とりあえずは、

「お、おう」

とだけ、もう姿の見えない背中に言っておいた。

「なんていうのかな~、今日は」

學校の日程は終わり、誰もいない夕暮れの教室に俺はいた。機に腰掛け今日の出來事を振り返える。

屋上では不思議というよりもおかしなの子、天和てんほと出會った。そこで俺は人の喜ぶことをしたらしい。

次に學校の外では恵瑠えるを助け、人から謝された。

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最後に加豪かごうに謝罪したら、相手からも謝られた。

これらの出來事は黃金律おうごんりつの教えに従ったからだ。

変化を実している。だけどそれで仲良くなったわけじゃない。知り合いくらいにはなれたかもしれないが、まだまだ誕生會にうような仲じゃない。もう今日は會わないし、殘るは明日だけだ。

「はぁ、やばいな……」

焦りが口をかす。とてもじゃないが無理だ。諦観ていかんが俺の意志を蟲食いのようにを開けていく。

「おや、宮司みやじさんではないですか」

すると気な聲が聞こえてきた。聲がした扉に目を移せばそこには擔任教師のヨハネが笑顔で立っていた。

「どうしたのですか教室に殘って。寮には戻らないのですか?」

「いや、今はここで考え事がしたくて」

「おやおや。それではお邪魔でしたかね。良ければあなたとお話でもと思ったのですが」

そうは言いつつもヨハネは俺の隣にまで近づいて來る。腰はらかいのにどこか強引だよな、この男。頬の治療の時もそうだったと苦笑する。

「なんだよ、俺に話って?」

「いえ、特にこれという話題があるわけではないのですが、宮司みやじさん、昨日は黙って帰られたではないですか」

「あ」

そういえばそうだったな。

「それに今日は一限目には姿がお見えにならない。それで私は不安になりましたよ。二限目からは出席していたので安心しましたがね。ですが、約束を破るのはいけません。せっかく私は宮司みやじさんと仲良くなりたいと、これでも真意に思っているのですから」

「ああ、悪い。その。まあいろいろあって……」

「いろいろ?」

「いろいろ」

覗き込んでくるヨハネの瞳から顔を逸らし、バツの悪さに笑みが引きつる。

「そうですか。まあ、明日からは一限目からちゃんと出席してくださいね?」

「分かった。今度こそ約束を守るよ」

「ええ、いい心掛けです」

返事にヨハネはにっこり笑い、それで注意は終わった。生徒を信頼しているのか、叱ることはあっても怒ることや長い説教はしてこない。クラスで耳にするヨハネの評判はいいが、こういう理由からなのかもしれない。

ヨハネは席から椅子を出し腰を下ろす。その後夕日を眺めていた。

「それにしても靜かなものですね。朝はあれだけの喧騒けんそうに満ちていたというのに、今ではこんなにも靜かだ。落ち著きますが、まあ、反面寂しい気もしますかね」

穏やかな聲がオレンジの教室に溶けていく。地面には機の影がいくつもびているが、機の數に反して人の影は二人分しかない。

「それだけここには多くの、そしていろんな人たちがいた、ということなんでしょうね。そういえば昨日は信仰によって格に傾向があるとお話しましたが、宮司みやじさんは神理しんりを創った神様のことを知っていますか? 実は、それが大きく関わっているのですよ」

「いや……」

知らなかった。ヨハネはニコニコと、自分が教えてあげられるのが嬉しそうに笑っていた。

「真理を得た者は神となり、神は新たな神理しんりを創る。真理とは世界の仕組み。神理しんりとは人を導く真理である」

「なんだよそれ」

どういう意味だ? それに神理しんりと真理って同じ発音だから分かりづらいんだけど。

「そういう言葉がありましてね。要するに、自分に合った真理を見つけ、それを極めれば天上界てんじょうかいへと昇り、神になれる。そして自分の真理を神の理ことわりである神理しんりとして天下界てんげかいに広める、というものです。天上界てんじょうかいにいる三柱みはしらの神も、元は私たちと同じ人間だったのですよ」

「それくらいは知ってるよ」

「あははは、これは失禮。では話が早い」

天上界てんじょうかいにいる三柱みはしらの神々が元人間というのはいわば常識で、それくらいの知識は俺にだってあった。ヨハネは笑って誤魔化した後、表を戻した。

「そのために三柱みはしらの神には人間時代だった頃の多くの文獻が存在します。それで琢磨追求たくまついきゅうの神の名前がですね、リュクルゴス。昔のスパルタ帝國の王だった人なんです」

リュクルゴス。どこかで聞いた名前だなと思ったが、ああ、そういえば加豪かごうが神託しんたくぶつを出す際、詠唱の中に出てきた名前だったな。

「私の信仰している神理しんりとは違うので詳しくは知らないのですが、まったく、恐ろしい方だったみたいですよ。彼は國を強くするために男子全員を鍛えることにしたのですが、が弱いだけで使えないと殺してしまったんです。生まれてきた赤ん坊も小さければその場で、です。いやー、當時に私が生まれていれば、誕生と同時に殺されていましたよ。恐ろしい恐ろしい」

話の容にヨハネは怖そうに顔を振ってはいるが、その仕草は芝居掛かっている。本気で怖がっているようには見えないが、普段から浮かべている笑顔とそうした仕草はあいきょうがある。

次にヨハネは表をパッと明るくし、持ち前の笑みを作った。

「その點、私が信仰している慈連立じあいれんりつの神は優しい方でしてね。名前をイヤスと言います。彼はまだ人間だった頃、病人や怪我人を治して各地を歩き回ったそうです。爭いがあればそれを収めたりもしました。立派な方だ、素直に尊敬の念を抱きます。ですので、私はこの神理しんりを選んだのですがね」

そう言うヨハネの顔は誇らしそうに笑っている。いつも笑顔だというのに、この時浮かべている笑顔はその中でも一番芯のある笑顔に見えた。

「ついでに無我無心むがむしんの神の名ですが、シッガールタというです。彼は天下界てんげかいでのあらゆるを斷ち切って心を無にする、悟さとり、という境地に達したために神になったそうです。ちなみに、かなりの人さんだったそうですよ?」

「だったらなんだよ、興味あるか」

顔を近づけるなうっとうしい。俺は冷たくあしらうが、真面目な話の中にもおちゃらけたことを言う人柄は実にヨハネらしいと思う。

「とまあ、信仰する者には神理しんり上の格と言いますか、傾向がありましてね。そういうのを把握していれば、多は人との接し方が分かり易いかと思います。まあ、そうやって考えて人と話すよりも、自分らしく振る舞える方がいいんでしょうけれどね。それに、宮司みやじさんにはもう心配する必要はなさそうですし」

「え?」

どういうことかとヨハネの顔を見る。俺がどうやって人と接していくか、その參考のために神の話をしていた。しかしヨハネはそんな心配は無用だと言ってきたのだ。

「初めはどうなることと思いましたが、正直、私は安心しているんです。こう言うとまた怒られそうですが、宮司みやじさんから変化がじられます」

「分かるのか?」

「私は教師です。ものを教えるのも仕事ですが、何よりも生徒を見て、導くのが仕事です」

語るヨハネの顔には自信と誇りがあった。一切の迷いも躊躇いもない、真っ直ぐとした表

「なにか、目標でも出來ましたか? ここに殘っていたのも、それについて考えていたのでしょう?」

「……敵かなわないな」

「これでも教師歴長いですから」

穏やかに語るヨハネの表を、俺は躊躇ためらいがちに見つめる。

俺のクラス擔任で、こうして話をしてくれる。クラスに馴染めない俺を案じ黃金律おうごんりつを教えてくれた。話しているだけでも、この人の人柄の良さは伝わってくる。

相談してみようか。ミルフィアのこと。

恥ずかしいので顔を下げるが、黙っていようとは思わなかった。この人ならいい気がしたんだ。

「昨日教えてもらった黃金律おうごんりつ、考えてみたんだ」

チラ、とヨハネの様子を窺う。特に聞き返してくることはなく、黙ったまま聞きっている。俺は再び地面に視線を戻した。

「俺は、ミルフィアと友達になりたいんだ。今はまだ違うんだけど。それで自分がされて嬉しいことをしろっていうからさ、ミルフィアの誕生會を開いたらどうだろうと思ったんだ」

「ほう、いいではないですか」

俺の報告に溫かい聲で頷いてくれる。しかし、問題はここからだ。

「だけど、俺には親しい人がいない。誕生會にう人がいないんだ。ただ、もしかしたら黃金律おうごんりつなら仲良くなれるかもとは思った。それでも、明日までに見つけないと間に合わなくて……」

話していて、自分がどれだけ滅茶苦茶で無謀なことをしているのか思い知らされる。親し人はいないのに誕生會に參加してくれる人を集める。それも明日まで。都合のいい夢語、甘いと一蹴いっしゅうされても仕方がない。

「なるほど」

けれど、聞こえてきた聲調せいちょうは穏やかで教師としての芯があった。振り向けば、ヨハネの顔は諦めていなかった。

「確かに宮司みやじさんは無信仰者です。そして周りは信仰者ばかり。これではうのは難しいでしょう。しかし、今の宮司みやじさんは黃金律おうごんりつについて考えて行している。黃金律おうごんりつという思想の下、宮司みやじさんは自らの道を手探りながら進んでいるのです。では、それを続けることです」

そう言うと、ヨハネは俺に振り向き、ニコッと微笑んだ。

「やってみればいいではないですか。信仰とは続けることに意味があります。ここで止めることにどんな理由がありますか。宮司みやじさんは、ミルフィアさんとお友達になりたいのでしょう?」

「ああ」

即答だった。それでヨハネは一回、大きく頷いた。

「それでは、もう答えは出ているではないですか」

「え?」

「諦めますか?」

ヨハネからの問いに、俺の表が引き締まった。

そうだ、なにを弱気になっているんだ俺は。ここで諦めることになんの意味がある。どの道やるしかないんだ。確証かくしょうなんてない、それこそ信じるしかない。手探りでも、この道が正しいって進むしかないんだ。

「どうやら決まったようですね」

ヨハネはそう言うと立ち上がった。

「おっとっと」

が、がよろめき転びそうになった。せっかくいいじだったのに!

「まったく、しっかりしてるのか抜けてるのか分からないな」

ヨハネは「あははは」と苦笑しながら頭を掻いた。そして姿勢を正す。

「それでは、私はこれで」

「待ってくれ!」

教室から出て行こうとするヨハネを慌てて呼び止める。俺も立ち上がり、ヨハネは足を止め振り返った。

「その、あの」

ヨハネが向ける「なんでしょうか?」という眼差しに言葉がなかなか出てこない。俺は言葉にすることに躊躇ちゅうちょするが、けれども言った。

「ありがとう。その、ヨハネ、……『先生』」

すぼみに聲は小さくなっていき、最後の言葉は霧きりのように消えてしまう。せっかく出した言葉なのにこれでは伝わるか分からない。

だが、俺の不安とは裏腹にヨハネの目がしだけ開かれた。その後すぐに微笑を作る。

「いえいえ」

溫かな聲を殘して、ヨハネは教室から出て行った。俺はその場に立ち続け、靜かにヨハネの背を見送った。そして窓から差し込む夕日を追いかける。

空は茜あかねに染まり、これから夜に変わることを告げている。一日の転換期をもうすぐ終えようとしていた。

けれど、俺はこれからだ。明日にすべてを賭ける。信じろ。無信仰者が自分まで信じられなくなったらお終いだ。

俺は夕日に背を向け、教室を後にした。

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