《天下界の無信仰者(イレギュラー)》かつての仲間

恵瑠えるは夕暮れの街を走っていた。小さい足音が響く。がむしゃらに走り、時折両目に浮かぶ涙を拭いながら、なにかから背を向けるように走っていた。

それで立ち止まる。神が追い掛けてきている気配はない。恵瑠えるは疲れたを休めようと建の影に立ち壁に手を付いた。

「ずいぶん辛そうだな」

「え?」

そこへ聲が掛けられた。

振り返る。聲をかけてきた人は道の中央に立っていた。その人は、

「ガブリエル?」

白いスーツ姿をした、國務長ガブリエルは一人っきりで立っていた。

「そっか。あの時助けてくれたのはガブリエルだったんだね」

ペトロたちに襲われる間際建が崩れたこと。本來なら出來過ぎだが彼が裏で行していたのならば納得だ。

「まあな。さすがに正面切ってやり合うわけにもいかんのでね」

「そうだね」

恵瑠えるは小さく笑うが元気はない。その表からは活気がごっそりと削げ落ちていた。

「ずっと、付けてたんだ」

「當然だろう。教皇派のきも気になる。それで、お前たちはこれからどうするつもりだったんだ」

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「できれば、ミルフィアさんと合流してサン・ジアイ大聖堂に戻る、かな。ねえ、ガブリエルはミルフィアさんたちがどこにいるのか知らないの?」

「さて、私は聞いていないな」

「そっか……」

それで二人の會話は止まった。ここには二人しかいないからか黙ると寂しげな空気が流れる。

恵瑠えるからの質問が終わるとガブリエルは恵瑠えるの橫を通り壁に背を預けた。恵瑠えるも壁に背中をくっつける。

町は夕日に濡れている。オレンジに暗い影。と影の明暗をぼうと見つめながら、二人は靜かに並んでいた。

「まさか、こんなことになるなんてね」

そこで、初めて口を開いたのは恵瑠えるの方だった。

恵瑠えるもガブリエルも正面を向いている。相手の顔を見ることなく、恵瑠えるは落ち著いた様子で話していく。

「ごめんね、ガブリエル。たぶん、ボクが一番迷をかけたのはガブリエルだから」

「いい。気にするな」

靜かな謝罪だった。それをガブリエルは短く切る。視線を恵瑠えるとは反対の右上へと向け、彼も小さく言葉を返す。

「仲間……『だった』んだ。しくらいはな」

「…………」

ガブリエルの言葉が、影で覆われた二人の間に溶けていく。

「私にはお前の苦しみは理解できん。したいとも思わんが。ミカエルやサリエルはお前を軽蔑けいべつするだろうが、不思議と私にはお前が嫌いになれなくてね」

「ガブリエルは、優しいから」

「そういう問題ではない。むしろ、これが優しさだとしたなら私は私を侮蔑ぶべつする。それは甘えでしかないからだ」

「ガブリエルは厳しいね」

「當然だ」

強気に言うガブリエル対して恵瑠えるは弱気な聲だった。意思というものに強さをつけるなら二人はとても対照的だ。

そんな恵瑠えるへと向けて、ガブリエルは追及する。

「一人で走って、なにから背を向けていた」

ガブリエルの質問。それに恵瑠えるは答えられない。

「お前はいつまでこうしているつもりだ」

そこで初めてガブリエルが恵瑠えるを見た。左にいる彼をガブリエルは見下ろす。

「私は以前言ったはずだ、覚悟はしておけと」

昨夜、ラファエルを加えた三人で湯船に浸かっている時、ガブリエルは彼たちにそう言っていた。

「うん…………。でも、ボクは……」

それは恵瑠えるも覚えている。覚えているが、しかし、それをどこかで認められない自分がいた。

ずっとこのままがいいと。

変わらず、今が続けばいいと。

しかし。

「いつまでも隠し通せるものではない」

ガブリエルの斷言が、恵瑠えるの甘い願を砕く。

出來るはずがない。この期に及んで、それはわがままでしかない。ガブリエルは容赦なく現実を突きつける。

それをけて、恵瑠えるの視線が下がった。

いつかは変わる。

いつかは終わる。

そんなこと初めから知っていたはずなのに。

けれど愚かにも、どこかで願ってしまうのだ。

今ある幸福に浸っていたい。

壊したくないのだと。

だけど。

「……うん、そうだね」

恵瑠えるは、頷いた。

現実に、天國も楽園もありはしない。永遠も、終わらない幸福もありはしない。

それを今更ながら恵瑠えるはれた。

「聞いていいか」

そこへガブリエルが聞いてくる。

「なぜお前は自分の道を選んだのだ、墮ちてまで」

「…………」

ガブリエルの顔は正面に戻っていた。険しい顔のまま目を瞑り、その聲はいつも通り真剣なのにどこか悲哀ひあいに満ちていた。

「何故だ。よりにもよって、なぜお前なんだ」

その問いに恵瑠えるは答えない。ただじっと黙って、ガブリエルの言葉に耳を貸している。

それは質問というよりも、告白に近いものだったからかもしれない。

隣人が黙って聞いてくれるからか、ガブリエルは思い留まることなく告白を続けていく。

そして、ついにそれは核心にれた。

「誰しもが、『お前に憧れていたというのに』」

「ガブリエル」

そこで恵瑠えるが口を開く。ガブリエルの言葉を遮るように。

恵瑠えるは正面を向いたまま、背を預けていた壁から離れた。そこから數歩進みガブリエルと距離を取る。彼に背を向けたまま、恵瑠えるは答えた。

「きれいな花がね、咲いていたんだ」

「…………」

今度はガブリエルが黙る番だった。質問に答える恵瑠えるの言葉を、ガブリエルはただじっと黙って聞いている。

「それをもっと近くで見たかった。実際にれ合って、話がしたいって、そう思ったんだ」

恵瑠えるの獨白は続く。靜かに、靜かに。その聲は街の影に消えていく。

恵瑠えるは振り向いた。そこにいるかつての仲間を見つけ、恵瑠えるは穏やかな聲で尋ねた。

「そう思うこと、ガブリエルにはないの?」

「…………」

質問にガブリエルは答えない。目を瞑った顔は険しいままだ。

「ふん」

その目がゆっくりと開かれた。目は自分の足元を見つめており、ガブリエルは背筋を正すと歩き出した。恵瑠えるに近づいてくる。そのまま歩き進め恵瑠えるの橫を通り過ぎる間際だった。

「あるものか」

それだけを言い殘し、ガブリエルは消えてしまった。

この場には恵瑠える一人だけが殘される。

ガブリエルからの返答に乾いた笑みを見せながら恵瑠えるは視線を下げた。

「うん……、そうだね」

あるはずがない。そんなものは當然だ、なのになにを聞いているのか。愚かな質問だった。

もしそんなことを思うなら、それは『裏切り』だというのに。

「いつまでも隠し通せない。そして」

恵瑠えるは、悲しそうに呟いた。

「味方なんて、いないんだ……」

そう、裏切りだ。

それが分かっていたのに、

愚かにも、

かつての自分は思ってしまったのだ。

天上の星ではない。

地上の花にこそ、されたいのだと。

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