《天下界の無信仰者(イレギュラー)》聖騎士ヨハネ

先日の襲撃事件から休校が続く神律しんりつ學園は被害の修復を急いでいた。本來なら大勢の生徒で賑わう中庭は建築業者が出りを繰り返し工事を進めている。

そこへ聖騎士第二位のヤコブは一人で訪れていた。茶い髪が歩く度にゆさゆさと揺れる。いつもの甲冑は外し白のコートに長ズボンを穿いている。

 顔はフードで隠し、同伴どうはんしてきた部下には門の前に車と一緒に待機たいきしてもらっている。

係りの者に待つように言われ一階廊下で待ち続けることしばらく。彼に聲が掛けられた。

「いやー、こんな事態にお客さんが來ていると言われ誰かと思いましたが、やはりあなたでしたか」

ヤコブに向かって一人の男が近寄ってくる。

聲は明るく朗ほがらかだ。クセのある黒い髪をした顔はらかな笑みを浮かべ、白の僧そういをに纏っている。

かみあたちのクラス擔任教師、ヨハネだった。

ヨハネもヤコブと同じ慈連立じあいれんりつの信仰者だ。その証に彼の左腕には慈連立じあいれんりつを示す白のハートの腕章が取り付けられている。

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ヤコブといえば慈連立じあいれんりつだけでなく世界的にも有名な信仰者だ。ここにいるのも名前を伏せてある。

 そんな相手を前にしてもヨハネはいつもの調子を崩さず、そんな彼にヤコブは聲をかけた。

「久しぶりだな」

それは親しくない兄弟に掛けるような、そんな聲だった。

ヤコブが不機嫌そうな態度で接してくるのを、ヨハネはけ流すように答える。

「そうですね」

短い、とても短いやり取り。その後沈黙が続く。しばらくしてから口を開いたのはヤコブの方だった。

「狀況は」

「おかげさまで見ての通りのご覧の有様ですよ。校舎は崩れ授業の日程は遅れています。ああ、かといって誤解しないでくださいよ? 私たちも暇というわけではなくてですね。遅れた分の授業を取り戻すため資料や課題の作で大忙しなんですから。授業計畫も練り直しです。ああ、忙しい忙しい。無駄話が出來る人が羨ましいですよ」

「相変わらずは腐ったままか?」

「さて、どうですかね」

ヤコブからの鋭い視線に曬されるがヨハネは涼しい顔だ。

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「込みった話でしょう? 場所を変えましょうか」

そう言いヨハネは歩き出しヤコブも後を付いて行く。

ヨハネが先頭になって歩いていくが、そこで背後のヤコブにも聞こえるように言葉を吐いた。

「いきなりの襲撃、突然の來訪。めちゃくちゃですね」

ヤコブは「フン」と鼻を鳴らすだけだった。

歩いてすぐヨハネは足を止め客室の扉を開ける。

「どうぞ。お茶は出しませんよ、長居はしないのでしょう?」

中には対面に置かれたソファがあり間にはテーブル、部屋の隅には食棚があった。

ヤコブはソファに座りヨハネは窓際で立つ。長居はしないという彼なりのアピールだ。

二人は室したがヤコブはすぐに本題を口にはしない。電気が點けていない部屋は薄暗く、どうにも気まずい空気が流れる。

話す気配のないヤコブに代わって、先に口を開いたのはヨハネだった。ブラインドカーテンの一部に指を掛け隙間すきまから外を覗く。視線の先は工事現場だ。

「それにしてもやってくれますねぇ。先日の襲撃してきたあの兵士、見れば教皇軍の特殊部隊じゃないですか。見た時は目を疑いましたよ。昔とは武裝ぶそうがやや異ことなっていましたが。しかし任務のためならお構いなしの豬頭は変わっていないようですね」

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「懐かしいか?」

「笑えない冗談ですね」

ヨハネはブラインドカーテンから指を離しヤコブに振り返る。

「それで、いつから最さい新鋭しんえいの武裝ぶそうをした汚れ役部隊の後始末を、伝統でんとうある聖騎士隊がするようになったのです?」

「いいや、ここに來たのは俺個人としてだ」

「それはそれは」

ヨハネはヤコブの対面にあるソファの後ろに回り背もたれに手を置いた。その後視線を下げる。

「ひどいものだ。あの破壊の爪痕つめあとが他者を助けるのを信條とする慈連立じあいれんりつの行いなど。おぞましいにもほどがある。彼らには使命以外の心はないんですかね」

「お前こそひどい言い草だ、お前の古巣ふるすだぞ」

「だからですよ」

ヨハネを顔を上げる。さきほどから自分を見つめる男に向かい背筋せすじを正した。

「ここにあなたが來た理由は分かります。ですので初めに言っておきましょう」

正面を向け、ヨハネは毅然きぜんとした態度で言い切った。

「お斷りします。お引き取りを」

「そう言われて俺が退くと思うか?」

だがヤコブも退かない。重い腰は上がることなく鋭い表のまま見つめてくる。

そこにいるのは教師だ。しかしヤコブの目はそうは言っていない。真剣な眼差しで、目の前の男にかつての異名いみょうを告げる。

「教皇軍デバッカー部隊所屬、聖騎士第三位、ヨハネ・ブルスト」

「元ですよ」

仰々しい言い方にヨハネは苦笑して答える。今では教師のヨハネだがそんな風に呼ばれていた時もあった。

「知っているはずだ、『兄さん』。私はもう戦わない。戦意というのが完全にへし折れていましてね」

「天羽てんはの襲來しゅうらいだ、お前も聖騎士なら知っているはずだ」

ヨハネの目がヤコブに向かう。けれどすぐに下を向いてしまった。

「神長派がき出している。かつての慘劇さんげきを現代で再び行うつもりだ」

気まずい空気がさらに重苦しくなっていく。言葉は短くともヤコブの気配には異いを言わせない圧力があった。

しかし、ヨハネは俯いたまま。その姿勢にはが差し弱々しい立ち姿だった。

「それでも、私は……」

聲にも寂しさが混じる。

「腑抜ふぬけたな」

そんなヨハネを叱咤しったするようにヤコブは厳しい口調で言ってくる。

「かつては第三位として活躍したお前が、今ではそのザマか」

兄からの挑発にヨハネはいつもの笑顔を作った。

「ええ、その通りですよ。このザマです。ですがね、私はこれでいいと思っているのですよ。子供たちの學び舎を躊躇いもなく戦場に変える彼らを見て確信しています。私は今の方がいいと。戦いなどという虛しい行いをするくらいなら、ここで、子供たちの長を導いてあげる方がよほど素晴らしい」

「それは罪滅ぼしか?」

ヤコブの目は変わらない。眼はヨハネを摑んで放さないでいる。

「かつてのお前は信仰心の塊だった。任務以外目にらず、強固きょうこな信仰心ゆえに疑うこともなく、任務を全うできる男だった」

ヨハネの過去。それを知っている者はない。本人ですら記憶の底に封印している。

この學園で誰が思うだろう。かつてのヨハネが、學園を躊躇いもなく襲撃できるあの兵士たちと同じ、特殊部隊に所屬していたなど。

しかも、そこでのヨハネは聖騎士第三位というエリートだ。

そこで、彼はいったいなにをしてきたのか。それを知る者はこの學園にはいない。

「彼らを見て昔の自分でも思い出したか? 実績が罪悪に変わり、今の行いに贖罪しょくざいを求めていると?」

「……分かりません。そうかもしれないし、もともと向いていたのかもしれない。確かなのはこの職を気にっているということです」

「……お前が教職きょうしょくとはな、変わるものだ」

「まったくですね」

ヤコブの言葉にヨハネは「ははは」と弱々しく笑う。乾いた笑い聲が部屋に消えると、この場は沈黙となった。

無言の間、ただ時間だけが過ぎていく。に宿る泥のような思いが沈殿ちんでんするのを待つように、なにかが変わるのを時間に任せる。

そんなヨハネに、ヤコブは聲をかけた。

「『あれは』、それほど辛かったか?」

鋭い口調は変わらない。

けれど。次の言葉を言う時、ヤコブの意気いきがわずかに下がった。

「『魔大戦まじゅつたいせん』は」

大戦まじゅつたいせん。ヤコブがそう言った時、ヨハネが握るソファの背もたれがぎしりと軋きしんだ。

「信仰者と魔師による最後の戦爭。被害は出たものの、結果は我々の圧勝だった。だが、あれは正義だ。やつらは滅ぼさねばならん悪だった」

「いいえ、それは違います」

力のないヨハネだったが、はっきりと否定した。

「正義? 悪? 意味のない線引きだ、まったく以て」

ヨハネはソファから手を放すと壁に背もたれた。今のヨハネにはまるで枯れ木のような寂しさをじさせる。

「私は、かつての私を許せない。そのあまりの愚鈍ぐどんさに首を締めたくなりますよ」

俯いた顔。輝きを失った瞳。忘れられない後悔にヨハネの思考は鬱屈うっくつした思いへと埋まっていく。

「人を守るために戦う? 誰と? 敵とはなんだ? 簡単なはずなのに。なぜ私は、あんな當たり前のことに気付けなかったのか」

ヨハネは思い出している、以前の自分がなした行いを。

他人はそれを偉業いぎょうと稱たたえるだろう。

強大な信仰心、崇高すうこうなる行。この時代では最大の名譽だ。己の信仰に殉じゅんじる。その輝きと誇り。

他人は彼に憧れるだろう、尊敬そんけいの念を抱くだろう。同じ信仰者としてそれは當たり前のこと。

けれど。

「私の敵。それは、人でしかなかったというのに」

正義の概念がいねんなどしょせんは価値観の押し付けだ。側面から見た印象を腳きゃくしょくと誇こ大だいで見繕みつくろい、化粧とドレスアップできれいに見せているだけ。

素顔を、誰も見ようとしない。

正義の仮面に隠された、その本質とはなんなのか。

「気づいてしまったんですよ。今まで敵だと思っていた、人とすら思っていなかった彼らが。悪だと誰もが言い、事実、信仰者を滅ぼさんとした彼らが」

それをヨハネは見てしまった。仮面を取り外し、そこにあるもう一つの顔を見てしまった。今まで信じてきたものとは別の顔。

その衝撃は、ヨハネの信仰に亀裂をれた。

「我が子を守るために、庇かばって死んだのですよ」

もう一つの顔は、信じていたものとあまりにもかけ離れていた。

理想の仮面。

現実の素顔。

それを目撃した時の、過去の記憶が當時のとともに蘇る。ヨハネは片手を額に當てた。

「あの時の顔が忘れられない。そして、目の前で親を亡くし泣きわめく子供の聲が耳から離れないんですよ。今でも」

今も記憶の中で燃え続ける戦場の業火。そこに木霊こだまする多くの悲鳴。

名譽はない。

誇りはない。

殘ったのは後悔だけだ。

「同じじゃないですか。我々と。誰かをし、そして守ろうとする。同じ人間なんですよ。それを敵と斷じ、滅ぼす虛しさ」

ヨハネの意気いきは消沈しょうちんとしていた。

「兄さん、私はもう戦えない」

「…………」

ヨハネの言葉は痛切つうせつだった。大き過ぎる悲しみと後悔に押し潰されそうなのを必死に耐えて立っている。

ヨハネはもう、戦える狀態ではなかった。

しかし。

「馬鹿者が!」

ヤコブは怒鳴った。まるで落雷を思わせる怒號どごうで。

ヤコブは前に出たを落ち著かせ椅子に座り直す。

「お前の気持ちは理解しているつもりだ。しかしだ、お前には參加してもらう。このままではお前はなに一つ守れなくなるぞ。ここの生徒も」

ヤコブは言った。弱り切ったヨハネを、それでも厳しい瞳で見つめる。

「お前はなにもせず、その時が來るのを待つのか? その時になって戦っていれば未然に防げていたかもしれないと後悔するのか? なぜ知りながら戦わなかったと糾弾きゅうだんする生徒に頭を下げるのか?」

ヤコブの言葉にヨハネは答えない。黙ったまま聞きれる。

「ヨハネ。お前に、なにもしないことなど出來ない。それを、なによりお前が許せないはずだ」

このままでは天羽てんはが襲來しゅうらいし地上を襲い始める。そうなれば當然ここの生徒も襲われる。それを知りながらなにもしないのは見捨てるのと同じだ。

そんなことをこの男が許せるか。いいや許せない。ヨハネはそんな男ではない。むしろそんな男ではないからこそこうして苦しんでいるのだ。

「守るためだ、戦え」

そう言うとヤコブは立ち上がった。そのまま歩き扉を開ける。

「門の前で待っている」

そう言い殘しヤコブは去っていった。扉は閉められ客室にはヨハネが取り殘される。

ヨハネは壁に背をもたれたまま顔を上に向けていた。どんよりした空気が流れ気分は暗い。

そのままじっとしていると、ヨハネはゆっくり息を吸い、そのまま深く吐き出した。

「……皮なものだ。守るために、誰かを傷つけるなど……」

気分は憂鬱ゆううつだ、自ら自分の墓を掘るような。

けれどヨハネは壁から離れた。そして扉へと歩き出す。

どの道、立ち止まっているわけにはいかない。危機が迫っている。

ヨハネは扉を開けた。その瞳は足元ではなく、正面を向いていた。

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