代わり婚約者は生真面目社長に甘くされる》6

食事を終え、私たちは外へ出た。

もう夏がすぐそばまで來ているからか、空はまだうっすらと明るい。

「……」

肩が痛み、思わずさすった。

気溫差や低気圧で昔の傷痕が痛むことがよくあるのだ。多分明日は雨。

「つばきさん?」

ぎゅうと肩を摑んでいる勢に、悠馬さんも気がつく。

つばきには傷なんてないので「古傷が…」とも言えない。それにこれ、どこでどうやって出來てしまったものなのか覚えがないのだ。結構大きめの傷だから覚えていてもよさそうだけれど。

「あ、いえ。蟲に刺されてしまったかなぁ、なんて」

誤魔化し笑いをする。今度から気を付けなければ。

悠馬さんは何か言いたげな顔をしたけれど、私のあまり突っ込んでほしくないオーラに気がついたのかどうなのか、それ以上は何も言わなかった。

「つばきさんは電車でこちらに來たんですか?」

「はい」

「送りましょう。俺、車で來たので」

ええ!? という聲をなんとか飲み込む。

いや、婚約者だからそういうことはおかしくないのだろう。うん、きっと私と悠馬さんが偽りなく婚約者であったならその提案は喜んでけていただろうけど…。

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し遠いですが…」

「大丈夫ですよ。ドライブするのは好きなので」

これは斷れない。失禮であるし、怪しまれてしまう。

別に今住んでいる私の家でなくてもいいのだ。本家の家に行ったほうがこの場合逆に良いだろう。

幸いにも昔から本家には年に何度も遊びに行っていたから場所は分かっていた。つばきの弟へメールをしておけば仮に家の人が出てきても話を合わせてくれるだろう。そもそも本家側が合わせてくれないと困るのだけれど。

「…お願いします」

悠馬さんが見ていない間に、リップぐらいは塗りなおせないだろうか…。

悠馬さんの車のはぴかぴかの白で、らかな座席は足元の空間がたっぷりと取られており足も楽にばせる広さだった。あまり車のことは詳しくないけれど、いいものだ、というのは分かる。

それに彼は運転がとても丁寧だ。急ブレーキ急発進はしないし、揺れもないのですごく安心する。

運転席にいる悠馬さんを意識しすぎて左の窓ばかりを凝視してしまっていた。

私たちは先ほどから沈黙を保っており、代わりに空間を満たすのはラジオと時折るナビの音聲だった。ラジオからは流行りの歌が流れている。恥ずかしくなるぐらいストレートなの歌だ。

「婚約者って、何をすればいいのでしょう」

つい、ぽろりとそんな言葉が出る。

悠馬さんはすぐには答えなかった。

曲が終わるころに彼は口を開く。

「俺もよく分かりません」

私は思わず笑ってしまった。

「あはは、分からない同士ですね、私たち」

「その通りですね。まずは互いを知っていく、というのが順序として正しいのかもしれません」

「きっとこれから嫌でも知ることになりますよ。だって、一緒に住むんですから」

口に出して、それまでほわほわとしていた覚が急に現実味を帯びてきた。

ああ、この人と暮らすんだなって。

「教えてくださいね、つばきさんのこと」

「…はい」

――罪悪が痛みながらも私は頷く。

悠馬さんの橫にいる「つばき」は違う人間だ。私は自分の本當の名前も告げないままに去っていくのだろう。だって代理なのだから、そうでなくではいけない。

高速を走り、降りてしばらくすると見慣れた街並みが目にってきた。

「ここを曲がると分かると思います」

「――ああ、なるほど。あそこですか」

このあたりの大地主で、とにかく広いからすぐに本家の家が分かる。白壁でぐるりと囲まれた平屋建て。門は昔ながらの木製で、私はこれを見るたびに武家屋敷みたいだなと思っている。

その前で私は下りた。

「ありがとうございました」

「いいえ。また週末の引っ越しの時に會いましょう。それでは――おやすみなさい」

「おやすみなさい。お気をつけて」

車を見送る。

さて――住んでいるアパートはここから二駅だ。まだ時間も遅くないので終電に心配することもない。駅までゆっくり歩いて行こう。

本家に立ち寄っても面倒なことしか言われないだろうし素知らぬふりをしてしまおう。

「あやめ姉さん?」

そうはいかなかった。小さい扉が開き、中からつばきの弟で大學生のかえで君が顔を覗かせた。

「かえで君、こんばんは。ごめんねメールしちゃって。もうゆう…香月さんは帰ったから大丈夫だよ」

「これからどうするんだ?」

「帰るよ。駅まで歩いて行こうとしてるところ」

「じゃあ送ってくよ」

有無を言わさずかえで君は私の橫に立った。

「香月さんってあの人だよな、つばき姉さんの婚約者」

「…うん」

「話は親父から聞いているけどさ…。でも好きでもない男と暮らすのはやっぱりおかしいよ」

「うん…」

「つばき姉さんが戻ってきたとき、『騙したな』ってまず言われるのはあやめ姉さんなんだぜ。あやめ姉さんは悪くないのに」

かえで君が気にしてくれているのは分かる。

確かにその未來が來てしまうだろうことも予想がついている。

でも今から考えだすとあまりに辛いので、もうし先延ばしにして目をそらしたかった。

「ありがとう、かえで君…。でも大丈夫、私は「つばき」の代わりになれるよ」

かえで君に言ったはずなのに、まるで自分に言い聞かせるようだ。

「私は本條つばき、香月悠馬さんの婚約者。今はこれでいいの」

私はほほ笑む。

いつ「あやめ」に戻れるのだろうか、そんなことを思いながら。

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