《代わり婚約者は生真面目社長に甘くされる》17
そこを回ったのは一時間半という短い間だったけれど、目まぐるしくて丸一日経ったのではないかと勘違いしてしまうほどだ。
悠馬さんは、顔を見ただけで相手の名前と職を瞬時に思い出して関連する話を引きだしていく。傍にいた私には理解が追いつかなかったけれど、彼の目からは相手の頭の上に名刺みたいな報が浮いていたりするのだろうか。
初対面の人とは名刺を換し、自分のことを手短に説明していた。人懐こいとは言えないけれど誠実さは伝わる表をして興味を持った態度で話を聞くので、第一印象は好が持てるのだろう。どの人もらかい口調で悠馬さんと會話をわしていた。
……今の彼を見ると、あの見合い席での悠馬さんはまったく本心からではなかったのだろうと分かる。
い表で、じいっと私のことを見ていたから。あの時の私が今の悠馬さんを見たら驚くだろうな。
「これでほぼ予定していたところは回れた」
名刺れを丁寧にカバンにしまいながら悠馬さんはつぶやく。
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「こんな時間か…。ここを出たら晝食にしたいけど、つばきさんお腹空いてる?」
「わ、もう正午なんだ。うん、お腹空いた」
「俺も。――ここの近くにベーカリーレストランがあって、味しいんだ。そこでいい?」
「うん」
味しいパンは好きだ。焼き立てのものを想像して思わず笑顔になってしまう。
徒歩で行ける距離というので二人で並んで歩く。
同棲してから會うのは室が多かったから、外でこうしているのは久しぶりではないだろうか。
そんなことを考えながらちらりと悠馬さんを見上げると、なんだか言いたげな表をしている。し待ってみる。
「……せっかくだから、この後どこか行かないか?」
「え?」
「まあ……いわゆる、デートみたいな」
いつもはっきりした口調の悠馬さんとは思えない歯切れの悪い言葉。
気まずいような、気恥ずかしいような、そんなが裏に含まれている。
私はというと、フリーズした。
「デ、デ?」
「食事に行ったのはあの一回だけだし、買いには一緒に行くけれど……娯楽系の外出はしたことなかっただろう?」
「そう、だね」
「仕事に付き合わせてしまったし。つばきさんがよければ、どうかなと」
「私、……」
だめだ。「あやめ」がこの人と幸せになってはいけないのだ。
「本のつばき」が行うべきことで、私がすべきことではない。
これ以上は――いけない。私に降り注ぐは、私のものではない。
そう思っているのに。これ以上勝手な真似は本家は許さないだろうと、そして私の良心が軋んでいると分かっていたけれど。
「……はい!」
ああ私、どんどんわがままになっていく。
すべきことを破って、目の前の優しさに甘えてしまう。
〇
巨大水槽の中でゆらゆらと魚が泳いでいる。
都心の水族館とれこまれたそこに私達は居た。
「魚好きなんだ」
「魚というか……、海の底にいるみたいで好きなの」
エイが傍までるようにして來る。隣にいた子供が歓聲をあげた。
遠のいていくエイ、そしてきらきらと輝くイワシの群れを眺めていると悠馬さんが不意に口を開く。
「俺に遠慮してる?」
「え?」
「會った時から、なんとなくだけど遠慮しているように思えて」
本當にその通りなのでなにも言い訳が出來ない。
「俺のことを怖がっていたら申し訳ないなと。なんというか……プライベートだと、冷たいだとか関心がないとか言われることがあるから、つばきさんも同じような想いをしているのか不安なんだ」
「そうかな? 悠馬さんは――いい人だよ」
そのいい人を騙し続けている。
そこに付け込んで、私は浮かれているのではないか?
「私……楽しいんだ、悠馬さんといると」
が苦しくなってくる。
「でもね、近いうちに、きっと……あなたを失させてしまう」
その日が來た時、私を忘れてくださいといっぱいの虛勢でしか言えないだろう。
私は道化だ。いつか來るお姫様の代わりに踴る稽な脇役。
しばらく魚を見つめていたが、自分があまりにこの場にそぐわないことを言っていたのに気づいて慌てて悠馬さんを見上げる。
彼もまた、水槽を眺めていた。
青いに包まれた橫顔があんまりにもきれいで、私は思わず息をのむ。
「失か。どんな?」
「……そのうち、きっと分かる。だから、私は……」
「その未來のことを考えて、俺と関わりにくい――と」
無言で頷く。
悠馬さんが小さく笑った。
「えっ……わ、笑うところあった!?」
「いや、安心しただけ。俺自に問題があって、それをつばきさんが口に出せていないならだいぶ不味いと思っていたから。同棲している以上、ストレスになるようなことはしたくなくて」
「そんなことはないよ! 私のほうが……遠慮しているなんて思わせて……あと、あと……ごめん」
何も言えなくなり、小さく謝ってうつむく私の頭を悠馬さんはぽんぽんと叩く。
「いいんだよ、言ってくれて嬉しい。つばきさんの気持ちを聞けて良かった」
「でも……ごめん、せっかくのデートなのに、こんな話」
「俺がそんなことで怒る男だと思う?」
「……思わない」
「だろう? つばきさんは想像の中の俺ではなくて、目の前の俺を見ていてほしいな」
イルカのショーが始まるとアナウンスが流れた。
一気に人が流れていく中、私たちは見つめ合っている。
「言いたくないことは言わなくていい。でも、助けてほしかったら言ってほしい」
「う、うん」
行こうと手を引かれた。
何故か、その溫を懐かしいとじる。
「君は昔から無茶をするから」
小さく呟かれた言葉に疑問が湧いたけれど、何に引っかかったのか分からないまま私はイルカのプールへ向かった。
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