《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》婚約破棄と衝撃

キラキラと輝くシャンデリアとらかな合いの天井畫。

白を基調に、繊細ながらも豪奢な金細工が壁から天井までを彩り、窓の合間にはいくつもの絵畫が飾られている。その殆どは歴代の王や王妃、後世までしさが語られる王子や王などの立ち姿だ。

広い舞踏の間はそれらの絵の近くで談笑する者、楽団の奏でる音楽に合わせて踴っている者、社に勤しむ者、友人知人と挨拶をわす者、結婚相手を探す者と様々だが、大勢の貴族やその子息令嬢で賑わっていた。

そんな舞踏會の一角にしい男が寄り添い合って立っている。

一人はき通るような白いに艶のあるハニーブロンドを緩く巻き、大きくたれ目がちなエメラルドグリーンの瞳を持つ、淡い青のドレスを著た小柄で華奢な。不安そうにこちらを見る表さを殘し、無垢そうな外見も相まって庇護をそそる。

一人は長いフラクスンブロンド――亜麻がかった金髪――にやや細い目付きのくすんだブルーの瞳、緑で統一した服裝の細の優男風の青年。傍のの肩を守るように抱き寄せてこちらを睨む眼差しは酷く忌々しそうなものだった。

二人に相対して立つのは真っ直ぐなプラチナブロンドに菫の切れ長の瞳をした冷たい顔立ちの化粧一つしていない。深い青の地味なドレスは多流行りを取りれているもののどこか野暮ったい。にしては長で、対面している優男風の青年より若干低いくらいだ。

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この三人が集まったのには理由がある。

「リチャード様、何故婚約者わたしではなくフィリスいもうとをエスコートされているのでしょうか?」

そう、はわたしの異母妹で、青年はわたしの婚約者だ。

本來ならばリチャードは婚約者のわたしを伴い舞踏會に訪れるべきなのだが、婚約者を無視してその異母妹をエスコートして平然とした顔で會場に現れた。

でわたしは婚約者がいるはずなのに一人で場するという辱めをけることになった。

わたしの問いにリチャードは小馬鹿にするように鼻で笑う。

「言わないと分からないとはやはりお前はグズだな。しくもなければ可げも想もないつまらぬよりも、しく、らしく、社に富んだ魅力的なを選ぶのは當然だと言うことだ」

おしげにリチャードは異母妹のフィリスを見やる。

フィリスが涙を溜めた瞳で震えながらわたしへ言った。

「ごめんなさい、お姉様……。リチャード様はお姉様の婚約者だと分かっていたんです。……でも、好きになってしまって、気持ちが抑え切れなくて……」

涙を我慢するためか伏せられた睫は長く、影を落としたその表は痛みを耐えるかの如く苦しそうで、それを見たリチャードが「君は何も悪くない」と異母妹の肩をでる。

周囲にいた人々が張り詰めた空気をじたのか聲を潛めてこちらを窺っている。

今にも泣きだしてしまうのではといった様子のフィリスから視線を上げたリチャードが再度わたしを睨んだ。

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「私は君との婚約を破棄する。そして彼、フィリス=アリンガム嬢と婚約する」

ガン、と頭を毆られた気分だった。

同時にまるで世界が、視界が広がるような覚がした。頭の中をわたしのものではない記憶が一瞬にして駆け巡り、灰の世界にが付く。これまでわたしの中にあった常識や覚がそれに塗り替えられて、何にも興味を持てなかったのが噓みたいに世界が輝いて見える。

それとは逆に、目の前で婚約破棄を言い出した男がどうでもよく思えた。

空っぽだったわたしは生まれる前に別の人間として生きたわたしの記憶で満たされる。

前のわたしは両親にされ、一人っ子であったが仲の良い友人や職場の同僚達がいて、人目を憚らずに好きなものを好きだと公言して生きていた。人はいなかったけれど漫畫やアニメの登場人が大好きで、グッズを集めたりイベントに行ったり、他人からの評価なんて気にせずお一人様を悠々と満喫して過ごす。

今生の無関心な父も、意地の悪い継母も、わたしから何でも奪おうとする異母妹もいない世界。

優しく、明るく、時に大変な思いもしたようだが、自由で沢山のを得た記憶。

時間にしたら、一呼吸ほどの出來事だっただろうか。

數秒前のわたしなら追い縋ったかもしれないが、満たされた今のわたしにはリチャードのなどもうどうでも良くなっていた。むしろ、そんなもの要らないよなあとすら考えてしまった。

「それは両家の合意の上で決まったことですか? もしフィリスとリチャード様二人だけでお決めになったことであれば、両家で話し合わねばなりません」

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「フィリスの両親も僕の両親も承知している。何よりフィリスは既に僕の子を宿しているから、いくらお前が嫌だと言っても婚約は破棄するしかないぞ」

その言葉に聞き耳を立てていた人々が小さくざわめいた。

貴族の娘は結婚まで純潔を守るのが當然で、たとえ人や婚約者相手であっても容易にを許してはならず、淑たるもの貞淑であれというのが貴族社會での常識だ。時折、式を挙げる直前にごもる者もいたがされるものだった。

子爵家の大して有名な家ではないと言えども、結婚どころか婚約すらしていない娘がを許した。

それも、こともあろうに異母姉の婚約者を寢取ったのだ。

常識ある者は眉を顰めたり、不快に歪んだ口元を扇子で隠したりする。そういったものを表に出さない者もいたが、殆どは面白いことが起こったと様子を窺っている。

父も継母も、そしてリチャードの両親も同意しているならばわたしに拒否権はない。

リチャードの家は伯爵家だから子爵家のこちらの方が立場も弱い。

まあ、異母妹を溺している父と継母は喜んだに違いない。

子のことをリチャードが口にするとフィリスが慌てた様子でリチャードの服を引く。

「リチャード様、それは……」

今更止めたところでもう遅い。

リチャードもハッと我に返ったが堂々としていた。

「構わないだろう。君はそう遠からず僕の妻になる」

昔から々場の雰囲気を考えない男だとじていたが、本當に空気が読めないらしい。

異母妹は周囲のあまり好意的でない様子を察したのか気まずそうだ。

「分かりました。婚約破棄をれます」

「ふん、初めからそう言えば良かったんだ。まったく、最後まで手間をかけさせるだな」

「申し訳ございません。それではわたしは失禮致します」

元婚約者の文句を適當にけ流し、カーテシーをして場を離れる。

最悪なことに舞踏の間の奧側にいたため、すぐに退場するにしても距離がある。

その長い距離を気持ち早足で歩きつつ、解放につい微かに口元が弧を描いてしまう。

あの婚約者と別れられて清々したわ。わたしだってあんな男と婚約させられて実はうんざりしていたんだもの。初日の顔合わせでは不機嫌を隠そうともせず、お互いの家を訪ねてもわたしよりも異母妹ばかり気にして、わたしのことをいつも馬鹿にしてあれこれ言いたい放題で嫌だったし。

家同士の政略結婚でなければ絶対にあんなのは選ばないわね。

おまけに最後に自してくれた。寢取られたわたしも婚約者を摑まえておけない魅力のないと馬鹿にされるかもしれないが、異母妹は姉の婚約者を寢取る非常識で持ちの悪いだと認識される。

の社界では貞淑さはかなり重要視されるので爪弾きものだ。

さあて、それよりも今後のことを考えなくちゃいけないわね。

一度婚約を破棄された令嬢は本人の有責無責に拘わらず次の婚約相手が探し難くなる。

いっそのこと貴族の令嬢なんてやめて町娘になろうかしら。

前のわたしの記憶のおか働くことに忌避もない。

それも悪くないわね、と顔を上げた先に大きな人影を見つけて思わず足が止まった。

舞踏の間の出り口近くにいるその人は他の人々よりも頭一つ以上背が高く、細で繊細な形が好まれる貴族達の中では目立つほどにがっしりとした軀で、王宮の近衛騎士のみ著ることを許された純白に金糸の詰襟の騎士服に深紅のマントを纏う。服裝と格で男だと分かる。

だが何より目を引くのは首から上だ。

本來であれば人間の頭部が存在するはずのそこにあったのは獅子の頭部。

鮮やかな金の鬣に縁取られた顔はライオンの頭そのもので、閉じた口の形からして恐らく口を開けたら牙が覗くだろう。多分口の周りにはヒゲもある。詰襟まで綺麗な並みで覆われている。

その人の周囲に人気はなく、壁に寄りかかり腕を組む姿は大変に目立った。

早くここから立ち去らなければと思うのに足はかない。

ふと、その人が視線に気付いたのかこちらを見た。

目が合った瞬間、わたしは衝撃をけた。

……あれは獣人?

この世界には魔法の代わりに魔というものがある。ただ誰でも使えるわけではなく、魔師と呼ばれる人々にしか扱えない。王族や高位貴族のごく一部には使える人もいるが、それは魔師を迎えれたからこそで、下位貴族や平民に使えるものはまずいない。

そして殘念ながらこの世界にエルフや獣人は存在していない。

いるのは人間と魔獣とただの

つまり、その人の容貌は異端であった。

けれども、わたしには懐かしくおしい姿であった。

「……素敵……」

前のわたしは重度の獣人フェチだったのだ。

それもネコ科のが他よりも一等好きだと思い出した。

* * * * *

ライリー=ウィンターズは王より直々に騎士爵位を賜った男である。

元は男爵家の三男坊に生まれ、代々騎士を輩出する家系で當然の如く騎士を目指し、若いうちから才覚を現した。二十歳を過ぎる頃には王家の騎士団にり、鍛錬も仕事も真面目にこなして、王都近郊に現れた強い魔獣の討伐に駆り出されることもなくなかった。

魔獣討伐は危険だが実力のある者だからこそ任されるものだ。

五年前、彼の人生を左右する出來事が起きた。

非常に狂暴な獅子の魔獣が王都のすぐ近くで発生した。討伐のために騎士団から大勢が選ばれた。ライリーもその中の一人だったのは言うまでもない。

しかし獅子の魔獣は驚くほどに強く、共に戦った騎士の何人もが犠牲者となった。

に噛み付かれた瞬間に死ぬ覚悟で獅子の頭部へ剣を突き立てた。

それが致命傷になり獅子の魔獣は死に、瀕死の傷を負ったライリーは同行していた治療に特化した魔師のおで幸い生き殘ることが出來た。その時に負った傷跡までは消せず、今もに殘っている。

だが目覚めたライリーは愕然とした。

まるで獅子の魔獣が自に乗り移ったかのような姿にり果てていたからだ。

は以前よりも一回りは大きくなり、全並みに覆われ、手には鋭く黒い爪が生え、顔は獅子そのもので恐ろしい唸り聲すら同じで、には尾まで生えていたのだ。

呪われたのだとすぐさま理解して周囲に迷をかける前にと自死しようとした。

けれど獅子のは強靭でただの剣では大した傷にもならず、そして大抵の傷はそう時間をかけずに治り、首を吊ろうとしても息苦しいのが続くばかり。

が強靭になったことと容貌以外は至って健康だった。

王には命を賭して魔獣を打ち倒した褒として騎士の爵位を授かった。

そのまま騎士団で三年勤め、強靭なを生かして魔獣を討伐し続けて功績を上げた結果、二年前に好きな第二王子の近衛隊に就任した。第二王子は魔師で、獅子の魔獣討伐に參加しており、ライリーの呪いにも理解がある人だ。

五年前に呪いをけて以來、ライリーは恐れられている。

彼に対して何の恐れもなく接するのは家族と近衛騎士の部下達と、王家の男陣くらい。

そんなライリーが二十七歳になっても獨なのは仕方のないことだった。

恐ろしい獅子のと怪力を持つ大柄な男がに好かれるはずがない。

魔獣を知る街の者ですら敬遠するこの姿は、貴族の子には更に刺激が強く、見合いがあってもほぼ相手の令嬢が気絶するか怯えて泣き出すかといった有様。結婚など夢のまた夢だ。

それでも王家からは優秀な騎士のを途絶えさせるのは惜しいと舞踏會へ引っ張り出された。

上に兄が二人、姉が一人いるのでウィンターズ家のは殘る。

今回、舞踏會に出席したのは自他ともに諦めるためだ。

相手がいなければ結婚しようにも出來まい。

舞踏の間の出り口で不審者がいないか警戒しつつ、壁に寄りかかって周囲の様子を眺めて過ごす。

獅子になって全ての類を新調したが獅子の影響か類を著ると窮屈にじる。

溜め息を吐きたいけれど、それをすると唸り聲が出てしまうので我慢する。

煌びやかな世界で自分という異端を意識しながら過ごすのは苦痛だ。

早く終わらないものかと思っていると強い視線に気付く。

ついそれを辿って顔をかすとその先には一人の令嬢がいた。

艶のある真っ直ぐなプラチナブロンドにしい菫の瞳を持つ、どこか冷たい容貌をした娘は髪を結っておらず、それで未婚のだと分かる。にしては長だ。すらりとびた手足で線が細く、地味な深い青のドレス姿だ。

きを止めた令嬢と視線が絡む。

無表だが、何故かその瞳は熱心にこちらを見つめている。

恐れも、怯えも、侮蔑も、憐れみもない瞳は逸らされない。

淡い薄紅が小さく開かれるのが見えた。

「……素敵……」

うっとりと呟かれた言葉を理解出來なかった。

…………何だって?

幾多の魔獣討伐でも揺らがなかったライリーは久しぶりに揺した。

* * * * *

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