《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》ピアース子爵家

あの舞踏會から一ヶ月半。

わたしは手元にある便箋に目を通していた。

手紙の差出人はイーノック=ピアース子爵。

容は、わたしの実母の実家、ピアース子爵からのお茶會のいであった。

お茶會と言ってもだけのものらしい。

そしてそれは名目上のものであり、実際はわたしと會って話をしたい、とのことだ。

……行ってもいいかしら?

「今更何の用なのでしょうね」

ティーカップにお茶を注ぎながらユナが言う。

わたしの言いたかったことを言ってくれた。

「さあ。でもわたしが英雄と婚約したから縁を繋ぎたいのではないかしら? 英雄と親戚関係になれれば、第二王子殿下とお會いする機會もあるでしょうし」

リタとユナから妙な圧力をじる。

手紙を置き、淹れてもらった紅茶を一口飲む。

味しい。濃い目に淹れた紅茶にたっぷりのミルクをれた、このまろやかな味が好きなのよね。

それからケーキスタンドのスコーンを小皿に取り、一口サイズに切ったらジャムを塗り、口にれる。

甘くてバラの香りのするジャムが焼きたてのスコーンとよく合っている。

すぐに紅茶を含めば口の中は幸せでいっぱいだ。

「それで、會いに行かれるのですか?」

その問いかけに考える。

正直に言えば會う理由はない。

母がアリンガム子爵家に嫁りして以降、恐らくピアース子爵家は母とあまり関わらなかった。

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母と父の結婚が政略であったことは知っている。

だが母やわたしが父に放置されている間も、その後、継母とフィリスが來てからも、會った覚えはない。

理由は知らないがピアース子爵からも母と私は放置されていたようだ。

それが今になって放置していたわたしが英雄と婚約したから縁を戻そうとしているのかもしれない。

「そうね、一度くらいは會っておこうと思うの」

どんな理由であれ、縁を繋ぐ気はないわ。

話は聞くけれど今回行くのは二度と関わるのをやめてくれるよう頼むためよ。

「ライリー様のお休みをお聞きしないとね」

當然、一人で行くつもりはない。

* * * * *

ライリー様の休日を聞いてから手紙を返した。

そして二日後、お仕事がお休みのライリー様と共に馬車に乗り、ピアース子爵家へ向かった。

わたしが行くと決めたからついて來てくださるけれど、ライリー様はピアース子爵家をあまり良く思っていないようだ。

母とわたしを長年放置していたことが引っかかるらしい。

心配なさらずとも大丈夫ですよ。ただ話を聞きに行くだけですもの」

繋いだ手を握り返せばライリー様が小さく唸る。

「だが、今更連絡をしてくるような人々だぞ? 自分勝手なことを言い出すかもしれない」

「あら、その時はライリー様がわたしを抱えて出て行けば良いのです。どれだけ引き止めようとしてもライリー様ほど強い方を力技で抑えることは出來ませんもの」

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「それもそうか」

冗談じりに言えばライリー様がふっと笑った。

やがて馬車が止まり、者が扉を開けた。

先にライリー様が降りて、その手を借りてわたしも馬車から降りて外へ出る。

ピアース子爵家の屋敷の前には四人の男が待っていた。うち二人の男は老年で、うち二人は三十から四十代ほどに見える。

「初めまして、エディス=ベントリーと申します」

「婚約者のライリー=ウィンターズです」

本來であればこの後に「本日はお茶會においいただき栄です」とか「おいいただき、ありがとうございます」と続けるのだが、わたしは最も短い挨拶だけで済ませた。

四人は僅かに顔を強張らせた。

しかし子爵家の者が伯爵家の者にこの程度のことで苦言を呈することは出來ないし、立場的に考えて文句を言えるほど厚顔ではなかったようだ。

禮を取ったわたし達に子爵家も同様に返す。

「當主のイーノック=ピアースです。こちらは父のブランドンと母のパメラ、妹のマーゴットです。今日は突然のおいにも関わらず來てくださり、ありがとうございます」

四十代半ばほどの男がイーノック。

次に七十か六十後半ほどの男が前當主のブランドンと妻のパメラ、そして三十代後半のが當主の妹のマーゴット。

一目でわたしとの繋がりが分かる外見だった。

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わたしは母親似であったが、母もまた自分の母親によく似ていたのだろう。そして兄妹も。

「どうぞ中へ。我が家と思ってお寛ぎください」

當主の言葉にわたしはニコリと微笑む。

「お気遣いありがとうございます。ですがわたしには素晴らしい実家がございますので遠慮させていただきますわ」

家へ招きれようとしたイーノックが直した。

いや、イーノックを含めた全員が固まった。

むしろどうしてわたしがれると思ったのかしら。不思議よね。招きに応じたから?

もう一度、意味深長にニコリと笑みを深めれば、我に返った様子でぎこちなく笑みを浮かべてき出した。

「そうですか、それは失禮しました」

わたしとライリー様は招かれるまま屋敷へ足を踏みれる。

屋敷は子爵家に相応しいものだった。

裕福だったアリンガム子爵家よりかは小さいが、置かれた調度品や四人の服裝などから、それなりに裕福そうなじがする。

そうして通されたのは居間だった。

ライリー様のが僅かに逆立った。

基本的に親しい間柄でもない限り、居間へ通すことはない。居間は家族の憩いの場でもあるからだ。大抵は応接室である。

親しくもないのに居間に通されて、その勝手というか、厚かましい対応がライリー様を不愉快にさせたようだ。

わたしもあまりいい気はしていない。

「失禮だが、ここではなく応接室で話をさせていただけますか」

ライリー様がそう言った。

イーノックが振り返り、困した顔を見せた。

「応接室、ですか?」

「ええ、そうですわね。初めてお伺いしたのにいきなり居間へ通されるなんて、何だか怖いですわ」

わざとらしくライリー様の腕へ縋り付く。

「あ、そ、そうでした。申し訳ありません」

自分達のしている意味にやっと気付いたのかイーノックが慌てた様子で別の部屋に案し始める。

他の三人は何故かし驚いた顔をしていた。

応接室に通され、ライリー様と並んでソファーに腰掛ける。あえて近くに座ればライリー様の尾がゆるくわたしの腰に回った。

尾がかわいい。ああ、ちょっと落ち著いたわ。

向かい側と斜向かいのソファーに四人が座る。

使用人が紅茶を淹れ、軽食やお菓子をテーブルへ並べると応接室を出て行った。

「改めて、あなたの母親、ライラ=ピアースの兄のイーノックです。先程は重ね重ね失禮をいたしました」

淺く頭を下げられ、わたしは首を振った。

「もう來ることも関わることもございませんので、お気遣いなく」

私の言葉に四人がギョッと表を崩す。

前當主夫人が思わずといった様子で口を開いた。

「な、何故ですか? 確かにあなたはベントリー伯爵家に養子にりましたが、あなたは私の娘の子。家族ではありませんか!」

「っ、母上!」

若干興しているらしい前當主夫人をイーノックが諌めるように呼ぶ。

前當主と當主の妹もどうやら同じ考えなのか、わたしのことを困した顔で見ている。

むしろわたしの方が困してしまった。

「ではあなた方は母とわたしが冷遇されている間、何かしてくださいましたか?」

夫人が一瞬言葉に詰まる。

「それは……。ですが心配はしておりましたわ!」

「そうですか。心配していたというわりには、一度も會いに來ておりませんわよね? 母の下へ來た手紙は全て覚えておりますけれど、ピアース子爵家からは一通もございませんでしたが、それでも心から心配していたと?」

「それは初耳だな」

夫人の言葉に反論したわたしにライリー様が低い聲で呟く。

母の名前は母宛の手紙を見て知っていたもので、ピアース子爵家から手紙が來なければ母の実家があるという事実すら忘れていたくらいだ。

押し黙った夫人を守るように前當主が言う。

「仕方なかったのです。アリンガム子爵家とは政略でした。當時、我が家は貧乏で、ライラを嫁りさせる代わりに金銭的援助をけておりました」

「それだとアリンガム子爵家にうまみがないように聞こえますが」

「……ライラは使用人と仲になっており、その、既に純潔を失っておりました。アリンガム子爵家は新興貴族でしたので、歴史のある我が家のれることで地位を確立したかったようです」

「なるほど」

前當主とライリー様のやり取りを聞き、わたしもなるほどなと思った。

貴族の娘は婚姻まで純潔を守らねばならない。

母は人がおり、既に大切なそれを失っていた。政略結婚の道としてはもう使えない。

しかしそのまま放逐するにしても家に置くにしても醜聞になってしまう。

それに前アリンガム子爵が目をつけたのだろう。

純潔でなくとも良いと母と息子を政略結婚させたのだ。

ピアース子爵家にとっても純潔を散らしてしまった娘と貧乏の両方が解決するので大喜びだ。

恐らくピアース子爵家で母ライラは厄介者扱いされていたのだろう。

だから婚姻後もピアース子爵家は母に構わなかった。厄介払い出來て安心したのかもしれない。

そのような経緯で嫁いだ先でどのような扱いをされているかなんて興味がなかったのか、どうでもよかったのか。

アリンガム子爵家からもピアース子爵家からも放っておかれた母はそれでも義務としてわたしを生んだ。

母はわたしに対して余所余所しい態度であった。

それもそうだろう。する人と引き離されて、政略のために好きでもない相手の子を生まされたのだ。それが貴族の義務と分かっていても心の方は納得出來なかったのかもしれない。

ただ待はされなかったし、余所余所しくはあったが子として扱ってはくれていたので悪い人ではなかったのだと思う。

「それで?」

わたしが先を促せば、前當主が一瞬怪訝そうな顔を見せた。

「母のことは分かりました。それで、今まで関わり合いのなかったわたしに、何故、今更連絡を取ったのですか?」

わざとらしいほど強調して言うと四人が視線を落とす。

特にイーノックは気まずそうだ。

「ほ、ほら、あなたはの繋がりのある家はアリンガム子爵の分家かピアース子爵家でしょう? 時にはの繋がりがある方が安心出來ることもあるかと思って……」

の繋がりのある実父に冷遇されておりましたの。信用なりませんわ。が繋がっているからこそ非になれることもあるとわたしは知っていますもの」

「私は違いますわ!」

「母とわたしを長年放置していたのに?」

更に言い募ろうとする前當主夫人を、イーノックが手で制する。

そうして苦蟲を噛み潰したような表で頭を下げる。

「長年あなたとライラを放置していたことは謝罪します。……申し訳ありませんでした」

それに頷き返す。

「謝罪はれます」

そう、あなた方の謝罪はれるわ。

いつまでもうじうじ言われたくない。

顔を上げたイーノックはわたしを見た。

「では……!」

「ですが許すことは出來ません。子爵家での十數年間のつらさは忘れられません。あなた方は母を捨てた。その時にわたしも捨てたのです。一度手放したものは戻らないものですわ」

僅かな希を得たようで申し訳ないけれど、わたしはそれを容赦なく切り捨てる。

勘違いされないように斷言する。

「わたしはもうベントリー伯爵家の娘です。あなた方ピアース子爵家のライラの娘ではありませんわ。ですので、今後一切関わらないでいただきたいのです」

「そんな、一切……? 親族どころか、知り合いとしても関わることはないと……?」

「ピアース子爵家に関われば、わたしは一生アリンガム子爵家との繋がりをじ続けることになるでしょう。待されていた記憶も共に」

この世にはいない父や継母を思い出して、つい俯いてしまう。

継母に暴力を振るわれたこともなくない。

アリンガム子爵家でのことは忘れたいのだ。

橫にいたライリー様が抱き締めてくださった。

「エディスがこう言っているので、申し訳ないが今後は連絡や挨拶などは差し控えてしい」

「…………分かりました」

ライリー様にまで言われてイーノックが頷く。

それに前當主とその夫人が聲を上げた。

「イーノック!?」

「ダメよ、そんなの!!」

「父上、母上、気付いてください。我々はベントリー伯爵令嬢に嫌われているのですよ」

「嫌われてって……?!」

顔を上げた二人をわたしは見據えた。

は微笑みを絶やしてはならない。

だが無表で見つめ返したわたしに、二人はハッと息を詰め、顔を悪くする。

ライリー様は相変わらずちょっとが逆立っており、いつもよりモフモフが増している。ふわっふわでちょっと気持ちいいわね。

「ええ、そうですわ。わたしはあなた方が嫌いです。自分の都合のいいようにわたしを扱おうとする、あなた方の行いも、考えも、一方的な同も不愉快ですの」

前當主と夫人が絶句している。

そもそも、どうしてわたしがあなた方をれなければならないのかしら。

の繋がりがあるから?

母という繋がりがあるから?

そんなもの今のわたしには何の得にもならないし、何の意味もないし、何のも湧かない。

ただわたしという個人のや意思を一切考慮せずに都合良く近付いて來たことが不愉快だった。だから嫌いになった。わたしはものではないわ。

「ライリー様、もうお暇させていただきましょう? ここにいても堂々巡りなだけですもの」

「そうだな、ここにいても家族の団欒を邪魔してしまうだけだろうな。……それでは我々はこの辺りで失禮させていただきます」

ライリー様へ言えば、ライリー様は前半はわたしへ、後半はピアース子爵家の四人へ向けた。

イーノックは一度を噛み締めると諦めたような笑みを浮かべて立ち上がった。

それは殘念そうな、申し訳なさそうな、悔しそうな、そういった様々なの混じった笑みだった。

「そうですね、その方がお互いのためにも良いでしょう。……お恥ずかしい所をお見せしました。以降はお二人への関わりを差し控えさせていただきます」

「ええ、是非そうしてくださいませ」

にこりと微笑み返す。ピアース子爵家に來て初めて心から浮かべた笑顔だった。

そのことにイーノックも気付いたのか苦笑する。

前當主と夫人は何か言いたそうにしていたものの、當主のイーノックに睨まれれば口を噤んだ。

ライリー様と共に禮を取り、イーノックに指示されて當主の妹が立ち上がり、その案けて応接室を後にする。

……そういえばこの人は全く喋らなかったわね。

母によく似た顔立ちのは一度も振り返らず、聲も発さずにわたし達を玄関まで案した。

「それでは失禮します」

當主に『お元気でお過ごしください』とお伝えください。それでは失禮致しました」

言外に二度と會うことはないと告げる。

目の前のは黙って靜かに頭を下げた。

わたし達はそれをけながら馬車に乗り込む。

扉が閉まる直前に「……お元気で」とらかな聲が聞こえ、思わず視線を向けたが扉は閉められる。

……記憶の中の母の聲ととてもよく似ていた。

まるで母が言ったかのようだった。

「……大丈夫よ」

口の中だけで、お母様、と呟く。

ライリー様は何も言わずにわたしを抱き寄せてくださった。ふさふさの鬣に顔を埋める。

わたしはもう前だけを向いて歩くから。

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