《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》夜會(2)

「ハ、ハーグリーヴズ公爵家の夜會を騒がせてしまい申し訳ありません。……ウィンターズ様、エ、ベントリー伯爵令嬢にもご迷をおかけしてすみませんでした」

父親の言葉をなぞっただけの謝罪であった。

しかも相手へ一度も顔を向けていない。

……と、言いますかわたしのこと、名前で呼ぼうとして慌てて言い直しましたわよね?

それにライリー様も気付いたのか橫から怒気が漂ってくる。獅子の姿だったら唸ってたかもしれない。

父親に言われたから口にした、といった様子のディヴィッドにハーグリーヴズ公爵家の者は不愉快そうに眉を寄せていた。

アンドルーズ公爵も息子が反省していないと気付いて、真っ青を通り越して死人のように白い顔になった。

「謝罪をする必要はない」

それは謝罪されても許す気はないという意味か、それとも謝罪をする機會すら與えないという意味か。

の悪い公爵とは裏腹に、ディヴィッドの方は何故か表を明るくした。

「ありがとうございます!」

え、どうしてそこでお禮の言葉が出てくるの?

まさか、まさかだけど「謝罪をする必要はない」を「謝罪するほどのことじゃないから許す」と勘違いしていらっしゃるの?

これにはさすがのハーグリーヴズ公爵も絶句していた。

そうよね、この狀況や周りの様子からして、どうしてそのように考えられるのかが謎よね。

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その前向きさというか、楽観さに、何とも言えない薄気味悪さをじてしまう。

言葉の意味を理解していないとか、他人のの機微に疎いとか、そういう次元の話ではなくて、まるで生きてる世界が違うみたいに常識が通じていない。

何を言っても自分の都合の良いように聞いている。

誰もが言葉を失っている中で、ディヴィッドのあまりにありえない様子に耐え切れなかったのかショーン殿下がハーグリーヴズ公爵の橫に立つ。

「ねえ、君、頭大丈夫? ハーグリーヴズ公爵は『許す』とは一言も言ってないけど、今のは何に対する『ありがとう』なの? あと本來謝罪しなくちゃいけないのは君なんだけど、そこのところ分かってる?」

心底呆れた様子のショーン殿下の言葉にディヴィッドがキョトンとし、それから叱られた子供のように俯き加減になる。

「そ、その、僕の短慮で夜會を騒がせてしまったので、謝罪するのは僕……だと思います。でも謝罪する必要がないということは謝らなくてもいいということですよね?」

「そこは理解していたんだ? でも『謝罪は必要ない』というのは、僕は『謝罪されても許す気はない』って意味に聞こえたんだけど」

やはり自分の都合の良いように考えていた。

それに対しショーン殿下はの考えを述べてから、橫にいるハーグリーヴズ公爵へ「そうだよね?」と問う。

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それにハーグリーヴズ公爵が頷いた。

「ええ、その通りです」

「そんな……。だ、だって公爵である父が謝罪したんですよ?」

「公爵が謝罪すれば何でも許されると思っているのか? もし爵位を盾にしているのであれば、私も公爵なのだが、その場合でも許されるのかね?」

真っ向から聞き返されてディヴィッドが黙る。

公爵家という爵位を盾にしていても、相手も同格の公爵位であった場合は別だろう。

いや、娘が王子の婚約者となったハーグリーヴズ家は公爵位の中でも家格が上がっているので、恐らくアンドルーズ公爵家よりも影響力があるはずだ。

だからアンドルーズ公爵も素直に息子の犯した愚行を説明したのね。

「今度はだんまりか。まあ、いいけどね。様子からして今までの君の行いも何となく分かったし」

ショーン殿下はそうおっしゃるとアンドルーズ公爵へ顔を向けた。

笑みを浮かべてはいるものの、その目は決して笑ってなどいなかった。

「アンドルーズ公爵」

「はい」

「息子への教育が甘かったみたいだね」

「……お恥ずかしい限りです」

貴族としての常識やマナーも知らず、守れず、そのくせ親の爵位を盾に勝手な言ばかり。おまけに他の貴族に対して下に見ているのがけて見える。

家を継がない三男とは言えど、このように育った息子をさすがのアンドルーズ公爵も庇うことはなかった。

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王族に貴族としての資質を問われたディヴィッドはこの先、貴族でい続けるのは難しいだろう。

「息子は自領にて謹慎させるつもりでしたが、恐らくそれでは周囲へ迷をかけ続けてしまうでしょう。領地の一つにある屋敷へ生涯幽閉します」

アンドルーズ公爵の言葉に騒めきが広がる。

幽閉とは、本來であればよほどの罪を犯した者でなければ下されないものだ。

一生をその屋敷で過ごすというものだ。

貴族の子息には非常に厳しい罰である。

「それはさすがに厳しいんじゃない?」

ショーン殿下もし驚いた様子で聞き返した。

「父上?! ゆ、幽閉ってどういうことですか?! 僕はいずれ騎士団にり、この國を守り、王族の方々に仕えるのです!!」

ディヴィッドも驚きに聲を上げた。

それにショーン殿下が「えー……」と嫌そうな顔をした。気持ちは分かるわ。

「その歳まで団出來なかったんだ。諦めろ。今まで好き勝手にさせてしまったが、もうこれ以上は見過ごせない」

「嫌だ! 僕は騎士団に、騎士になるんだ!!」

近付いてきた父親の手を振り払いディヴィッドがぶ。

周囲を見回し、冷たい視線によって誰の助けも得られないことに気付き、首を振りながら後退る。

小さく「噓だ、嫌だ、ありえないっ」と呟く聲が聞こえ、見開かれた瞳がもう一度辺りを見回し、助けを求めようとした。

その目がわたしとライリー様で止まる。

「そ、そうだ、ライリー様! 父におっしゃってください! 僕は騎士団にるのだと!!」

あら、またライリー様のお名前を呼んでるわ。

ディヴィッドに呼ばれてライリー様が目を細める。

「何故私が? あなたは私の出した條件を満たせなかった。その時點で見込みはないでしょう」

「違います! あんな、帰って來るまで屋敷の外を走り続けろだなどと無茶な條件、満たせるはずがありません!!」

「あれは努力が出來るかどうかの確認のためです。騎士たる者、いざという時にすぐに諦めてしまうようでは務まりません。王族の方々を守る時、魔獣と戦う時、相手が自よりも強いからと言って逃げ出す者は騎士にはなれない」

半ば吠えるように言ったディヴィッドに、ライリー様は淡々と告げる。

あの日、もしもディヴィッドがライリー様の帰宅まで必死に走り続けていたら、ライリー様は本當に彼を騎士団にれるつもりだった。

走り続けられなくとも、走る努力を続ける姿勢が大事だった。

だが様子を見ていたオーウェルの話によると、ディヴィッドは屋敷の周りを二周も走れず、あっという間に諦めて苛立ちながら帰ってしまったという。

そのような者に騎士は向かないとライリー様はおっしゃっているのだ。

「それならそうとおっしゃっていただければ……!」

「資質を見るためだと申し上げました。先に言ってしまっては意味がありません」

それはそうよね。先に説明してしまったら、誰だって最後まで走り続けるもの。それでは意味がない。

ライリー様も呆れた風に息を吐く。

正論だったからかディヴィッドは次の言葉を紡げないらしかった。

若干顔を悪くして「あ、う……」とまた一歩後退り、そしてわたしと目が合った。

「エ、エディス嬢……」

泣きそうな顔で見つめられ、不愉快さで歪んだ顔を隠すために扇子を開く。

「許しも得ずに名前を呼ばないでいただけますか。ライリー様のことも、わたしのことも」

ディヴィッドが一歩踏み出せば、ライリー様がわたしを守るように抱き寄せた。

大きなを預ければしっかりと抱き締めてくれる。不愉快な気持ちがし和らいだ。

そしてライリー様は低く言う。

「それ以上私の婚約者に近付かないでいただきたい」

唸るような聲にディヴィッドが止まる。

真正面からライリー様に見據えられてを震わせているが、それでもわたしを見つめている。

「……何で……」

今日だけで何度聞いたかと思う言葉が零され、ガバリと勢いよく顔が上げられた。

「何でだよ?! 剣の腕もあって、王家からも信頼されて、英雄とまで呼ばれて! なのにそんなしい婚約者まで手にれるなんてずるいじゃないか!! 僕の方が爵位も上だし歳だって近いししいのに!!」

……んん? 何をおっしゃりたいのかしら?

するわたしを抱き寄せたまま、ライリー様が不愉快そうに目を眇めた。

「やはりそうか。私に憧れていると言いながら、エディスに懸想するとは。謝罪も近付く口実だったのでしょう」

その言葉に會場が靜まり返った。

え? わたしに懸想していたの?

ディヴィッドの顔が図星を突かれたせいか赤く染まっていた。

* * * * *

ライリーに図星を突かれたディヴィッドは自の顔が赤く染まる自覚があった。

まさか直に會ったばかりの相手に見破られるとは思っていなかったのだ。

使用人や従者の目を盜んで家を抜け出し、このハーグリーヴズ公爵家の夜會にやって來たのは英雄への謝罪のためだった。

謝罪が上手くいったら、次は直接剣の師になってもらえるよう願い出るつもりでいた。

騎士になりたいのは本心だ。

けれども、英雄の弟子になりたいと思う気持ちはそれだけではなくなっていた。

英雄に師事してもらえるなら、その婚約者とも関わりが持てるかもしれない。

あの儚くしいが凜とした

エディス嬢としでも関わりを持ちたい。

弟子としてウィンターズの屋敷へ通えば、彼に會う機會が増えるだろう。

僕は公爵家の息子だし、歳も婚約者の英雄より近いし、顔に傷もなく、貴族の令嬢からもてはやされている僕の方がしい。

もしかしたら、エディス嬢も僕と同じ気持ちを抱いてくれるかもしれない。

そういう期待もあって、どうしても僕はこの夜會に出たかった。またエディス嬢に會いたかった。

でも、僕の目の前にいるエディス嬢は婚約者である英雄に抱き寄せられている。

嬉しそうな顔が艶やかで引き寄せられる。

儚げな相貌が綻ぶ様は咲き誇る大のバラのような香しいしさを纏わせていた。

その細い腰に腕を回して、雪のように白くて陶のようにらかなれてみたい。その絹のようにを弾くプラチナブロンドに指を通したい。整っているが故に冷たく見えてしまいそうな顔が恥ずかしさに染まる様を見てみたい。

僕のしいものを英雄ライリー=ウィンターズは全て持っている。

憧れていた。そうなりたいと願っていた。騎士団にりたかった。英雄と共に戦いたかった。王家に仕える近衛になりたかった。

今でもそう思っている。

でも今はそれだけじゃない。

憧れていた。

……彼の婚約者なんて羨ましい。

そうなりたいと願っていた。

……そこにり代わりたい。

騎士団にりたかった。

……その剣の腕前が僕もしい。

英雄と共に戦いたかった。

……僕も有名になりたかった。

王家に仕える近衛になりたかった。

……華やかな場こそ僕に相応しい。

何で僕は追いつけないんだ。

何で僕にはしい婚約者がいないんだ。

何で僕のしいものを全て持っているんだ。

羨ましい! 妬ましい! 僕よりも爵位は下のくせに僕の頼みを斷って馬鹿にした!! 許せない!!

「なあ、エディス嬢、僕の方がしいだろう? 僕の方が爵位が上だろう? 僕の方が歳も近くてお似合いだろう? 君は僕を選ぶべきなんだ!!」

あんな獅子の化けになるような人間よりも。

あんな頬に傷があるような強面よりも。

騎士爵位なんて一代限りの低い爵位の男よりも。

僕にされた方が幸せなはずなのに。

「そしてライリー=ウィンターズは僕に剣を教えるべきなんだ! 公爵家の子息たる僕の言葉に、頭を垂れて従うべきなんだ!! なのに! なのにっ!!」

思考が纏まらない。

怒りで視界が真っ赤に染まる。

何で僕の思い通りにならない?

今までずっとこれで思い通りになってきたのに。

何で誰も僕の言うことを聞かないんだ?!

* * * * *

自己中心的なことをぶディヴィッドはなくとも正気には見えなかった。

ライリー様の婚約者であるわたしに自分を選べとび、同じ口でライリー様に剣の教えを強要する。

意味が分からない。

「エディスが選んだのは私だ。そして私はあなたに剣を教える気はない」

ライリー様の言葉から丁寧さが消えた。

それを聞いてライリー様へ突進しようとしたディヴィッドを、アンドルーズ公爵が慌てて背後から羽い締めにする。

尚もディヴィッドは暴れ、すぐにハーグリーヴズ公爵家の騎士達が父親に代わって抑えにかかる。

床へ押し倒されて抑えられたディヴィッドは自分を押さえている騎士達に向かって怒鳴り、かと思えば父親やわたし達の方へ向かって自分を助けろと言う。

服がれてしまったアンドルーズ公爵はそれを直す気力すらないのか、床に膝をついて息子を呆然と眺めていた。

「エディス様、大丈夫ですか?」

しっかりディヴィッドが取り押さえられたのを確認し、フローレンス様が歩み寄ってくる。

心配した様子でそっと手を取られた。

「え、ええ、ライリー様が傍にいてくださったので怖くありませんでしたわ」

理解出來ないディヴィッドの思考にゾッとはしたが、ライリー様がずっと抱き寄せてくれていたので恐ろしさや不安はなかった。

わたしの言葉にフローレンス様がニコリと微笑む。

あ、今のは惚気ではなかったんだけど、そう取られたかもしれないわね。

「それは良かったですわ」

どこか楽しげに返されて、きっと次の手紙かお茶會で々と聞かれるんだろうなと思う。

どこかホクホク顔のフローレンス様の後ろから、ショーン殿下も近付いて來た。

「何というか、お疲れ様。あんなに思考が理解不能な人間っているんだね。ちょっと薄気味悪い」

それには思わず頷き返してしまう。

腰に回ったライリー様の腕が更にわたしを引き寄せると、力がし強まった。

その腕へれて見上げれば、ライリー様の溶けるような黃金の瞳と視線が絡んだ。

大丈夫ですわ。だから落ち著いて。

そう視線に意味を込めて見つめるとライリー様の腕から力が抜けて、添えられるだけになる。

でも腰がかない辺り、わたしを離したくはないのだろう。

わたしも離れたくないので何も言わなかった。

「アンドルーズ公爵」

ショーン殿下に呼ばれて公爵が顔を上げる。

一拍置いて、アンドルーズ公爵が思い出した様子で立ち上がった。

「は、はい、何でしょう、殿下」

立ち上がった公爵にショーン殿下は言う。

「あの息子、僕に任せてくれないかな? ここまで騒ぎを大きくして、問題を起こし続けている者を放置しておくわけにはいかない」

「……畏まりました」

ショーン殿下はどこか労わるような聲音だった。

常ならば威厳たっぷりなのだろうアンドルーズ公爵も、今は疲れ切って、れた服裝と相まって悲愴さが滲んでいる。

公爵は殿下の言葉に深く頭を下げた。

息子が自分の手には負えないと理解したのだろう。

「殿下のお手を煩わせてしまいますが、よろしくお願い致します。どうか厳正な処罰を」

「分かってるよ」

殿下と公爵の話を聞いていたのか、ディヴィッドが頻りに父親を呼んだが、公爵は一度として振り返ることはなかった。

それはアンドルーズ公爵がディヴィッドを見限った証拠でもあった。

その後、わたしとライリー様は早めに夜會を去ることにした。

別にこちらに非はないけれど、これ以上いても悪目立ちしてしまうし、噂好きな人々に話しかけられるのも嫌だった。

アンドルーズ公爵も早々に夜會を後にしていた。

ディヴィッドは即座に王城の牢へ移送されたという。

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