《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》罪と罰(1)
* * * * *
ガタゴトと揺れる馬車の中。
フィリスはこの數ヶ月で荒れてしまった手の爪を噛みながら、クッション一つない簡素な座席に座っていた。
我が子を生んだのは三週間ほど前のこと。
母や周囲が言っていた十月十日よりやや早かったが、生まれた子は無事に産聲をあげた。
リチャード様とわたしの子。
それなのに産聲をあげたその子はすぐに別室へ連れていかれてしまい、一目姿を見ることも、抱くことすらも葉わなかった。
その後、三週間も部屋に押し込められて、調が良くなったら今度は馬車に乗せられた。
北の修道院は酷い場所だった。
寒くて、食べも末で、ドレスを著ることも許されず、地味で野暮ったい修道服を著せられて、毎日朝から晩まで掃除か祈りか子供の世話ばかり。
子供がうるさくて一度突き飛ばしたら子供の世話はすぐになくなったけれど、その代わりに一日食事を抜かれたこともあった。
お父様もお母様ももうわたしを助けてくれない。
お父様とわたしはの繋がりがない。
お母様はわたしを可がってくれたけれど、來ないということはきっと見捨てられたんだわ。
そうだとしてもわたしは待っていた。
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きっとリチャード様が迎えに來てくださる。
リチャード様との間に出來た子がいるのだから、オールドカースル家が引き取りに來るはずだ。
その時に母親として一緒に連れ出してもらえる。
そう思っていたのに結局誰も來なかった。
「……でも、やっと王都に戻れるのね」
今著ているドレスは北の修道院へ送られた時に著ていたものだ。
何とか洗ったけれど失敗してし型が崩れてしまい、皺だらけで、解れもある。
でもあの修道服よりかは良いわ。
どうして呼び戻されたのかは分からない。
もしかしたらオールドカースル家かしら?
それともお姉様が?
もしもお姉様だったら叱らないとダメね。
このわたしをあんな場所に半年以上も放置するなんて許さないわ。
それにお姉様はベントリー伯爵家の娘になっているから、お金があるはずよ。
王都で滯在中はお姉様にお金を出させましょう。
それかベントリー伯爵家に泊まってもいいわ。
あの英雄のお屋敷は絶対嫌よ。あんな化けがいるところに住むなんてありえないもの。
「そうよ、きっとお姉様が呼び戻したんだわ」
今のわたしはとっても可哀想だもの。
例えの繋がりがなくたって、わたし達は十年も家族として過ごしてきたんだから、きっとが湧いたのね。
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あのお姉様にしては殊勝な心がけね。
そうだと考えれば先ほどまでの苛立ちは和らいだ。
このままお姉様のところまで行けるんだわ。
その安心から、フィリスは眠りについた。
簡素ない板張りの椅子に橫になって眠る姿はとても貴族の令嬢には見えなかった。
* * * * *
一週間半ほどの日程の後に馬車は王都に著いた。
その間、フィリスは用を足し行く時にしか馬車の外へは出られなかった。
食事も差し出されたものを馬車の中で摂り、騒ぎ立ててようやく日に一度を拭いて清めることが出來て、どれほど喚いても暴れても話し相手は誰もいない。
護送用の馬車の周囲には騎士達がいる。
ただし、明らかに新人というじであった。
それらを先輩の騎士が二人で率いていた。
馬車は盜賊に襲われることもなければ、魔獣に襲われることもなく、淡々と王都まで進んだ。
騎士もいたけれど、全く気が利かないとフィリスは憤慨したが、騎士達の方も散々喚いたり暴れたりするフィリスにうんざりしていた。
初日には座席が痛いだの、馬車がボロいだのと喚いていたし、夜には浴したいだなどと馬鹿なことを言い出した。
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それが無理だと分かると毎日を拭わせろと馬車の格子窓から外にいる騎士へ高圧的な調子で命令する。
あまりにうるさいので先輩が指示して騎士に水と布を持っていかせると、奪い取られ、使い終わった水と布は適當に返されたそうだ。
旅の間は水だって富じゃない。
外で馬に乗る騎士達だって汗をかいているのだから、浴したいし、を拭うことだってしたい。
だがそんなことのために貴重な水は使えない。
そんなこともフィリスには分からなかった。
だから騎士達は馬車の中にいる元令嬢のフィリスが大嫌いになった。
話し相手が誰もいないのは當然の結果だった。
い板張りの座席に橫になっていたフィリスは、馬車が停まったことでふと目を覚ます。
起き上がり、格子窓から外を見れば騎士達が門番と話をしていた。
その話を聞いて、やっと王都に著いたと知る。
「何をのんびりしているの? さあ、早くわたしをお姉様のところへ連れて行ってちょうだい!」
格子にかじりつくように顔を寄せ、興気味にそう言ったフィリスに騎士の一人が不可解そうに眉を寄せた。
「は? ……こいつは何を言ってるんだ?」
後半は仲間の騎士への問いかけだった。
それに仲間の騎士が振り向くと聲を落として返す。
「この罪人の姉はかのライリー=ウィンターズ殿の婚約者らしい」
「げっ、こんなの姉って……。大丈夫なのか?」
騎士が嫌そうな顔でフィリスを見た。
それにもう一人が頷く。
「何でも姉の方は家族に待されていたのをウィンターズ殿が助け出したそうだ」
「じゃあこいつも姉をめてたってわけか。まあ、意地が悪そうな顔してるもんな」
「しかも俺達が出ている間に王都で魔獣騒ぎがあったみたいなんだが、その姉は危険を顧みず率先して人々を避難させたらしいぞ。聞くところによると見た目も凄い人だってさ」
人、という部分で騎士が羨ましそうにする。
それに最初の騎士がホッとした表を見せた。
「そうなのか、姉の方はまともで良かった。我らが英雄殿の婚約者がこんなだったらどうしようかと思った」
「ウィンターズ殿の婚約者は王家が認めてるらしいから大丈夫だろ。それに俺達もそのうちどこかでお見かけするかもしれないな」
「あー、一度くらいは見てみたいかもな」
喚くフィリスを無視して騎士達は喋っている。
それの殆どがエディスについてだったので、フィリスはより一層騒ぎ立て、あまりの煩さに騎士の一人が馬車の側面を拳で強く叩いた。
ガツンともドゴンとも響いた音にさすがのフィリスも驚いて口を噤む。
そこでようやく騎士達が自分に向けてくる冷ややかな視線に気が付いた。
「な、何よその目は! わたしはアリンガム子爵家の娘であり、貴族の令嬢なのよ?!」
「はて、おかしいな。王家を侮辱した罪で捕らえられているが、報告によると貴様は平民だったはずだが。それにアリンガム子爵家はとうに潰れている」
「つ、潰れてって、どういうこと?!」
「それは我々が言及すべきことではない」
門番との話を終わらせた騎士が呆れ顔で言う。
そしてまた馬車はき出し、王都の中へっていくが、フィリスは馬車の中でへたり込んでいた。
アリンガム子爵家が潰れたって……。
あ、ああ、そうよ、お父様もお母様も國外追放を言い渡されたのだったわ。だから迎えに來られなかったのね。
自分のことでいっぱいいっぱいだったフィリスも、今になって、あの夜會の日に第二王子に言い渡された処罰を思い出した。
「じゃあ爵位を剝奪して、財産は沒収して、國外追放にしよう。格上の伯爵家を貶める容でもあったしね」
しい笑みでそう言った第二王子を思い出し、フィリスのが小さくぶるりと震える。
馬車はガタガタと揺れながら進んでいき、隨分と長く走った後に、やがてまた停まった。
フィリスの中にあった不安が不意に湧き上がる。
貴族街に行くにしては長く走っていた。
立ち上がろうとした途端に馬車がき出したため、フィリスは板張りの床に餅をついてしまった。
その痛みをやり過ごしていると再度馬車が停まる。
ガチャガチャと外から鍵の開けられる音がした。
開けられた扉から夕日が差し込み、見覚えのある騎士が何かを手に、中へってきた。
「な、何をするつもりですのっ?」
フィリスの問いは無視された。
腕を摑まれ、手首に重く冷たい鉄のがはめられる。それは二つあり、両腕の手首にはめられると、左右の手を繋ぐように太い鎖がぶら下がっている。
それが罪人用の手枷だと気付いたフィリスは呆然とした。
「……これは手枷……?」
どうして、と呟くフィリスに騎士が返す。
「あなたは王家を侮辱した罪人だからよ」
「でも、でも、わたしは今まで修道院に……」
半年以上もあんな場所で罪を償ったはずだ。
だが騎士は鼻で笑った。
「そんなことで王家を貶めようとした罪が消えると思っているの? それこそありえないわ」
立ちなさい、と手に繋がった鎖を引き上げられて無理やり立たされたフィリスは、そのまままるで家畜のように鎖に引かれて馬車を降りる。
外へ出ると、そこは久しぶりに見る王城だった。
けれども今いるのは地味で目立たない、恐らく裏口だろう場所だった。
開けられた門から城へ引っ張り込まれ、冷たい石造りの通路を右へ左へ進み、階段を下りていく。
辿り著いた場所にフィリスは足を止めた。
「ま、まさか……」
そこは地下牢だった。
そこへれられるのは重罪人だけだ。
そして重罪人は殆どの場合、処刑される。
真っ青な顔で抵抗するフィリスを騎士は容赦なく牢の中へ押し込め、扉の鍵をかけた。
そして用は済んだとばかりに去っていった。
地下牢は石造りのせいか冷たく、地下なので當然日のも差し込まず、どこか気ていて、淀んだ空気はカビ臭い。
フィリスのれられた牢は、両手を広げた彼が二人並んだ程の幅で、奧行きもそれくらいの丁度正方形のものだった。奧には板張りに質の悪そうな厚手の布と、用を足すためのが、申し訳程度の衝立の向こうにある。そこからは微かに嫌な臭いが漂ってくる。
ただそこここにランタンが下がっているおで牢の中は通路に面した方だけとても明るくなっていた。
薄暗い奧が不気味にじ、フィリスは通路の格子に寄りかかった。
通路の壁に取り付けられたランタンの明かりがフィリスの顔に當たる。
「…………フィリス、か?」
かけられた聲にフィリスは驚いて顔を上げた。
いつの間にか向かいの牢に人影があった。
いや、フィリスがれられるよりも前に、そこにいたのだろう。人影が格子に近寄った。
明かりの中に浮かび上がった顔にフィリスが小さく悲鳴を上げた。
「ひっ、あ、まさか、そんな……っ? リ、リチャード、さま、ですの……?!」
そこにはげっそりと草臥れた男がいた。
頬はこけ、はくすみ、髪はれ、貴族の貴公子然としていた以前の姿は見る影もない。
よく見ればり切れた服の隙間から、あちらこちらに包帯がのぞいている。
その変わり果てた姿にフィリスはリチャードに會ったら詰ってやろうと思っていたことすら束の間忘れてしまった。
「リ、リチャード様、そのお姿は……?」
格子を摑んでいるリチャードの指は包帯まみれだ。
思わず仰け反ったフィリスに、リチャードの落ち窪んだ目がギョロリとく。
「あいつが、エディスが悪いんだ。エディスが俺を拒んだから、エディスが謝りに來ないから、エディスが、エディスが、エディスのやつがぁあああっ!!」
狂ったように格子に頭を打ち付けるリチャードはどう見ても正気ではなく、フィリスはゾッとして悲鳴と共にを竦ませた。
それでも目が離せず、エメラルドグリーンの瞳はリチャードにむけられたままだ。
リチャードは格子を暴に摑んで揺さぶろうとしたり、包帯まみれの手で地面や頭を引っ掻いたり、かと思えばまた格子に頭をぶつけ出す。
「エディス、エディスが……。そうだ、あいつらだってそう言ってた。俺は間違ってない。俺は正しい。俺は、俺が、俺のために、俺は……」
ブツブツと呟く容は意味が分からない。
よく分からない恐怖にフィリスが怯えていると、通路の出り口の方から人の足音が聞こえてきた。
音は全部で二つだろうか。
牢に近付く影に思わずフィリスは懇願した。
「助けてっ! リチャード様がおかしいの!! ここから出して!! あんなのと一緒なんていやぁっ!!」
格子の間から手をばすけれど、やって來た人達には屆かなかった。
「そっか、殘念。子供まで作った仲だったから最後くらい會わせてあげようと思ったんだけど、僕の気の遣い過ぎだったかなあ」
冷たい牢に似つかわしくない呑気な聲だった。
フィリスが顔を上げた先にいたのは、この國の第二王子ショーン・ライル=マスグレイヴだった。
その橫には王子よりも背が高く、黃金の髪に溶けるような金の瞳を持った、威圧のある丈夫がいた。
左頬に傷があり、目つきが鋭いが、それでも溜め息が出そうなほど悍な顔立ちは整っている。
ぽうっとフィリスはそれに見惚れてしまった。
向かいの牢ではリチャードが怯えたような悲鳴を上げると、牢の奧の暗闇へを引きずって逃げて行ってしまう。
それをショーンはからからと笑った。
「もう君には何もしないよ。絞り出せるものはぜーんぶ絞ったしね。もう用済みさ」
そうしてショーンと金髪の男がフィリスを見やる。
「反省してるかなあと思ったけど、そうでもないみたいだねえ。見惚れられてるよ?」
「おやめください。正直、不愉快です」
「だろうね!」
また牢屋に明るい笑い聲が響く。
それにフィリスが我へ返った。
「あっ、だ、第二王子殿下っ! そこの方っ! どうか、どうかお助けください! お姉様を呼んでください! わ、わたしはこんなところにれられるはずがないんです!!」
フィリスは目に涙を溜めて、一杯哀れに見えるように手をばし、その自慢の高く澄んだ聲で慈悲を乞う。
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