《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》ルーディウス・エル=ガルフレンジア

* * * * *

ルーディウス・エル=ガルフレンジアは殺風景な部屋にいた。

も最低限で、數ないソファーに座ったまま、毎日何時間もそこでぼんやりと過ごす。

彼の最も古い記憶は母と共に暮らしていたものだ。

ミネア共和國にて、ひっそりと息を殺すように、母とを寄せ合って暮らした日々はルーディウスにとっては一番幸せな時間だった。

母は彼をとても大切に慈しんでくれた。

母は彼に「あなたはガルフレンジア皇國の尊きの生き殘りです。でも、そのことは誰にも話してはなりません」と言った。

だから普段はルディと名乗っていた。

古い小さな借家に母と二人。

ルーディウスは母を母のように慕っていた。

母も、恐らく我が子のように接してくれた。

皇國だとか尊きだとか、そんなことはどうでも良かった。

城での暮らしも、自分を逃した騎士達のことも、本當を言うとあまり覚えていなかった。

ルーディウスはただ平和に暮らしたかった。

だがある日、母と買いに行った帰り道でその男に出會ってしまった。

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ボロボロのローブをに纏った男。

母はその男を哀れんで買いたてのパンを與えた。

男は何も言わなかった。

それから買いに行く度に、母は男に食べを與え続けた。

ルーディウス達も裕福なわけではない。

それでも母は「苦しんでいる人を見つけたら、あなたも手を差しべてあげなさい」と言った。

だからモヤモヤする気持ちを押し隠してルーディウスは母の行いを黙って見ていた。

けれど、それからしばらくして、母が倒れた。

戦爭で逃げた際に傷を負っていたらしい。

彼はそれを今の今まで知らなかった。

しかし醫者にかかるほどお金もない。

どうしようと途方に暮れていたルーディウスに、ローブの男が聲をかけた。

初めて聞いた男の聲はし掠れていた。

「何か困ってるようだが、手伝えることかあるか? ……いつもパンをくれる禮をしたい」

それにルーディウスは泣きながら言った。

いつも一緒にいる母が倒れたこと。

昔の怪我が治らず、それで苦しんでいること。

醫者にかかりたいがお金がないこと。

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それらを伝えると男は立ち上がった。

「私はしだけど治癒魔が使える」

治せるかどうかは分からないが、という男にルーディウスはしだけ希が見えた。

男を借家へ招き、ベッドで苦しむ母の下へ連れて行った。

男は母を見ると手を翳した。

何かよく分からない言葉を口にすると母が淡くり、それまで苦しそうだった呼吸が僅かに穏やかになった。

「治ったの?」

「いや、傷が大きすぎて私では治せない。しだけ苦しみを和らげてやることしか出來ない」

「そんな……」

治らなければ意味がない。

か細い聲で名前を呼ばれてルーディウスはベッドに駆け寄った。

母は目を覚まし、側にルーディウスとローブの男を見つけて小さく微笑んだ。

「あなた、お名前、は?」

「……ガイズだ」

母の問いに男が、ガイズが答えた。

「そう、ガイズさん……。こんなことを、頼む、のは……おかしいけれど、私が死んだら、ルディを、お願いします……」

「死ぬなんて言わないでよ!」

「ごめんなさい、ルディ……」

ベッドの縁にしがみつくルーディウスに、母は申し訳なさそうに眉を下げた。

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それはルーディウスが我が儘を言うとよく見せる表だった。

「私が?」

ガイズは怪訝そうな聲で聞き返す。

それに母がとつとつと話し出した。

ルーディウスの出自、自分の立場、戦爭により逃げ出したこと。

騎士達と共にいたが途中で別れてしまったこと。

この怪我は逃げる際に負ったこと。

今まではを潛めてくらしていたこと。

「私達には頼る者が、もういないのです……。でもルディを一人にするなんて、出來ません。もし、もしあなたが、しでも恩義をじて、くださっているのなら……。どうか、ルディを。ルーディウス様を……」

母の縋るような眼差しに男はしばし沈黙した。

けれど、結局は一つ頷いた。

「分かった」

その短な返事に安心した様子で微笑んだ。

そして母はルーディウスを見た。

「ルーディウス様、今まで、とても楽しかった。あなたのことは、本當の息子のように、思って……」

「僕だってそうだよ! ナタリーは僕にとってはお母さんだったよ!!」

「ああ、嬉し……い……」

幸せそうに微笑んで、母は目を閉じた。

そして二度と起きることはなかった。

ルーディウスは母に縋って泣いた。

記憶はそこで途切れた。

次に目を覚ますとルーディウスは床に転がっていた。

手足を縛られ、布を口に噛まされている。

どうやら場所は借家であった。母が亡くなったのとは別の部屋だが、住み慣れた家だからすぐに居場所は分かった。

ルーディウスの部屋だった。

そして扉が開いてガイズがってくる。

「もう目が覚めたのか」

どこか面倒臭そうにそう言った。

そして床に染料で何かを書き始める。

それが終わるとルーディウスを引きずって、その床に書かれた模様の上に落とした。

よく分からないものの逃げようともがくルーディウスをガイズは冷たい目で見下ろす。

またガイズの口から聞いたことのない音が響く。

床の模様がり、ルーディウスのが痛む。

もがいて、暴れて、模様の外へ逃げようとしたが、まるで見えない壁があるように出られなかった。

は數秒続いた。

そして唐突に消えた。

「『暴れるな』」

ガイズの言葉にががちりと固まった。

縛られていた縄や布が外されたのに、ルーディウスのは指一本すらかせない。

喋ろうとしても口は開かなかった。

「お前は今日から私の奴隷だ」

愉快そうにガイズが笑う。

それからの日々は地獄だった。

ルーディウスはガイズの下僕として扱われた。

逃亡した際に持ち出した寶飾品のおかげで金に余裕はあり、母はそれに殆ど手をつけずに殘していたため労働をさせられることはなかったが、ルーディウスは自由を失った。

ガイズの許可なしには口も開けない。

反抗すれば息も出來ないほどが痛む。

ルーディウスはガイズのり人形であった。

その後、ガイズは何やら人を集め出した。

そうしてしばらくすると山賊のような者達にルーディウスを引き合わせた。

事前に「こう言え」と言葉を覚えさせられた。

その山賊のような者達は、かつてルーディウスと母を守った皇國の近衛騎士だと言われた。

彼らはルーディウスを見て涙を流した。

自分達の剣を捧げると。

ガイズの許可でけるようになったルーディウスは、覚えさせられた言葉しか口に出來なかった。

だが男達はそれに喜んでいた。

それからはルーディウスは亡國の皇子として賢者ワイズマンなどという組織の頂點に祭り上げられた。

だがルーディウスに出來ることは何もない。

実質的にはガイズが頂點であった。

十歳のルーディウスはただのお飾りである。

しかもガイズはルーディウスに変な腕をつけさせた。それはつけているとの力を抜き取られる不思議なもので、ルーディウスはいつもそのせいで疲れていた。

側には自分を隷屬させた男が常に目をらせており、自分に誓いを立てた男達は自由に話すこともままならないルーディウスを崇める。

ルーディウスは死ぬことも許されなかった。

食事を拒否しても、命令されるとが自分の意思に関わらず無理に口へれられる。

死に繋がる行為は全てじられた。

それからはずっとられてきた。

ぼんやりとソファーに腰掛けていたルーディウスの耳に複數の足音と扉を開ける音が聞こえた。

どこからか人の話し聲もする。

やがて聲が近付き、部屋の扉が壊された。

この部屋の扉は外から鍵がかけられて、ルーディウスは出ることが出來なかった。

そもそも出ること自じられていたが。

破壊された扉の向こうから人影が室へ押しってくる。

それは獅子の姿をしており、他にもシェルジュ國の赤い騎士服をに纏った者達であった。

それを見てルーディウスは安堵した。

この國の騎士がここに來たということは、なくともガイズが捕まったということだ。ガイズ以外、この場所は知られていないはずなので恐らくそうであろう。

あれが捕まったなら僕も解放される。

獅子が室を見回し、そしてルーディウスを見ると何やらゴソゴソと懐を漁った。

そして取り出したものを手に、ルーディウスに近付いて來る。

見たこともない獅子の姿だが恐ろしくはない。

その金の瞳には理知的なが窺えた。

獅子は座ったままピクリともしないルーディウスをソファーに寢かせ、服を捲ると、元に持っていた小瓶の中を垂らした。

赤いがポタポタと元へ落ちる。

それが元の刻印にれるとジュッと音を立てた。

刻印が輝き、に痛みが走る。

だが一瞬の出來事で、次の瞬間には元にあったはずの刻印が跡形もなく消え去った。

恐る恐る手に力をれれば己の意思でく。

元にれてみるが、刻印の痕跡はない。

を熱いものが伝う。

どういうわけか目の前の獅子はルーディウスに施された隷屬の刻印を消してくれたらしい。

「ガイズや賢者の者達は我々が捕縛しました。もう、あなたを縛りつける者はおりません」

やや聞き取り難いが獅子はそう言った。

ルーディウスは口を開いた。

小さな口は何か言葉を紡いだが、獅子は聞き取れなかったのか、顔を寄せてくる。

それにルーディウスはもう一度言った。

「……ころして……」

大好きだった母はもうこの世にいない。

この數年間、自由を奪われたルーディウスの心は傷付き、疲れ、弱っていた。

例え生きたとしても頼るあてもない。

亡國の皇子などなんの意味もない。

ルーディウスは早くする母の下に行きたかった。

ずっと大切に慈しんでくれた母の下に。

* * * * *

「と、皇子は死をんでいます」

ガイズの記憶を元に亡國の皇子を保護しに向かったライリーであったが、その報告をする獅子の顔はまるで他者を威嚇するように牙を剝いていた。

知らぬ者が見たら恐れるだろう。

だが、その表が苦渋から來るものだと知っているフォルトは恐れることはない。

「そっか。……皇子は十歳だっけ?」

「ウルグ=ネルシェイクの言葉が確かならばそうでしょう。しかし実際は七、八歳ほどに見えました。筋も殆どなく痩せ細って痛々しいほどです」

「ガイザードが反抗しないよう、満足に食事を與えなかったみたいだからね」

皇子は保護され、王城の貴族用の牢に使われている部屋へ今はいる。

監視も兼ねて世話をする使用人が數名つけられたみたいだが、どちらかと言えば自決しないように気を配る方が問題だろう。

まだ十歳の子供が殺してくれと言う。

亡國の皇族だったばかりに利用された。

おまけに魔力を吸う腕がつけられていた。

あれは腕の持ち主に、腕をはめた対象の魔力を與える奴隷用の腕であった。

魔力封じの刻印がありながら、ガイズが問題なく魔を使えていたのは、ルーディウスの魔力を奪っていたからだろう。

毎日限界まで魔力を搾り取られてルーディウスのは悲鳴を上げていたはずだ。

しかしガイズはルーディウスから聲を奪っていた。

だから訴えることも出來なかった。

元々魔力のある者が魔力切れを起こすと酷い倦怠と息苦しさ、手足の痺れや震えなど様々な癥狀が現れる。

きっと、それらをずっと耐えて來たのだ。

自由を奪われ、魔力を奪われ、聲も奪われ、頼れる者もおらず、まだいルーディウスには毎日が地獄だっただろう。

「皇子はどうなるのでしょうか」

ライリーがやや暗い聲で呟く。

形だけとは言えど賢者の頂點にいた者だ。

年でられていたという點を前面に押し出せば、処刑は免れるかもしれないが、それでも一生されるだろう。

亡國の皇族という筋は厄介である。

しかし本人が死をんでいる。

「処刑はされなくとも、多分毒杯なんじゃないかな。亡國のを殘しても後々悪用されかねないし、本人がそうんでいる以上シェルジュ國は『本人の意思』を尊重すると思う」

フォルトの言葉にライリーは肩を落とした。

ルーディウスも被害者であった。

ガイズに隷屬させられた哀れな亡國の皇子。

「僕の方からそれとなく働きかけて、苦しまない方法にしてもらえるようにするよ」

フォルトに出來るのはそれくらいしかない。

助けたところで苦しみが続くだけだ。

それならば、最期は苦しまずに逝けるように配慮を促す程度ならば出來る。

どちらにせよ皇子は生き殘っても自由はない。

フォルトはルーディウスに憐れみをじていた。

皇國が愚かな振る舞いをしなければ、彼は今頃、皇國の皇子として不自由なく暮らしていたかもしれないのに。

本人にはどうしようもないことだった。

九年前、戦爭が始まった時點でルーディウスの運命は決まってしまったのだ。

フォルトは己の弟と同じ年頃の皇子が憐れだった。

「死が救いになることもあるよ」

そう言い、ライリーの肩を軽く叩く。

ライリーはそれに黙って頷いた。

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