《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》結婚前日
とうとう結婚前日になった。
明日結婚式だというのに、お屋敷中が上を下への大騒ぎ狀態だった。
お式の後にお屋敷にお客様を招くため、前日のうちに準備をしておかなければ、當日にはもうそれをやっている暇がない。
広間にテーブルを並べ、テーブルクロスをかけたら上からレースを重ね、花を生けた花瓶を飾る。壁際にソファーや椅子を並べ、そこにも刺繍やレースのカバーをかけた。廊下には絵畫を増やし、広間にはタペストリーをかけ、フリルのあるカーテンを壁にあしらい、暖爐には飾り皿をいくつか置いた。カーテンの留めやタペストリーの垂れ紐は寶石に飾られ、日差しだけでなく蝋燭やランプの明かりもしく煌めかせてくれることだろう。
騎士爵にしては豪華だが、英雄と呼ばれる者のパーティーにしては控えめな、それでいて地味過ぎず、派手過ぎず。難しい話だ。
使用人総出で玄関から広間や數ない控え室まで、掃除して、調度品を整え、飾り付けをする。
それだけで半日はかかってしまう。
しかもその様子を見ながら、明日お出しする料理の最終確認と納された材料の數の確認、お酒の本數の確認、ベントリー伯爵家から來てもらった料理人達と使用人達の顔合わせと明日の仕事について話をして手伝いをお願いする。
それから注文していたコサージュもギリギリで出來上がり、夕方頃にお屋敷へ屆けられた。それらはとてもしく、短い期間に作ったものとは思えないほどに丁寧に仕上げられており、作ってくれたお針子達に謝した。
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式が終わったら必ずお禮の手紙を書かなければ。
それらの確認が終わるとまた広間に戻り、全員で會場に不備がないか調べ、問題がないことが分かってホッとする。
お母様も手伝ってくれて、オーウェル、リタやユナなど皆が助けてくれた。
ライリーも率先して準備を手助けしてくれたので、重たい酒や料理の食材なんかはあっという間に運ばれていった。
そうこうしている間に日が沈み、やっと一息吐けると思った頃には夕食の時間になっていた。
夕食は容に良いとされる果や野菜が中心だ。食事に関して文句はない。結婚式のために帰國してからはずっと容に良いものを口にしてきた。
それに毎日リタやユナが全をマッサージしてツヤツヤに磨いてくれた。
でもさすがに今日は疲れてあまり食が湧かず、とりあえず果だけは食べておいた。
ライリーも疲れたようで、珍しく食が遅い。
「今日は早めに就寢した方が良さそうだな」
「ええ、そうね。新郎新婦が目元に隈を作って出るなんてなったら困るもの」
そういうことで今日は二人の時間はない。
その代わり、明日は一日中ずっとライリーと一緒なのだ。嬉しいけれど張もしある。
食後は浴して、疲れていたわたしはリタとユナに全部任せてしまった。
でも二人は嬉々として私の世話をしてくれた。
リタもユナも晝間も沢山働いてくれたのに「今日は特別なマッサージや香油を使いますよ」と張り切っていて、うとうとするわたしの全をこれでもかというくらいに香油を塗ってマッサージした。
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最初は痛かったマッサージも今は心地好い。
それに痛くても、我慢してマッサージをけた方が翌日が軽いのだ。
浮腫んだ足もマッサージのおかげですっきりする。
熱心にわたしのをむリタにを任せていれば、ユナが顔にパックをり付けた。
「これで明日はツヤツヤつるんつるんの綺麗なおになりますよ! 楽しみです!」
そう言って丁寧にパックをっていく。
わたしは顔にパックをったまま、今度は半乾きの髪にも、専用の香油が塗られる。
量ずつ馴染ませるように香油が髪に塗られ、ユナが何度も何度もブラシで髪を梳く。絡まないように一房取ってはブラシで上から下まで丁寧に梳いていくと、今でも十分綺麗だと思っていた髪が更に艶を増す。
本當に絹みたいにを反しているわ。
梳きながら乾かした髪はらずともサラサラと流れていくのが分かる。
その髪を見てユナが嬉しそうな顔をした。
顔のパックを取り、殘った水分を染み込ませるように顔もマッサージされる。
そのうちのマッサージを終えたリタが小さく息を吐いた。
「さあ、エディス様、夜著に著替えましょう。明日はいつもより早く起こしますので今夜はしっかりとお休みくださいね」
その言葉に目を瞬かせてしまう。
「そんなに早く起きるの?」
「もちろんです。當日には當日の準備がございます。まるで神のようだと招待客の皆様に言わせてみせましょう」
「そ、そう……。ええっと、明日もお願いね?」
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主役のわたしよりも張り切ってるわね。
苦笑するわたしを他所に、リタもユナもやる気満々といった様子で頷いた。
寢室に戻ると容に良いとされる果を絞った果実水を渡され、それを飲み、ベッドへ上がる。
……ああ、疲れた……。
本番は明日なのに、わたしは全を包む疲れにを委ねて目を閉じる。
疲れたけれど、不思議と心地好い。
ふわりと包み込む睡魔に任せて眠りに落ちた。
* * * * *
自室の機に向かい、ライリーは手紙を確認したり書類を片付けたりと、普段と同じ仕事をこなしていた。
エディスと話したように本當ならさっさと橫になるべきなのだが、明日のことを思うとどうにも気が高ぶってしまって落ち著かない。
こういう時にはをかせば高ぶった気も落ち著くというのに、先ほど外に出ようとして、オーウェルに見つかって注意されてしまった。
新郎が寢不足で式に臨むのは良くない。
大事な日なのだから早く休めと言われた。
それは自分でも分かっている。
……明日、エディスと夫婦になる。
エディスを妻とし、そして夫となる。
彼をするようになってから、ずっとみ、そうなりたいと願ってきたことだ。
それが本當に明日、葉うのだ。
「……夢じゃないよな?」
何となく頬をつねってみるが、痛い。
これは現実だと痛みが教えてくれる。
ライリーは不思議な気持ちだった。
明日夫婦になれることが嬉しくて堪らないのに、明日までが酷く長くじられて切なくて、今すぐにでもエディスの下に行って彼の細いを抱き締めたいと思うのだ。
たった一日だ。
明日、式を終えれば夫婦だ。
エディスはライリーのものとなり、ライリーもまた、エディスのものとなる。
これまで自分が誰かのものになるということを快く思うことはなかった。
自分は自分のものである、他者もまた、その者自のものである。
そうあるべきだと考えてきた。
だが、今はどうだろうか?
たった一人のに夢中になっている。
彼をこの腕の中にずっと抱いていたいと思うし、いつだって彼の笑顔が見たい。彼の存在をする自分がいる。
それでいて、彼に自分を捧げたいとも考える。
エディスのために出來ることならば何でもしてやりたい。
彼の憂いを取り除き、脅やかすものを退け、彼の笑顔のためならば金などいくら出しても構わないとすらじる時もある。
司祭の言ったには程遠いかもしれない。
それでもエディスをしている。
「……寢よう」
新郎が隈を作って出るわけにはいかない。
寢室へ行き、ベッドへ橫になるとライリーは目を閉じた。
期待と不安と喜びの中、眠りに落ちる。
その後、心配したオーウェルが明かりの消えた主人の寢室を外から確認してホッと息を吐いたことは誰も知らない。
* * * * *
王都の貴族街にあるベントリー伯爵家。
伯爵夫妻の寢室には寄り添う二つの影があった。
「もう結婚か……」
夫の言葉に夫人が小さく息を吐いた。
「ついこの間、うちの子になってくれたと思っていたのに。時間が過ぎるのは早いものね」
「ああ、全くだね」
夫妻が初めてエディスを見た時、その痩せ過ぎて折れそうなにとても驚いた。
彼の生家での扱いは前以て聞いていたものの、実際にエディスを見た時、夫人は泣きそうになった。
子爵家の娘とは思えない、流行遅れの野暮ったい古著のドレス。そのドレスはに合っておらず、やや大きいのか、シワが寄ってしまっていた。
艶のないプラチナブロンド、病人のように青白いは手れがされておらず髪と同様にかさついている風で、冷たく見える相貌は無表に近かった。
それでもウィンターズ殿に向ける視線だけは酷く熱を孕んでいて、ふっと笑うと、冷たい相貌は途端に儚げなのものに変わる。
年齢的にはのはずなのに、儚げで、僅かにさもじられた。
夫人は貴族の令嬢としてはあまりな姿にを痛め、伯爵は哀れな娘に同した。
そして養子としてけれた。
既に遠戚の子を嫡男として養子にしていたが、彼は新しい弟とすぐに打ち解けた。
生家でのこともあり、彼が夫妻や新しい弟との関係をけれられるか不安だったが、それは杞憂であった。
むしろ彼は積極的に良い関係を築こうとした。
それに意外と人に対して警戒心の強いアーヴがエディスには最初から姉と呼んで慕っていた。
彼のことは先に説明しておいたものの、哀れだからと心を許すような子ではない。
何か、アーヴの心にれるものがあったのだろう。
そして伯爵も夫人も、つらい生活に耐え抜き、それでいて明るく前向きな格のエディスを好ましく思った。
多の遠慮もあってか、最初のうちは父や母と呼んでくれなかった。だが今では自然に伯爵と夫人を「お父様」「お母様」と呼んで慕ってくれている。
不思議なもので、そう呼ばれると本當の我が子のようにしさが湧いてくるのだ。
エディスは伯爵や夫人、アーヴが王都にいる社シーズン中は頻繁にベントリー家へ顔を出したし、社シーズンを終えて領地へ戻ると手紙を書いて送ってきた。
そこには毎日楽しそうに暮らしている様が分かるほど、幸せそうな気持ちが綴られていた。
そしていつも、伯爵や夫人、アーヴへの謝の気持ちが添えられていた。
「でも娘の結婚式を見られるなんて嬉しいわ」
「そうだな。私達は子に恵まれなかったけれど、代わりに素晴らしい息子と娘を授かった。どちらの結婚式も見られるなんて幸せなことだ」
「ええ、本當に。それにあれだけ仲の良い二人ですもの、あっという間に孫の顔を見せてくれるでしょう」
「嬉しいような、寂しいような、複雑な心境になるね」
伯爵と夫人は顔を見合わせて小さく笑う。
この結婚が娘を幸せにしてくれるだろう。
そう思えるからこそ、心穏やかに明日を迎えられる。
親子になって日は淺いが大事な娘である。
彼のこれからの幸福を夫妻は願うのだった。
* * * * *
「本當に明日、ライリーは結婚するんだねえ」
招待狀を手に行儀悪くソファーへ寢転んだショーンは、手元のそれを明かりへかすように持ち上げた。
ライリー=ウィンターズとエディス=ベントリーと二人の名前が並んで書かれている。
ふとショーンはエディスとの出會いを思い出す。
そろそろ相手を見つけてしいと半ば無理やりライリーを夜會へ出席させたあの日、エディスは突然現れた。
國の貴族のことは頭にれてあったけれど、アリンガム子爵家の娘と言えば真っ先に出て來るのは妹の方であった。
姉に関してはそれまで全く耳にしなかった。
王家主催の夜會にあまり似つかわしくない流行遅れの野暮ったい青のドレスにを包み、化粧もせず、地味で冷たい相貌の令嬢だった。
しかし人は見かけによらない。
魔獣の呪いをけ、人々が恐れる獅子の姿をしたライリーに、それよりもいくつも年下の令嬢が話しかけた。
それを見ながら、令嬢が婚約を破棄されたことを聞き、自暴自棄で英雄に近付いたのかと思った。
二人はダンスを踴り、けれど途中でを抜け出すと、テラスの外へと消えていった。
その後を追い、そこで見聞きしたことをショーンはよく覚えている。
彼はライリーに結婚を迫ったのだ。
顔は見えなかったものの、その弾んだ聲からはライリーの外見に対する嫌悪は微塵もじられなかった。
それどころか、むしろうっとりするような聲音で自分を売り込み、結婚を迫る。
自分より年下で、自分より小柄なに、英雄獅子と呼ばれた男がたじたじになっている姿は何度思い出しても愉快である。
「後押しした僕が言うのもアレだけど、主人より先に結婚しちゃうってどうなの?」
「別によろしいのでは? ウィンターズ殿がベントリー伯爵令嬢と結婚し、ショーン様に恩義をじ、忠誠心厚く仕えていただければ王家としても喜ばしいことかと愚考します」
「そうだけどさあ。なんかモヤモヤしない?」
近侍に招待狀を渡せば、それをけ取った近侍は機の上へそっと置いた。
この近侍にも二人から招待狀が屆いている。
ショーンに招待狀を出すだけでこの近侍もついて來ると分かっているだろうに、わざわざ二人は近侍宛てに招待狀を出した。しかも友人としての招待だ。
この淡々とした近侍が実はそれを嬉しいと思っていることを、ショーンは長い付き合いで理解していた。
「お二人が結婚されてもショーン様との関係に変化はございません」
「分かってる。これは気分の問題なんだ」
二人が結婚し、夫婦になったからといって、ショーンとの関係は変わらない。
ライリーはショーンの近衛騎士隊長で良き友人であり、エディスも最近は友人枠にりつつある。
何もショーンとの距離は変わらないはずだ。
ふと、近侍が何かに気付いた様子で主人の顔を覗き込んだ。
「もしかして、お寂しいのですか?」
「寂しい?」
「長年親しかった友人が突然現れた他の者と親しくなり、自分よりも仲が良さそうで、それが気にらないけれど、結婚は祝福したいという複雑な心境でしょうか」
「……」
ショーンが変なものを飲み込んでしまったような顔で黙り込んだ。
それから一拍置いて大きく息を吐く。
「はぁああ〜、冷靜に分析しないでよ……」
顔を腕で隠しながらショーンがぼやく。
「違いましたか?」
近侍の問いに主人は不貞腐れた聲で応えた。
「…………多分、合ってる」
そして腕を下ろして拗ねた顔をした。
主人の珍しい表に近侍は聲を出さずに笑った。
その笑いに気付いたショーンが眉を寄せる。
「子供っぽいって自分でも分かってる」
「大丈夫ですよ。お二人は結婚されてもショーン様のことを大事な主人として、友人として、変わらず接してくださいます」
「知ってる。ライリーもエディス嬢も結婚したからって他を疎かにするような人間じゃないさ」
あの二人は似ていないようでよく似ている。
や自分の懐にれた者に対しては甘いし、とても親切で、そして大事にするタイプだ。
それこそ裏切られても許してしまうだろう。
だからこそショーンは二人の周りにいる人間には特に目をらせているのだ。
ショーンにとっても大事な二人だから。
「明日はちゃんと祝えるよ」
でも今日だけはこの気持ちを許してしい。
だって五年間もずっと側にいた友人なんだ。
しくらい寂しくじたっていいだろう。
明日、婚禮裝にを包んで並ぶ二人を見たら、きっと自分は心から喜べるという予があった。
結局のところショーンはライリーもエディスも友人だと思っているし、大事な友人同士が一緒になって幸せになれるのならば、それは素晴らしいことだと分かっているから。
「僕とフローラの結婚式の時は、ライリーもこんな気持ちになるのかなあ」
主人の呟きに近侍は首を傾げた。
「どうでしょう? あの方ならば結婚の喜びを知り、ショーン様とフローレンス様の結婚にも心から祝福してくださりそうですが」
「あはは、そうだね、そうかもしれない」
それはそれで嬉しいことだ。
ショーンはソファーから起き上がると、その勢いのまま立ち上がった。
「さあて、そろそろ寢ようかなあ。明日は絶対に寢坊するわけにはいかないからね」
近侍はそれに微かに口角を引き上げた。
素直なようでいて不用な主人が、最終的には複雑な自分の心境よりも、友人達への祝福の気持ちを取ったことを悟ったのだった。
* * * * *
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