《お久しぶりです。俺と偽裝婚約してもらいます。~年下ワケあり生真面目弁護士と湯けむり婚前旅行~》2. 私、こじらせすぎ……!(2)
「はい、乾杯~!」
繁華街の騒がしいバルの中でも、すみれの明るい聲は目立つ。
葉月も暗い気分を忘れて「乾杯」と笑い、スパークリングワインのグラスを合わせた。
まだ木曜日なのに、店は合コンの客や若いサラリーマンたちで溢れ、その間をウェイターたちが慌ただしげに行きっている。
葉月たちの前のテーブルには、バーニャカウダやアヒージョ、ローストビーフなどが所狹しと並んでいた。
立ち上るガーリックの香りに、ぐう、と葉月の腹が鳴る。ここはデザートも絶品らしいから、とても楽しみだ。
「葉月、殘業お疲れ様っ」
「ありがとう、すみれもお疲れ様」
「あはは、今月さえ終わればもうちょっと楽になりそうなんだけどねー。年度末乗り越えるためにも、今日はいっぱい食べよ!」
すみれがワインを呷り、整った顔に満面の笑みを浮かべる。
ストレートのロングヘアに流行のメイク、まだ寒いのに春らしい淡いミントグリーンのワンピース。
外見は華やかなのに面は飾らない彼は、アパレル業界でプレスとして働いている葉月の友人だ。
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著飾ったすみれと、紺のニットにベージュのチノパン姿で地味な葉月は、一見したところ共通點がない。
だが、二人は同い年のなじみだった。
學區が違うこともあり當時は深い付き合いではなかったが、半年前に葉月の勤める図書館で再會したのが縁で仲良くなった。
「葉月も今月いっぱいで解放されるじ?」
「ううん、四月も忙しいと思う。でも図書館の改裝工事があるから一週目はお休みだよ」
「おっ、じゃああたしも休むから近場で旅行行かない? 溫泉とか」
「溫泉……!」
聞くだけでうっとりして、葉月は目を閉じた。
揺らめく湯気、きらめく水面。
たまにはご褒もいいかも、と顔が緩んでしまう。
「いいでしょー?」
「うん、いい……最後に行ったのいつだったかなぁ……あっ!」
「うわっ、いきなりなに、葉月」
「すみれ、彼氏と行かなくていいの? 私よりそっちのほうが……」
「ああ、あの人とは別れたんだ」
生ハムを食べながらあっさりと答えるすみれに、葉月は驚愕した。
「ご、ごめん、変なこと言って」
「あはは、大丈夫だよ、ありがと。結婚しようって言われたんだけど考えられなくてさ、あたしからフッちゃったんだ」
「そう……なんだ」
「そんな悲しそうな顔しなくていいって! 優しいなー葉月は」
「でも、その、あんなしくて優しい曹司様と別れるなんて」
「ふふっ、しくて優しい曹司様って」
「だってすみれの家で出くわしちゃったとき笑いかけてくれたし、私にもお土産くれたし……」
「葉月ちょろいなー。ま、実際いい人だったけどね。イケメンで金持ちで優しくて、子みんなの理想ってじ?」
すみれが明るく笑い、ワインのグラスを傾ける。
それならどうして別れたのだろう。
葉月は尋ねようとしたが、男経験のなさからとんちんかんなことを言ってしまいそうで、言葉が見つからなかった。
「ちょっと完璧すぎて疲れちゃってさ」
「そういうものなんだ……」
「うん。理想ってのはそれぞれじゃん? あたしの理想は……もっとパッションのある人だったんだなって。あたしのこと後回しになっちゃうくらい仕事に燃えてて、王子様より同志ってじの人がいい。葉月の理想は?」
「えっ、私の?」
突然話題を振られ、葉月の脳裏に眼鏡をかけた憐悧な貌の男が浮かぶ。
初の年──朔也の、現在の姿。
的に言うと、葉月が彼の名前を検索したとき引っかかった、法律事務所のスタッフ紹介の寫真だ。
スーツを著て爽やかな微笑みを浮かべた朔也はすっかり大人になっていたが、あの頃の面影はまだ殘っていた。
「ええと、優しくて、ヒーローってじの……」
正直に話してしまいそうになり、慌てて口をつぐむ。
──だ、駄目だ。私、こじらせすぎ……!
小さく首を橫に振り、どうにか幻想を追い払う。
子どもの頃の約束を十四年も待ち続けているなんて夢見がちすぎる。いいかげんに現実を見なくては。
そうわかってはいるのだが、これまで出會ってきた現実の男たちはみな葉月に興味がないか目當てだった。
それもあって、気持ちが通じ合った朔也が忘れられない。
──私の心に興味がある人なんていない。それが「の丈」なんだろうけど……。
母に「の丈を知らない」と言われたのを思い出し、葉月は自分が恥ずかしくなった。
初の彼のような素敵な人とし合いたいなんて、誰にも言えない。
「どしたの葉月、フリーズ?」
「あっ、ご、ごめんね」
「あはは、いいって」
すみれが今度はローストビーフを食べ、し遠い目をする。
「まあ、理想もやっとわかったし。今回は別れちゃったけど、すぐ次の相手探すつもり。今年中に付き合って、二年後に結婚したいな」
「……そっか。大丈夫だよ、すみれなら絶対できる」
「ありがと、葉月」
勵ますと、すみれが明るく笑う。
それにほっとする一方で、はっきりしたビジョンがある彼と自分を比べてしまい、葉月は暗い気分になった。
「すみれはすごいな。私は二年後どころか一生結婚できないかも」
「そんなわけないって。葉月いい子だし」
つい卑屈なことを言った葉月を、すみれが笑い飛ばす。
「それにさ、朔也としてたでしょ? 婚約」
先ほども思い浮かべた名前が突然出てきて、葉月は思わず固まった。
すみれは葉月のなじみ。
そして、朔也の姉でもあるのだ。
「……うん。懐かしいね」
いま思い出しました、と言うように葉月は視線をそらした。
葉月がいまだに初を引きずっているのを、すみれはおそらく悟っている。
だが、それがけなくて、葉月は本心を明かせずにいた。
「あいつじゃ駄目? あ、優しくないか」
「そんなことないよ。すごく優しい子だった」
「優しかったらいきなり音信不通にならないでしょ」
「それは……子どもだったし、そんなものだよ」
「お、心広ーい。ね、もう一度會ってみない? 朔也、私の連絡ガン無視するけど葉月の名前出したら食いつくと思うんだよね」
すみれの言葉に心が揺らぐが、同時に恐怖心も煽られる。
「……だめ。朔也くんに迷かけたくない」
「そう? 喜ぶと思うけどなあ。あいつ葉月のことめちゃくちゃ好きだったしさ、クソ真面目で頑固だからずっと覚えてるはず」
すみれが寂しげに目を細めてワインを飲む。
十三年前、両親が離婚して離ればなれになってから、彼と朔也は疎遠なのだそうだ。
紆余曲折あって今は同じ雨宮家の戸籍にっているが、ほとんど付き合いはないらしい。
「自信持ちなよ、葉月。迷かどうかなんて話してみなきゃわかんないし。朔也と會いたくない?」
「會いたくない、わけじゃないけど……」
葉月はうつむき、また朔也を思い浮かべた。
彼は現在、弁護士として第一線で活躍している。
すみれの話では、なんと大學生のうちに司法試験に合格し、あらゆる法律事務所からスカウトをけたのだとか。
彼は超がつくほど優秀で驚くほど形で、ハイスペックな男。
それに比べて、自分は。
──もし會えても、がっかりされたくない。
──がっかりもしたくない。すみれはああ言ったけど、私のことを忘れてて、話しても思い出してもらえなかったら……。
「……ごめん、勇気がないかな」
の奧が軋んでしまうのを作り笑顔で隠す。
すみれは言いたげに葉月を見ていた。
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