《お久しぶりです。俺と偽裝婚約してもらいます。~年下ワケあり生真面目弁護士と湯けむり婚前旅行~》17. 困っている人を助けられるすごい仕事
洗面所でだしなみを整えてから腕時計を確認したら、すみれとの待ち合わせにはまだ余裕があった。
──せっかくだし、早めに出かけて庭園でも見てよう。
──そうだ、朔也くんへ一聲かけといたほうがいいよね。
廊下に出て、朔也のいる書斎に向かう。
すると、閉じられた扉の奧から誰かが話す聲が聞こえた。
「……まとめといてほしい資料は以上だ。今日中に行けるか?」
「はい。今日は時間取れますから」
「悪いな、旅行中に」
どうやら朔也が上司と電話で打ち合わせしているようだ。
スピーカーから流れているらしい上司の聲は、中年男らしい渋さと若干の疲れが滲んでいた。
「いえ。それと、昨晩メールでお伝えした件なんですが──」
朔也の聲は葉月と話しているときと違ってやや固い。
いつにも増して理知的でしっかりとして、いかにも仕事ができそうな印象だ。
葉月はつい聞き惚れてしまい、扉の向こうに耳を澄ませた。
「ああ。離婚協議の弁護方針を詰め直したいってやつか。リスクあるから切る、っつったのお前だったのに」
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「……ええ。ですが、考えが変わりまして」
──わっ、これ以上聞いたらまずい……!
會話が依頼容に踏み込んだものになったので、焦って廊下を引き返そうとする。
「ここんとこ大人しかったのにどうしたよ、雨宮。ずいぶんヒーローやってんじゃねえか」
だが、上司の言葉に足が止まった。
──朔也くんが、ヒーロー?
「コストと見合わんだろ。なんでまた」
「子どものためですよ。母親とは言え、依頼者が親権を取るのは不可能でしょう。ですが面會の回數や條件を模索して、最善を見つけることはまだできる。息子さんからは慕われているようでしたし……」
「雨宮」
実直に答える朔也を上司が遮り、苦笑した。
「所した頃みたいに熱いな。若手のホープの超優秀イケメン、『氷の王子様』はどこ行った?」
「……そんな名前で呼べなんて誰も言ってません」
「俺は昨日も聞いたぜ」
不機嫌になった朔也の聲が、「氷の王子様」と呼ばれているのは冗談ではなく事実なのだろうと悟らせる。
──確かに、再會した直後は怖くて冷たいじに見えたけど……仕事のときもそう演じるようにしてるのかな。
──だって今の……ううん、本當の朔也くんはすごく優しいから。
「俺たちはヒーローでも慈善団職員でもないぞ。わかってくれたと思ったんだがな」
「……わかってます。割り切れないことのほうが多い。でも、弁護士は困っている人を助けられるすごい仕事、でもあるんです」
──えっ、それって……!
再會したあの日、葉月が甘味屋で苦し紛れに言った臺詞。
唐突に出てきたそれに、大きく鼓が跳ねる。
「思い出したんですよ。そういう弁護士に憧れていたんだって。俺は……困っている人を助けて、守りたい人を守れる男になりたかった。弱い立場の人の味方に」
朔也の聲は落ち著いていたが、確かな熱意がこもっていた。
の奧が熱く、甘く締め付けられる。
葉月との會話がきっかけで、朔也は本當の自分自を取り戻せたのかもしれない。
そう思うと、とてつもない喜びが湧き上がった。
「……若いな。俺も昔はそうだったから、気持ちはわかるが」
「懐かしむほど老いぼれちゃいないでしょう?」
「はは、言うなあ。帰ってきたら覚えてろよ」
上司の男がまた苦笑したあと、ふう、と溜め息をつく。
「ま、よかったよかった。お前がブル弁に路線変更考えてるかもって噂になってたが心配しなくてよさそうだ。困ってる人たちを助けるヒーローになりたい、ってんならうちにいたほうがいいだろ?」
そう問われ、朔也はなぜか言葉に詰まったようだった。
──ブル弁……前に読んだ本に書いてあったな。ブルジョワ弁護士の略稱で、大企業の訴訟を扱うお金持ちのエリート、みたいなじだっけ。
──朔也くんの今の事務所は、一般の人相手だったはずだけど……。
「おーい、なんだよ、その沈黙は。うちじゃ嫌か」
「いえ。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
今度は平然と答えるが、妙に歯切れが悪い。本當に転職を考えていたのだろうか。
「白々しいな。とりあえず離婚協議の件は考えとく。休み明けに事務所で話そう」
「ありがとうございます。あと、もう一つ……」
話題が切り替わったところで盜み聞きしていたのを思い出し、葉月は急いでその場を離れた。
朔也に出かけたことを伝えたいなら、和室にメモを殘しておけばいい。
──「困っている人を助けて、守りたい人を守れる男になりたい」……か。
彼が語った言葉が、そのときじた熱が、リフレインする。
──変わっちゃったのかも、昔の彼はししか殘ってないのかも、って疑ったときもあった。
──けど、朔也くんはずっと……。
十四年前の記憶も蘇る。
あのときも朔也は困っている人──いじめられていた葉月を、助け、守ってくれた。
葉月はそんな優しいヒーローにをしたのだ。
──本當はずっと、私の大好きだった朔也くんから変わってなかったんだね。
別れの前日、ドラゴンレッドのキーホルダーを渡したときの彼の笑顔が鮮やかに浮かぶ。
きゅん、とが再び甘く痛んだ。
どうにかごまかそうとしてきたが、もう逃げられない。
葉月は完全にの奈落へ落ちていた。
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