《お久しぶりです。俺と偽裝婚約してもらいます。~年下ワケあり生真面目弁護士と湯けむり婚前旅行~》22. 私、本當に役立たずだ
離れに戻ってから三十分ほど過ぎた頃、葉月は和室で思いに耽っていた。
桜のカーディガンを背にかけた座椅子に座り、手の中にある思い出の指を見つめる。
補修したせいで凹凸があり、くすんだ銀メッキ。
臺座に並んでいる小さなプラスチックのダイヤは、いくつか欠けてしまっていた。
「葉月さん、ちょっと風呂ってきます」
「う、うん! 行ってらっしゃい」
廊下から聲をかけられ、慌てて手を隠しつつ振り向く。
朔也はやや暗い表で頷き、その場を後にした。
ししてから、洗面所の戸が開いて閉まる音がする。
──朔也くん、戻ってきてからずっと書斎にいたな。きっと靜馬さんのことがショックで……それに、私とも顔を合わせづらいだろうし。
──……やっぱり、朔也くんがお風呂から出てきたら「話し合うのは遅くない」って言ってみよう。
決意し、黒いベロア生地の小さな巾著にお守りの指を戻す。
名殘惜しくてしばらくそれを掌で包んだままでいると、廊下から突然メロディが聞こえてきた。
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朔也のスマートフォンが書斎で鳴っているようだ。
呼び出し音が途中で切れ、再び始まる。
それが三回繰り返された辺りで、葉月はそわそわしてきた。
──こんなにしつこく連絡してくるなんて急の用事かな。朔也くんのところにスマホ持ってったほうがいい?
ためらっているうちに、また新しい著信がる。
葉月は巾著をポケットにれて立ち上がろうとしたが、今著ているワンピースにはそれがなかった。
ひとまず座椅子にかかったカーディガンのポケットに巾著を収め、書斎へ向かう。
ドアを開けたら、文機の端でスマートフォンがり震えていた。
近づいて畫面が見えた途端、思わず息がれる。
「……一ノ瀬、レイラ」
一昨日、デートのいとしか思えないメッセージを送ってきた人だ。
朔也の言葉を信じるなら、人ではないようだが。
──朔也くんが噓つくはずないって、わかってるけど……。
スマートフォンを手に取るか迷っていると、繰り返す振でしずつ移していたそれが機の端から落ちかけた。
「あっ……!」
キャッチするのと同時に、指が応答ボタンにれてしまう。
畫面がぱっとビデオ通話に切り替わり、若いの顔が映った。
「さっきのメッセージはなに!?」
流れ出した金切り聲にスマートフォンを落としかけ、慌てて持ち直す。
──わっ、綺麗な人……!
畫面の中の──レイラは苛立ちをあらわにしていたが、その悪い印象を打ち消すほどの人だった。
年齢は二十三、四歳だろうか。
はっきりとした目鼻立ちに、緩く巻かれた明るい茶の長い髪。ラベンダーのけたブラウス、華奢な金のネックレス。
蝶よ花よと育てられたお嬢様、という雰囲気だ。
「あんた誰? 朔也さんのスマホ盜んだの?」
貌がもったいないほど顔をしかめて尋ねられ、葉月ははっと我に返った。
「ち、違います。私は──」
「ああ、アシスタントね! それなら早く出なさいよ、ノロマ」
「えっ」
「あんたが何だっていいわ、朔也さんにすぐ電話をよこさせて。さっきメッセージ送ってきたんだからその辺にいるでしょ? あと十五分でできなかったら、あんた法曹界でもう仕事できなくなるから」
あまりの傲慢ぶりに戸っていると、レイラがより表を歪める。
その大きな目から突然涙がこぼれ落ち、葉月はさらに驚いた。
「だ、大丈夫ですか?」
「……っ、本當に、朔也さんに電話させなさいよね。私たちをこれ以上引き裂かないで」
「引き裂く……?」
「ああ……朔也さん、『もう連絡するな』なんて噓よね? パパに反対されて別れたけど、私たちし合ってたのに! どうしてあんなメッセージ……!」
レイラが突然芝居がかった口調で聲を張り上げ、に手を當てる。
「アシスタント、朔也さんに『パパから聞き出した』って絶対伝えなさい! 私のためにパパに渡すお金を集めてたの知ってるって! 分違いだけどこれだけ稼げるんだ、って見せようとしたのよね。それだけで、私……ううっ」
次から次へと走る衝撃に、葉月は聲も出せなかった。
頭の中で點と點が繋がり、これまでの考えが吹き飛んでいく。
朔也は以前、偽裝婚約は私利私のためだと言った。
そして、靜馬の産を生前分與させるとも。
レイラのための結納金がすぐに必要だったのだとすれば、筋が通ってしまう。
彼の機は家族ではなく、レイラだったのだろうか。
「パパに朔也さんはお金を工面できなくて諦めたんだろうって言われたわ。でも、彼が私を諦めるなんてありえない」
おそらく金を用意できなくなったのは、産のあてがなくなったからだ。
朔也はこれ以上靜馬を騙したくなくて偽裝婚約を斷念し、レイラにも決定的な別れを告げた、のかもしれない。
──「今は人がいない」って言ってたのは、レイラさんと一応別れてたからってこと……?
朔也は再會した當初からずっとどこか罪悪があるように見えた。
それは葉月を巻き込んだからだけではなく、演技とは言え、するレイラを裏切って他のと婚約したからなのだろうか。
「そうよ、朔也さんは絶対迎えに來てくれる……!」
レイラがくすんくすんと鼻を鳴らし、涙を流す。
大袈裟だが、の起伏が激しいだけだと言えなくもない。
先ほどの無禮ぶりも、きっと朔也を深くしているからこそ取りしていたのだ。
朔也だって良心に逆らい苦しんでも金を集めようとしたのだから、レイラに本気なはず。
──この人が……「本」なの?
納得はできない。
だが、狀況がそうだと告げていた。
「……かしこまりました。雨宮先生が戻り次第、すぐにご連絡するよう伝えます」
「絶対よ!」
気がつけば葉月はアシスタントを演じていた。
偽裝婚約の件がレイラにバレたら彼と朔也の仲は修復不可能になる、ととっさに思ったからだ。
挨拶をし、電話を切って、文機の端にあったペンとメモ帳を取る。
──朔也くん、諦める必要なんかないよ。靜馬さんに正直に話せばきっとお金を援助してくれるはず。
──そうすれば、全部解決だよね。家族と仲直りして、好きな人と結婚できて。朔也くんは幸せになれる。
紙の表面にペン先をつけたところで、手がかなくなった。
──……じゃあ、私は?
彼の幸福の中に自分がいないことに改めて気づき、みぞおちの奧が引き絞られる。
──私は……幸せじゃない。
それまで見ないふりをしていた悲しさや苦しさ、敗北が、へ一気に溢れた。
朔也が好きだから、冷たくされても強引に抱かれても心を拒絶されても、必死で彼を支えてきた。
それは勝手にしたことで、朔也が想いに応える義務なんてないとわかっている。
だが、盡くした結果がこれだなんて。
──朔也くんを助けたかったんだから、これでいいはずなのに。見返りなんて求めてなかったはずなのに。
──馬鹿みたい。朔也くんが優しくしてくれるからって浮かれて、私、自分に報われる価値があるなんて勘違いしてた……!
自の醜さまで突きつけられ、堪えきれず涙がこぼれる。
ぐずっ、と鼻が鳴り、その音が先ほどのレイラより汚くて余計につらくなった。
ペンを握り直すが、どうしても書けない。
──応援もできないなんて、私、本當に役立たずだ……!
口から嗚咽がれ、白いメモ帳に雫が落ちる。
葉月は「ごめんなさい」とそこに毆り書いて、衝的に左手の薬指から指を外した。
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