《星乙の天秤~夫に浮気されたので調停を申し立てた人妻が幸せになるお話~》04. 鳥居坂法律事務所

「著手金はいらない。君のその素っぴんで充分おつりがくる。次は事務所で話そう。來週の月曜、19時は空いてる?」

桐木先生はいつの間に取り出したのか、黒いエルメスの手帳を開き、矢継ぎ早にそう問いかけきた。慌てて自分のバッグから、書店で買ったファンシーな花柄の手帳を出して答える。

「あっ、空いてます!」

「よろしい。では事務所で」

右手を差し出されたので、私はし躊躇いがちにその手を握った。

  名前を告げて付で待っていると、中から若い男が現れた。

「林原梓様ですね、お待ちしてました」

榊と名乗ったその男が、面談場所へ案してくれた。

雑居ビル二階の全フロアが事務所のようだった。面談ブースは4つで、2つは埋まっている。完全に個室だが、ドアや壁は全面が磨硝子なので、中に人がいる様子は廊下からでもわかるようになっていた。

「桐木はすぐに參りますので、しばらくお待ちください」

榊さんは、笑顔の明るい、じのいい人だった。座って待っていると綺麗ながお茶を持ってきてくれる。禮を言うと微笑んでくれた。皆さんの対応が優しくて、おかげで張がしほぐれた。法律事務所なんて初めてだし、これから調停とか裁判とか何だか難しそうな話をするのかと思うと、必要以上にビクビクしていたからだ。勢いで約束したけれど、良さそうな所だなあと思っていると、低い聲が聞こえてきた。

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「やあ、待たせたね」

この前と同じ臺詞。でも今日は本當にこの人を待っていた。

クラシックなウインドウペインチェックのスーツがこんなに嫌みなく似合っている人、見たことない。私は立ちあがって深々とお辭儀をする。

 「桐木先生、本日はよろしくお願いします」

私達は、先日話した事から、さらにいくつか付け加えて確認した。

財産分與の方法、的な謝料の額。私の場合、有責配偶者は明らかに夫で、夫が話し合いに応じなければ家庭裁判所で調停できること、それでもまとまらなければ裁判になるが、ほとんどの場合、裁判にはならないということを聞いた。榊さんは橫で書類メモを整理している。

「何か質問は?」

「あの……調停になる前に夫と話がしたいんですが……」

「調停離婚ではなく協議離婚がいいって意味?」

「えーと、多分。はい」

「君の旦那が応じてくれれば話し合い出來るが、連絡がとれないんだろう?」

「……はい」

「やめておけ」

私は黙るしかなかった。俊彰は話し合いなんかんでない。私に會いたくもないのだろう。

俯く私に榊さんの聲が聞こえる。

「一応、代理人こちらから呼びかけは出來ますよね」

私がぱっと顔をあげると、桐木先生は嫌そうな表をしていた。

「時間の無駄だ」

「先生、そうおっしゃらず」

「話し合って再構築出來るなら価値もあるだろうが、聞いてる限り旦那にその気はないだろう。會社宛てに呼び出しも出來るが、それで社不倫がバレて社會的制裁をけたとなれば、とれる金が減る」

「あのー……先生の金勘定より、林原さんのお気持ちも考えて……」

「無駄無駄。どうせ來ないよ。それより実家の住所でさっさと申し立てして、強制的に裁判所に呼び出せばいい」

桐木先生が心底面倒そうに手を振る。

「それとも、未練がましく縋りたいのか?捨てられた理由が知りたいのか?それを聞いてどうする?余計に傷つくだけだろう」

「縋るつもりはありません。捨てられたとか、そんな言い方しないでください。これから私が捨てるんですから!」

一息にそう言い切ると、桐木先生と榊さんが固まった。しまったと思っていたら、ふわっと桐木先生が笑った。

「なんだ、ついてきたな」

「開き直っただけです」

「めそめそしてるよりはマシだ」

桐木先生は目を伏せて萬年筆を置くと手を組んだ。

「わかった。旦那が話し合いに応じるならそれでもいい。勿論、その時は俺が同席する」

口の端だけをあげて笑う桐木先生は、凄絶な程にしく見えた。

翌日、會社から帰ると家に明かりがついていた。

「俊彰……?」

私はひどく揺した。あとから思えば、すぐに桐木先生に連絡するべきだった。でもこの時は俊彰の事しか考えられなかったのだ。

「俊彰、帰ってきたの?」

力一杯に玄関ドアを開けて、家に飛び込む。泣きそうになりながら。

「俊彰!」

リビングのドアを開けた私を出迎えたのは計4人の男だった。

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