《星乙の天秤~夫に浮気されたので調停を申し立てた人妻が幸せになるお話~》14. 夢心地_2
ミッドタウンが近くに見える場所でタクシーを降り、裏通りの小道を歩く。門があり、途中からどこかの敷地にった。薄暗い林の中を抜けると、そこに大きな建があらわれた。
「ここは、るとき記帳するんだが、家族しかれないから妻にするぞ」
もう私は抵抗をやめて、ただうなずいていた。
重厚な建の中は、ってすぐの場所にラウンジがあり、奧がレストランだった。平日だったせいか空いていて、すぐに席に案された。
テーブルとテーブルの間隔がかなり広く、空間を贅沢に使ってある。卓上花と蝋燭が可らしく置いてあり、銀のカトラリーも大きなお皿もシンプルだが上品だった。窓から見える庭のライトの配置がとても綺麗で、都會の喧騒から切り離された異空間のようにも思える。
 レストランのメニューを見せてもらったが、その価格に驚いて思わず顔をあげた。
「え?これってどういう事ですか?」
「緒」
そう言って、桐木先生はフレンチのフルコースを注文する。ワインのリストがちらりと見えたが、そちらもあり得ない価格だった。
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―――これは多分、原価に近い。
しばらくリストを眺めていた桐木先生が言った。
「料理に合わせて、スパークリング、白、赤と順番に選んでもらえるかな?お祝いなのでいくらでも構わない。一番合うものを」
「かしこまりました」
金葡萄のソムリエバッジをつけた壯年の男が恭しくお辭儀する。
「お祝いって……」
「100日経ったな。君は自由だ」
桐木先生が目を伏せて笑う。私は背筋をばして言った。
「桐木先生も榊さんも、今日だって、わかってたんですね……」
「當たり前だろう。擔當したんだから」
 の再婚止期間、100日。離婚後にもし子が生まれた場合、父親が前夫なのか再婚相手なのかの混を防ぐために設けられた待婚期間。離婚時點で懐胎していないことを証明すれば適用されないのだが、私は再婚を急ぐつもりも理由もなかったので検査はしなかった。
「指折り數えてたわけじゃないですけど」
「人それぞれだろうが、ひとつの區切りかな」
「そうですね……本當に。々自分の気持ちがわかりました」
 薔薇ロゼのスパークリングワインが運ばれてくる。細長いグラスに、ソムリエの手で丁寧にワインが注がれる。泡が弾けてキラキラしていて、私は思わず微笑んだ。
「可い……」
「そうだな」
桐木先生の視線は、ワインを通り越して真っ直ぐ私に注がれている。
テーブルの上の蝋燭の燈がゆらめいて、私はもう自分の気持ちと向き合うことから逃れられないとじていた。
「君は以前、どうして自分の依頼を引きけたのか、と質問しただろう?」
「はい」
「君に興味をもったから、が答えだ」
 その言葉の意味を飲み込む前に、前菜がサーブされ、先生が靜かな低い聲で「乾杯しようか」と言った。私は頷いてグラスを持ち、震えながら乾杯した。シャンパングラスに口をつけると、ワインはし甘くてが苦しくなった。が抑えきれない。溢れそうだから、言わなければ多分食事なんか出來ない。
「先生、桐木先生、私、私は……」
涙が出そうになってが詰まる。でも桐木先生は、私の次の言葉を黙って待っててくれる。本當に、この人は泰然自若で羨ましい。すぐにが揺れてしまう自分が恥ずかしかったが、懸命に言葉にした。
「……私、桐木先生が大好きです」
「ありがとう。俺も君が好きなんだ」
桐木先生が見たことないくらい優しく笑うから、心臓が壊れるかと思うくらい高鳴って、私は泣いた。
前菜、スープ、魚料理に続いて出された口直しグラニテがシャリシャリして爽やかで味しく、私が「これも味しいですねー」とはしゃいでいたら、子供を見守る保護者ような目で桐木先生が笑っていた。悔しかったのでし文句を言った。
「えーと、先生は食べ慣れてるかもしれませんが、フレンチフルコースなんて庶民は滅多に食べないんですよ?」
「別に俺だって毎日こんなもん食べてるわけじゃない。むしろ忙しいんでゆっくり食事なんか出來ない」
「そうですね。時間をかけて食事するって贅沢ですね」
「今日は特にと一緒だからな」
「私も世界一の男子と一緒に食事が出來て栄です」
「……酔っぱらってるな。水飲め、水」
そう言われたので、私は自分のグラスにし殘っていた白ワインを飲み干した。多分かなり私は酔っていると思う。
料理ヴィアンドもデセールも完食して、コーヒーを飲みながら、私たちはたくさん話をした。ここは何かの厚生施設なのだろうが「緒」らしいので、それについては聞かないことにした。
檜町公園を散歩して酔いをさましてから、私たちが出會ったお店、アストライアーを目指して歩く。表通りは相変わらず人が多いから、離れないようにと繋いだ手が心地いい。し前を歩く桐木先生の腕を、ぎゅっと引き寄せてみた。
「歩くの早かったか?」
決して早くなかったが、私は頷いた。
仕方ないなと笑って、桐木先生がゆっくりと歩いてくれる。
幸せすぎてふわふわして、喧騒が遠くなるみたいだった。
「大好き。私、桐木先生が大好きです」
聞こえないように呟いたつもりだったが、先生の耳たぶに朱が差すのが見える。
本當に、この人はなんて可いんだろう……。
でも、そんな夢心地は數分後に々にされた。
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