《社長、それは忘れて下さい!?》2-6. Friends come
エリカには申し訳ないと思ったが、イベントへの參加はキャンセルさせてもらうことにした。
急な予定変更を怒られても仕方がないと思っていたが、連絡をれるとエリカは驚きの速さで家を訪ねてきてくれた。彼が持ってきたテイクアウトのお惣菜とジュースを口にしながら事を説明すると、
「よかったじゃん、涼花!」
と明るい笑顔を向けられた。その表を見た涼花は、つい苦笑してしまう。
「よかった……かなぁ?」
「そりゃそうでしょ。忘れない人がいるなんてすごいじゃん!」
涼花の長年の苦悩を知るエリカは、同衾しても涼花のことを忘れない男の出現に大手を振って喜んでくれた。
だが涼花はエリカのように手放しには喜べない。何故なら龍悟がたまたま涼花のことを忘れなかったというだけで、次に出會う人が涼花との夜を忘れない保証はどこにもない。そう告げると、エリカはきょとんと不思議そうな顔をした。
「え、社長と付き合えばいいんじゃないの? 別に既婚者じゃないんでしょ?」
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「違うけど……今は人いないらしいけど……」
「じゃあ付き合っちゃえばいいじゃん」
「そんな簡単な話じゃないでしょ~!」
涼花は新たな悩みに直面した心境で、がくりと項垂れる。
たまたまそういう狀況が重なって機會に恵まれただけで、龍悟は涼花のことを好きなわけではない。涼花の想いが屆いたから結ばれたわけでもない。
これでも一応は社長書だ。書の仕事は鈍な人間には務まらない。
優れた書は常に上司に付き従い、相手の機微にもアンテナを張り、両者の意図を酌み取って先回りする技量が必要だ。涼花もその技を完璧にに著けたわけではないが、龍悟の言や視線や態度から考えを読み解くことは出來る。だから自分が対象として意識されていないことぐらいは、ちゃんとじ取っていた。
「でも今回、ちょっと思い知ったんだ」
「何を?」
涼花は額をつけたテーブルから首だけをかして、そっとエリカの顔を見上げた。
「忘れちゃうって、すごく悲しいんだね」
覚えているはずのことを、忘れている。大事なことを忘れているのに、忘れたことにさえ気付かない。目の前で心配してくれる人がいるのに、心配されている容がわからない。相手はちゃんと覚えているのに、自分は全く覚えていない。
「今まで忘れられるばっかりだったから、自分が忘れる立場になるって想像したことなかったなって……」
今までずっと、自分との夜を忘れた相手を責めてきた。忘れた相手が悪くて、忘れられた自分は被害者だと思っていた。
けれど今朝『大丈夫か?』と心配そうに顔を覗き込まれて龍悟と目が合った瞬間、涙が出そうなほど不安になった。忘れた方も辛かった。
「馬鹿ね。それは涼花が、忘れられる辛さを知ってるからよ」
「エリカ……」
「普通、忘れた方は罪悪なんてじないわよ。だってそれすら忘れてるんだから」
私なんてしょっちゅうよ、と付け足すエリカの勵ましに、涼花はまた元気をもらう。
エリカの言うように、涼花に非はないのかもしれない。龍悟は涼花を特別に思っているわけではないのかもしれない。
でもそれでいいとは思えない。無かったことには出來ない。だから週が明けたら、龍悟にしっかり謝罪とお禮をしよう、とかに決意する。
「それに……」
「ん?」
「ちゃんと覚えていたかったなぁ、って思って……」
昨夜何があったのか、涼花に詳細はわからない。だが龍悟は人を傷つける悪意のある噓は付かない。ならば龍悟が薬を抜くために涼花を抱いたのは事実なのだと思う。
けれど優しく抱かれたのか、激しく抱かれたのか、全く覚えていない。最初の夜と違って、龍悟の熱い視線を、を這う指先を、甘い言葉を、一切覚えていない。不可抗力とはいえ好きな人と過ごした夜なら、出來れば覚えていたかったと思うのに。
「涼花、あんたちょっとずるいわ。可すぎか」
「な、に、が!」
からかわれたことに気付いて怒ると、エリカが突然抱き著いてきた。涼花の頭に頬を乗せると、犬にするみたいにぐりぐりと頬を押し付けてで回される。エリカの飼い犬ほどではないが、髪のがぼさぼさにれてしまいそうだ。
そんなエリカにされるがままになっていると、ふと顔を覗き込まれた。
「あのさ、付き合うとか付き合わないとかは別として、涼花自はどうなの?」
「な、何が?」
「社長のこと好き?」
「えっ……え、と……」
じーっと目を見つめられながら核心を突くような質問をされたので、しどろもどろになりながら目を逸らす。しかしこの反応を見せている時點で、エリカにはもう涼花の気持ちがわかっているのだろう。
「す、好き……です。……で、でもね!」
「はいはい、わかってるわよ。どうせ釣り合わないとか言うんでしょ」
案の定、涼花の告白を聞いても、エリカは大きな反応を示さない。それどころか涼花の返答を先読みし、紡ぎかけた言い訳をあっさり遮られてしまう。
「別に釣り合わないってことはないと思うわよ? 仕事してるとこは見たことないけど、涼花は人だもの」
「お世辭はいいよぉ……」
「噓じゃないわよ。ただオーラというか……気がない」
「うっ……ぐ」
長年の親友は的確かつ手厳しい。
書の仕事はあくまで上司の補佐役だ。本來の役割を考えれば、変に目立つよりはオーラや気が消え去った人のほうが適任と言える。だがこれが対象としてなら話は変わる。オーラも気もないのであれば、涼花はスタートラインにすら立っていないように思う。
項垂れて小さくなった涼花の背中をぽんぽん叩いたエリカは、可いウィンクを一つ飛ばしてきた。
「社長の言い分は突飛だと思うけど、をするべきってのは私も同意見だわ」
そう言うとエリカはスマートフォンを取り出して、前回と同じように涼花にその畫面を見せてきた。
「今日は無理でも、イベントも合コンも毎週のようにあるんだから」
「す、すごい……」
「社長のことは、考えてもどうせ結論出ないんでしょ? だったらそれはそれとして置いといて、まずは新しい出會いだけでも探しに行こうよ。ね?」
エリカの提案に、涼花は仕方がなく『うん』と頷く。
彼の言う通りだ。自分に興味がない相手を想い続ける時間を無駄とは言わないが、どうせ葉わないことは十分思い知っている。だったらその時間を、し別のことに使ってもいいのかもしれない。何せその片想いの相手に『をしろ』『人を作れ』と説き伏せられている有様だ。
もちろん、いま出會いに恵まれたところで、他の誰かにをするのは難しいと思うけれど。
(か……)
『をしろ』が『をしろ』と同意義なら、その目的はもう達している。けれどするだけでは、龍悟のむような結果は得られていないらしい。
ならば次は人を作るしかないと思うが、いくら思考を巡らせても龍悟以外に涼花がそうなりたいと思う相手が浮かんでこない。
そっと照れていると、エリカが不思議そうな顔をした。だから涼花は『なんでもない』とはにかんで、今度こそエリカの話を真剣に聞くために姿勢を正した。
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