《社長、それは忘れて下さい!?》EX_2. Sunrise and Black-Dragon ③

詐欺だ。これは詐欺だよ、安西さん。

まさか社でも想が良く、仕事が出來ることで評判が高い安西あんざい浩ひろみが、頭に超がつくほど機械音癡だなんて思いもよらなかった。昭和の時代ならともかく、現代日本で白黒コピーとカラーコピーの作の違いもわからないなんて、彼はどうやって社長書になれたのだろう。

そして安西はコピー機よりもPCの扱いの方が格段に下手だ。キーボードは下を見ながらじゃないと文字を打ち込めない上に、一文字十秒以上の時間がかかる。データを保存しようとしたら、一旦回線を遮斷しないとファイルがどこに飛んでいくかわからないというひどい有様だ。総務課から『保存先が間違ってますよ』と連絡が來ることもしばしば。

「だーっ! 終わる気がしない~~!」

旭の嘆きは一人きりの執務室の中に響き渡り、正面のディスプレイにぶつかって消える。

社長に目を通してしい、と持ち込まれたり送信されてくるデータの山は今のところ全て旭が処理している。安西が手をかけると余計に時間がかかるので、自分ひとりで処理した方がスムーズなのだ。おかげで今の旭と安西は、事務処理係と応対係で完全に書業務を分業している狀態となっている。

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確かに安西は腰がらかく、取引先の役員からもよく可がられている。彼がエントランスまで來客を出迎えれば契約が100%功すると社ではもっぱらの噂だし、字も綺麗なのでお禮狀などを書かせるとまるで書道の教科書のようだ。だから龍悟の隣に立っている分には完璧な書に見えるのだが、執務室に戻ってデスクに腰掛けると途端にポンコツになってしまう。これはもう詐欺としか言いようがない。

龍悟に口説かれた旭は、あれからすぐに龍悟の書になることに決めた。そして龍悟と最初に社長室で會ってから二週間後、旭はそれまでの業務を大至急チームメンバーに引き継ぐと、六月一日付けで龍悟の書となった。

事前に聞いていた通り前任の斎藤は常務の書へと異になった。常務もどちらかと言えばおっとりとした格なので、斎藤とは上手く仕事をしているようだ。

書と言うからには來客応対や手土産品の調達、會議への付き添いに接待への同行と、さぞやることが多いのかと思っていた。たが旭が想像していたあれこれはほぼ安西がこなし、旭は割と地味な事務処理ばかりを擔當することになった。そしてこれが恐ろしいほど量が多い。考えれば當然なのだが、社長は會社の全てを把握しておく必要があるので、とにかく常軌を逸した報告書の量なのだ。

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とりあえずこの二時間程でチェックした資料をプリントアウトして、龍悟に引き継ぐ準備を済ませる。彼のデスクに資料を持って近付くと、そこにも書類が山積みになっていた。

思わず重い溜息をつく。

(社長はちゃんと休んでるのかな……)

事務処理については旭が全て目を通して査しているが、旭がその仕事をしている間に龍悟は會議に出たり取引先に挨拶へ赴いたりと忙しなくき回っている。特に龍悟はまだ社長になって二か月しか経っていないので、積極的に挨拶に周り自分の顔と名前を売ることに余念がない。疲労は旭の想像以上だろう。

ふとデスクから視線をずらすと、龍悟が普段腰掛けているプレジデントチェアに目が留まる。旭や安西の椅子は普通のワークチェアだが、龍悟が座っているものは座面にも背面にも分厚いクッションがれられた『見るからに高級が漂う豪華な革の椅子』だ。

(これ座ったら気持ちいいんじゃないか……?)

會議に出席中のため龍悟も安西もいない一人きりの執務室で、そんなことを考える。

會議の終了予定時刻まではまだ時間がある。警備の関係上エレベーターや廊下には防犯カメラが設置され、警備室でも社の様子がモニタリングされているが、執務室にはカメラはない。ここは地上二十八階高層ビルの最上階で、窓がある方面の近場には同程度かそれ以上の高層ビルはない。

なんか目も腰も疲れているし、今なら誰も見ていないなら、一回ぐらいこの椅子に座って癒されても罰は當たらないんじゃないか? ――と、一度そう思ってしまうと、旭は子供のようなささやかな求が止められなくなってしまった。

資料をデスクの空いていたスペースに置くと、革張りの黒い椅子に腰を下ろす。恐る恐るそこへ座ってみると想像していたよりもずっとらかい。綿雲のようなクッションは旭の腰に集中した圧力と疲労を逃しながら、ほどよく重をけ止めてふんわりと沈み込んだ。

「これいいなぁ……」

背もたれに重をかけると、背中の圧もちゃんと分散してくれる。龍悟より長が低いので肩の位置が合わないが、旭の肩よりもし上のところにもらかいクッションの覚がある。

もう重をかけると、今度は背もたれがし沈んでギッと小さな音が聞こえたが、不愉快なほどの音ではなかった。

今までの部署では、書類や資料作の締め切りまでの時間を持て余していたほどだった。だがその日々が夢か幻ではないかと思うほどに、書になってからは働いても働いても仕事が終わらない。永久に終わらない力作業と確認作業の山に疲れていたので、このらかさはに染みる。

何だか眠ってしまいそうだ、と思ったところで、旭の耳に小さな電子音が聞こえた。それがり口の電子ロックが解除される音だと気付き慌てて立ち上がろうと思ったが、椅子があまりにらかかったことと、完全に油斷して背中まで預けていたので咄嗟には立ち上がれなかった。

「藤川?」

どうやら予定よりかなり早く會議を終えたらしい龍悟が、會議で使った書類を片手に執務室へ戻ってきた。室してきた龍悟と、龍悟の椅子に座ったままの旭の目が合う。

思いきり社長の椅子で寛いでいたところを見られ、旭はがあったらりたいほど恥ずかしい気持ちになった。

「……。……申し訳ありません」

旭は本來、自分の素を他人に見せて得はないと思っている。だから他人に自分の失敗を知られることがないよう、注意して生きてきたつもりでいた。だが自分には珍しくとんでもない失態を犯してしまったと気がつく。

照れながら立ち上がろうとすると、可笑しそうに口元を押さえた龍悟が、空いた手を振りながら旭の行を制止してきた。

「いい、座ってろ」

「いえ、しかし……。……笑わないでくださいよ」

龍悟は旭の様子を見て、やけに機嫌が良さそうに笑い出した。旭も龍悟の言葉を遮って自分の席に戻ろうとしたが、近付いてきた龍悟が先に旭のワークチェアに腰を下ろしてしまう。

本來ならいくら指示があっても上司の席を占領するなど許されざる行為だ。だが龍悟が笑うとそれならいいか、と思えてくる。龍悟の笑顔は魔のようだ。彼が笑うなら、何でも許されそうだし許してしまいそうになる。

龍悟はの間に安っぽいワークチェアの背もたれを挾んでその背もたれに頬杖を突くと、にやにや笑いながら、

「座り心地いいだろ~~。何時間座っても腰が痛くならないから、何時間でも仕事できるぞ~~」

と冗談じりに言った。

「逆に嫌ですよ、それ」

口を尖らせて応戦すると、龍悟が笑顔のまま『確かに』と同意した。

席をれ替えたまま窓の外を眺める。雨の季節の割には、今日はなかなかいい天気だ。

龍悟によると會議が早く終わったので、安西は社員用のカフェテラスに甘いものを買いに行ったらしい。會議が早く終わることと甘いものを買いに行くことはイコールにならないと思うが、それが彼の息抜きらしいので龍悟も好きにさせているようだった。

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