《~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実のを誓います。》世界で一番最初に神に與えられた、大切なもの。
*2*
ラムセスは螺旋階段の上で、ゆっくりと獣をでた。と思うと、飛び乗って一気に舞い降りて來た。
「ご要に応えた。我が妹」
(うう、近くに來たら來たで、苛々する。圧倒されてる場合? 絶好の機會到來よ)
スカラベに爪を立てた。願いを込める時はふわりと大気に、今は深く、己の心の炎の更に奧に突き進む如く強く願う。
――ネフティス神よ、願いに応えよ。兄か何だか分からない男を連れ去れ――。
ラムセスは厭きたとばかりに背中を向け、イザークに會話を仕掛けている。手の中の寶石は赤から濃赤に染まり、黒に近づいていた。熱に掌がし焼けた。
(お願い。あの男に復讐すると決めたの。――そうして、平穏を取り戻すのよ!)
ティティの心に呼応するかの如く、スカラベは赤く燃え上がった。イザークが予をじたかの如く、ゆっくりと振り返る瞬間と、儀禮鉾の何十名の名前が浮かび上がって、剝がれてゆく瞬間は一緒だった。
歪んでゆらゆらとびてゆく名前。一つの文字が浮かび上がった。
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葦の穂・連なった麻糸・獣の肋骨・焼き上がった小麥の四つの聖刻文字がゆっくりとイザークとラムセスに重なる。間違いない。ラムセスの諱、見つけた!
「イホメト……だ……イ――ホ――メ――ト――……」
ティティは迷わず口にした。マアトの呪の魔除けの願いの要領で、ゆっくりとスカラベにラムセスの諱を呪い、念を込めて織りぜてゆく。
「寶玉呪のわたしの力、甘く見たのがツキよ!」
取り出したスカラベはすっかり浄化されて白く濁り、如何なる念をも、けれるべき準備は整っていた。
「駄目だ! ティティインカ!」イザークのび聲と共に、ティティはスカラベを高く翳した。
「現アケト・アテン王ラムセス! あんたの諱はスカラベに、運命もろとも封じ込める! ネフティス! 〝イホメト〟に天罰を!」
太線とも言えるほどの激しいの泉が暗い神殿を突き抜けた。
スカラベは熱く焼け付き、土を剝き出しにした大神殿アペト・スウトの床を黒く焼いた。閃は大きく拡がり、拡散して、ラムセスとイザークを包み込んだ。
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願いはスカラベの中で、小さく発する。呪えば星が壊れるほど、周辺の磁場をも歪ませる。
「ラムセス、闇の世界で思い知るがいいのよ! 國は渡さないから!」
――やった、か……スカラベの呪いのは初めてだ。
ティティはぎゅっとこぶしをに押し當てた。
***
硝煙の中、ジャラリと金鎖がれた音がした。ぎくりと振り返ると、ラムセス王がロブハーの獣に座り、足を組み直していた。頭巾と、顔を覆っていた面は綺麗に消えた。ガラス玉のようでいて、水のような薄い水の瞳にティティは砕け散ったスカラベを手に、怯えながら問うた。
「どうして、粛正のの中にいないの……? 諱、間違っていなかったはず!」
ラムセスは無表を崩さず、ティティの會話をけた。
「俺の諱とは限らない。多は影響をけたが、ティティインカ、足元の民くらい見えるだろう。それとも、呪を振りかざしたアケトアテン王は、そこらの商人など見ないと?」
怖々視線を落とした足元にぎくりとした。頭を抱え、蹲ったイザークの姿。
「イホメトとは、イザークの諱」
「なん……ですって……。では、わたしは……」
ラムセス王はティティの細い顎を摑み、ぐいと持ち上げ、至近距離で決定的な一言を含んで嘲笑った。
「俺は歴代の王が何故呪死を迎えるかを調査した。諱を詠まれる影響だ。従って俺の諱はどこにも殘してはいない。代わりにイザークの名を殘した。それが《死者の聖典》を開示する條件。つまりは代わりだ。――殘念だったな」
「だからって……儀禮鉾に噓を彫り込むなんてそんな大それた話……」
「強い者は罪を犯しても生き殘るべきだとの天の理だ。俺には裁きはない。世界を手にすべき男には、神すらも畏怖する何かがあるものさ」
呆然とするティティの前で、ラムセスは腕を振った。
「アケト・アテン王への呪による暗殺疑だ。地下井戸へ放り込め」
ティティは沸騰しそうな眼を見開いた。イザークがティティを腕に引き摺り込んだ。
「止めないで!」
羽い締めにしたイザークのパサついた髪が小刻みに揺れた。
(わたしの呪は完全だった。諱さえ、諱さえ合っていれば……! わたしはイザークに呪いをかけてしまったの……だめ、心を強く……だめ、無理……)
「卑怯者! 卑怯過ぎる! あんたなんか、兄じゃない! 悪魔よ!」
ティティは遠くなるラムセスの背中に向けてんだが、大量の神の壁の向こうで、ラムセスが立ち去る気配と、甘えた猛獣の唸りがしただけだった。
***
ティティの手からスカラベが落ちた。スカラベは赤く燃え上がり、欠片が眼に飛び込んだ。
(何という愚行をしでかしたの。わたしは、包んでくれる相手を呪いに突き落とした)
「ごめんな、さい……」ティティは何に謝るでもなく項垂れた。諱が違っているなど、考えもしなかった。疑いもせず、ラムセスの計かんけいに嵌まった事実を思い知る。イザークがあれほど止めた理由など、考えもせず!
(イザーク、どうして言ってくれなかったの……言ってくれていたら!)
――どうなるのだろう。呪を憎しみに使ったら、どうなるかなんて……。
手を床に置き、項垂れたティティの前に、影が過ぎった。慌てて顔を上げると、イザークが屈み込んだところだった。
「ティティ、立てるか」
「あの、わたし……とんでもないことを……呪い……諱の呪い……」
言葉が出ないティティにイザークは「ん?」と目を見開き、強く言い放った。
「呪いなど俺は信じちゃいなかった。だが、こうして呪われた。ということは、呪いが解けるものであるという話だ。変わらずある。――生きる資格があるというだけだ」
「生きる資格って?」
イザークは口端を上げて見せた。
「奪われちゃなんねぇもん。世界で一番最初に神に與えられた、大切なもの。それが諱だ。この世界で生きようぜって証拠。じゃあ一緒に生きて行くか、なァ?」
(やめて。一緒になんて。呪の恐ろしさを判ってて、利用しようとしたよ、わたし)
お姫さまだっこされ、ティティは眼をぱっちりと開けた。イザークは長い足を振り上げて、神を蹴飛ばしたところだった。
「地下井戸に行けと言うなら、行く。俺たちが大人しくすれば、誰一人と王に首を飛ばされはしないから大丈夫だ。神に従うか、呪いをけれるかは別問題だろ」
イザークはサンダルでマアトの翅をぎゅうぎゅうに踏みつけて、ふふんと笑った。
「俺は神には従わんが、する妻(予定)と己の心に従う――退け! 俺も、裁けよ。ラムセス王、マアト神よ!」
ティティはイザークの顔を見て、息を飲んだ。
イザークのしかった左眼は、今や真っ白で何も映してはいなかった。
*2*
ふいに右目のイザークが霞んだ。「あ……」ティティは同じく左眼が薄くなったイザークを見詰めた。瞳には、右目ののないティティが映っていた。
「ティティ、捕まってろ。大丈夫だ。視界がぐらつくくらいで落としはしねぇ」
「何故、わたしに優しくするの? 王の暇つぶしで降嫁したわたしを妻(予定)と呼び、どうして大切に出來るの? わたしは大切にしてあげていないのに」
「俺のことは俺が責任持って面倒見る。余力があれば頼むよ。捕まれ」
ティティはがっしりした首に両腕をしっかりと回し、涙が零れないよう念じたつもりだった。なのに、涙は造反して、たくさん零れ落ちた。
「わたしは、貴方をまだ知らない。なのに、が痛いの。呪いをかけるつもりはなかった。呪いをけるつもりも、なかった……っ! 憎んだことが間違いだった? では、家族を奪われたわたしのはどこへ向かうのが正しいの?」
イザークはティティを抱き上げ、神殿を歩き始めた。螺旋に渦巻く冷えた石階段を、ゆっくりと降り始めたところで足を止めた。
「憎しみであれ、喜びであれ、は俺のものでも、世界のものでもない。貴のは貴だけのものだ。貴が決めればいい」
――わたしが、決める……どこに向かうのか、決める。
難しい問題だ。もの凄く考えなきゃいけない。ティティはイザークを見詰めた。
「……ひとりにしないで」
「了解。貴、案外、甘えん坊だよな」
「甘えてなんかない。あまりに世界が寂しすぎるの! 貴はわたしを甘やかしすぎ」
イザークは嬉しそうに眼を細めた。ぱっとティティは視線を外した。突然微笑まれて、頬が熱い。
(何なの……どうして、こう、いきなり微笑むのよ、この人……)
何重にも地下へ深く彫られた井戸へイザークは一歩一歩進んで行った。
地下は冥府のアヌビス神の領域か。炎は細く立ちのぼり、死の世界への口をぽっかりと開けたように、地下へ、地下へと続いている。
(〝イホメト〟の文字は二度と口にはしないからね……ごめんなさい)
ティティは涙の中、一人空しさと悲しさを噛み締めた。
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