《~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実のを誓います。》西のハピ河。國境領域〝フレヴァ〟

*1*

四方を王家の谷に囲まれ、遮斷された西のハピ河。國境領域〝フレヴァ〟である。

「検問だ」先導していたイザークが足を止め、ティティの手を引いた。

「では、俺の商人魂の本領発揮、見てもらいましょうかね」

(商人魂? なんだか嫌な予がする)

イザークはにっと笑うと、役人に堂々と向かった。千鳥足でふらふらと倒れそうになる。(何やってんのよ)見守る前で、嘔吐の真似をした。

「アテンの王樣、怖いでしょ~? 違反しちまって。もう、やけ酒でさァ。うう、気持ち悪ィ~。いっすかね? このまま、ここで……」

ご丁寧に「ウゥ」とイザークは酔っ払いの真似で役人にのし掛かった。

「汚ねぇな! 寄るな、寄るな。あっちへ行け! 酔っ払いめ!」

「そこを何とかぁ……こっちは重でさァ」

(わたしに振らないでよ! 重ってなに! ほら、こっち向いちゃった!)

役人が近寄って來た。ティティは焦りながら下腹をさすって屈み込んだ。(元王が妊婦詐欺!)しかし効果覿面で、役人たちは面倒はご免だとばかりに門を開け、二人を國境へ追い出して、唾を吐き付けて閉めた。

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「ちょろいぜ」と肩をゴキッと鳴らすイザークを見て、背中に汗が垂れた。

「イザーク! 貴方まさか、こんなどうしようもない小芝居であっちこっちの國境を越えてたんじゃないわよね。越境にはお金が……」

イザークがふんぞり返ったが、行為のどこに自慢できる要素があるのかを知りたい。

「よーく分かったな。必要以上の金は払わん! これが商売の鉄則だぜ! しかも、ホレ。金貨の袋、拝借」

唖然とするティティに「でも、出られたろ」とイザークは満足そうに頷いた。

***

複雑な心境で歩いていたティティに「見ろよ」とイザークが視線を導いた。役人に捕まえられている子供の姿がある。子供は宙づりにされて、肩に擔がれていた。

「通行稅が払えず、役人を殺してでも越境したい人間はごまんといるさ」

「ああ、それで、あんな〝小芝居〟を」

「行くぞ」と自分をしれっと棚に上げたイザークは踵を返した。

「ねえ、助けてあげましょうよ。見てしまった以上は」

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「そんな暇があると思う?」イザークはぐいと左眼を覆った布を指で引き下ろした。

死んだ獣の白い眼。ティティを真珠のように白く浮かび上がらせる。

「呪いが解ける方法と貴の両親を同時に探さなきゃならねえ。人助けの暇がある? そこまで俺は優しくないぞ」

ティティはを噛んで「でも」と振り返った。土壁の前では、子供が役人に服をはぎ取られている。「おまえ、孤児か」役人はゲラゲラ笑い、子供をにしようとからかっていた。

(もう、辛抱ならない!)ティティはイザークを涙目で睨み、駆け寄った。

「その子はわたしの家族よ! あ、あたしが産んだの! ほら、よく見て? 目元がお父さんにそっくりでしょ。汚れているところまで」

イザークがピタと足を止めた。(ふーんだ。さっきのお返しよ)としれっと巻き込んでやった。元ファラオの王に〝妊婦詐欺〟を強要した報復だ。

底意地悪く見ていると、イザークは「ほらよ!」と金貨の袋を役人に叩きつけた。大量の金貨が飛び散り、役人は収集に必死になった。イザークは役人にしゃがみ込み、短剣で頬を叩きながら、充した眼でにっこり笑った。

「こいつで、俺の妻と、子を見逃してくれるよなァ? 足りない?」

役人たちはイザークの脅しと金貨で、子供をあっさりと解放してくれた。

***

泥だらけの子供の服の下からはいくつもの野菜が出て來た。

「畑荒らしのガキだ。ティティ、構うな」イザークはふいと置き去りにしようとしたが、ティティは子を見下ろし、護符スカラベ一つない事実に気付いた。これでは危険だ。

(……ええと、殘っていたかな?)

ティティはポケットから小さな石の欠片を取り出した。いくつか使えそうだ。子供に渡すにちょうどいい大きさの石は、欠片ではあるがしく輝いていた。素早く甲蟲を捕まえて、呪を施した。

「貴に、幸運が訪れ、マアトの呪いを遠ざけますように。名前は?」

「ルウ」と子供はぼそりと答えた。汚れた顔の眼が大きく開かれている。

「では、ルウ、貴にマアトの禍が降りかかりませんように――」

念を込めると、石はパ、と赤から綺麗な群青に変化した。ふわりと子供の前髪を舞い上がらせるほどの強力な護りのを押し込むと、スカラベはしい寶玉になった。

「これで、大丈夫。あげるわ。誰も貴を不幸にはしないから」

泥だらけの頬を拭ってやり、ティティは小さな手に護符スカラベとなった石を握らせた。ルウは珠の中に封じられたスカラベを何度も空に翳していたが、ぱっと駆け出そうとして、ピタと足を止めた。

「きれい。ありがとう。綺麗な石のお姉ちゃん! 酔っ払いのお兄ちゃんも!」

手をヒラヒラ振って、ティティは憮然としたイザークと共に國境を離れた。

***

砂が砂礫に代わり、土壌が見えて來た。黒土が流れて堆積になって積もっている。ふと、ティティはイザークが背中を向けたまま、會話を仕掛けない事実に気付いた。

「ねえ、どうしてこっちを見ないの?」

「……の護符スカラベ……――」イザークが何かをぼやいた。

「聞こえない」イザークはまたぼそぼそと告げ、カッとなった様子で言い返した。

「俺にはマアトの護符スカラベ、くれないんだな! どうなってもいいのか!」

しーんとなった空気にイザークのけない咳払いが響く。イザークの耳は真っ赤だった。誤魔化すように両腕を振って、ふて腐れて歩き始めた。

「……え? 妬いてるの? そんなに怒らないで。だって、あんたはマアトの裁き、信じていないし、強いし、要らないんじゃない? 裁きも手でぶっ飛ばしそう」

「信じていなかったら、どんなに困難でも、笑顔が見たいから護る、なんて思うか!」

イザークは勢いで言って、「い、行くぞっ」とそそくさと背中を向けた。

(今の、何? かこつけた? 笑顔? なんで、こんなに余裕のない態度なの)

イザークがくるりとティティのほうを向いた。(な、何?)と眼をかすティティの前にずんと立った。布をギリギリに巻いた指がティティの細い顎をくいと抓む。

すいっとれた。し開いた口がティティの上をカプ、と甘噛みして離れた。にっといつもの笑顔をイザークは浮かべ、上を舐めた。

「これで充分。生憎寶飾の類いは好きじゃねぇから」

(どうしよう、ちょっとどきっとした。変な気分、っちゃう)

マアトの呪いが発でもしたか。、熱い。モジモジとるティティに、イザークの聲。

「それよりティティ、路銀全部ぶちまけて來た。従って、金がねえから、今夜は野宿。かつ、マアトの裁きの夜。――まあ、なんとかなるだろ」

のじゅく? ティティはじ、と地面を見下ろす。途端に沸々と怒りがわき上がった。

野宿はティティの一番嫌うところだ。汚れる。信じられない。

「なるか――っ! 取り返して來て! もう、マアトに裁かれてしまえばいい!」

キイィィィィィィン。月の泣き聲が響いた。を注がれたような赤い紐でぐるぐる巻きにされ、地に埋もれた月。掠れたのような嘆き聲の騒音。

「月が、泣いてる……」

イザークが眉を寄せた。

報が、早ぇな。面倒くさがりのくせに、ラムセスの野郎」

先ほど超えた國境付近に黒煙が上がっている。兵力は小さいが、軍隊だと分かった。

「ばれたらしいぜ。どうする。戦うか、逃げるか。無論、戦う! でいいな!」

言うが早く、イザークは背中の剣を抜いた。

「俺のに近づいて見ろ! てめえらまとめて水源にブチ込んでやるぜ! さあ……」

怒鳴るだけ怒鳴って、イザークは「あ」とまたスタスタとティティの前に歩いてきた。ひょいと太鼓のように肩に擔ぐと「逃げんぞ!」と一目散に走り出した。

「戦うんじゃないの? ちょっと、おしり、太るの止めて!」

「多すぎる。逃げるが勝ちだ! ほれ、暴れんなよ!」

ぽん、とおしりを叩かれて、ティティもまた拳でイザークをぽかすか毆る。

(ばかばかばか。無鉄砲の考えなし! 絶対離縁してやる! そもそもイザークがいけないんだ。そう、すべてイザークがいけない! 月が泣いてるのも、裁きなんて世界も! 夜が怖いのも、ないのも、この変な気分もぜーんぶイザークのせい!)

ハチャメチャな悪態を撒き散らかして、ティティはを噛んだ。

やがてイザークは巖場でティティをそっと下ろした。

「靜かに。ラムセスの軍、見失ったと判斷して、周辺をウロウロし始めやがった」

ザクザクと兵士が歩き回る音に、月の喚く音が遠く聞こえ。この世界の恐怖を呼び起こそうとしていた。気付かずティティは歯をカチカチ鳴らしていた。不安で見上げると、イザークの眼が僅かに発していた。

「イザーク、眼がってるんだけど」

「ティティ、おまえの眼、輝いてねぇか? ちょっと見せてみろ」

二人は互いの眼帯をゆっくりと外し合った。ティティの瞳は青く、イザークの瞳は赤くり始めている。瞬間、イザークの眼がカッと熱を帯びた。「うああああああああ」聲に兵士が気付いた。ティティの前でイザークは片眼を押さえ、立ち上がった。を噛み、呪いの籠もった聲を発した。〝呪聲ヘカ〟だ。

「俺の妻(予定)を、ティティインカを震え上がらせるんじゃねええええ!」

キイイイイイ……月が合わせたかのように、狂って回り出し、赤いを撒き散らした。獣のように唸ったイザークは足をざり、と進めた。

ラムセス軍兵士の何人かが吹っ飛んだ。「全部、やってやらぁ!」暴風が吹き荒れた中、竜巻が大気を割った。風の道からが飛び込んで來て、イザークの首に直撃した。

「イザーク!」揺り起こすティティに、優しい手がれた。

「大丈夫。彼は気絶しているだけ。ちょっと、手荒いわよ。サアラ」

「仕方がない。不可抗力だよ、ネフト」

赤く滲んだ月が浮かぶ地平線の前で、男が堂々とした風で立っていた。子供がぼふんとティティのに飛び込んで來た。晝間の、ルウだった。

「綺麗な石の、お姉ちゃん! 晝間はありがとう! みて、首につけられるようにネフトが繋いでくれたの! もう、大丈夫だよ!」

ネフトと呼ばれたは黒髪をチリチリに焼き、広げた上で、ジャラジャラと寶飾をつけている。すとんとした服を麻紐で縛り上げ、格の良さを見せつけていた。手首に嵌めた數十本の腕がシャラと音を立てる。大層なである。

右の男は髪を中途半端に剃った上で、派手な頭布に、素が見えるギリギリの服に長いストール。足にと揃いの數十本の環を嵌めている。手には儀式モネ剣を持っているから、神ソルだろうか。両眼は薄く、冷酷なじだ。

(この二人が、さっき、イザークを止めたのかしら。でも、どうやって)

ティティの前で、が靜かに頭を下げた。

「ルウを助けてくださったと。その上、護符スカラベまで貰ってしまって。探していました」

王室の王を思わせるアルトトーンの和で気品ある喋り。ティティは気絶したイザークを気遣いながらも、頭を下げた。

「暴風の後には裁きが來ますわ。どうぞ、ルウを助けてくれたならば貴方たちは味方です。ついていらっしゃい。〝國境なき孤児院〟まで案します。私たちはネメト・ヴァレル。世界で裁かれ、親を亡くした子を育てている団ですわ」

――國境なき孤児院。そんなものが存在するとは知らなかった。

「ネフト、翅」と男が剣を振りかざし、黒い翅を斬った。男はサアラと名乗った。

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