《~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実のを誓います。》呪われし王子は奴隷にし、霊魂(アク)を永遠に滅せ

*4*

――クフは正真正銘のイザークの弟。今やその弟は最のティティに忍び寄っていた。イザークの眼ははっきりと、クフの手にある短剣を映す。

(……あんの野郎! 俺の最の妻(決定)に手をかけるつもりか!)

イザークは眼を何度も見開いては強く瞑った。明くる日の父のが眼に焼き付いて離れない。その向こうに見た、い瞳の希が、がらがらと崩れた瞬間も。

(昔から苦手だった。國から逃げる=クフから逃げる、だった。クフを避けるより、ティティの側にいるべきだった……!)

いてはならぬ。王の命令、殺されたくなければ」

「はいはい。――寢てろ……ォ! おやすみよ!」

イザークの振り上げた腳の向こうで、一人の神が倒れた。蹴った拍子に紐が切れた。好都合だ。次に來た神は肘で毆って、螺旋階段に手を掛け、見下ろした。

蛇腹のような階段は、アテンの大神殿の地下井戸に似ていた。

(數段駆け下りれば、飛び降りられるか)

クフはティティの背中で短剣を構えて、悠々と説明を続けていた。イザークは故郷のオベリスクを睨んだ。

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(一萬人の奴隷が石磨きをし、真っ白に染まるまで石膏を塗り、數年かけて運ばれる。赤く染まる理由など、思いつかねえんだよ。神の呪いくらいしか)

いつから、赤くなった? イザークはラムセスを思い起こした。

(誓い合ったオベリスク。アテン王國の王子ラムセスと、テネヴェの王子の俺の匿契約。世界を変え、弟を救えるはずだったんだ。マアト神を引き摺り出せさえすれば)

裁きに怯え、王子を無礙に扱った大人への復讐は巧く行った。テネヴェからラムセスは出に功し、妹を盾に、アケトアテン王と王妃を追放した。

(だが、クフを犠牲にしなければならなかった……逃げる瞬間、俺を見たクフの顔は、もう忘れたい! あれから、ぐっすり眠れやしねえよ!)

「このボケ弟がァ! 俺の妻(決定)に何しやがる!」

クフはイザークの恫喝に気づき、さっと短剣を仕舞い込んだ。後でクスクス、ククク、ヒッヒッヒと笑いをらし始めた。何人もが同時に笑っているような聲音は不気味だ。王の口調を捨てた悪魔は割れた聲帯でイザークに渾の言葉を投げた。

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「〝裁きが嫌で〟國を捨て、放浪を選んだのではないのか? アーハハハハ、他國で、結局、しかも、に呪われたァ? 愉快すぎる、ボケ兄。笑い死にさせたいのか!」

ティティがを強ばらせ、イザークを見やった。ティティの雙眸はまたを失いつつある。薄れた右眼にはほんのりと雫が溜まっていた。

(また間違っている。クフを罵倒するより、こっちだ)

イザークはクフとの小競り合いを制し、ティティの手を摑んだ。ほ、とティティが目元を緩める。正解を摑んで、イザークは空を振り仰いだ。

「クフ、マアト神がこの世界にやって來る。俺とティの眼は、神の世界と繋がっている。影響をけると、見えなくなるんだ」

クフは「興味ないが」と言い放ち、さっと手を挙げた。

「始祖に倣い、神を討つ準備は出來ている。そのうちの一つがオベリスク。呪師なら分かるはずだ。人の持つ霊力。霊祉力。オベリスクの下部に彫り込んだ聖刻文字。マアト神が來る前に、貴はこのオベリスクの呪をけ、解放する。さすれば、両親にも逢えるかも知れませんよ……?」

ティティが口元を強く両手で覆った。

「おまえ、ティティの両親に何をした!」

クフは嘲った。「言ったはず。全能なる神の王に不可能はない」と――。

***

しばし時間が過ぎた。鮮のオベリスクがぐにゃりと歪む。急激に奪われた右眼の視力の影響だ。

「帆船に乗り、カルタゴを抜け、未知なる大地への航路を知っているは、王族のみだ。船に乗って消えたそうだが。生きているから、駒になる。ティティインカは諱が読める希有な呪師。一人一人の諱を空に解き放てばいい。彼なら、可能だと見た」

クフの前では、反論は無意味。ティティはじろぎ一つせず、じっと眼を閉じた。

「生きているなら、それでいいわ。この話は終わり」

恐る恐る見やった鮮のオベリスク。霊魂が紐のように絡み合って、オベリスクを縛っている。

(崇拝すべきオベリスクに霊魂縛り付けちゃったら、マアト神が怒るわけだわ。まさか、裁きの元兇ではないでしょうね)

ティティは気丈にを噛んだ。人の魂名。諱は命の聖刻文字。かたちで存在するための、核と言ってもいい。運命を凝した、人の運命の小図への鍵でもある。

ティティはごくりとを鳴らし、オベリスクの前に立った。目前にいるだけで寒い。マアト神のオベリスクは呪者を、人を、夥しい數の諱をに吸い込んでいる。を張った文字たちは呪いで雁字搦めにされ、逃げる所業も許されない。

ぽつり、とかした。聲は出さず、口の中で、読み解いていく。

額から汗が伝わり始めた。數百の諱を読み上げて、ほぼ上段は終えた。だが、一向にオベリスクは鮮から変わらない。

(おかしいわね。あ、読み殘し)

ティティは石版部分を凝視した。膝丈くらいの場所に、引っ掻き文字が殘っている。

「これ、忘れていた。深い……これだけ、部に食い込んでいるのね」

「ティティ、もういい」イザークが止めたが、ティティはふらりと文字の前に移した。

(いほめと……イザークの諱だわ。いっぱいある。なんだろう)

イザークを知る機會かも知れない。ティティは眼を凝らし、文字を追った。

書かれている容の激しさに眩暈をじた。

何百もの彫り込まれた聖刻文字。ぞっとしてティティは後ずさりした。読めば呪われる。呪を心得たからこそ分かる恐怖だ。ティティの後ずさりに呪師が間髪れずに聞いた。

「おや、ここまでですか? もう一つ、殘っているようですが」

「む、無理よ。こんな悪意の塊、れることすらできないわ」

クフのイザークに似た笑顔にほっとした。しかし、言葉はまるで氷の刃だった。

「では。――使えないくせに、呪を振り回されると困るのでね。死ね」

「ティティ、何が書かれてるんだ!」

ティティはぱっとを翻した。

國を捨てた王子への無數の呪いの文言――

〝マアト神に死を!

裁きの世界に死を!

マアト神に呪われし王子は殺せ!

神に呪われし者へ死を!

イホメトを殺せ、

イホメトを殺せ、

呪われし王子は奴隷にし、

霊魂アクを永遠に滅せよ〟

たくさんの文字が眼に焼き付く。ティティは涙を浮かべて、首を振った。

(イザークが両手首を摑んだが分かる。教えてしまえば楽になれる。ああ、でも)

ティティはイザークを押し退かした。文言は分かった。イホメトへの呪いだ。

「お願い、聞かないほうがいい! 貴方を傷つけたくない、分かってよ!」

涙を浮かべて嗚咽を堪えた。イザークに分かってしかった。いつしか、イザークを赤子のように信頼しているティティ自と、怯えるティティの両方を。

――もし、イザークに裏切られたら、きっとわたしの世界は終わってしまうの――。

イザークの瞳が赤く充している。同じだ。切られて噴き出したような鮮。オベリスクと同じ。鮮。同じ、……。

ひくっとを鳴らしたティティに、イザークは囁くようにゆっくり問うた。

「落ち著け。俺は分かるな? 味方だ。――逃げたほうが、いいか?」

小さく頷いた。背後にクフが歩み寄って來た。

「呪いの力を解放すれば、相當な霊力が生まれると言うのに! 呪いは是非ともこの手に! 呪師ティティインカ、無事に両親に逢いたいでしょう? それに、オベリスクの呪が解ければ、兄も罪人アザエルなどと呼ばれずに済むだろう。解け!」

(お父さん、お母さん……! イザークが、罪人アザエル……?)

「あ……」「大丈夫か」ティティのを支えてくれたイザークの真紅の眼を見る。

(この腕がなかったら、もう生きて行けない。一緒に罪を背負ってくれる人は、多分世界を探してもイザークしかいないの)

「ボケの上に狂ったか。クフ。余りにも卑怯だ。まァ、おまえに言ったところで、卑怯とは何? だろうがな! どうせ、善悪なんか分かりはしないんだろう」

クフは「ふ、ふふ」と微笑みを零し、無言の神ソル達の前で、笏を掲げた。

「では、明朝にこのオベリスクの前で。呪師も落ち著いたほうが良い」

笏で顎を持ち上げられた。一瞬ラムセスが脳裏に重なったが、クフは得の知れない畏怖を煽ってくる。なぜ、笑みを浮かべているのだろう? それも何と穏やかな。

(分かった。この子、良心がまるでないんだ。だから笑ってるんだ、ずっと……!)

「神は敬うものだ。一日、あげるよ」

クフは笏丈を逆手に持ち替え、繋がった環でティティの頬を軽くでた。ひ、とティティは頬を引き攣らせる。眼が潤んだが、片眼は真っ白だ。

イザークの足が見えた。

「王を蹴飛ばすな! 愚民が!」クフの聲の合間にも「戯れ言を。行くぞ、ティ」イザークにティティは抱き上げられ、オベリスクは遠くなった。

これは悪夢だ。ティティは首に捕まってもう一度聳えるテネヴェのオベリスクを見上げた。瞼を伏せても浮かんでくる。イザークの眼も。

(あんなオベリスクのを解けなんて……ああ、神さま、これも、わたしへの罰なの?もう呪文を唱える心の強さも忘れそうよ……)

――イザークが、罪人アザエル……。呪われし王子は奴隷にし、霊魂アクを永遠に滅せ。

(いやだ、やめて! イザークを喪いたくない。お願い、わたしから奪わないで)

呪いの文言は、ティティの心までもを蝕もうとしていた。

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