《~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実のを誓います。》マアトの裁きは誰の元へ
*1*
多神教の禮拝堂は靜寂。何日の夜を一緒に越えただろう――。その度にイザークの存在に救われて。気付いて、時間を見送る。ずっと続くと信じて。
***
「イザーク、お風呂、りたい」
ティティは手を繋いだまま、イザークを窺った。お風呂、と言えど、水浴びだが、呪者には欠かせない。に纏わり付く邪気を落とすためだ。
「風呂? ティ、クフに頼んでやるが、クフはオベリスクを何とかしろと言ってくる」
「やるわよ」短く告げて、ティティは真っ直ぐに世界を見詰めた。
「この問題が片付いたら、父母を追うの。合流したら、今度こそ兄に文句を言いに行くの。國から出てって貰いたいわ」
「俺との結婚はどうする。テネヴェか、それとも、ラムセスを追い出し……俺は王になるつもりはないから、テネヴェもアケトアテンもご免だが」
さらりと告げられて、ティティは心ごとかちんと固まった。今度はぶくぶくと熱いマグマが迫り上がってくる。ティティの髪の反り返ったコブラの尾をイジリながら、イザークはしゃあしゃあと続けた。
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(昨晩の余韻が……わかってて言ってるんでしょうね。驚かせたみたいだし)
塩湖に映ったイザークの橫顔は、凜々しく、見惚れている前で口元がニヤとなった。
「俺のことでいっぱいになっていれば、悪意なんぞに負けねえ。貴は強いだが、時にヨロヨロするからな。……、きつくない? 途中から夢中で」
「うん、大丈夫みたい。まだ驚いてるじはするけど、落ち著いて來た」
イザークはゆっくりと足を止めた。赤いオベリスクはに當たり、鮮をより浮き上がらせていた。
「ティ、全部終わったら、世界の商品を見に行かないか。地域で生活も違えば、作られるものもそりゃあ違って面白いもんだ」
(和ませてくれてるね)ティティは大きい手に指を差し込むようにして、強く力を込めた。手首と手首が自然とれ合う。うん、この繋ぎ方のほうが、より近くていい。
「ん、楽しそう。小芝居して、まんまと商品を手にれるイザーク」
たわいない談笑は、やがて打ち切られた。イザークは、神殿の前に立つ神たちに歩み寄っていった。
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*2*
ちゃぽん。ティティは水面に手を突っ込んだ。神用の禊ぎの場所を提供され、ようやくお風呂。水は冷たいが、我慢できないほどでもない。
(ああ、すうっと落ち著いてきた……大丈夫、わたしには出來る。オベリスクの呪いの諱を口にして、空へ解き放つだけ。それが、イザークへの呪いならば、やらなきゃ)
ぶくぶくと水面に顔を突っ込ませて、ティティはざばりと顔を上げた。
(でも分からない。どうして、民はあんなにもイザークを呪ったのだろう。イザークの眼が赤い理由もだ。いっつも充している。そういえば、結婚がどうのこうの)
――昨晩の行為を思い出して、頬が火照った。
(……わたし、どうしてこう、一直線なんだろ)
強く眼を瞑って、水に沈んだ。眼までを出して、恥ずかしさに辺りを伺う。無人。
(いいの! け止めて貰えたんだし! 今は、オベリスク。諱を読み、神へ渉する力が何故、備わったのかが分かる気がするのは、予ではないわ。落ち著くの、わたし。でも、また、したいな……違う違う。その気持ちを正しく向けるのよ)
「神に背く準備。テネヴェ、ヴァベラの民……ラムセスの諱」 お父さん、お母さん。言葉を口にしているうちに覚悟ができた。巖室の水面に別れを告げた。
*****
「――隨分と思わせぶりに待たせますね」
水滴を足元に垂らしたティティがオベリスクに連行された時、イザークは神に剣を向けられていた。
「昨日と同じ、保険ですよ。貴が呪を解き、どう出るか分かりませんのでね。神を冒涜した諱を我が國にぶつけられたらたまらない」
「信用がないのね。――そういうの、止めて。はじめるわよ」
ティティはざっとオベリスクの前に仁王立ちした。こわい。真っ赤なオベリスクはにあらゆる文言を彫り込んだ、神への捧げだ。昨日は半分の諱を紐解いた。殘り半分と、ぽつんと殘したイザークの……。
(大丈夫。わたしは、イザークとひとつになった。心は揺らがないわ)
ティティは靜かに絡まったままの魂の名前を読み上げた。名前は読まれなければ呪いになる。ただ、読めばいい。どこへもいけない未練が憎悪になる前に。
「見事ですね。解かれた諱が天へ昇華する。兄には勿ないだ」
橫目でイザークが誇らしそうにティティを見詰めている狀況に気付く。イザークが見てくれている。
(だめだめ、集中、集中)とティティは最後の諱に眼を向けた。
オベリスクが震し始めた。呪が働きかけている。
「は、はは……素晴らしいです! さすがはマアト神へのオベリスク!」
クフ王が歓喜の聲を上げた。
――おかしい。ティティは諱を読むを止めた。
(人の無念の憎悪の諱。わたしは解放したわ。それなら、どうして戻らないの?)
「何かが、來る」
イザークが突き抜けた天を指した。いつしか空は真っ暗だった。
一縷のもありはしない。黒が渦を巻いていた。月が今までにない悲鳴を上げた。世界が危険が迫っている事態を知らせる如く。
「マアトの裁きだわ!」ティティのびと同時に突風が吹き抜けた。
「なんだって?」イザークがび、クフが見上げたところで、神たちが一気に黒い翅になり、崩れ落ちた。容赦なく人が消え行く。オベリスクはティティを嘲笑うように、更なる鮮へと染まっていった。
「無駄だったの? 駄目、戻らない! わたしは諱を読んだわ! 何人もを」
「そう」聲は天から響いて來た。
ゆっくりと翼が翻る。暗い天に何かが下りた音。振り仰くと、鳥目類の大きな眼が地上を見下ろし、赤くっていた。巨大な金の鷲。怖れ続けたマアト神がそこに!
「呪師、汝は裁かれず。汝が裁けぬ以上、一帯を振り払うは出來ない。世には伝えるものも必要だが、面倒を起こす、ヴァベラの原罪を呼び起こした罪人アザエルは裁くべきだ」
はらり、と黒金の翅が降り注がれたは――イザークだった。
***
はらはらと黒い翅が降り積もる。
「積もった翅が、罪の現だ」
「どうして、イザークが裁かれるの! いや、世界から、イザークを奪わないでよ! 裁くなら、ラムセスとか、クフ王とか、もっといるじゃない! 何考えてんの! いや、嫌だ、いやよ、いや……っ。あっちいって! 來ないで!」
噛みついた相手が神であるなど、ティティにはどうでも良かった。
イザークは膝をつき、両手を呆然と広げ、かなくなった。
ティティは涙聲で、イザークに降り注ぐ黒翅を必死で払い始めた。
「立つの! 翅なんか蹴散らして、逃げるのよ!」
「いや、足が、かない。この翅、れるとがくなる。ティティ、逃げろ」
クフの足音がした。
「――兄さん、さよなら。テネヴェの罪を背負い、マアト神に裁かれるが相応しいよ。あーはははははは。はーはっはははははっははははははは――――――っ! 分からなかったの? オベリスクには、あんたの裁きを願う呪がかかってたんだ! 素晴らしいよ、マアト神ありがとう! 僕は、ずっと兄さん。あんたに消えてしかった」
聲は狂った月の悲鳴と暴風に遮られ、空はグルグルなになって、一つに集約された。が落ち。國全に黒翅が注ぎ落ちる。イザークは葬送の黒翅に座り込んでいた。
「そんな……イザーク、やだ、ねえ、してるの! ずっと一緒って言った!」
目前の狀況は疑いようがない。それでも、ティティはイザークにしがみついた。
「わたしも連れて行って! いやだ、離れたくない! なら、わたしも裁いて!」
涙と洟水でだばだばにした顔をティティは向けた。大きな手が頬をで、力強い腕がティティを強く抱き締めた。
「やっと、聞けたな、それ。あはは、やっとだ、やっと!」
低く響く聲が、いつしか心の支えになっていた。「ティティ」呼ばれて、何度立ち上がっただろう。ラムセスの前で、何度も肩を抱いてくれた。何度も名前を呼んでくれた。その度に、ティティはティティらしくいることを許された気がした。
「まだ何も始まってない! 呪いをかけたこと、ちゃんと謝ってない! 間違ってる。悪人二人がのうのうと生きているのに! 大嫌いだ。神さまなんか!」
「汝の心は騒がしい。――さっさと済ませて、寢る。寢たりないのを起こされた」
一瞬だけ大気にけた男は耳に小指を突っ込んでいた。髪を鶏冠のように逆立て、大きな翼が六対。眼は赤く、手には過する大きな剣。明部分には數多の諱が彫り込まれている。神殿の柱に彫り込まれた神の塑像そのものだ。
「マアト……神……?」
座り込んだティティの前で、男はうっすら笑いを浮かべる。
「我の姿を見た人間は天秤にかける。それが神と人との古き約束だったな――」
カッとが暴発し、大地を包み込んで、さっと靜かになった。
『しているなら、奪いに來い。――天秤の前で、待つとしよう』
翅が溜まった地に神の笑い聲が響く。イザークの姿はもうどこにもなく、変わらずオベリスクだけが朱を放って存在を示していた。
***
ティティのコブラ頭はボロボロになった。でてくれる手はもはやない。
涙は出なかった。泣かせてくれるのは、イザークだけだから涙なんか出やしない。
クフは背中を向けた。また、笑っている。
「邪魔な兄は消えた。これで國は僕のもの」
ティティはズカズカと歩くと、手を振り上げた。頬を叩かれたクフは驚き、ティティは涙目で世界を見つめた。
「イザークを取り返しに行く。マアト神は言ったわ。奪いに來いと」
「そう」とクフは肩を竦めた。ティティに悪の福音を囁いた。
「アケト・アテンとの戦いが始まる。テネヴェにて、呪師の職を與える。いつまでもここにいたいなら、そうすればいい。戻らない罪人アザエルの男を信じ、黒い翅を抱き締めて。つがいを探していればいい。僕は忙しいんだ」
***
ティティはいつまでも、太のない、月のない空の下で消えたイザークの面影を追った。決意が出來るまで。空が、明るくなるまで。オベリスクに寄り掛かり、一歩もかなかった。數日経つと、負けした様子のクフが自ら迎えに來た。
「強を張りますね。これでは、僕が悪人みたいでしょうが。みは?」
「過去を、知りたいの。ここにはイザークの欠片がある。紐解いて、神から取り返すの……それには、このオベリスクを」
倒れ込んだティティをクフが抱き留めた。
「面白い。裁かれた罪人アザエルを捜しに行くって? 呪師を生かせ。なんとしてもだ」
〝俺のことでいっぱいになっていれば、悪意なんぞに負けねえ。貴は強いだが、時にヨロヨロするからな。……、きつくない? 途中から夢中で〟
(もうヨロヨロしないわ。支えてくれる腕がないもの。夢中にさせる貴方がいない)
「我の姿を見た人間は天秤にかける。それが神と人との古き約束だったな――」
神の謎の一言と共に、ティティの時代は終わりを告げようとしていた。
――『しているなら、奪いに來い。――天秤の前で、待つとしよう』――
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