《~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実のを誓います。》テネヴェの裁き再び
*3*
「おはよう」ティティは眼帯をしっかりとつけながら、通り過ぎた神ソルに挨拶をした。
騒ぎがする。慣例に倣い、クフに謁見し、柱のテーベ神に挨拶をし、キオスクに足を踏みれた。侵略に備えての作戦會議を神ソルたちは熱心に繰り広げている。
「ティティインカ。もう時でしょうに」
クフはちらとティティを見ると、オベリスクの下部を指した。正方形になっていて、幾重にも象形文字が重なって彫られている部分だ。元々の白い石膏のがしずつ削れて、舞い散っている。相當の時間を隔てているから、風蝕しているのかも知れない。
「このはに良くないと言われている。ティティインカ」
「そうね。ありがと、イザーク」
クフが驚愕の眼をした。後で、ふっとイザークと同じ笑みを見せた。すべて看破されている。ティティはを噛んだ。クフはあれから髪を銀にしたから、なおさら間違いそうになる。もしかすると、それさえも心に付ける〝準備〟かも知れない。
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(冗談じゃない。しっかりしなさいよ、わたし!)
両手で頬を叩いて、ティティはオベリスクの真下の石版に気付いた。模様だと想っていたが、これも、小さな聖刻文字だ。
「ねえ、引っ掻き文字が、名前に見えるのだけど……これが縛り付けている原因?」
「子供の悪戯だよ。屆かなかったんだろうね。ひっかき傷だ」
「いえ、間違いない。小指の爪ほどの小さな文字。大人なら、もっと高い場所に彫り込めるでしょうし。調査は隈無く済ませたはずだったのに」
(諱がこんな低い場所まで? こんな所に彫り込んであるなんて。この聖刻文字、この諱を彫り潰してあるんだ。では、數十もあるイザークへの呪いの文字はなに? 上から削って本當の文字を取ったのだわ! だとすると、この聖刻文字を書いたのは)
――何か、ある。顔を近づけた途端、「ターナは足止めにもならない」と悪の聲がした。クフが王の剣を引き抜き、ティティの首にぴったりと當てていた。
「かないで。呪師ティティインカ。けば、綺麗な首が塗れになります」
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「わたしを殺したら、結界は作れないわよ。滅びたいの?」
「構いません。もう、神に逆らう準備は済みましたから。むしろ、兄が代わりになったおで、我らはマアトなどには怯えないで済みそうでね!」
(かろうじて、文字、見える……イホメトが告ぐ。ええと、アメンレスト……スウト……ラー……? 隠すように、どうしてこんな場所に?)
オベリスクは通常は中央に神への讃辭の碑文を彫る、臺座のほんの小さな一角。まるで見ないで書いたような、ひっかき傷。
(やっぱり、これ、イザークが彫った聖刻文字!)
「くなと言ったでしょう。懲りない呪師ですね。ティティインカ」
(ええと、急いで、急ぐの。読むのよ、わたし)
夢中で文字を追うティティの視界に、短剣の刃が映った。クフはティティの目の前に短剣を翳し、そのまま首にぴったりと當てた。
「仕方がない。首を落としましょう。綺麗な首ですが殘念ですね」
チク、とティティの首に切っ先が刺さった。耳朶の下に、クフの舌がれた。を強ばらせたティティの耳元で、クフはうっとりと低音で囁いた。
「読まれては困るんだよ。人々には、あくまで兄を怨んでいただかないと……ね。兄も兄だ。こんなところに仰々しく真実マアートを彫り込んでいたとは。削り潰すもどれだけの時間と、命を削ったか。テネヴェには、憎しみの対象が必要。裁きを呼ぶためにね!」
「イザークへの呪いの文言、噓、だったってこと……あなた、呪いをでっちあげたの?」
ティティは合點が行ったと顔を上げた。
(イザークの中傷をしでかしたは弟のクフだ。では、その下の子供の文字は誰が)
「おどきなさい。神ソル」あまりの呪師の怒りの迫力に、神ソルがたじろいだ。
クフの手はぶるぶる震えていた。怒りが激しいのか、笑っているのか。
「たかが呪師に見破られるとはね。おまえは、素直に呪を解け。マアト神を世界に呼び寄せるためにだ!」
「短剣をどうぞ」ティティはくまなく聖刻文字に眼を走らせた。あとしで読み終える。最後が、長い。でも大丈夫。クフはティティを殺せない。直だ。
(クフにはがない。違う、を出せない。兄の裁きを嘆いている自分に気付いていない。奧底では――)
賭けるしかない。ティティは僅か、眼を伏せた。
「貴方はオベリスクを使って、兄の諱を呪いで封じたの。呪いの力は強力よ。その力で、マアト神を呼び寄せ、殺すつもりだった。クフ、テネヴェを滅ぼすは、貴方だ。イホメトの諱を滅茶苦茶にすることで、兄を超えようと、神を呼び寄せ、欺こうとしたなら、貴方は裁かれていい。マアト神はバカではないわ」
(イザーク、悔しかったでしょ。兄弟なんて、強の前には関係がない。って怖い)
ティティはじっとオベリスクを見詰めた。イザークがここに何かを彫ったなら、それが真実マアートだ。クフのねじ曲がった虛構などに騙されてはいけない。
「首を落とすよ。兄の元など行けないように、髑髏に魂を塗り込めてやる」
「クフ、よく見て。これが、神を欺いた者の末路よ」
ティティは眼帯を外して見せた。オッドアイの強い瞳に神ソルたちが一人、二人と膝を付き、ティティに頭を下げ始めた。頬が熱く焼け焦げる。左眼からの炎が溢れそうな熱のせいで。
「何をやっている! 役立たずものが! 首を! マアト神への手土産だ! 次にマアト神を狩りましょうかァ! 今こそヴァベラの悪の民の復活ですよ!」
ティティの中の何かが目覚めた。怒りの炎が眼に宿る。哀しみと、夫への慕の炎だ。手に崩れたスカラベがあった。
「敬するネフティス神!」ティティは涙を堪えて、思い切りんだ。
「アメンレスト! スウト・ラー! 運命はこのスカラベに封じ込める!」
聲が掠れた。
(イザークは最後に弟の名をして去った。いつか、弟が粛正されることを願って! 言えば、わたしが諱を読んでしまうから……)
クフの髪が青い炎に包まれ、頭巾が飛んだ。クフの右眼が燃え始める。イホメトはイザークの諱だから、殘ったどちらかがクフの本の名前。でも、効果はあった。
「よくも、僕の諱をおおおおおおおおお――っ! 許さないよ、もう……せっかく、この、僕が、許してやったのに……そう、僕に呪いをかけようとは、いい度だ……!」
破裂した片眼を押さえ、クフは手をばした。ティティはクフの目に大きなコブラの幻影を見る。クフの悪意の産だ。悪意を形にできるクフは、呪が使えた。違う、誰にでも呪の力はある。それを正しく使えるか使えないかだけだ。
「死ね! 全てだ! マアト神よ、今こそ降り立て! 裁きをこのに下せ!」
うねるコブラを見詰め、ティティは首を振った。王を気遣う神ソルも、さすがに躊躇している。
今、クフの道化の王の化けの皮は剝がれたのだ。
「自分を絶対神と勘違いし、謀った。もう用はない。一神教? 貴方は貴方だけを信じる民の箱庭を作りたかっただけでしょ。そのために、兄イザークを追い出したのよ」
ティティはふいとオベリスクに向いた。「ティティ……」クフが躙り寄った。
「ねえ、ごめん。僕が悪かったよ。でも、ほら。もう大丈夫だよ。きみのおで眼が醒めたから、だからずっとここにいていい。兄に僕も逢いたいんだ」
ね? と優しく笑いながら、クフはティティを抱き締めた。一瞬夫に似たぬくもりに騙されそうになって、ティティは首を振った。破裂した眼が網に焼き付いた。
「悪いけど、わたしがれたいのは、イザークだけ。あっち、行きなさい」
クフの表が崩れた。右腕がびてきた。首を捕まえられ、激しくオベリスクに背中を押しつけられた。無表のクフの目は滾って、ティティすら映してはいなかった。
「兄にされた。どうせ嫌らしいの本能のくせに。なら、僕にだって優しく出來るだろう? それとも、アケト・アテンに突き出してやろうか。ドレイ」
悪意にられたような悪意の権化の言葉はを貫いてゆく。ティティは腕をばしてクフをでた。瞬間、クフの顔が歪んだ。
「わたしは、もう誰一人と呪いなどかけたくなかった。眼を、醒ましなさい」
「なんの話かわかりませんね」クフは空っぽの笑顔を向けた。
(なんで、笑えるの……? わたしを、悪魔が嘲笑っている)
「いたっ……」悲鳴の前で、手首を捕まれた。悪魔の聲音が覆い被さる。
「さあ、僕にも優しくできるでしょう? 案外、同じかもしれませんよ。イホメトは正真正銘、兄ですからね……」
怯えたに爪を立てられた。痛い。痛みがを駆け抜けた。
瞬間、空気が張り裂けるように揺れた。
《俺の妻にれんじゃねえ! 弟でも、この國ブチ壊すぞ! マジで!》
イザークの怒り口調が大音量で世界に響き始める。
「なんで死人が僕に怒鳴るんだ! 神ソル! 何をしている!」
幻聴だ。イザークがいるはずがない。でもここにはイザークの生きるべき証がある。諱という命の名前が。
――オベリスク……もしかしたら、今こそ繋がるのかも知れない。
見上げた時、大きな鳥の影が見えた。はらり、と黒い翅が落ちた。
(マアト神の裁き! どこ、どこにいるの?)
――オベリスクの上だ! 見上げると、大きな翼が赤い月に翻っているが見えた。
「――悪意は全て、消す。スウト・ラー、悪意を持つ者は世界創世に不要」
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