……バスがストップしてから三十分以上経とうとしている。先生達は外で集まって、深刻な顔で話をし続けていた。

そしてそんな中、私は窮地に立たされていた。そう、それは子故の窮地だ。

「ねぇ、莉結……、すごいトイレ行きたいんだけど」

「えっ、我慢出來ない？」

「できる訳ないよっ、ずっと我慢してるんだもん！　降りてどっかで……」

私がそう言うと、莉結は顔を変えて私の腕を摑んでこう言った。

「ダメっ！　絶対っダメ！　そんなのの子として死んだも同然っ！」

死んだも同然って……。私からすればそんな事よりもこの場で相してしまう方が死んだも同然だと思う。恐らく一度開かれたバルブは閉まる事なく放水作業を終えてしまうと思うから……。

「えぇっ……、たぶん結構限界なんだけど」

    やはり男での尿意の覚が微妙に違うからか、どの程度まで我慢できるのかがよく分からないのだ。あの日、初めてこのでトイレに行った時だってんな覚の違いに驚かされたくらいなんだから。

……あぁ、男だったら何も考えずにバスを降りて森林の香りに包まれながら開放に浸れるのに。って不便。

    そんな私の気持ちを他所に男子どもは次々と"小便いってきまーす"なんてデリカシーの無い事を言ってバスを降りていく。

「くそっ……、ホースを蟲に刺されろっ」

「えっ、何？　瑠なんか言った？」

「別に……、何でもないよ」

……次第に頭の中が"放水願"で埋め盡くされていく。そして噛んでいた下に覚が無くなってきた頃だった。突然ギアのる音がしたかと思うと、バスがゆっくりとき出したのだ。

    私が安堵に顔を上げると、大きなブザー音と共に逆向きに流れていく景が目に映った。

「えっ、ちょっと……、なんで……なんでバックすんのっ！」

    私はもう諦めるしかないと悟った。そして震える手で鞄から取り出したのはペットボトル。暴発事故を起こしてしまうくらいなら、と私はスカートの影でゆっくりとキャップを緩めた。……その時。

「それじゃぁトイレに行きたい人は行ってこいよー」

    天使の囁きが聞こえたのだ。隨分と野太い天使の聲だったけど、そんな事は関係ない。暗雲立ち込める空に差し込む一筋のとはこういうことなのだと理解した。

そしてふと窓の外を見ると、こんな山奧だというのに公衆トイレがあるではないか。見るからに使われていない木組みの小さなトイレ。その三角屋にはこれでもかというほどの落ち葉が積もっている。決して綺麗な外観じゃ無いけど、そんなのどうでもいい……、どうでもいいんだ！

「ありがとう」

ふとそんな言葉がれた。誰に向けた言葉でもない、だけど不意にそう口にしたくなってしまったのだ。

「瑠……？」

「行ってきます」

    ……こうして私は窮地の出に功した。

……もうトイレの無い所には行かないと思う。きっとそれが神様のお示しなのだから。

「たっだいまぁっ！」

「おかえりっ、良かったね」

「いやぁ、一時はどうなっちゃうのかと思ったよ。今は何だかすっごい清々しい気分っ！」

私は用を終えた瞬間から高揚に満たされ、なんだかもう林間學校とかどうでもいいや、なんて思っていた。しかしその高揚も莉結の淡白な反応によって急速に冷めていく。

そして想定外の事態に騒めいていた車が落ち著きを取り戻し始めた頃、先生の説明の後バスは再びき出し、予定よりも一時間以上の遅れをとりながらも私達の宿泊先である"わかな野外活センター"へと到著したのだった。

「うわぁっ……、空気が綺麗な気がするーっ」

「気がする……って綺麗だと思うけど」

大自然の中に佇む平屋方形屋の建は周りとうまく調和した造りになっていて、建のすぐ裏は雑木林。さらさらと川のせせらぎのような枝葉のれる音に時折鳥の囀りが重なる。そんな環境のせいか、今朝から妙に清々しい気分ではあったけど、この自然が更に清々しさを増してくれている気がする。

    そして私達は、早速"本館"に移すると、施設の職員の人達による開校式が執り行われた。ここに來る小學生から高校生まで、同じ原稿を使っているのか、"沢の水を飲まない"とか"草とか花を持ち帰らない"とかいう、ちょっと馬鹿にされている気分すらなる容の話をされた。

それからセンター長の話を聞いて、建の配置や利用方法など説明をけると、何故か校歌を斉唱し、開校式は終わった。

そして、その後は、晝食のために食堂へと移する事になり、開放のある渡り廊下を列を組んで移して行くと、風に乗ったお晝ご飯の良い匂いが私のお腹を刺激する。

辿り著いた食堂は、木の質がそのままに出された、ログハウスのみたいな天井の高い造りになっていって、"林間學校"という名に相応しい建だった。

配膳は、中學の頃を思い出す様な給食スタイルで、各自で列になって一品ずつよそってもらうようだった。

席は自由。もちろん私は莉結との相席だ。

そして、席に座ろうとした時、何処からか聞き覚えのある聲が響いた。

「ねぇっ、私も一緒にいい？」

    その聲に振り向くと、満面の笑みで私を見つめる麗の姿があった。

「あっ、麗ちゃん。來てたんだ」

「來てたんだ、って酷いなっ」

「いや、朝、麗ちゃんの姿見えなかったからさっ」

    私がそう言うと、麗はし恥ずかしそうに自分の髪をりながら「いやぁ……、な寢坊しちゃってさ」と答えた。

「えっ？　じゃぁバスどうしたのっ？」

    莉結がそう尋ねると麗はピースサインを頬の橫に作って答える。

「いざというときのママですよっ！」

私と莉結が苦笑いを浮かべていると、突然、麗が何か思い出したように口を開く。

「そういえばさぁっ、見たっ？」

    麗は興気味にそう言った。主語が無くても、言いたい事は大分かる。

「車の事故のやつでしょ？    あのせいでバスがかなくて"々と"大変だったよ」

私はてっきりそれだけの事だと思っていた。しかし、麗の口から出た言葉は、私の予想を越えたものだった。

「そうそうっ、まぁ強盜犯が逃げちゃったんじゃぁしょうがないよねっ。あっ、とりあえず私ご飯取ってくるねぇ」

    さらっとそう言って席を立とうとした麗の腕を咄嗟に摑んだ私は、「それ、どう言う事っ？」と聞き返した。

「えっ？　ママが警察の人に聞いたらこっそり教えてくれたんだよねぇ。強盜犯が逃げてる最中に事故して、まだ捕まってないんだって。まぁ、たくさん警察居たし大丈夫じゃない？」

    確かに、この限られた範囲で逃げたって捕まるのも時間の問題かな……、そう思いつつも、しの不安をに殘して私達は晝食を準備をして席に戻った。

「いただきまーす」

そこで、橫に座った麗が一度手に取った箸を置いたかと思うと、私の耳元でこう囁いた。

「そういえばさぁ、そろそろ……聞いても良いかな？」

    麗はそう言うと、し恥ずかしそうに下を向いた。

そろそろって事はし前から何かの答えを待ってたって事になるけど、何だろう。

「聞くって何を？」

    すると、麗は更に小さな聲で「あの返事……」と言って箸を取る。

    あの返事……。多分、いや、間違いなくあの日の告白の返事だと思った。そういえば、"今回は"はっきりとした返事をしていなかったっけ。

「付き合ってしいっていう、返事……だよね？」

    私は分かっていながらもそう尋ねた。麗にはちょっと意地悪な質問だったかも知れない。

「うん……。ごめんね」

    何故か謝った麗は、きっと返ってくる答えを分かっているんだと思った。それでもはっきりさせておきたい、そういう事なんだと。

「あれからね、よく考えたんだけど、お互いまだ出會ったばっかりだし、麗ちゃんはすごく良い子だと思うけど……」

そう言っている途中で、何だか自分が凄く裁の良い事ばかりを並べている事に気付いた。きっとそれは、麗の求めている答えとは程遠くて、麗の心に大きなモヤモヤを殘したまま無理矢理に解決させてしまう言葉なんだって。

「いや……、ごめん、噓。本當はとして好きかどうかもはっきりしない人とは付き合えない。というか正直、付き合うとかよく分かんないし、付き合う事になってから関係が変わるような相手なんて私は他人のままでいいと思ってる」

そう言い終わってから、私は慌てて麗の顔を見た。本當の事を言っちゃったけど、それもそれで自分のエゴなんじゃないかって思ったからだ。やっぱり多の噓、思い遣りで裁の良い言葉にした方が良かったのかな……。

    すると、麗が急に笑い出し、目から小さな雫を頬に伝わらせた。

「いやっ、ごめん。別に悲しい訳じゃ無いんだっ」

    涙を拭ってそう言う麗を見つめていると、麗は突然私の手を握ってこう言った。

「瑠ちゃんはそう言ってくれるんじゃないかって思ってた」

    私はその意味が分からずに、呆然と麗を見つめた。すると、莉結が"ふふっ"と微笑んで、「瑠っぽいって事だよねっ」と麗に言った。

「うん、変に気を遣われるよりずっとスッキリする答えだもんっ。ベストアンサー……かな。二番目だけどね」

私はそれでもピンとこなかったけど、「そ、そう？　なら良かった」とをで下ろした。

それからは、その話題が出る事も無く、林間學校のプログラムについての話や、食べの好き嫌いなどの話で盛り上がった。莉結以外とそう言う話をするのは新鮮で、ここでもやっぱり"友達も悪くないかな"なんて思いが浮かび上がったのだった。

「えー、次は験學習なので、食べ終わった者から本館橫の工作室に移するように」

食事が終わって話をしていると、先生の聲が食堂に響いた。その聲で私達の話は一旦お預けとなり、「片付けて移しちゃおっか」という莉結の一言で私達は席を立った。