《本日は転ナリ。》64.心の車窓
私は頭上に広がる綿飴みたいな雲を見つめていた。空を丸く切り取ったみたいなその景は、昔の記憶と何も変わらずにそこにあった。
私の住む街の中心、駅のすぐ北側に位置するバスターミナル。時計塔を中心に円形狀に造られたターミナルは、それを囲むようにバスの専用道が走り、市営のバスが発著を繰り返している。
中途半端に栄えている田舎町。そんなこの町では電車よりもバスが移手段の大半を擔う。
ここに來るのはいつぶりだろう。昔はよく何度か莉結と莉結のおばあちゃんに連れられて街の方まで來ていた気がする。
その度に駅地下の売店でポップコーンを買ってもらってはターミナルに住み著いた鳩達にあげてその景を飽きもせず眺めていた。
「待たせてしまったかしら?」
き通った聲に振り向くと、中央のエスカレーターから昇ってきたのは清楚や純粋と言った言葉の似合いそうなだった。
「ううん、私も今來たとこ」
そう言って私は立ち上がると、それ程大きくないはずの私の肩辺りから向けられたきらきらとした視線にし恥ずかしさじて目を逸らした。
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「私、園って初めてなの」
、つまり天堂さんが子供のような笑顔で私にそう言った。
昨日、私が送ったメッセージに一言、"ありがとう"と返信してきた天堂さんは、続けて"明日、良かったらどこか一緒に出掛けたいのだけれど"とメッセージをくれたのだった。そこで私が提案したのが園。ありきたりで無難な場所かもとは思ったものの、外出なんてあまりしてこなかった私に提案できる場所なんてそれくらいしか浮かばなかった。でも天堂さんにとってそこが初めてだったなんて意外だ。
ぎこちない會話をえつつ私達は園行きのバス乗り場へと足を進めていく。
各乗り場の前に並ぶ人達はそのバスの行き先を示しているみたいだ。病院経由の乗り場にはお爺ちゃんやお婆ちゃんの姿が多いし、學校経由の乗り場には學生の姿が目立つ。そして遠くに見えてきた私達がバスに乗る"一番乗り場"には、やっぱり親子連れの姿が多かった。
私達はベンチの後ろの花壇へと腰かけると、鞄を間に挾んで座った。
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「その……、ありがとう」
落ち著いたところで天堂さんが遠くを見つめてそう言った。
それは私に"仮にも付き合った"という事実を再確認するかのようだった。改めて考えると同同士の特別な関係という特殊なスタイルに違和をじずにけれられた私が不思議なくらいだ。といっても私自がそれ以上に特殊なスタイルで生活している訳だから違和をじなかったのも頷ける。
「ううん、なんかごめんね」
そう言った私に天堂さんのきょとんとした瞳が映る。私は慌てて"そういうのじゃ無くて待たせちゃったから"と弁解をした。天堂さんだって未だに私自の気持ちが整理できていない事くらい分かってくれているのに、それを言葉にするのはモラルに欠ける。
「いいのよ別に」
あの時とは別人みたいな優しさに溢れた微笑みに私はなんだか肩の力が抜けてしまった。
定刻通りに到著したバスに乗り込んだ私達は並んで席に座った。初めての距離に戸いつつも、車窓から差し込むに反する寶石のように輝く天堂さんの髪に目を奪われそうになる。
シルクみたいに綺麗な髪に整った顔、すらっとびた白く細い腕……。
どうしてこんな綺麗な子が私なんかに好意を抱いてくれたんだろう、そんな疑問が浮かぶ。あんな天堂さんの裏の一面は誰も知らないはずだし、探せば他にいくらでもいい人なんているのに。
「どうしたの? 瑠……さん」
気がつくと天堂さんが私を見つめていた。私はどこを見てたっけ、変な顔をしてなかった? 咄嗟に顔を背けた私は「いやっ、天堂さん可いなぁって」と、とんでもない事を口にしてしまう。
弁解の余地も無い。いや、弁解するほうが失禮だと思う。私の顔面に熱が増していくのが分かる。思わせぶりな事を言った代償は大きい、はずだ。
「彩……でいいわ」
予想外の言葉に私は天堂さんに振り向く。すると天堂さんは頬を染め、前の席のヘッドレストを睨んで……いる? 何で?
「ご、ごめん。変な事言って」
思わず謝った私。理由も分からないくせにとりあえず謝る悪い癖。
「そんな事ないっ!」
するとその瞬間、天堂さんが膝に置いた私の手に自らの手を重ねたのだ。しかしすぐにその手は離れて、天堂さんの視線は窓の外へと移する。
「ごめんなさい、気にしないで」
それから幾つかのバス停を通過しても天堂さんは窓の外を眺めたままだった。怒らせてしまったのか、それとも恥ずかしいだけなんだろうか。そんな事を考えているとバスが高架下にった。そして辺りが一瞬影に包まれ、窓が車を寫しだした時、そこに反した天堂さんの視線と私の視線とが重なった。
「えっと、て、彩……ちゃん」
その呼び掛けに天堂さんの肩がピクンと反応した。窓に映ったあの目。怒ってなんかない。多分あの頃の"俺"も同じ目をしていた気がする。
あの時……窓に映った天堂さんの目を見た時、私のにあの頃のが蘇ってきたのだ。話したいことが沢山あるのに口にできない、甘酸っぱくてジンと苦い、息の詰まるようなあのが。それをじた瞬間、私は"彩ちゃん"を呼んでいた。
「彩ちゃんは何見たい?」
その問い掛けに"えっ? "と小さく聲をらした彩ちゃんがやっと私に視線を向けた。
「見たいっての話?」
「うんっ! 私はライオン」
すると天堂さんにまたあの遠慮がちな笑顔が戻った。
「瑠ったら男の子みたいね」
私は引きつった笑顔で大きく鼓したの音を誤魔化しながらも、もう一度何を見たいのか聞いた。
「私は……、ゴールデンタマリンかしら」
それはきっとゴールデンライオンタマリンの事だ。でも私は彩ちゃんが卑猥な隠語を言っているようにしか聞こえなくって、ついクスクスと笑ってしまう。
「何が可笑しいのっ? このタマリンは日本ではここにしか居ないのよっ」
彩ちゃんの言いたい事は分かってるのに、私の脳ではそれが"金タマりん"へと自変換され、私は彩ちゃんがその説明を始めその単語が口にされる度、小學生のように腹を抱えて笑い転げてしまう。
「っもう、本當に何っ? 私は真面目に話しているのに」
彩ちゃんはそう言って大袈裟に眉を潛めた。がしかし、その表は一瞬にしてらかなものになり、車にもう一つの笑い聲が重なった。
「本當に……瑠は私に初めてをたくさんくれるのね」
「初めて?」
「そう、初めて。だから私は……いえ、なんでも」
「えっ? "だから私は"なあに?」
「ううん、何でも無いの」
だから私は……好きになった、そう言おうとした事くらい分かっていたのに、敢えて聞き返した私は中途半端な悪だ。はっきりとしないこの気持ち、しっかりケジメつけなきゃ彩ちゃんに申し訳ない、そんな気持ちがの中で揺れいた。
そしてそれに対して彩ちゃんの気持ちはどの程度なのかと確かめたくなって、私はまた意地悪な質問をしてしまう。
「そういえばさあ、こんな事聞くのもなんだけど彩ちゃんは何で私なの? その……、別に彩ちゃんなら斷る人居ないだろうし、私なんかよりもっといい人なんていっぱいいる訳だしさ?」
すると先ほどの笑顔が消え、何かを思い浮かべるように彩ちゃんは薄く開いた目を私の足元へと向けた。
「人間なんて皆ウワベだけなの。ただ表面上良い人のフリをしているだけ。相手の為だなんて言葉は大義名分で、底には利己的な考えが必ずあるものよ。まず年齢や別、人種や肩書きなんかに左右されるものは本のとは呼べない。でもこの世界の人間たちの大半はそれらに捉われるのが常識だと思っている……いいえ、その常識が捉われている事だということに気付いていないの。だから瑠みたいに純粋な心を持っている人間なんてあのコキア・コオケイと並ぶくらい珍しくって魅力に溢れているのよ」
「確かに私も常識っていうものはあくまでも多數決みたいなものだと思ってる。だけどね、私は彩ちゃんが思っているような純粋な人間なんかじゃないから」
そう、だって私は自分が何かも分からない不純の塊だから……。
「そんな事ないわよ。だって奈落の底に居た私を舞臺へと連れ出してくれたのは瑠だから……。それに私が信用できるのは自分と瑠、それと……」
"アヤ"。彩ちゃんは消えそうな小さな聲でそう言った。
彩ちゃんは私の事を救世主か何かと勘違いしているみたいだ。そう思ってくれてるのは嬉しい、だけど私の本心では彩ちゃんの理想と現実とが食い違った時、失の眼差しを向けられるのが怖い。だって今の私は大きな噓に纏われた存在なのだから。
それでも最後に口にした"アヤ"という子の存在は大きかった。萬が一私の噓で彩ちゃんが傷ついたとしてもそのアヤという子が彩ちゃんの支えになってくれると思ったからだ。私以外にも信用できるヒトが居る、その事実は素直に嬉しかった。
「アヤちゃんって同じ學校の子?」
學校でアヤという名前に聞き覚えは無かった。まぁ全ての同級生の名前を知ってるわけではないし、孤立していた私が知る由も無いけど。
「アヤは……。もういいの。私には必要が無くなったから」
そう言ってどこか寂しげな瞳を窓の外へと向けた彩ちゃん。唯一の救いにも思えたその子も、彩ちゃんにとって"必要のないもの"なんだ。
私は自分が背負ってしまった運命の重さに聲を掛けることができなくなって、その橫顔の奧に映った銀に輝く湖に視線を落とした。
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