《鮫島くんのおっぱい》騎士団の仕事
息を切らせた梨太を、最初に出迎えたのは犬居だった。
自宅へ続く小道、その手前の大通りである。
いつもの貫頭ではなく、ラトキアの軍服を著て立っていた。
儀式的な場にもかなう禮裝であり、同時に戦闘用でもあるのだろう。細のズボンと、なだらかな曲線を描く上著は膝まである長は左右に腰までスリットがり、腳の形がわかるほどに沿っていた。艶のない黒地に、輝きを押さえた金刺繍。腰に巻きつけた帯は髪と同じ赤い。
華ではないが、しい裳である。
そんな格好で、表を引き締めて佇む犬居は、これまでの親しげなをなくしていた。
大通りに赤い髪をそのまま風になぶらせて、軍服姿の犬居は通行人から指をさされるほど悪目立ちしている。そんなことはかまわず、彼は梨太の姿を見つけると、顎をしゃくった。
軽口を叩く雰囲気ではなく、犬居に続き、梨太も無言で自宅へと向かった。
家の門扉が見える頃、犬居は一度足を止め、簡素な敬禮を行った。すぐにを引き、梨太に道を譲る。
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果たして、栗林の表札の前に、鮫島がいた。
犬居と同じ、黒の軍服。長にられた勲章が多く、背丈があるぶんなお見栄えもよい。初めて見た「軍人」裳の鮫島は、學制服のときにあったはずの男子高校生らしさは皆無である。
凍り付く寸前の湖水のような、れてはいけない冷たい貌――。
梨太は、ようやく整いだしたはずの呼気を一瞬、停止させた。學校指定のスニーカーを、アスファルトの上で滯らせる。
今日の來訪は、鮫島と犬居だけのようだ。無言の彼らへかける言葉を迷っているうちに、鮫島の背中からピンクのくじらくんが飛び出した。
「やあ、リタ君、帰ったか。どうもご無沙汰をしたね」
「鯨さん、どうも。えっと……」
「話は部屋でさせてもらえるかな? 忍ぶ立場ではないが目立ちたいわけではない」
「あ、はいはい」
佇む彼らの間をって、自宅の鍵を開けにかかる。扉のすぐ橫で、鮫島とすれ違う。
彼は、想のひとつもない無表でただじっとそこにいた。
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だから、ということはないはずなのだが――
(……ん?)
梨太は何か、違和を覚えた。その正も分からないまま、とりあえず二人の騎士と空飛ぶ通信機を案する。
部屋に通されてすぐ、犬居は勝手にダイニングの席に腰掛けた。くじらくんがテーブル中央に浮遊。鮫島は戸口にもたれ掛かり立ったままだった。長を壁に預け、腕を組んで目を閉じている。
(なんか――怒ってる?)
とりあえず、全的に空気が、堅い。
普段は調子よく饒舌な鯨も、世話役の犬居も、切り出すのを迷っているように押し黙ったままだった。梨太はとりあえず鞄を置くと、冷蔵庫へ向かった。それを待っていたかのように鯨が告げる。
「くだんの、烏の潛伏先へ行ってきた。君のいうとおりだった。場所も、罠も」
あえて返事をせず、用意を続ける。鯨の言葉を犬居が継いだ。
「結果だけをいうと、俺以外の騎士団五人全員が返り討ち。俺は実戦力じゃないからつまり全滅ってことだが」
「初のバディが倒れてからはより慎重にすすみ、ダメージを自覚したら即時撤退したため犠牲はない。斥候役としてもっとも深部までり込んだ虎は自のダメージの把握が遅れ、昏倒。現在も意識不明だ。バディの豬は右半に痺れがあり、今作戦の戦闘はリタイアだな」
「……毒ガス?」
狀況を思い浮かべ、考えられたことを梨太は口にした。
うなずく犬居。
「二階建てのフロア、手前の階段がふさがれていて、一階深部まで進んだ。無無臭の毒ガスがフロアに充満していた……らしい。り口すぐで倒れるような猛毒でないのがなお質が悪い。息苦しくなった時點ですぐ折り返していればまだよかったんだろうけど、噴出口をつきとめようとした虎は長くいすぎたんだ」
梨太は、虎という騎士の記憶をおこしてみた。たしか、料理の材料買いだしを押しつけた騎士である。何でオレがと頬をふくれさせ、それでも帰宅したときには、いちばんいいのを選んだんだぜとを張ってきた。
朱金の髪に細ので、一番カレーを大盛りにして食べていた。ギラリと獰猛な金の目で、犬歯を剝いてギャハハと笑う、まだ十代にすら見える若い騎士。
豬は、もっとも格のよい武人然とした騎士である。最年長らしい落ち著いた腰で、いかにも騎士団長というのはこの男だろう。鮫島以上に寡黙な大男は、帰り際、自分の子供ほどのい年に腰を半分に折って禮をした。
ひとりひとり、騎士たちと深く流をしたわけではない。それでも全員の顔は覚えている。
本棚を興味深そうに眺めていた、甘く端正な顔立ちの鹿。気立てがよくにこやかで、料理の準備や片づけをなにかと率先してくれた蝶。
「……僕が、烏のアジトを」
「そういうことじゃない」
梨太の無意識のつぶやきを、鮫島が即座にさえぎる。
「軍人の仕事だ。被害は、むやみに獨斷専行した虎の自己責任。自も麻痺をおこしながら、虎を抱えて出が遅れ共倒れになった豬も褒められはしない。あとは俺の責任だ」
淡々とした口調に、震えるほど熱い怒りが潛む。なにに対しての怒りかはわからない。
鯨がつなぐ。
「まあそこは気にするな。全員命に別狀はない。虎だって、脳波はあるし復活の可能は高い。豬も解毒と、リハビリの効果は見えている。最悪でも生義手で騎士に復帰できることは間違いない。宇宙の醫療技は地球よりずっと高いぞ? そう、被害としては深刻ではないのだ」
軽々しいほどに明るくいう鯨。おそらくはわざと前向きに発言しているのだろう。しかし人ひとり昏睡狀態でその言いぐさは、どうしても気に食わなかった。
そして気になることがあった。
「犬居さん以外の五人、全滅って――鮫島くんは?」
「団長は」
「俺は」
犬居の言葉にかぶせて、鮫島。犬居がすぐに口をつぐむ。
「俺は、虎と豬が還った後、建外周から気配を探り、烏の所在を確信した。扉周辺を代で塞ぎ出りを待ったが、四日間で果が得られなかった。籠城を覚悟して備蓄している、あるいは、もしかしたら抜け道があるのかもしれない。むやみに放置するわけにいかなかった。
同時に、毒ガスの種類を特定しようと服や呼気から宇宙船で出來る限りの照合を行ったが、既存の毒の反応が見られず、失敗。烏が獨自に調合したものだろう。俺は鹿と蝶を連れて、なんの毒かもわからないまま、汎用のガスマスクをつけて突した。
そして、鹿と蝶が不調を訴え、早めに撤退した」
「……経皮毒のガス!?」
梨太は悲鳴じみた聲を上げた。
煙も臭いもなく、呼吸を確保した健康な人男子を數分で昏倒させる毒ガス。それがどれだけ危険なものか、理解に苦しくない。開発してはならないものだ。戦爭に使うには卑劣で、開発現場でも恐ろしい事故につながる。
鮫島は低い聲でうめいた。
「俺だけが平気だった」
「……なんで?」
尋ねる。彼はこともなげに返答した。
「以前にも話しただろう。俺は毒に耐を持っている」
「だってそれ、兵士や、騎士団のみんな學校でやってきたんでしょ? 他の騎士は――」
「いや。親が許可し、本人も希申請して初めて、最大三種類の毒耐を得ることを許可されている。俺はおよそ二十種類」
梨太は絶句した。
鯨が口を挾んできた。
「完全に無効ではないけどな。それをむと、やまでもが毒を帯びてしまうし、日常生活にまで不便が生じる。今回のガスは鮫が修得済のものと違うものだが、分だか作用だかが一致していたのか、うまく無効化されたのだろう。そこは今、鹿が鋭意解析中だ。
なんにせよ、現時點であのフロアを進めるのは鮫だけとわかった。念のため、ほんとうに平気でいられるのかを確認に、室り口すぐそばでマスクなしで十二時間待機。覚的不調も中分にも変化がないのを把握した」
「……なにやってんだよ。鮫島くんひとりだけが効かない毒。それ、烏に筒抜けだよね。そんだけ何日もウロウロしてたら」
「だろうな。それ以前に、烏は俺の毒耐の種類を把握している」
鮫島は、いつも薄いをかすかに開くだけで発聲している。それでも不思議と耳にるのだが、次の言葉は、珍しく、聞き取りづらい聲音でぼそりと追加された。
「俺に毒を飲ませたのは烏だから」
梨太は、聞こえた言葉をじっくりと反芻した。
くそが悪くなるのをこらえながら、腹において、理解する。
「……それで? これから、鮫島くんひとりで突しようってわけ? ばっかじゃないの」
犬居が眉を上げた。それでもなにも反論はしてこなかったが。梨太は追及する。
「それこそが本命の罠に決まってるじゃないか。鮫島くんひとりだけが効かない毒、鮫島くんだけが二階へあがってこれる――それが相手の目的だ。そんな毒ガスの調合なんかできるやつが、二十一種類目の毒を作れないわけがない。わざと、君には効かないものを作ったんだ。
二階にはあがっちゃいけない。そこに必中の罠があるに決まってる!」
「リタ。まだ、おまえへの話は途中経過だ」
犬居が苦い聲で言った。
「もしもその段階なら、地球人のガキの家に、俺たちがそろって日報にきたりしねえよ」
「……突、したの?」
梨太の呆れ果てた聲音に、軍人らは気を損ねることはなかった。
鮫島は、ただ苦笑して、言った。
「軍人だからな」
梨太だけが機嫌を最悪にこじらせて、大きく嘆息した。
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