《鮫島くんのおっぱい》梨太君の戦い

鉄の扉の先は、踴り場のようになっていた。広くはない、正方形の空間。曲がって十段ほど、段差の淺い階段が続く。先にまた一枚木の扉。

 銃を構え、扉を開く心構えをする。と――

扉が開いた。

「――やあ、いらっしゃい。どうぞ?」

日本語である。扉を開けた者はそう言ったきりすぐ背を向けて、フロアの部へ戻っていった。

梨太は無言でその後を追う。

部屋にると、主、烏は、眉をすこしだけ持ち上げた。

「ドア、閉めてほしいな。二重扉だし、すこしくらいガスがってきたってなんということはないけど、半開きっていうのが気持ち悪いのよね。私」

梨太はのどを鳴らし、後ろ手に、扉を閉めた。

そして烏と対峙し、上から下まで視察して、若干ひきつった笑いを浮かべる。

「……そうきたか。正直これは、予想外」

つぶやく。烏はにっこりと、バラを持ち上げて笑顔を見せた。

明なめがねの奧、しい水の瞳を細めて。

年の頃は二十代後半から、三十五には屆かないというあたり。白いに白い洋服、そして白。前報としては青だったはずの、白い髪。

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ほどの長さの髪を結い、珊瑚のクリップで止めている。の半分までの丈のハイウエストパンツはビタミンオレンジだ。白づくめの服裝のなか無意識にそこへ視線が引っ張られると、ドキリとするほどらかそうながある。特筆して端正な顔立ちではないが、どこかな魅力がある。

総じて、妙齢の、であった。

 梨太は頭を抱えた。

「……あう。參ったな。……しかもけっこう好みのタイプだ」

「あらほんとう? うれしい。お姉さんとイイコトする? キミなら歓迎よ栗林梨太くん」

そう言って、烏はホホホと明るい笑い聲をあげた。細い腰に手を當てくねらせて、

「男の子とするのは初めてだから、優しくしてね」

そんなことを言った。

「……どうして、僕の名前を?」

梨太はその場からかず、視線は烏から離さぬまま、ポーチをまさぐった。

「霞ヶ丘高校に同胞がっていたのは知っているね? 君が、騎士らとつながっている報告は隨時。君のことも調べ済みよ」

答える烏のすぐ足下と、屆くだけ遠くに玉を投げつける。毒分検知の蒸気が吹き出したが、フロアの空気の明のままだった。

烏が笑う。

「大丈夫よ。この部屋に毒ガスは撒いていない。一応、私も耐はあるけど、そこで寢起きやご飯たべるのっていやじゃない? さすがに毎日ずっと吸うのはよくないしね」

「……白鷺は、この數日間、どこに?」

「もちろん一階に。彼は脳にチップがっているから、二階には上がれないもの。毒にまみれて寢起きしていたわよ」

梨太はなんとなく、気分を害した。それが表にでたのだろう、烏は肩をすくめた。

「あの男がそれをんだの。毒だって、騎士が近づく気配がするまで止めてていいと言ったのに、図の割に肝っ玉はちいさいんだから。あれでクゥに勝とうなんて、り口からもう負けているのよね」

「……クウ?」

梨太の疑問符に、烏は一瞬不思議そうな顔をして、すぐに合點した。

「ああ、鮫。サメジマクン、だったかしら、あの學校での名前は。君は彼の本當の名を知らないのね。自変換裝置の欠點、ラトキア語をそのまま言いたいときにも変換されてしまうから」

烏は笑いながら、部屋の奧、キッチンスペースへとっていった。

ここは、もとは管理人室かなにか、だったのだろう。

十二畳ほど、簡素なワンルームスペースである。正方形の部屋に、プラス四畳ほどの水周りが仕切られてあるようだ。奧にもうひとつ扉が見える。そこから寮の共同ホールのほうへつながっているのだろう。真ん中におかれた二人掛けの小さなダイニングテーブル、ラグマット、キャビネット。端によせられたベッド。烏はほとんどここで生活しているのだろう。今はわからないが、トイレやシャワールームなどもあるのかもしれない。

梨太が部屋を見回している間に、烏が戻ってきた。手には湯気の立つ紅茶。手際からして、梨太があがってくる前に支度していたらしい。

「クゥはアダナよ。騎士団長さまには似合わない? そうね、立派になっちゃって。でも八歳のころから知ってるから、私にはいつまでも可いクゥなのよねえ」

部屋中央のテーブルにバトンをおく。そして、水の瞳を梨太にあわせた。

「……『』は撃てないみたいね。でも遠慮しないで。私、武を持ってるから」

梨太は慌てて、麻酔銃を構えようとした。瞬間、その橫顔にチクリとした痛みが走る。視線で見下ろすと、防護服に覆われていた頬がむき出しになり、一筋のを流していた。

ピチュン! 小鳥がなくほどの小さな音。烏がバトンの下から放ったおもちゃのような小銃の弾は三発連された。ゴーグルに直撃し、視界が突如蜘蛛の巣狀に塞がれた。もう一発の弾は酸素マスクにあたり、その形狀をゆがめた。

「うっ!?」

「大丈夫よ、このフロアに毒ガスは流してないっていったでしょ。安心して、それ、外してよ。私は君とお茶がしたいの」

くるくると小銃をもてあそび、烏。その銃口から硝煙はあがっていないようだった。打たれたときの衝撃もなかったし、銃弾も見あたらない。空気銃かなにかだろうか。

梨太はわずかの間迷ったが、結局は役に立たないマスクとゴーグルを外さざるを得なかった。ついでに、頭を覆っていたスーツのフードもめくりとる。久方ぶりに栗の髪を空気にれさせて、梨太はなんだか猛烈な衝に駆られ、頭皮をかきむしった。熱気や汗の気がこもらないと聞いていたが、どうもムレをじて気が悪い。

手櫛で髪を直すと、烏がなんだか楽しそうな聲を上げた。

「あらあらまあまあ、かわいらしいこと。寫真とモニターでは見たけども、実みると本當にの子みたい、可い子なのねえ。クゥのストライクだわぁ」

「……うん?」

「どうすればそんなに目も鼻も口も丸く育つの。ああ、そのふわふわの明るい髪、思わず抱きしめてなでなでしたくなっちゃう。だけどその外見にあわず、中は男前なんでしょう君。そのへんの話、私はぜひ聞きたいのよ。座ってちょうだい、あまりいい椅子ではないけどね」

  烏は、正常に聞き取れるぎりぎりほどの早口でまくしたてると、梨太のぶんの椅子を指さし、自分もその前に腰掛けた。

麻酔銃を片手に、優雅に紅茶を含む科學者を見下ろし、梨太は首を振った。

「……悪いけど、鮫島くんが下で待ってるから。長居はしません」

「あらそう。それは殘念」

案外、彼は簡単に引き下がった。

「……でも、僕もあなたに聞きたいことがいくつかある。それに答えてくれるなら、すこし、お相手します」

烏はにっこりとほほえんだ。うなずいて、お先にどうぞと手を差し出す。梨太は椅子をひき、その席に著いた。

正面から烏を見據えて、言葉を選び、尋ねる。

「あなたの、目的はなんですか?」

眼鏡の向こう、水の瞳がとてもうれしそうに細められた。

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