《鮫島くんのおっぱい》鮫島くんのキモチ
梨太は、正直に己の気持ちを口にした。
「……鮫島くんは、もっといろんなことができると思うけど」
鮫島は一度、驚いたように目を丸くして咀嚼を止める。目を細め、嬉しいような苦しいような、なんとも複雑な表でつぶやいた。
「そうかな」
「そうだよ」
梨太は強い口調でそう言った。
「だって何にもできなかったって、十六歳の時でしょ。それでふつうだよ。周りは十も二十も年上でキャリアも長いひとたちばっかりでさ。なじめなくて當たり前。リーダーシップとれなんて、言うほうが無茶だ。地球の學生も、課外授業なんかで大人と絡む機會があるけどさ、クラスのほぼ全員、挨拶すらまともにできないでこわばってたし」
「……リタは怖じしてなかった」
言われて気がつく。
そういえば、彼らと初めて出會ったとき、梨太はちょうど十六歳だった。しょっぱなから犬居と漫才をし鯨に自己主張をして、ほかの騎士たちをこき使って家事をさせたのを思い出す。
「僕は心臓まで深いからねえ」
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適當なことを言って、逸れかけた話題を戻そうとした。
(鮫島くんは戦うだけじゃなくて、騎士とか軍人とかじゃなくて――)
その言葉が、うまくまとまるよりも早く。
鮫島の手が、梨太のほうへびてきた。どこかさみしげに傾げ、細めた雙眸が梨太を見つめる。
「……俺の目を、まっすぐに見つめてくれる人間は、片手の指よりない……」
鮫島は、梨太の頬を一瞬だけで、メガネを奪い取った。
琥珀の瞳と、深海の瞳が合う。すこし広がった視界の中に、ほほ笑む鮫島がいる。
「やっぱり、無い方が可い。俺はこっちのほうが好き」
クスクス、聲を出して笑う彼。それほど面白いのではなく、照れ笑いだ。
やけに機嫌のよさそうな彼を見つめながら、梨太はふとした疑問にいきついた。
それは今更、本當に今更ながらそういえば聞いたことがなかったという質問だ。
のどをらせて、居住まいを正す。あらかたの食事の済んだテーブルにを乗り出し、梨太はしっかりと、彼の顔を見據えた。
「――鮫島くんは、僕のこと、どう思ってるの?」
三年前も、いまも、それを本人に聞こうとしたことが一度もなかったのだ。
問われて、鮫島はしばらくキョトンと目を丸くした。
彼の脳に埋め込まれた自言語変換裝置は非常に高度な翻訳機であるが、ニュアンスの機微すべてに対応しているわけではない。皮や、裏に意味を込めた言い回しは通じにくい。
「……クリバヤシリタ。もうすぐ二十歳、學生、地球人」
「そ、そういうことじゃなくて。ええと……男としてっていうか」
「男の人に見える。三年前はかなり長いあいだ、地球人も雌雄同がいるのだろうかと考えていたけど」
「だからそういうことじゃなくて。あのね、ほら、今、鮫島くんは――と、いうことで、まずそこなんだけどもそれでいいですかね?」
「え? 違う」
即答されて、梨太は真橫にコケた。
床でく梨太に、鮫島はこともなげに淡々と、
「一見そのように見えても、本質的に、と呼べるものではない。ラトキアの基準から言って、俺はただ雌化しているだけの男だ」
「え、ええっとぉ……?」
「カゼで一時的に聲の出ない人間を聴唖ちょうあとは呼ばないのと同じ。いずれ俺は男に戻る。地球人の覚では理解しにくいかもしれないが、やはりとは言えないだろう」
「そ、そういうことを聞いてるんじゃなくて。ええと……」
彼の言葉を、梨太はゆっくりと反芻しながら理解した。
「もっと、単純なこと。今、現在、この瞬間。鮫島くんは、である。……ハイかイイエかで」
鮫島とは言葉の壁がある。文化も異なる。彼は異邦人なのだ。
彼の中にるためには、なるべくわかりやすくシンプルな言葉で、率直に己の気持ちを突き刺さなくてはいけない。
鮫島はすぐに回答した。
「はい」
梨太は唾を飲みこんだ。
そしてようやく、本題にれた。
本當に聞きたかったことを口にする。
「鮫島くん。僕のこと、好き?」
鮫島は視線をあげた。梨太の意図をさぐるような顔つきで、彼も、正面から向かってくれる。
シンプルな質問に、答えもとてもシンプルだった。
「……好き……」
梨太が彼の肩をつかもうとしたその時、けたたましい電子音が鳴り響く。二人して飛び上がるほど驚いた。
鮫島が腰帯をずらすと、革のベルトに、小さなポーチのようなものがつけられていた。そこから垂直に跳ね上がって、銀のちいさな金屬板が浮上した。
「団長お疲れさまです。白羽町の自然公園で大型の反応。園で飼育されていた中型草食が食い散らかされていました。公園全に群れて広がっていると予測されます」
早口でまくし立てられたのは、梨太の知らない男の聲だった。今回は數十人の大所帯でやってきてるという、會ったことのない騎士のひとりだろう。
「了解、すぐ向かう」
くじら型通信機に返事をし、鮫島は帯を直すと、一瞬だけ梨太に向き直った。
「では、仕事に行く。片づけを頼めるか」
「そ……れはもちろん」
「ごめん。じゃあ」
ひどく短い挨拶だけ殘し、彼は早足で部屋を出ていく。
音もなく、栗林の家から人間の気配がひとつ消え、後に殘った梨太は、殘りわずかな朝食を平らげる。
グラス二つだけの洗いを終えると、梨太はなんとなく、玄関の方へ向かった。鮫島の呼び出しから十分弱。扉を開け、湯気が立つほど焼けたアスファルトの町へ顔を出す。
白い裝の麗人は影も形もなく、町は例年と同じ夏の姿で、梨太の前に果てしなく広がっているだけだった。
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