《鮫島くんのおっぱい》豬さんとお仕事

水分を含み、ずっしりと重い土を持ち上げる――

そのとき、何の気配もなく背中から影が差した。振り向くと黒い壁。

視線をあげていくと、梨太の上空二十センチに、厳つい軍人の顎があった。

「あ。豬さんだ」

「……リタ殿。どうも」

大きなを屈めて、ぺこりと丁寧な一禮。

そして彼は虎へ向き直った。

「虎。なにをしている」

「ああ。あのバルゴがよ、もしかしたら土の下に潛伏だか巣があるだかしてるかもしれんってんで、見つけたそれっぽい蔵を掘り返して」

「そういうことではない。なぜ、リタ殿を働かせている」

巨軀を持つ騎士の口調は厳しいものだった。虎が眉をひそめて、

「なぜって、人手が多いに越したことねえじゃん」

「……リタ殿は一般人だ。それとも傭兵に雇ったのか。お前の私財で報酬は支払うんだろうな」

「するかよ。友達相手に」

「え、僕たち友達? いつのまにっ?」

びっくりして振り返った梨太に、虎は首を傾げて見せた。

梨太は嘆息し、それでも一応豬の方へ向き直る。

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「あの、勝手に出しゃばってすみません。僕、鮫島くんに會いたくて、探してたらここで虎ちゃんに出會って。あとで案してもらうためにちょっと手伝おうかと……僕が、了承したので」

「……団長に、何のご用で?」

「それは――その。伝えたいことがあって――騎士団の仕事に関わることかと思って」

豬の無言の重圧に、梨太はここに至るまでの顛末を明かした。話してしまえば、むなしいほどに短く淡泊な容であった。言いながら、こんなことのためにわざわざ? と、自分で突っ込みをれたくなる。

案の定豬は、太いが度の薄い眉を中央に寄せた。

「……つまり、騒ぎが大きくなるから、民間人の前でバルゴを慘殺するのは控えた方がよいと。そう、ご箴言を? わざわざ、こんなところまで來て」

「う……うん」

「ならば自分が伝達しておこう。リタ殿は安全なところへ戻られよ」

「あ――」

取りつく島もない口調でそう言って、豬は梨太のシャベルを渡すように促してきた。

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梨太はしばらくじっと、軍人の手を見下ろして――そのままぺこりと頭を下げた。

「すみません、噓……じゃないけども、大義名分、です」

「……さようで…………」

豬はぎろりと――いや、ただ単にじっと、真摯な眼差しで見つめてくる。

寡黙な男はそれ以上なにも言わず、腰帯の裏から、くじらくん端末を取り出した。彼用のものだろう、麥穂のくじらくんは、無骨な中年男の手には不似合いな雑貨のようである。豬は畫面に、緑の髪の騎士を呼び出した。

「蝶。戦闘はどうなった。リタ殿が団長に會いたいと言っておられる」

「リタ君が?」

「ああ。それを拒否する権限は自分にはない。可能なら団長に代わってくれ」

蝶は弧のゆるやかな眉を跳ね上げる。いつも笑っているような顔立ちをし青ざめさせて、彼は、い聲音で返答した。

「……団長は、もう戦闘が終わって帰還した。今日のところは諦めさせてくれ。何か話したいことがあるなら、団長がまたそのうち家まで行くだろから、その時にって」

「了解」

豬は通信を切ると、佇む梨太を振り返る。穏やかな、だが甘さのない口調で告げてきた。

「そういうことです。リタ殿。今日はお帰りください」

「そ……。……そうですか……」

落膽する梨太から、豬は穏やかなしぐさで、シャベルを奪った。虎に目配せをして、騎士の二人が土を掘り始める。

梨太は、それをただ佇んで見つめた。

手ぶらで、なにもすることがない。それでも豬に言われたように去ることもできず、そのまま、ただそこにいた。

曇天が、風になぶられて散らばっていく。雲に隙間があき、かすかにが差してきた。

そうなるとひどく蒸して、梨太はレインコートをぎ捨てた。

重い土を掘り返していく作業は、戦闘のプロである騎士たちといえど重労働なのだろう。二人とも汗もなく、暑いとかつらいとか愚癡こそこぼさなかったが、顔が赤く上気し始めている。

それにしても、虎はなんだか楽しそうだ。かすこと自が好きなのだろう。軍服を服に著せ替えすれば、そのまんま落としを掘る男子中學生である。

なにもしてない梨太のほうが、暑さにうだりはじめていた。顎の下の汗を拭って、梨太は恨めしげに見つめた。

「二人とも、つらくないの?」

獨り言のような梨太の問い。

答えたのはやはり虎であった。

「んー? そら重いけど、戦闘と比べりゃ屁でもねーし」

「それにしたって、息くらいしてもらわないと、なんか自分がすんごいひ弱みたいで落ち込むんだけど」

「実際おまえ、弱いじゃねえか」

きっぱりと言ってくる虎。梨太は眉を跳ね上げた。

「あのねぇっ、そりゃ騎士様たちからすれば貧弱でしょうけども、いわゆる現代っ子っていうだけで、日本男子一般平均から特別運音癡とか非力ってわけじゃないんだからね、僕は!」

「目くそに僕は鼻くそじゃないっと言われてもなあ」

「うあむかつくっ!」

たいへんな暴言を吐いてのけた虎は、しかし悪意があったわけではないらしい。

梨太の言葉で思い出したように、軍服の上著をぐ。長の下からカジュアルなTシャツが現れる。どうやら地球製品らしいそれを見て、梨太は目を疑った。赤地に白抜き、バックプリントに書かれた文字――『柏餅』。

「暑いのは暑いぞ。ラトキア人は、地球人とはちょいと汗腺の配置が違うんじゃねえかな。服の外にはあんまり汗はかかねえんだ」

そういって、引き締まった肢をさらす虎。梨太は気もそぞろである。

(……柏餅……?)

いだ軍服は腰のあたりに適當に巻いて、再び作業にかかる虎。そののほうにもなにやら文字が書かれているらしい。梨太はを乗り出して確認した。

『せいいっぱい』

梨太は呆然と、その文字を読んだ。

(……柏餅せいいっぱい……?)

デザインに対してのツッコミとともに、虎の思い切りのいいぎっぷりに、なんとなく梨太は驚いていた。これまでラトキア人はみな素を曬すのを嫌がる民族と思いこんでたのである。その理由は、鮫島の所作にあった。

であったころから累計三泊、自宅に彼を泊めているというのに、いまだそのボタンひとつ開けていない。先ほど虎とぼやいた通り、スネですら見たことがなかった。

(……それにしても、柏餅せいいっぱいってなんだ……?)

激しく気になるのを頭を振って投げ飛ばし、なるべく文字に意識がいかないよう、虎の背中を見つめた。

鋼鉄線を編み上げたような、引き締まった広背筋。その隣には無言でシャベルをかす豬の巨がある。

――ラトキア人は、みな、例外なく雌雄同である。

しかし彼らに的な要素は見られなかった。完全なる雄――男。それは犬居にも、蝶にも、もとは雌優位であったという、雄時の鹿ですらもだ。

梨太は、ラトキア人では、鮫島にしかじていない。

三年前、初めて出會った、雄であったそのときからずっと――

「鮫島くんは、なんであんないい匂いがするんだろう」

自分に問いかけるように、つぶやく。

回答は、また虎がくれた。

「は? お前の気のせいっつか思いこみじゃね」

「……そうなのかな……」

「雌化途中だからでありましょう」

梨太と虎の男子トークに、靜かに低音の聲がり込んできた。つい押し黙ってそちらを見やると、豬が、いつもの仏頂面のままシャベルに乗せた土をよけたところである。

年二人よりも二回り年長であるこの騎士は、彼らのほうを見ることもなく淡々と。

「いわゆるフェロモンというものは、地球人とおなじくラトキア人でも退化している。しかし雄から雌、すなわち小柄になる過程で、代謝が上がり全の『余分』が排出される。小食になり、溫も高く、発汗が増えるのだ。となれば本人の臭も強くなる。良くも悪くも」

「ほう? ……ほう。つまり、鮫島くんはほんとは雄のときからいいにおいがしてたわけだ。わかりにくいだけで」

「その通りです」

「うーむ、確かにそういえば、雄の時は一晩使った布団を嗅ぐ機會はなかった」

「あったらきっぱりと変態だっつの」

虎が半眼になってつぶやく。

「俺はじないぞそんなの。まあ雄でも雌でも、あの人と近接するときはたいてい格闘の組手中で、鼻を突っ込むどころじゃないっていうか、じきに気絶させられてるっていうか」

「そういやイノさんなんだかお詳しいですなあ」

年二人が、武人を凝視する。

豬はシャベルをかしながら、當たり前のことのように言った。

「いえ。自分もおなじように思い調べたことがありましたゆえ」

「……なるほど」

梨太は苦笑したが、虎のほうは目を丸くしていた。

「ちょっ、まじかよ旦那」

それだけなんとか吐き出して、呆然と絶句する。豬はふと、大きなを反転させた。梨太の方へ向き直り、無骨な面差しにやけにやさしい水の瞳を閉じて、頭を下げて見せる。

短く刈り込んだ髪の、頭頂部が見えるほどに深い禮であった。

「リタ殿。以前自分が院治療をしていたおり、もったいない逸品を差しれいただきましてありがとうございました」

「え? あ、ああ。いえいえ」

「おかげで右手のリハビリが快調に進み、こうして騎士団の末席へ出戻って、あの方のそばへお仕え続けております。リタ殿には深く謝しております。その慧眼と英知にも……」

梨太はニヤリと笑った。

「あなたも結構おもしろいね、イノさん」

會話の意味が分からずきょとんとしている虎を放置して、梨太は豬のほうへし、距離を詰めた。會話がすむと、彼はまた背中を向けた。

(……これがこの人のパーソナルエリアか。正面から向かい合って話すときは、本音ではあるにせよ、味を重ねてできあがった文章の朗読でしかない)

食い込むにはこの位置関係だな、と判斷し、梨太は足元を踏み均す。

いつでも仏頂面をした、この巨軀の騎士をちょっとばかり剝いてやろうかと、中で腕まくりなどしながら。

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